ようやく人ならざるモノから逃げずに立ち向かおうと決めたのに、俺は何もできない。それが悔しくて腹立たしい。


「俺にどうしろって言うんだよッ! 俺に何ができるんだよッ!」


 ぶつける相手が違うと分かっていても、どうしようもなく怒鳴り散らしてしまった。


 それでも父さんは俺の怒りをすべて受け止めようとしているかのように、優しい目で俺を見ていた。


 そうだ……。父さんも母さんもいつも俺のことを見てくれていた。何も言わなかったけど、ただずっと見守ってくれていた。

 そのことに今更ながらに気づいた。


 何やってんだ……俺。


 自責の念に囚われ落ち込む俺に、父さんは語りかけるように優しい声をかけてくれた。


「お前が気に病むことはない。悔やまなければならないのは私たちのほうだ。これまでお前に話さなかったのは、少なからず希望があったからだ。幼いころに見えていたとしても成長するに従い見えなくなる者もいる。子どものころに霊力を持っていたとしても大人になるとその力を失う者もいる。お前が生まれた時、少なからず霊力を持って生まれてきたことは、この家系ではありえない話ではなかったから、さほど驚きもしなかった。だだ、『見える者』が生まれなくなって久しい中、お前が『見える』と知った時、正直絶望しかなかった。お前を失うことが恐くて、私たちは目を逸らすことしかできなかった。お前も成長するに従い霊力を失い、見えることもなくなることを願うしかなかった。幼いころの記憶はいつか消えるから、辛い記憶も薄れると信じた。平穏な日々が過ごせるなら、話す必要はないと思った」


「でも、俺は今でも見える」


「そうだ。しかも霊力も強くなっている。おじいちゃんが施してくれた術が綻び始めている今、お前を守る術がない。だが、人ならざるモノたちは力に惹かれる。より強い力を得るために貪欲に喰らいついてくる。だから……これをお前に託そうと思う」


 そう言って父さんは机の隅に置いてあった風呂敷をほどいた。

 すると、古い書物のようなものが現れた。


「おじいちゃんが遺していったものだ」


「俺に?」


「お前がいろいろ調べているようだと、母さんから聞いてな。今さら隠したところで誰も得をしない。だったら、すべてを話し、これを役立てられるお前が持っているほうがいいだろうと、母さんと話し合ったんだ」


 母さんを見ると、身体が小さく震えていたが、もう泣いてはいなかった。


「図書館や本屋では決して得られないものが、ここにはある。悔しいが私らにはこれを使いこなす力はない」


 自嘲にも似た笑みをこぼす父さん。

 俺にとっては見えることが苦痛でしかなかった事が、父さんたちにとっては見えないことのほうが悔しいように聞こえた。


「私らではお前を守ってやることが……できない。本当にすまない」


 重い沈黙が流れたのち、彰人が苦し気に呻くような声で言った。

 二人がどれほど長い時間悩み、苦しんできたのか、その声で、その表情でよくわかった。


 母さんは泣くまいと堪えようとしているが、目には溢れんばかりに涙がたまっている。


 父さんは悲しみに耐え、自らを責めるようにギュッと唇を噛み締めている。


「俺……どんなにみじめでも生きることにしがみつくって決めたんだ。だから……父さんと母さんを悲しませるような結果にならないように……がんばるから」


 そう断言した俺に、父さんが厳しい表情を向けた。


「見えることを当たり前と思うな。力だけに頼るな。ある日突然見えなくこともある」


 恥ずかしながらも決意表明したのに、それを砕くような言い方に、少しだけ腹が立つ。


「何が言いたいの?」

「今まで見えていたモノが見えなくなる恐怖、これまで使えていた術が使えなくなる無力感。気配は感じるのに何もできないもどかしさ、お前に想像できるか?」


 これまで見えることが苦痛で仕方がなかった。見えない人の事が羨ましいとさえ思った。


 でも、本当にそうだろうか。

 そんな単純な事なのだろうか。


 見えることが当たり前で、これまで見えていたモノが見えなくなったとき、自分は本当にホッとできるのだろうか。


 そんな事これまで一度も考えたことがなかった。


 何も見えず、なんの気配も感じないのなら、何も気にすることはない。

 けれど、気配は感じているのに、それがどんなモノで、どこから向かってくるのか見えないとなると話は別だ。


 何に襲われ、どこから襲われるかもわからず、気配だけは感じ取れる。それなのにそれに立ち向かう術だけがない。どういう存在なのか、なまじ知っているだけに恐怖感は一層強くなる。


