これまで人ならざるモノ=害をなすモノとしか認識していなかったから、この状況をどう受け入れていいのか分からなかった。


「妖怪といっても、すべてが害をなすわけじゃない。君が買い物に行った店主も狸の妖怪。彼はたまにイタズラを仕掛けるけど、豆腐小僧は特別な力を持っていないから、妖怪の中じゃパシリみたいな扱いをされることが多いんだ」


 説明してくれたのは余市さんだった。

 見事に俺の疑問に答える余市さんは、絶対人の心が読める力を持っているに違いない。


「うちでは頼りになる従業員です。ウーヌス、ドゥオ、トレースです。仲良くしてあげてくださいね」


 上総さんが紹介してくれたのはいいが、三人? 三匹? どれも同じに見える。


 区別がつかない……。


「あの、どの子も同じに見えるんですけど、みなさんどうやって区別されているんですか?」


「「「「「……」」」」」


 一瞬の沈黙。


 破ったのは穂国さん。


「ウーヌス。お水を持ってきてくれ」


 名前を呼ばれた豆腐小僧が、穂国さんのところにお水を持って走ってきた。


「ありがとう、ウーヌス。ドゥオ? 布巾を持ってきてくれないか」


 先ほどの豆腐小僧とは違う豆腐小僧が、穂国さんのとこに布巾を持って走ってくる。


「ありがとう、ドゥオ。で、あそこにいるのがトレース」


 何気にドヤ顔をしているが、それって、区別がついているうちに入るのか?


 という疑問が浮かぶが、これ以上聞くのはやめておく。

 それよりも、今は他にも聞かなければならないことがたくさんある。


「初めて会った時から、俺の『気』が何とかかんとか言ってましたけど、それってなんですか? 今日も多紀さんに何か言われたと思うんですけど……」


 ずっと気になっていたことを聞いてみた。

 これを逃したらもう二度と聞けないような気がするので、今日は疑問に思っている事すべて聞いてやると、前のめりになる。


「その前に、ひとつ聞いてもええか?」


 逆に質問を返され肩透かしを食らったが、俺の質問に答えるために必要な事かもしれないと、すぐさま気持ちを切り替える。


「何ですか?」


 こうなったら何でもござれだ。


 妖怪の店主に、妖怪の従業員を目の当たりにした今ならちょっとやそっとの事では驚かないぞ。


「君さ、修行かなんかしてんの?」


「へ? しゅ、修行?」


 多紀さんの質問の趣旨が分からなかった。

 しかも、修行なんて単なる高校生でしかない俺には縁遠い言葉でしかない。


「初めて君に会うた時は、単に霊力っていうか、妖力が強いとしか感じへんかったけど、今日は、何や『浄化』みたいな力がみなぎっているちゅうか、発散しまくっているって感じなんやけど、普通の人はこないな『気』させへんから、坊さんがするような修行みたいなことすればそうなるんかと思ったんやけど、違うんか? どないしたらそんなトゲトゲした気になんねん」


 出た! トゲトゲした気。


 なんねんと言われても、俺自身、自分の『気』がどんなものか知らないのだから、答えようがない。最初に会った時と今日までの違いと言えば、おじいちゃんが遺してくれたノートに書かれた呪文みたいなものを必死に覚えたというくらいか。


「昔、うちは祓い屋だったらしいです。おじいちゃん……祖父が遺してくれた護身法や呪文みたいなのを覚えたくらいで――」


「なるほど、それでか。生兵法は大怪我のもとだ、やめておけ」


 妙に真面目な顔でいう穂国さんの顔が、鬼に襲われたときに会った光に覆われた人と重なる。


「藤原の具合が悪くなったのは、お前のその『トゲトゲの気』のせいだぞ。無自覚で発散しまくってるから、ウーヌスたちも危うく消されるところだった」


 甘楽がギッと睨んできた。


「強い『気』というのは、時に毒気のように感じることがあるようです。きっとそのお友だちは、宗介君の『気にあてられた』のでしょう」


 上総さんが甘楽の言葉を補足してくれた。


 甘楽が言うトゲトゲというのは、自分がまき散らしている『気』で、護身法や呪文を覚えることで、その『気』が強くなったということらしい。


 ようやく人ならざるモノに対抗できる術を身に着けられると思ったのに、中途半端すぎて鬼を退散させることもできないくせに、周りの人間に害が及ぶなんて、ホント自分が情けない。


 せっかく出現した弓矢も途中で消えてしまったし、おじいちゃんが遺してくれた術を覚えただけで、いい気になっていた自分が愚か過ぎて腹立たしい。


 底なし沼のように落ちていく俺の気持ちを察したのか、上総さんが話を切り替える。


「それにしても気になりますね。クラスの女の子が意識不明とは物騒な話です。甘楽が様子を見に行ったようですが、どうやら魂を抜かれているようです。長い時間魂が抜けていると元に戻れなくなってしまうのに、誰に抜かれたのか、どこにいったのか何の手掛かりもないのでは、探しようがないですね」


