仕方なく来た道を戻ろうとした時、見覚えのある店に目が留まった。

 確かここは甘楽がバイトしている店。


 そんなことを考えて立ち止まっていた俺の背後から、突然声がした。


「すんません、まだ準備中なんです」


 聞き覚えのある関西弁に慌てて振り向いた。

 すると、可笑しな歌でスイーツを作る多紀さんが、両手いっぱいに袋を持って立っていた。


 でも何故か俺の顔を見ると、多紀さんが少し顔を歪めた。


「お? この前の不思議オーラ君やんか、なんや、また可笑しなオーラさせて……って、なんや、どえらい厄介なもん連れてきたな」


 不思議オーラ君って何!

 可笑しなオーラって何!


 また分からないワードが増えた。


「ちょっとドア開けてくれへん」


 言われるがままに俺がドアを開けた途端、怒声が飛んできた。


「入るなッ!」


 甘楽の声だ。


 学校サボってバイトに来てるってどういうことだ?

 バイトが家の用事か?


 人を悩ませる事を言い捨てておいて、何をやっているんだと、甘楽の顔を見た瞬間怒りが湧いてきた。


 でもすぐにその怒りは萎んで消えた。


 甘楽?


 俺は甘楽の姿に首をひねった。


 いつもは女性的な甘楽だが、なんだか今日はやけに男前に見える。実際、甘楽は男だし顔が整っているから男前なのだが、いつもより男っぽい甘楽の姿に、修学旅行の時に見た男の人と姿が重なる。


 そんな事を思っていた俺を、甘楽はいつになく厳しい顔で睨みつけてきた。


「お前が入ってきたら、この子たちが消える。それに、お前、何連れてきてんだよ」


 この子たち?

 俺は何も連れて来てはいないけど……。


 と考えていると、周りの景色が一気に変わった。


 目の前にいた甘楽も、両手いっぱいに荷物を抱えた多紀さんもいない。暗い闇の中にぽつんと俺だけがその場にいた。


 すると、ボッと音を立てて小さな火がついた。


 漆黒の闇の中にほんのりと赤い炎が見えたかと思うと、一瞬のうちに大きな炎となり、その中から赤い髪に黒い軍服を着た男が現れた。


 その男はどことなく多紀さんに似ているが、紅蓮の炎を身にまとう男は、多紀さんとは雰囲気を別にしている。


 炎のような赤い瞳に睨まれ、俺は一歩後退る。


 男はゆっくりとした優雅な動きで、腰に装着されたホルスターから銃を取り出した。


 クルクルクルと器用に銃を回すと、銃を構えた。


「そないに厄介なもんに気ぃつかへんて、どんだけ鈍感なん?」


 多紀さんと同じ関西弁しゃべる男は、銃口を俺に向けた。


 いや、正確には俺の後ろ、が正しい。


 恐る恐る後ろを振り向いた俺は、驚いて飛び下がった。


「うわぁあああっ!」


 すぐ後ろにボサボサの髪に灰色の肌、骨ばった体つきをした霊鬼がいた

 ものすごい異臭を放つその存在に、今までどうして気が付かなかったのかと自分でも不思議に思う。


 霊鬼は死者の霊が悪鬼と化したモノと言われている。悪鬼は人間に悪をバラまくとも言われていて、祓うのが少々厄介なモノだとおじいちゃんのノートに記されていたのを思い出す。


 多紀さんに似たその男も、見るからにイヤそうな顔をする。


「陰気くさい顔してはるから、そないな厄介なもんがついてくるんちゃうの?」


 そう言われても、自分には全く自覚がないから、どう答えていいかわからない。だが、男ははなから俺の答えなど待ってはいなかった。


「無垢なる魂を汚した罪は、おもろない。早う消えてもらうで」


 男は両手で銃を構え、撃鉄を起こす。


「我が放つ牙は不浄の魂を灰燼(かいじん)と成す。その罪は業火の責めを負う」


 厳然たる態度で、引き金を引いた。


 ズキューーーーーーン!


