⚃
そして、手で手刀と手鞘を形作ると左腰に構えた。大きく深呼吸して、ゆっくりと手刀を手鞘から引きぬいた。
「臨兵闘者皆陣列在前」
格子を描きながら呪文を唱えると、鬼が一瞬怯んだように見えた。思った以上に効果があることに驚いたが、それは長くは続かない。
鬼は口からダラリと涎をたらし、こちらを睨みつけてきた。
もう一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「我は禍なるモノを討つ者なり。汚れなき弓よ、ちはやぶる神の矢よ、今此処に形を成せ」
この呪文を唱えれば、弓が現れ鬼を射る矢を放てると書いてあった。
半信半疑で唱えた呪文だったが、左手にうっすらと白い弓、右手に矢が現れた。
「やったッ!」
信じられない面持ちで、それをつがえて弓を引こうとした刹那。
パリンとガラスが割れるように、弓も矢も砕け散った。
呆然と立ち尽くす俺を、鬼が放っておくはずがない。巨体な割には素早い動きで間を詰めると、すぐさま鬼に首を絞めあげられる。
やっぱり自分には力なんかない。
そう思った時だった。
「そんな中途半端な気持ちだから、術が効かないんだよ」
突然、後方から厳しい声が聞こえたと思ったら、首を絞めていた鬼の手が吹き飛んだ。
「グオオオオオオオ――」
腕を切り落とされた鬼が、うなり声をあげながらのたうち回る。
鬼から解放され、声がした方を見て驚いた。
眩いばかりの金の髪をした男がそこにいた。輝く金の瞳で鬼を睨みつけ、鎖鎌をブンブンと振り回している。
呆然とする俺に、男が忠告する。
「本気で立ち向かえないのなら、御札を抱えて家に閉じこもってな」
言うなり男は鬼めがけて鎌を投げつけた。
「弱き者に仇なすその罪は、見るに耐え難い、消去!」
力強い声が響いた。
すると、鎖鎌で散り散りに切られた鬼は、声を発することなく霧散した。それと同時に、鎖鎌を持った男もその場から消えていた。
なんだったんだ……今のは……。
あまりの疑問の多さに、俺の脳は考えることを放棄したように真っ白になった。
しばらく放心状態でその場に座り込んでいた。
ガサッとビニール袋が風に揺れた音を聞き、ハッとなる。
「やっべ、イチゴ届けなきゃ」
慌てて店に戻ると、腕を組んで仁王立ちをした甘楽が待ち構えていた。
「遅いッ!」
甘楽が思いっきり不機嫌な顔で俺を睨みつけた。
「ごめん」
それ以外に言う言葉が見つからずうつむく俺の手から、甘楽はひったくるように袋を取った。
袋の中身を見た甘楽は、あきれたように天を仰いだかと思うと、ギリッと俺を睨みつけた。
「お使いも満足にできないわけ?」
甘楽はイチゴが入ったビニール袋を押し付けてきた。
中を見て、ハッと息を呑んだ。
買ってきたイチゴは潰れてぐしゃぐしゃだった。
やっと帰ってきたと思えば、頼んだイチゴが潰れていれば誰だって怒りたくなる。
「俺、もう一回買いに行ってくる」
踵を返して店を出て行こうとする俺を止める者がいた。
「グエッ!」
勢いよく飛び出そうとしていたところを、急に襟を引っ張られたので、首に服が食い込いこみ、奇声を発してしまった。
「あ、ごめん、ごめん。君が急に店を飛び出していこうとするからつい」
引き止めたのは上総さんだった。何故引き止められたのかわからず、首を傾げると、上総さんがイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「イチゴは豆腐小僧に買いに行ってもらうから大丈夫ですよ」
「え? 豆腐小僧ってさっきのちょこまか動いていたやつですよね」
あれは俗に言う『妖怪』ってやつじゃないのか?
妖怪が買い物などできるはずがない、という俺の思考を上総さんがバッサリ切り捨てる。
「あの店の店主もあちら側の存在だから大丈夫ですよ。それに、彼らはきちんと頼まれた仕事をこなしてくれます」
優しい笑顔で何気にきついことを言う。
しかも、あちら側って?
