ふたりぼっちのスイート・タイム

はじめアキラ

ふたりぼっちのスイート・タイム

「あっ」


 小さな声が上がった。なんだろう、と思って僕が見ると、文芸部の後輩である生駒美屡いこまみるが自分の筆箱の中を覗いて悲しそうな顔をしている。黒髪のボブカット、いかにも清楚なお嬢様といった雰囲気の彼女は、現在この文芸部で僕以外の唯一の部員と言って良かった。

 元々は先輩達が数名いて、そこそこの規模だった文芸部。三年生が抜けたら、二年生の僕と一年生の彼女の二人だけになってしまったのである。広い部室は、今日も僕と彼女の二人だけで独占している状況だった。今日もそれぞれ部誌(二人しかいないのでめっちゃくちゃ薄いが)を出すためそれぞれ構想を練ったり、下書きをはじめたりという作業をしていたのである。

 鍵は部長ということになった僕が持っているし、当然この高校の門の前までは一緒に帰ることになる(家が逆方向なのでそこから先はバラバラだが)。帰り支度をしていたタイミングで声が上がったのだった。このパターンは何度も見たぞ、と僕は少しだけ呆れながら彼女に声をかける。


「生駒さん、ひょっとしてまたやった?」

「うう、すみません……神楽かぐら先輩」


 彼女はしょんぼりと肩を下げた。


「シャープペンの一本が、見つからないんです。どこか行っちゃったみたいで。部室の中にあると思うんですが……一緒に探して貰えませんか?」


 一般的な美人とは少し違うかもしれないが、とても可愛らしい見た目で成績も悪くない彼女。ただちょっとだけおっちょこちょいである。この部室で“ものを失くしてしまった”と彼女が言い、探し物に付き合ったことは一度や二度じゃない。


「しょうがないなあ。えっと、どのシャーペン?」

「緑色のやつです。一番よく使ってる……」

「あれ?さっきまで手に持ってなかった?どこかに置いちゃった?」

「かもしれません……机の周辺にはないみたいなんです」

「あちゃあ」


 本棚、資料棚、使われていないテーブルに椅子。それらが派手に積み上がった部室は、広いのみならずなかなかのカオスな状態で、探し物を見つけるのは容易ではない。

 それでも、彼女が日常的に愛用しているペンをなくしてしまったともなれば死活問題である。探さない、という選択は僕にはなかった。


「仕方ないね。急いで見つけよう」


 まあ、なんとかなるだろう。いつもなくして数分程度で、探し物は見つかっている。




 ***





 誰の私物なのかもわからないような本がみっちり詰まった本棚は、動かすのも容易なことではない。だから、基本的に本棚の下は懐中電灯で照らしながら下を覗き込む形になる。鉄製の資料棚の方は下が広いので、物が入るこんでもすぐに見つかるのだが、本棚の方はなかなかそうもいかないからである。

 部室に備え付けられている防災用の懐中電灯は、こんなかんじで災害時より“探し物を見つける”ために使われることの方が少なくなかった。僕は赤い懐中電灯で本棚の下を照らして覗き込みながら、あの目立つ緑色が滑り込んでいないかを一か所ずつ確認していく。

 机の周囲になかったということは、うっかり蹴っ飛ばしてしまうなり滑ってしまうなりして隙間に入り込んでしまった可能性も否定できない。面倒でも、棚の下を一つ一つ見ていく必要があるのだった。以前も何故か部屋の一番隅のゴミ箱の後ろで、消しゴムが見つかった、なんてこともあったのだから。


「生駒さんって、結構忘れ物とか多いタイプ?」


 彼女は部屋の反対側、資料棚の方から確認しているようだ。そうなんですー、という声が少し遠くから聞こえてくる。


「熱中しすぎちゃうと、他のことすぐ忘れちゃうんですよね。この間消しゴムを落としちゃったから、今度はちゃんと筆箱にしまうぞーって思ってたんです。そしたら、シャーペンを見落としちゃったみたいで」