 想像しただけで身震いがする。


 ホッとするどころか、きっと見えないことで恐怖は今以上に膨らむことが容易に想像できた。


 俺は何も言い返すことが出来なくなった。


「見えることが普通だと思うな。力を過信するな。たとえ見えなくなっても、力を失ったとしても、絶望するな。お前は一人じゃない。父さんたちは何の力もない。でも、お前のことはこの身に変えても守って見せる。お前を失ったら、生きていく気力をなくすほど悲しむ者がいること、それだけは忘れるな」


 力強い声で、凄みのある表情で父さんはきっぱりとそう言い放った。

 思わず泣きそうになった。


「わかった」


 そういうだけで精いっぱいだった。


 俺は風呂敷ごと抱え込むと、足早に部屋を出た。


 こんなにも自分のことを大切に思ってくれる人がいる、それがどんなに心強い事か、今初めて知った。それが嬉しかったけど、父さんたちも苦しんでいたことに気付かなかったことが何より悔しかった。


 自分の部屋で、俺はおじいちゃんが遺してくれたものを広げた。


 茶色く変色したような紙が束ねられたもの、中には巻物のようなものまであった。それらを眺めていると、何故か少しだけ懐かしい気持ちがした。


 その中の一冊、茶色く変色した本を手に取りパラパラとめくってみた。

難しい漢字がびっしり書かれてある。


 父さんが言った通り、図書館や本屋では得られないようなことが、たくさん載っていそうだった。


 でも、果たして自分にこれらを読み解くことができるのだろうか、という不安の方が大きい。


 それにしても、先ほどの両親の話、にわかには信じられない話だ。


『その昔祓い屋をやっていた』だの、『これまで見えていたモノが見えなくなる』とか、言葉としては理解できるが、真の意味で理解できそうにない。


 両親がウソをついているとは思わないけど、祓い屋なんて本当に存在したのかと眉唾物だし、見えていたモノが見えなくなることも信じがたい。


 妖の類は霊力の強い者を好むと言っていたが、自分には霊力などあるとも思えないから、そうそう襲われることもないだろうし……。


『おじいちゃんが、お前を守るために術を施してくれた』という先ほどの言葉を思い出す。


 重ねてもう一つの言葉も蘇る。


『術がほころび始めている』


 左手をジッと見つめた。相変わらず何の変哲もない手のひらだ。


 でも、おじいちゃんが手のひらに何か書いたのを、うっすらとだが覚えている。


 確かに、それ以来人ならざるモノを見ることはあっても、襲われるようなことはなかった。ここ最近襲われるようになったのは、術の効力がなくなってきたのだと考えれば、そうなのかもしれないが……。


 それは、この術のおかげなのだろうか。

 改めて左の手のひらを見る。


 すると、どういうわけか、何もなかったはずの手のひらに、うっすらと何かが浮かび上がってきた。何が書かれているのかは分からなかったが、字のような、絵のようなそれは所々かすれてみえる。マジックで書いたものが、うまく消えずに残っているようなそんな感じだ。


 よく見ようと目の前に手を近づけると、スッと消えてしまった。

 まじまじと手のひらを見てみたが、再びそれが浮かび上がることはなかった。


 ふと古いノートに目が留まる。そこには手書きで『護身法及び退魔法』と書かれている。


 おじいちゃんが書いたものだろうか……。


 表紙をめくるとそこには、大きく太い字で『決して思いのままに祓うことなかれ、不浄を祓うことにのみ意識を集中させよ』と書かれてある。


 その文字を何度もなぞったのか、黒ずみ少し紙がすれている。

 まるでその言葉を自分に言い効かせているようだ。


 その意味を、今は理解できない。


 けれど、自分もこの言葉を胸に刻む時が来るのだろうか。


 そんなことを思いながらページをめくった。


 そこには、びっしりと図や文字が書かれていた。その中のひとつに見覚えがあった。


『臨兵闘者皆陳列在前』


 これは、図書館や本屋で買った本にも載っている退魔の呪文。

 小説やドラマ、アニメなどでもよく見かける呪文だ。


 その横に達筆な字で、青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女という文字の横に手で結ぶ印のような図が描かれている。


 これは初めて見る呪文だった。


 試しに図の通りに指を形作るが、うまくいかない。何度も指が攣りそうになったが、それでも何とか図の通りの形を作れるようになってきた。


「呪文はえーと……青龍・白虎・朱雀・玄武……勾陳……文王・三台・玉女、っと、こんな感じかな」


 すんなりとはいかなかったが呪文を唱えながら指の形を変えていくと、ほんのりとだが手のひらが温かくなった……気がしただけで何も起こらない。


 こんなぎこちない術で何かが起こるはずもない。

 でもいつしかこれらを習得したいと、強く思った。


 ベッドにゴロンと横になり、おじいちゃんが遺してくれたノートをパラパラとめくっていたが、いつしか眠りについてしまった。


 窓の外、小さな黒い靄が消滅したことに、俺が気付くことはなかった。

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