 銃声と同時にその場に尻もちをついてしまった。


 悪鬼は紅蓮の炎に包まれると、跡形もなく燃え尽きた。

 悪鬼が居なくなると、男は次に俺を見据えた。赤い瞳と銃口が俺に狙いを定める。


「え? ちょっ、ちょっと待って、嘘だろ」


 銃口から逃れるように顔を覆う俺の耳に、カチリと撃鉄を起こす音が聞こえた。


「古より伝わりし浄化の炎よ、彼の者を包み、安らぎを与えよ」


 重々しい声の後に、耳をつんざくような銃声が響き渡った。


 打たれた瞬間、目を瞑った。でも、いっこうに痛みや苦しみが襲ってこないことに、内心首を傾げた。


 恐怖におののきながらも目を開けてみると、周りの景色がすっかり変わっていた。


 そこは紛れもなく甘楽のバイト先である喫茶店で、目の前には冷めた目で俺を見下ろす甘楽と、にっこり笑顔の多紀さんがいた。


 漆黒の闇も、軍服の赤い髪の男もいない。見知った光景に、ホッと息を吐きだしたが、足元で落ち着きなく動き回るモノを見てギョッとする。


 だが、よく見れば先ほど助け出した人ならざるモノである。


 それが何やら慌てたようにウロチョロしているが、何か変な感じがして、それらを目で追ってみた。


 すると、ひとりと思っていたモノが、ひとり、ふたり、さんにん……竹笠を被り着物を着た同じようなモノが右往左往している。


「こわいぃ~、こわいですぅ~」


 口々に言いながら、みな甘楽の後ろに隠れたり机の下に隠れたりしている。


「え?」


 明らかに人ではないモノたちから恐れられるているのは俺だった。


「もう大丈夫だよ」


 これまで見たこともない甘楽の優しい顔。その笑顔に安心したのか、甘楽の後ろに隠れていたモノたちが、そうっと顔を覗かせる。


 目の前の光景に混乱している俺に、甘楽は相変わらず冷たい視線を投げてくる。


「だっせ」


 腰を抜かしてその場座り込んでいる俺にそう言い捨てると、足元をチョロチョロしていたモノたちを引き連れて、部屋の奥へと行ってしまった。


 ただ茫然とその光景を見ていた俺を不憫に思ったのか、多紀さんがことのほか優しい声をかけてくれる。


「君の『気』が強すぎて、豆腐小僧たちが消えてしまいそうやったんや。甘楽はあの子たちを可愛がっているから、怒るのもしゃあない、堪忍したって」


 そう言うと多紀さんが俺に手を伸ばしてきた。


 差し伸べられた手を借りて立ち上がったが、話の内容が全く入ってこない。

 分からない事ばかりで混乱している俺を置き去りにして、話は進む。


「それにしても、あんな物騒なもんが後ろに引っ付いてるのに、全く気ぃつかへんかたんか?」


 首をかしげて聞いてくる多紀さんに、俺も一緒に首を傾げる。


「甘楽に『何連れてきてんだ』って言われるまで、全く気づきませんでした」


「まあ、あんなトゲトゲの気じゃあ、迂闊に近づけんのも分かるけど、それにしても、君、ホンマ不思議やな」


 感心とも呆れともつかない多紀さんの言葉に、傾げていた首をさらに傾げる。


「すみません。言っていることが全く分からないんですが、分かるように説明して戴けませんか?」


 懇願するように頼むと、多紀さんは顔の前で手を合わせた。


「悪い、これから下ごしらえせなあかんねん」


 そう言ってチラッと時計に視線を泳がせた。


 すると、店の奥から豆腐小僧と呼ばれたモノたちが、ワチャワチャと走ってきた。


「大変ですぅ~、イチゴがないですぅ~、大変ですぅ~」


 持っていた盆を振り回しながら、豆腐小僧たちが多紀さんの周りを走り回る。


「しまった! イチゴを買うの忘れてもうた。どないしよう。今日のデザートはイチゴがメインやのにぃ~」


 多紀さんが頭を抱えて叫ぶと、豆腐小僧たちも多紀さんの真似をする。


「どないしお~、どないしお~」


 言いながら、さもお前のせいだとでも言いたげな視線を豆腐小僧たちが投げてくる。


 その視線に耐え兼ね、口を開く。


「あの、俺で良ければ買いに行きますけど」


「ホンマか? メッチャ助かるわ。じゃあ、イチゴの他にも頼んでええか?」


