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俺がまだ五歳か六歳の時に亡くなった。幼すぎておじいちゃんの記憶はうっすらとしか残ってないけど、ひとつだけはっきりと覚えている事がある。
公園の帰り道、おじいちゃんと一緒に歩いていた時に初めて人ならざるモノを見た。
目玉がギョロリとして口が裂けた鬼が目の前にいて、怖くて一歩も前に進めなくなった俺に、おじいちゃんはひどく驚いた顔で聞いてきた。
『見えるのか』と……。
『おじいちゃんも見えるの?』と聞き返したら、『そこに何かがいることしかわからない』って言った。
でも、おじいちゃんが何か呪文のようなものを唱えたら、すぐに鬼は消えてしまった。
幼かった俺は、おじいちゃんは魔法使いなのかと思ったくらいだ。
それ以来しばらく人ならざるモノを見ることはなくなったけど、ある時からまた人ならざるモノを見るようになった。
今思えば、おじいちゃんが亡くなって少ししてからだっただろうか。
鬼に襲われたのは……。
「おじいちゃんが守ってくれてた……?」
「そうだ。おじいちゃんはお前に術を施したと言っていた」
その言葉で記憶がよみがえる。
初めて人ならざるモノを見たあの時、おじいちゃんは俺の左手に何かを描いた。指で描いただけなのに、ペンで書いたようにはっきりと手のひらに描かれたそれは、すぐに消えてしまった。
おじいちゃんはおまじないだと言って笑ってた。それからしばらく鬼を見ることもなかったからすっかり忘れていたけど、また鬼を見たら左手を鬼に向ければ、鬼は消えるって言ってたな。
そういえばおじいちゃんの死因て何だったんだろう。これまで気にしたこともなかったけど、どうしておじいちゃんは死んでしまったんだろう。
おじいちゃんが病気で臥せっていた記憶はない。当時俺は幼すぎて人の死について考えたこともなかった。おじいちゃんは年寄りだから死んでしまった、先に死んでしまうことが当たり前のように受け入れていた。
でも、今にして思えば、ただ忽然といなくなってしまった気がする。
まさか……。
「おじいちゃん……鬼に……喰われたの?」
ボソリと呟いた俺の言葉に、父さんは首を横に振った。
「違う……」
覇気のない父さんの声は、明らかにウソをついている声だった。
「なんで? なんで隠すの? 今さら隠す必要ないだろ」
聞いてもいない昔の話をしだして、きちんと話をしておいた方がいいと言っておきながら、どうして本当のことを話してくれないのか理解できない。
思わず声を荒げると、父さんは辛そうに目を伏せた。
「もしかして……俺を守るために?」
俺を守ろうとして犠牲になったのか? だから今まで言えなかった?
「違うッ! それは違う!」
「じゃあ何?」
声を荒げる俺に、父さんも母さんもうつむくだけだった。
「話してくれる気がないならもういいよッ!」
机をバンッと叩いた。
「詳しいことは……、何もわからないんだ」
「わからない?」
「……私たちが駆け付けた時にはすでに血だらけで……息も絶え絶えだった」
父さんがゆっくりと話し出すと、母さんは堪えきれずに嗚咽を漏らした。
「どういうこと?」
聞き返しても、やっぱり父さんは首を振るばかりだった。
「私たちには何も見えないから……何もわからない。ただ、力の強い妖の気配が二つあったのはわかった。それだけだ……それだけしか私たちにはわからないんだ」
これまで『見える』ことで苦しんできた。
人ならざるモノの話をしても、辛そうな顔をするだけで、はぐらかされたりちゃんと聞いてくれないことに苛立ちさえ覚えた。
でも、今分かった。
父さんたちは聞こうとしなかったんじゃない。聞いてもどうすることもできないから聞けなかったんだ。
父さんたちは『見えない』ことで苦しんでいる、今も……。
そして、これからも俺に何かあるたびに見えない自分たちを責めるだろう。
それは分かった。
わかったけど、沸き起こった感情は、いったん出たら止まらない。
「なんで今更そんな話をするんだよッ」
感情のままに言葉をぶつけてしまった。
そんな俺の目を、父さんはジッと見つめた。
「その傷、鬼に襲われてできたものだろ」
見えないとはっきり言った父さんから、思ってもみなかった言葉を言われてとっさに絆創膏を貼ってある手を隠した。
「見えないくせに、そんなことわかるの?」
言ってから、自分がひどいことを口走ったと気づいた。
