プルンと揺れるプリンにスプーンをさし、ひと口食べた。


 素朴だけどとても優しい味で、程よい甘みが口の中に広がる。じんわりと心が温かくなる味だ。


 プリンを食べていると、ふてくされた様子の甘楽がコーヒーを運んできた。

そのままカップをテーブルに置こうとしたその刹那。


 目の前を光るものが通り過ぎ、すぐ横の壁にグサッと音を立てて突き刺さった。


 見ると、ナイフが刺さっている。


 恐る恐る向かってきた方を見ると、余市さんがニッコリほほ笑んでいる。


「甘楽、ちゃんとメニュー名を言ってからお客さまにお出ししないと、業務怠慢で給料差し引くぞ」


 満面な笑顔のはずなのに、何故か背筋が寒くなる。


 甘楽は舌打ちすると表情を一変させ、ニッコリと満面の笑顔を顔に張り付けた。


「このミルクのように、あなたとじっくり溶け込みたい、カフェ・ラテです」


 ちょっぴりはにかみながら、ワントーン高い可愛らしい声だった。


 文句なしに可愛いと思ったのも束の間、甘楽はすぐにいつもの仏頂面に戻ってしまった。


 そして、俺に顔を近づけると、耳元でボソッと呟いた。


「この店の事、学校のヤツに言ったらお前を狩る」


 ドスの効いた声に、ゾクッっと悪寒が走る。

 

 か、狩るってなんだよ。

 冗談だろ?


 そう思って甘楽の顔を見れば、凄まじい殺気を帯びた目で俺を睨んでいる。


 口を閉ざすに限る。

 じゃなきゃ、俺、マジで狩られる。


「だ、誰にも言わない」


 一瞬、間を置いて答えた俺を、甘楽は疑いの眼差しで睨んでくる。


 そこへ、ひとりの女性客が入ってきた。


「いらっしゃいませ」


 お面を取り換えたかのように、瞬時にして笑顔で客を出迎える甘楽。


 思わぬ救世主にホッと息を突いたが、入ってきた客に疑問を抱く。

 その女性客のすぐ後ろから、猫も一緒に入ってきた。


 余市さんたちも猫に気付いているようだけど、とりわけ何も言わないところを見ると、ペットの同伴もオッケーという事なのだろうか……けれど少し様子がおかしい。


 猫がドアに挟まれそうだったのに、女性は気にする素振りも見せない。白と黒のブチで、少し愛嬌のある顔をした猫だが、客たちも入ってきた猫に一切興味を示さない。


 タルトを食べている女性の近くを通っても、全く見ようともしないのが妙に引っかかる。


 先ほど入ってきた女性客はツカツカと上総さんに近づいていくと、上総さんも女性客に気付いたのか優しい笑顔を浮かべた。


「先日はありがとうございました」


 女性が上総さんに頭を下げた。


「猫ちゃん見つかったみたいですね」


「ええ、上総さんの言った通り、軒下の人目の付かないところでひっそりと……」


 そう言うと、女性客が涙ぐんだ。

 上総さんがそっとハンカチを差し出す。


「猫は、ギリギリまで体調が悪いのを上手に隠すことができる動物ですからね。きっと飼い主さんに心配をかけたくなかったのでしょう。優しい猫ちゃんですね」


 そうか、体調を崩していた猫が、飼い主の目の届かないところで元気になるまで身を潜めていたんだ。それを上総さんが探し当てて、元気になった猫を連れてきたという訳か、と思った……が、そうではないらしい。


「はい、本当に優しくて賢い猫でした」


 猫は褒められたのが分かったのか、飼い主の足元にすり寄る。

 すると、一瞬猫の体が飼い主の足をすり抜けた。


「え?」


 思わず声を上げた俺に、上総さんがそっと人差し指を口に当てた。

 そんなやりとりを見ていた穂国さんが、不思議そうに首を傾げた。


「あれ? もしかして今頃気付いた?」


 穂国さんの言葉に多紀さんも驚いたのか、俺の顔を覗き込んできた。


「え? マジで? こないに霊力ビンビンに尖らせといて気付いとらへんかったん?」


「なまめかしいオーラにも驚いたけど、霊力高いわりにこんな事にも気づかないなんて、ちょっと間抜けな顔しているとは思ったけどもしかしてアホ?」


 え? え――――――ッ!


