いつしか店の雰囲気が変わっている。明るいカフェ風の店から、渋いバーのような雰囲気が漂っている。


 客層までも変わっていて、若い客でにぎわっていた店内は、今はしっとりと落ち着いた大人の客がほとんどだった。


 まるで違う店にいるような錯覚を覚え、あたりを見回す。


「この店、八時になるとお酒を出すから、照明の明かりを一つ落としているんだ。それだけで雰囲気が変わるなんておもしろいでしょ」


 またも人の心をよんだかのような余市さんの言葉にドキッとする。

 余市さんの顔を訝し気に見つめる俺の肩に、上総さんが手を置いた。


「余市が君の心をよめるわけじゃないですよ。君、感情が全部顔に出ているんですよ。面白いくらいにね」


 なるほどと、納得したいところだけど、どちらかと言えば無表情なほうだと自負していたから、上総さんの言葉は信じられなかった。


 そこへ、奥の部屋から制服に着替えた甘楽が出てきて、俺が座っているところからひとつ空けて座った。


「めっちゃ腹減った~。穂国くん大盛りでちょうだい」


「おう、今日のまかないは穂国特製デカ盛り焼肉丼」


「やった~、肉だ!」


 目の前に出されたどんぶりは、人並を遥に超えていて、華奢な甘楽が食べきれるサイズとは思えないデカ盛りだった。

 そのどんぶりを前にして、心底嬉しそうに笑う甘楽に正直目を奪われた。


 ぶしつけな俺の視線に、甘楽の笑顔がみるみる不機嫌な表情へと変わる。


「何? さっきからジロジロ見て。そんなに見てもひと口だってあげないから」


 自分では気づかなかったが、ずいぶんと甘楽のことを見ていたようだ。外敵から守るように、甘楽はどんぶりを囲い込む。


「べ、べつに食べたいわけじゃないから……今日はもう終わり?」


 尋ねた俺に、甘楽はジロリと睨み返しただけで何も答えず肉を口へ放り込んだ。


「甘楽のバイトは八時までなんです。君もそろそろ帰った方がいいんじゃないですか」 


 甘楽の代わりに答えてくれたのは上総さんだった。


「そうですね。今日はありがとうございました。とても美味しかったです」


 立ち上がり深々とお辞儀をした。


「送りましょうか?」


 そう上総さんが提案してくれたけど、手当てをしてもらい、ご馳走になった上に送ってもらったのでは申し訳ないので、それはさすがに断った。





 家の前までくると、門の前でウロウロしている人影を見つけた。

 

 見知った人のシルエットに、首を傾げた。


「匠実?」


 こんな時間に匠実が何の用だろう。


 慌てて駆け寄ろうとしたが、いつもと違う雰囲気の匠実の様子に、思わず足が止まる。


 戸惑っているうちに、匠実が行ってしまった。


 けれど、どういうわけか匠実を呼び止める気にはなれなかった。明日何しに家に来たのか聞いてみればいいか、と思った時、慌てた様子で母親が家の中から飛び出してきた。


周りをキョロキョロしていた母さんは、俺の姿を見つけるなりすぐさま駆け寄ってきた。


「母さん? どうしたの?」


母さんは俺の肩や腕を触ったり、あちこち身体を見回す。


「ちょっ、ちょっと母さん、何だよ」


 母さんの腕を振り払ったが、俺の手に貼ってあった絆創膏をみつけると、驚いたように目を見張った。


「このケガはどうしたの?」


 慌てて腕を隠す。


「転んだんだよ。それよりどうしたの?」


 不機嫌に言い返した俺に、母さんは少し戸惑ったけど、すぐさま怒りをあらわにした。


「どうしたの? じゃないわよ。こんな時間までどこ行ってたのよ」


こんな時間といってもまだ八時半を少し過ぎたくらいだ。高二の男が怒られる時間でもないだろう。


 けれど、母さんは幼少の時に襲われて以来、帰りが少しでも遅くなると不安になるらしい。慌ててスマホを見てみれば、母さんからの着信とメッセージがたくさん入っていた。


「友達がバイトしている店に寄っていたんだ」


「連絡くらいしなさい」


 怒っているが、俺の無事な姿に安堵しているのが伝わってくる。


「ごめん」


 心配かけてしまった後ろめたさに素直に謝ると、母さんが神妙な顔つきで言う。


「大事な話があるから、着替えたらリビングに来なさい」


「大事な話って?」


「お父さんからちゃんと話をするから」


 それだけ言うと、母さんは家に入っていった。


 大事な話ってなんだ? 