「あーあるある」

「本腰入れて小説書くわけだし……最終原稿はパソコンで打つかもしれないけど、出来る限り文房具はいいものを揃えたいと思ったんですよね。それこそ、プロット書くときとか設定とかはめっちゃ文房具使うし。……だから、そんな高価なシャーペンとかサインペンとか、簡単になくしちゃいけないんですけど……」


 小説を書く時、プロットを念入りに組む人間とそうではない人間がいる。僕は非常にざっくりと設定だけ書いて本編を書き始めてしまうタイプだが、彼女はそうではないようだった。いつも紙を何枚も使って設定を作り、構想を練る。そのため、小説そのものを完成させるのも彼女の方が少々時間がかかったりする。自分達は二人しかいないので、うすっぺらな部誌を作るとしても一人あたりかなりの文字数を書かなければいけない。必然的に、彼女より早く作業が終わる僕が、彼女の執筆を手伝うことも少なくないのだ。


――確かに、生駒さんの持ってるペンっていいものが多いよなあ。めっちゃ使いやすかったし。


 登場人物の設定を考える時、絵がついていた方がイメージしやすいと考える人間は少なくないだろう。美屡がキャラクターの設定を考える時、最近は僕がその設定画を描かせてもらったりしている。理由は簡単、彼女は絵がとても――前衛的だからだ。自分でも“自分の中のイメージがかえって崩壊するから無理”と思っているらしい。半泣きになりながら“鉛筆でもボールペンでもなんでもいいのでキャラ画描いてもらえますか”と頼まれたのは記憶に新しかった。

 僕もけして絵が上手い方ではないが、それでも子供の頃から趣味で漫画を描いていただけのことはあって最低限の心得はある。まあ、自画像を書いたら“女子高校生には到底見えないタコ踊りするゾンビ”が出来上がった彼女よりはまともな類だろう、多分。


「まあ、形から入るのも悪くないと思うよ」


 一列分本棚の下を見たが、見つからない。床にはいつくばり続けたせいでちょっと腰が痛かった。うーんと背筋を伸ばして、凝り固まった筋肉をほぐす。


「気合入るもんね。いい小説書いてやるぞーっていうか」

「そうですね。ちょっと気負いすぎて、手が止まっちゃうこともあるんですけど。設定を練ってる段階で満足しちゃったりとか、これ本当に小説として書き出せるのかなって不安になっちゃったりとか」

「それは勿体ないよ。せっかくプロット書いたのに、そこでお蔵にしちゃったら。ていうか、生駒さん見たかんじ、プロットに忠実に書こうとして余計悩んじゃうタイプでしょ」

「神楽先輩にもわかります?」

「わかるわかる。先輩にもいたもん、そういうタイプ」


 プロットを丁寧に描くことには大きなメリットがある。構成の“骨”ができているので、展開がグダりにくいし、結末までスムーズに話を書き進められる傾向にあるからだ。

 が、最初に決めたプロットが途中で“納得がいかない”なんてことになってしまうことも少なくはない。あるいは“こっちの展開の方がいいんじゃ”なんて思いついてしまうことも。そうなると、ガチガチにプロットを作る人間ほどフリーズしてしまうのだ――プロットを外れたら、外れた先の道があまりにも未知数で、どうすればいいか途方に暮れてしまうからだろう。と、いうのはプロット派だった引退した先輩の言葉なのだが。


「プロットは大事だけど、外れたら外れたでいいんじゃないかな。たまには、思いつくまま書いてみるのも悪くないと思うよ。案外なんとかなるって、アドリブでも」


 案外棚の上にぽつんと置かれていたりもするのだろうか。僕は一度下を覗く作業を切り上げて、棚の上を確認してみることにする。


「そもそも僕達はプロじゃない。プロみたいなハイクオリティの作品なんか書けるわけないんだし、そこまで完璧を求める必要もないだろ。一番大事なのは、楽しんで作品を書くことじゃないかな。作者がマジで楽しんで執筆したら、それは読む側にも伝わるってなもんだよ」