 甘楽が様子を見に行っていたなんて初耳だ。


「魂が元に戻れないと、どうなるんですか?」


 何となく予想はできたが、予想を裏切る答えが欲しくて尋ねた。


「死に至ります」


 改めて言われると、恐怖にも似た思いが体を占める。


「探そうにも何の手掛かりもないんじゃ、こっちとしてもお手上げだな」


 穂国さんの言葉に、もっともだというように余市さんが肩をすくめた。


「そうだな。普通は魂を抜くときは、何かしらの形跡を残していくもんだが、それが全くないという事は、よほど力のあるモノの仕業なのか、それとも俺たちの知らないモノの仕業なのか、何にしてもタイムリミットはあと三日ってとこか」


「藤原ってやつが今んとこ怪しいんやろ? けど、彼があっちの世界のモノでもなくて、何かに憑りつかれているわけでもないんやったら、取引したんとちゃうか?」


 多紀さんが言いにくそうに、けれど、キッパリと言った。


「可能性としては大きいですね」


 納得する上総さんの声は堅い。

 これまで何とか話しの内容を理解できたが、途中から話の内容についていけなくなった。


「っちょっと待ってください。さっきから何の話をしているんですか?」


 戸惑う俺に、ずっと黙っていた甘楽が口を開いた。


「この事件の真相はどこにあるかって話だ」


「匠実が事件に関わっているっていうのか? 仮に匠実が関わっていたとして、どうして魂が必要なんだよ。匠実は普通の人間だ。魂なんか必要ないだろ」


「落ち着けよ。喚き散らしても何も答えは出ない」


 自分が声を荒げていることに、甘楽に指摘されてはじめて気がついた。


「彼が魂を必要としているのではなく、彼は取引をした可能性が高いということです。魂と引き換えに彼が何を要求したのかはわかりませんが、彼はとても危険な状態です」


「危険な状態って?」


 聞くのが恐ろしかったが、聞かずにはいられなかった。

 上総さんが考え込むように顎に手をかざし、少しの間沈黙したのちに口を開いた。


「契約したモノに、取り込まれそうになっているのではないでしょうか」


 取り込まれる?

 人ならざるモノに?


 果たして、そんなことが現実にあるのかさえ疑問だ。信じられずにいる俺に、余市さんが容赦なく現実を突き付けてくる。


「今日は新月だから浄化の力が強くなる。君の『浄化』の力が強くなったのも、新月の影響を受けたのかもしれない。そのせいで『気』にあてられ、具合が悪くなったのも頷ける。普通の人間なら、君の『気』は癒しこそなるが、害を与えるものではないからね。気を失ったのが取り込まれつつある何よりの証拠だよ」


「そんな……」


 やりきれない怒りにも似た感情が渦を巻き、何ひとつ言葉が形にならなかった。何をどう信じていいのか、そもそもこの話自体が本当の事なのかさえ分からない。


 今までこんな話をしたことがなかった。

 それなのに、日常会話のようにごく自然に話をする甘楽たちのことが、不思議に思えてならない。


 疑念が胸に沸き上がり声となって漏れ出た。


「いったい何者?」


「言うなれば君のおじいさんと同じ、祓い屋ってところやな」


 俺のつぶやきにも似た言葉に、多紀さんが少し困ったような表情で答えてくれた。


「甘楽も?」


 甘楽の顔を見ると、甘楽はさも当然というように頷いた。

 だとすれば、メモ用紙を手裏剣に変えたのも頷ける。


 自分が弓矢を出現させたように……。


 虫を潰すようにギュッと手を握ることで、心に渦巻くあやふやな気持ちを潰した。


「俺に何かできることはありますか?」


 匠実を助けたくて、すがる思いで尋ねたけど、余市さんが静かに首を振った。


「友達を助けたいという気持ちは分かるが、君にできることは何もない」


 キッパリと言い放った余市さんに、尚も食い下がる。


「呪文も、護身法も覚えました」


「覚えても使えないのなら意味がない。どの呪文が何に効果を示すのか分かって使っているのか?」


 問われて俺は答えに困った。


 呪文は覚えた。

 そう、覚えただけ。言葉として覚えたに過ぎない。

 使いこなせる自信もない。


 俺の考えを手に取るように読む余市さんが、すかさず突っ込んでくる。


「術は闇雲に使えばいいというものじゃない。ヘタをすれば助けるべきものを傷つけてしまうことだってある」


 厳しい顔の余市さんの言葉に、これ以上何も言い返すことができず、きつく唇を噛み締めた。

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