「確かに……父さんたちは見えない。当然霊力なんて無いから、おじいちゃんが使っていたような術も使えない。でも……、多少だがその存在を知ることはできる。といっても、父さんは妖の臭いを感じる程度で、母さんの実家もうちと同じような家系だから多少気配を感じる事が出来る、その程度だ。だから……だからお前が人ならざるモノに襲われたことくらいわかる」
「だったら……だったら何だよ。俺のこと守ってくれんの?」
どうしようもなく腹が立って、かまわず怒りをぶつけてしまった。
父さんたちは何も悪くない。そう頭ではわかっているのに怒りが込み上げてきてどうすることもできなかった。
でも、父さんはそんな俺の怒りを全部受け止めようとするかのように優しく笑った。
「お前の代わりに父さんが喰われるのなら、喜んでこの身をくれてやる。昔お前が鬼に襲われた時、自分の身体が削られる以上の辛さを感じた。自分が襲われたほうがどれだけ楽か……。だが、悔しいことに父さんたちではお前の身代わりになってやることすらできない」
「そんな……俺は別に身代わりになってほしいなんて……」
「ああ、わかってる。お前がそんなことを望んでるなんて思っていない。でも、どうにかしてお前のことを守りたくて……、おじいちゃんに頼んで父さんと母さんを人柱にして、この家に結界を張ってもらった。そうすることで、この家に居る間はお前を守ることができるし、外で何かあった時は、少なからず異変を感じ取ることができる」
そんな事全然知らなかった……。っていうか、そんな話、聞きたくもなった。
人柱? 結界? 俺のために、父さんと母さんが犠牲になるてこと?
「だから何? この家に居れば安全だって言いたいの? それとも俺のために身を削ってくれることに感謝しろって?」
惨いことを言っている自覚はある。でも、今になってこんな話をする両親に腹が立って仕方がなかった。
あからさまに怒りをぶつける俺に、父さんも母さんも怒るわけでもなく、叱りつけることもない。
ただ哀しそうな瞳でジッと俺を見つめているだけだった。
だから、卑屈になっている自分がどんどんみじめになっていく。
「何なんだよッ! 今更そんな話聞かされて、俺にどうしろって言うの?」
「……すまない。ずっと黙っているつもりだった。でも……おじいちゃんの施してくれた術がほころび始めている今、きちんと話しておかなければいけないと……そう思った」
おじいちゃんが施してくれた術?
あのおまじないのことか?
すでに頭はパンクしそうだった。そのうえまたひとつわからないことが増えて、感情のコントロールもままならなくなってきた……、いや、自分自身どうしていいのかわからなくなってしまった。
父さんはそんな俺に気づいたのか、ゆっくりとかみしめるように話す。
「お前の左手に、おじいちゃんが護符のような役割を果たす術を施してくれた。詳しいことは私らにはわからんが、お前の霊力を隠し、妖たちに見つからないようにしたものらしい。そして、お前の身に危険が迫った時、お前を守る術でもある」
ジッと左手を見た。けれど、特に変わった様子はない。いつも通りの左手だ。
いや……違う。
今日鬼に襲われた時、手がバケモノに触れた瞬間にジュッという音と肉が焦げるような臭いが鼻を突いた。
あれはおじいちゃんが施してくれた術のおかげということだろうか。
そういえば修学旅行で襲われた時も似たようなことがあった。初めて鬼に襲われた時も……。
俺の考えをくみ取るように、父さんは話を続ける。
「だが、その術が最近ほころび始めているようだ。お前を守る力が弱くなっている」
だからだろうか……。最近襲われる頻度が多くなってきている。
「だったら何? 心の準備でもしとけってこと? 襲われて命を奪われる覚悟をしろって言いたいわけ?」
言い放った瞬間、左の頬に痛みを感じた。
叩かれたのは俺なのに、頬を叩いた父さんの方が苦痛に顔を歪ませていた。叩いた右手は小さく震えていた。
こんなに怒った父さんを見るのは、はじめてだった。厳しい人だけど、こんなに怒りを露わにしたことはなかった。
「お前が傷つけばそれ以上に辛い思いをする、お前を失えば何もできない自分を責め、これ以上はない悲しみに囚われる者がいるっていうことを覚えておきなさい」
父さんの声は、静かだけれどとても威厳があった。
父さんの隣で母さんは涙をこらえきれずに、声を殺して泣いている。
俺のことを大切に思ってくれているってことは分かる。分かるけど……俺には人ならざるモノに襲われても身を守る術が何ひとつない。
それなのにどうやって身を守れというのか……。
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