「そうなんです?」

「そうそう。ちなみに眠い時に執筆はしちゃいけない。誤字脱字の怨霊がわんさか現れるからね。あと、“お前これ書いてる時眠かっただろ”って読みなおした時すごくわかる。もう文章に、眠いのが現れてる」

「あはは!何それかわいい~……あっ!ありました!」


 数分程度の、短い探し物タイム。今日もあっさり終了の時間を迎えたようだ。美屡の小さな声が上がり、ててててっと愛らしい足音がこちらに近づいてくる。


「先輩、ありました!お騒がせしました!」

「お」


 意外にも、彼女がなくしたものは、一緒に探しているのに彼女が自分で見つけることの方が多い。美屡の手には、特徴的な緑色のシャープペンシルが握られていた。


「何であんなとこにあったんでしょうね。資料棚の上にぽつーんと」

「うーん、今日はそのパターンだったか。作業中に置いちゃったかんじ?」

「かもしれません。すみません、ありがとうございます、一緒に探してくれて」

「いやいや、いいよ」


 誰かの為に時間を使う。僕はこれが嫌いじゃない。ましてや、同じく小説を愛してくれる文芸仲間の少女のためだ、ちょっと探し物をすることで役に立てるなら全然いい。ありがとう、と言われてこちらも悪い気がしないし。

 同時に、こうして一緒に探し物をすると、なんとなく普段しない話も二人ですることが多いような気がしている。今日は小説の話だったが、時にはよく読む本だったり、趣味のアニメの話になったりもする。友好を深めるのは良いことだ。まあ、文芸部の唯一の部員に嫌われて、いなくなられてしまったら非常に困るという事情もないわけではなかったが。


「い」


 スマホが震えた。見れば、未鈴みすずからのLANEである。夕方LANEするって言ったのに何でこないのー!とスネているようだった。


『ごめん、部室で落し物しちゃって、探してた!まだ学校。もうちょっとで出るから、駅に着いたらまた連絡する!』


 慌てて返事を送ると、すぐに向こうから返信が。


『またぁ?もう、おっちょこちょいなんだから!あ、来週のデートだけど、渋谷でいい?ちょっといいお店見つけたんだよね』

『おっけ。後で詳しく聞かせて、未鈴!』

『もち。駅着いたらぜったいLANEしてよねー』


 簡単なやり取りをして、スマホをしまった。振り向けば、手元をじっと覗き込んでいる美屡の姿が。


「彼女さんです?すみません、時間取らせちゃって」

「や、いいよいいよ気にしないで。見つかったし、帰ろうか。もう忘れ物とかないよね?」

「はい、大丈夫です」


 その時、明るい声で返事をしながら、少しだけ美屡が苦しそうに見えたのは気のせいだろうか。

 僕達はさっきの話の続きをしながら、校門まで一緒に帰った。彼女の家は電車も使わない、徒歩数分のところにある。暗い夜道を一人でも、きっと大丈夫だろう。僕はバッグを背負い直し、慌てて駅に向かって走ったのだった。




 ***




 私は、とても狡い人間だ。ポケットにつっこんだシャープペンを握りしめて思う。

 きっと神楽先輩は気づいてないのだろう。私が何度も何度もわざとペンや消しゴムを部室でなくしていることを。そのたびに、わざわざ探し物に彼を付き合わせているということを。


――だって、私の探し物を一緒に探してくれてる時は……先輩は、私のことだけ考えてくれるんだもん。


 部活動中も、先輩は自分を見てくれる。でもそれだけではどうしても足らなくて、あとちょっとだけ一緒にいたいと思った時自分は自演行為をするのだ。

 ほんの数分。ほんの数分だけ、甘い時間を満喫するために。他の女性のものである彼の心を、ちょっとだけ独占したような気になるために。


――ごめんなさい、彼女さん。……でも、これくらい、許してくださいね。デートでもなんでもない、ただの部活動で……ただの“物探し”なんですから。


 甘くて切なくて、私だけが知っている片思い。

 きっと自分はこれからも繰り返してしまうのだろう。いつか優しい彼へのこの想いを断ち切って、前を向くことができる日までは。

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