「はい」


「じゃあ、これと、これと、えーと……」


メモ用紙にサラサラと買い物リストと地図を描き、そのメモと御札のようなものを渡された。


「これは?」


「それか? それは通行手形みたいなもんや。これがないと店に入れへんのや。それから、この店のオヤジは、大きい音とか大きい声が苦手やから気を付けたってや」


「はぁ~」


 分かったような、分からないような説明を聞いて、とりあえず店を出た。


 斯くして、俺はイチゴを買いに出たのだが、頭の中にはクエスチョンマークがいくつも溢れかえり爆発寸前だった。


 考えても答えが出ないので、考えることを放棄して、とりあえず買い物に集中することにした。


 多紀さんが地図を描いてくれたが、幸い見知った通りにある店だった。

店の前まできて、不思議な感覚を味わう。


「こんな店、あったっけ?」


これまで何度か通ったことがあったが、この店構えを見たことがない。新しくできた店というわけでもない。立て掛けてある看板は年季が入っているし、店の中も新しいというより使い古された感が強い。


 店の奥から丸々太ったタヌキが二足歩行で現れた。店の前などに置かれている、よく見かける狸の置物にそっくりだった。


「いらっしゃい、おや? 見かけない顔だね」


 タヌキがしゃべった! と思ったが、よく見ると腹が出っ張ったタヌキのようなおじさんだった。店主らしいその男が、俺の顔を訝しげに覗き込んでくる。


「テッセラという喫茶店の遣いで来ました」


 すると、手の平を返したような笑顔になった。


「テッセラさんの使いの方ですか、今日は何にします?」


 俺は慌てて、多紀さんから渡された買い物リストを見せた。

 すると、店主は手際よく品物を揃えてくれた。


 多紀さんの言いっぷりだと気難しい店主なのかと思ったが、気のいい人でホッとした。すんなりと買い物ができたので、割と早めに店に戻れそうだと思った矢先に、見覚えのある姿を見つけた。


 学校を早退してウロウロしている奴がここにもいた。


「匠実!」


 聞こえなかったのか、匠実は振り向きもしない。

 ひと言文句を言ってやろうと、先に角を曲がった匠実を追って角を曲がった。


 すると、どういうわけか脇道もないのに、匠実の姿がどこにも見当たらない。混乱する頭が、ついに幻覚まで見せるようになったのかと辟易した。


 早く戻って、頭の中にたくさん発生している疑問を解決しようと決心した。

 だが、その決意むなしく、俺の行く手を阻むものが現れた。


「ギギギギギィ――」


 体は優に二メートルは超える程の鬼が立ちはだかる。


 一日に二回も襲われる事は今までなかった。これも、おじいちゃんが施してくれた術の綻びのせいなのか……。


 と、そんな悠長な事を考えている暇はない。


 鬼の鋭い爪が光る。


「ギガガガガ――ギギッ」


 声とも唸りともつかないその声に、悪寒が走る。


『言葉モろくに話せぬ獣ごときが……』


 目の前のモノとは違う声。女性の、けれど少しくぐもった声が、体の奥から聞こえてきた気がした。


 その声に触発されたのか、鬼はグワッと大きな口を開けた。


 鬼に背を向け逃げ出そうとしたが、震える足でその場に留まる。

 恐る恐る鬼の方を見て、グッと手を握った。


 自分に力があるとは思えない。おじいちゃんが遺してくれたノートも、使いこなせる自信もない。


 おじいちゃんの術に綻びが生じ前ほどの効果を得られないのなら、この先人ならざるモノたちに襲われる機会はもっと増える。


 そのたびに家に逃げ帰るなんて、嫌だ。


 それに、今日みたいに知らない間に霊鬼にとり憑かれ、父さんや母さんを危険にさらしてしまうかもしれない。


 それだけは絶対に避けたい。

 だったら逃げてる場合じゃないよな。


 目の前に迫る鬼は鋭い牙を向け、今にも襲い掛かってきそうな勢いだ。

 震える足に鞭打つように、バンバンと叩いて気合を入れる。

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