 考えてみたが、何も思い当たることがない。


 まさか離婚じゃないよな……。


 不穏な考えが浮かび慌てて打ち消すも、いつになくシリアスな雰囲気に戸惑う。


 着替えてリビングに降りてくると、父さんと母さんが神妙な顔つきで座っていた。


 思わず引き返したくなったが、そこはガマンする。


「話って何?」


「そこに座りなさい」


 言われるがまま、父さんの向かいの席に座った。

 机の上には見慣れない風呂敷に包まれた物が置いてあったが、それには触れず父さんはいったん目をつむると、ひと息ついてからゆっくりと口を開いた。


「まだ、見えているのか?」


「え?」


 一瞬何を聞かれているのかわからなかった。けれど、すぐに人ならざるモノの事だと理解した。


 嘘をつこうかとも思ったけど、両親がわざわざ膝を突き合わして聞いてきたからには、何か訳があるに違いない。素直に答えることにした。


 コクンと頷いた。


「そうか」


「なんでそんなこと、今更聞いてくんの?」


 つい怒った口調になってしまった。


 これまで一度だってちゃんと話を聞いてくれなかったくせに、今更何なんだよ。どんなに話しても話を逸らしたりまともに聞いてくれなかったくせに。


 そんな思いが声に出た。


 思わずにらみつけると、母さんは必死に涙をこらえているようだった。


「まだ見えているなら、きちんと話をしておいた方がいいと思ってな」


 訳が分からず見つめる俺の顔を、父さんはしっかりと見つめ返してきた。

 そして、ゆっくりと話し出す。


「うちの家系は昔、祓い屋をしていた」


「祓い屋?」


 聞きなれない言葉に首をかしげた。


「人に禍をもたらす霊や妖を祓う事を生業としている者だ」


 そんな職業が物語の中だけじゃなく、実際に存在する職業なのかと驚いたのと同時に、うちがそれを生業としていた事のほうが驚いた。


 驚く俺をよそに、父さんは淡々と話を続ける。


「祓い屋を生業としていたようだが、代替わりしていくうちに見える者が生まれなくなり、たとえ見えたとしても成長していく過程で見えなくなる者も出てきた。それに伴い力も弱くなってきて、妖たちを祓う事が難しくなってきた。見える者を探し出し、縁を結んだりもしたようだが、それも無駄に終わり、ずいぶん前に祓い屋を廃業したということだ」


「そうだったんだ」


 初めて聞く話に、驚きと戸惑いを含んだ声をもらすと、父さんも同感だというように頷いた。


「私もおじいちゃんからこの話を聞いた時には、とても驚いたよ」


 父さんの話はこれにとどまらず、尚も話は続く。でも、父さんの表情が固くなったのを見て、話の本題はこれからなのだと感じ、固唾をのんだ。


「それまで妖たちを葬ってきた祓い屋は、妖たちの恨みを散々買ってきた。だから力を失った途端に妖たちの格好の餌食となる。中には使役していた妖に喰われる者もいたそうだ」


 おとぎ話でも聞いているような錯覚にとらわれそうだが、父さんの表情はいたって真面目で、俺を驚かすためだけにこんな話をしているのではないと分かる。


 父さんは緊張しているのか少し声が震えているように聞こえた。それゆえに聞いている俺にも緊張が伝わってきて、俺まで緊張してしまう。それを気付かれたくなくて、膝の上に置いた手をギュッと握った。


「もう何年も見える者は生まれなかったから、お前が見えると言ってきた時には驚いた。どうしていいか分からなかった。霊力すらもたない私たちが妖たちに狙われることはまずないが、お前は違った。妖は霊力が強いものを好む。喰らう事で少しでも自分自身の力の糧にしたいのだろう。お前は霊力が強いらしく、頻繁に襲われ命を狙われるようになった。だが、私たちにはどうすることも出来なかった。お前を守ってやることが出来なかった」


 いったん言葉を切ると、ずっと下を見つめて話していた父さんが俺を見た。そして、静かに言葉を続ける。


「唯一、対抗できる力を、おじいちゃんだけが持っていた。私たちはおじいちゃんに縋るしかなかった。そして、おじいちゃんも必死でお前を守ってくれた」


 おじいちゃん……。

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