 驚きのあまり椅子から落ちそうになった俺を、甘楽が支えてくれた。


「余市君、心の声だだ洩れ」


 いったん言葉を切ると、甘楽は迷惑そうに顔を歪める。


「そんでもってお前、うるさい」


 周りの客たちも、不審な者を見るような目で俺を見ている。慌てて居住まいを正し、コホンとひとつ咳ばらいをする。


 霊力が高いとか、なまめかしいオーラとか、上総さんと会った時もそうだったけど、聞きなれない言葉の応酬に混乱する。


 ここはひとまず気持ちを落ち着かせてから、質問しよう。


 ひと息吐いてからゆっくりとカップを持ち上げ口へ運ぶ。

 ほのかな甘みの後からほろ苦さが口に広がる。それと同時に、ザワザワしていた気持ちがスッと落ち着いていく。


 ふーと息を吐き、とりあえず一番気になることを聞くことにした。


「え~と、もしかして皆さん、最初からアレがすでにこの世にいないモノだと気付いてました?」


 さも当然とばかりに三人とも頷く。


「こういうの、今更見えるようになったわけじゃないでしょ。いい加減慣れたら?」


 憮然とした表情の甘楽に、俺はつい投げやりな言葉を返してしまった。


「そんなのムリだよ。どうやって慣れんのさ」


「意外とない? 日常的にこういう事」


 街で知人に会うみたいな、そんな軽い感じで聞き返してくる甘楽の言葉に、俺は返す言葉がなかった。


 確かにこれまで何度もあった。

 あったけど、小さい頃はまだぼんやりとしか見えなかったモノが、成長するに従いはっきりと見えるようになった。

 あまりにはっきりと見えすぎて、見えていいモノなのか、そうでないモノなのか全くと言っていいほど区別がつかないのが正直なところだ。


 そんな事を思っていると、多紀さんが感心したような声を漏らす。


「君、純粋なんやね。俺にもそういう時があったわぁ~」


「お前にはない」


 多紀さんがほのぼのと昔を懐かしんでいると、その妄想を断ち切るように余市さんがキッパリと言い切った。


 余市さんの言葉に穂国さんが賛同する。


「うん、ない」


「ないない」


 甘楽も賛同。


 すると、それには多紀さんが頬を膨らます。


「なんで甘楽が言い切るねん。甘楽俺より年下やんけ」


「えー、だって多紀くんそんな繊細じゃないじゃん」


「俺チョー繊細やで。そやなかったら、こないに繊細なスイーツ作れへんやろ」


 クリームが薄いパイ生地の間に何層も挟みこまれ、その上には薄い板チョコ、いちごとブルーベリーが飾られ粉雪のように砂糖がまぶしてあるケーキを、甘楽に押しつける。


 ヘンテコな歌を歌いながら作り上げたケーキとは思えない、とても繊細なケーキだ。甘楽はそれを何食わぬ顔で受け取ると、無言で客席の方へ持って行ってしまった。


 代わりに余市さんが答える。


「う~ん、認めるの悔しいけど、多紀のスイーツは確かに繊細だ。それが不思議でならない」


「摩訶不思議なのは、ホンマか? 伏木」


 伏木? 誰それ、と周りを見ても該当しそうな人はいない。ただひとり上総さんだけがクスリと笑った。


 もしやこれは……。


 摩訶不思議なのは、ほんまか、ふしぎ……ほんまかふしぎ……。


 またダジャレか。


 穂国さんのダジャレに、余市さんが点数を告げる。


「十二点」


 それが合図なのか、多紀さんはスイーツを作り始め、余市さんはコーヒー豆を挽きだした。


 ダジャレの点数が低かったからか、心なし穂国さんがしょんぼりしているように見えたが、残念ながらフォローする余地はない。


 それよりもまだまだ聞きたいことは山ほどある。


 だが、みんなせわしなく働いているので、聞くに聞けずまごついているうちに気付けば時計の針は八時を回っていた。

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