疑問がまたひとつ増えたが、その疑問を解消するより先に、謝るのが筋。自分のしでかした責を負う必要がある。
「お代はちゃんと払います。すみませんでした」
「いや、その必要はありません」
「え?」
首を傾げる俺を、上総さんは上から下までなめるように見ると、ロッカーから服を一着出してきた。
「君にはお店を手伝ってもらいます」
「は?」
「君に断る権利はありませんよ」
もちろんそうだけど、俺が言いたいのはそんなことじゃない。
「あ、いや、そうじゃなくて」
働いて返せと言われればそれに従うまでなのだが、本当にそんなことでいいのかと不安になった。
それだけなのだが、上総さんは全く見当違いな事を口にする。
「私としたことが……失礼。こちらの方がいいという事ですね」
そう言うと、何を思ったのか上総さんはメイド調のフリフリ、ラブラブの制服を出してきた。
「いやいやいやいや、そうじゃなくて」
なぜ、俺がこんなものを着なくちゃならんのだ。
渾身の力を込めて首を振った。
「大丈夫。似合いますよ」
とニッコリ。
いや、そうゆう問題じゃない。
「こっちでお願いします」
俺は最初に出してくれた執事風の服をガシッとつかんだ。
「そう言えば、まだ君の名前を聞いていませんでしたね」
突然上総さんが聞いてきた。
言われて自分がまだ名乗っていなかったことに気付いた。
俺が口を開きかけた時、それを追い越して甘楽が先に言葉を発した。
「ウィンプ」
突然、甘楽が何を言い出したかと思えば、上総さんは上総さんで何気トンチンカンな事を言う。
「おや、ウィンプ君ですか、変わった名前ですね。ご両親が異国の方ですか?」
「この顔のどこに異国情緒があるっていうですか。こってこっての日本人です。宗介ですッ! 山城宗介」
「私的にはウィンプという名前は今の君に、とても似合っていると思いますが……」
「ブハッ」
近くで聞いていた甘楽が勢いよく吹き出した。
何がそんなにおかしいのか分からない。とにかく普通に名前で呼んでほしい。
「宗介って呼んでください」
「わかりました。では、よろしくお願いします。宗介君」
上総さんはそう言ってニッコリほほ笑んだ。
けれど、この笑顔と優し気な口調が曲者だった。
制服に着替えながら、家に連絡を入れるついでにスマホで『ウィンプ』と調べた。すると、ウィンプとは英語で『弱虫』という意味があると出てきた。
甘楽はホントに人が悪い。
意味を知っていて『似合う』と平然と言う上総さんもひどい。
確かに弱虫だ。似合っていると言われるのも分かる。
分かるが……ここでその汚名を返上しようじゃないかッ! と思ってロッカーを出たところで、執事風の制服を着た甘楽と会った。
何故か今日はフリフリのメイド風の服を着ていない。
「え? なんでその恰好?」
執事風の服を着ている甘楽。さっきも思ったが今日はめちゃくちゃ男前だ。
でも甘楽の男装に釈然としないものを感じてしまう。そんな俺に、甘楽は妙に冷めた声で言い放つ。
「今日はレディースデイだから」
「へ?」
衝撃的な言葉に戸惑う。
呆然と立ち尽くす俺を残し、甘楽はサッサと行っていしまった。
ちゃんと説明してくれてもいいのに……。
そこへ、上総さんが通りかかったので、しがみつくように上総さんに尋ねる。
「今日ってレディースデイなんですか?」
「はい」
素敵な笑顔で答える上総さん。
「ってことは、客はみんな女性ってことですか?」
「はい、レディースデイですから」
キラキラ光る笑顔を見せる上総さんが悪魔に見えてきた。
「あの、他に償う方法はありませんか?」
ただでさえ人前が苦手なのに女性客ばかりだなんて、気が滅入る。
これまでバイトの経験もないのに、いきなりのレディースデイというのはあまりにもハードルが高すぎる。
すがるように尋ねると、上総さんが思考をめぐらす。
「そうですねぇ~」
しばらくの沈黙ののち、名案でも浮かんだようにパッと表情を明るくした。
「ジェントルマンデイというのもありますけど、その日にお手伝いしていただいてもかまいませんが」
「ジェントルマンデイ?」
聞きなれない言葉に首を傾げる。言葉から察するに、レディースデイが女性客を対象とした日だから、それに対してジェントルマンデイは男性客を対象とした日という事だろう。
女性を相手にするよりも、男性を相手にする方が断然いい気がする。そっちに変えてもらおうかと思った時、上総さんがニコッリ笑顔で言う。
「甘楽ひとりでは大変だから、君に手伝ってもらえるなら助かります」
「え? 上総さんは?」
ウエイターである上総さんがいるではないか、と思っていると、上総さんがとんでもないことを口にした。
「せっかくのジェントンルマンデイですから、野郎が料理を運んでもうれしくないでしょ? 私がメイド風の制服を着ても気持ち悪いだけですし」
「え? じゃあ、もしかしてその日にお手伝いするってことは、俺もそういう恰好をしないとダメってことですか?」
恐る恐る尋ねる俺に、上総さんはさも当然という風に笑って答える。
「もちろん。でも、君なら大丈夫。きっと似合いますよ」
似合うかッ! と速攻でツッコみそうになるのを必死でこらえた。
「是が非でも今日、お手伝いさせていただきます」
「そうですか? それはそれで助かりますが、私としてはジェントンルマンデイもぜひお手伝いしていただけると助かります」
本気で残念がっている上総さんの気かしれない。
「それはお断りします」
「残念です。ま、とりあえず、今日はよろしくお願いします」
「あ、こちらこそよろしくお願いします」
と言ったはいいが、やはり苦手意識がどうにも拭えない。
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