路地裏にあるレトロな建物で、『テッセラ』と書かれた小さな看板が掲げてあった。


 クラシカルな扉を開けて中に入ると、カウンターとテーブル席が何席かある落ち着いた佇まいの喫茶店だった。


「「「いらっしゃいませ」」」


 店員の声が重なった。


「あれ? 上総かずさ君が女性を連れてくるなんて珍しいね」


 店に入るなりそう声をかけてきたのは、ツンツンと前髪を立たせた筋肉質な体格をした店員だった。


穂国ほぐに、彼は男性ですよ」


 穂国と呼ばれた店員は驚いたように目を見開いた。


 すると、その隣にいた赤毛で童顔の店員も目を丸くする。


「え? ウソやろ。気配は女性やで」


多紀たき、お客様に向かって失礼ですよ」


 やんわりと窘められると、多紀と呼ばれた店員がペコリと頭を下げた。


 でも、多紀と呼ばれた店員の隣でコーヒーを挽いていた長身の店員はぶしつけな視線を投げてくる。


「また、妙なものを拾ってきたな、上総」


 その言葉を受けて、俺をこの店に連れてきた上総さんは拗ねたように答える。


「確かに妙ですが、そんないい方しなくてもいいでしょ。私も女性だと思ったのに男性だったので驚きましたよ。それより余市よいち、救急箱を取ってもらえますか?」


「面倒はゴメンだぞ」


 余市と呼ばれた店員は、面倒くさそうな言い方をしながらも救急箱を上総さんに手渡した。


「とりあえず、ここに座って」


 促されるまま座って上総さんに手当される俺を、三人が三人とも興味津々に見つめてくる。


 あれ、ちょっと待てよ。もしかして俺のこと?


 よく考えなくても、上総さんが連れてきたのは俺しかいない。

 ってことは、もしかして俺、女に見られた?


 ウソだろ……。

 

 今まで女に見られたことなんか、一度もないぞ。

 甘楽じゃあるまいし……。


 と視線を店の中に移すと、黒いワンピースにフリフリの白いエプロンをつけた甘楽の姿が目に飛び込んできた。


「か、甘楽?」


 思わず名前を叫ぶと、あからさまに嫌な顔をされてしまった。


「おや、お知り合いですか?」


 上総さんが甘楽に尋ねると、明らかに嫌そうに顔を歪めた。


「同じクラス」


「そうでしたか」


 甘楽の端的な答えに、上総さんの動きがピタッと止まった。


「もしかして、君は甘楽がお姫様抱っこをした子ですか?」


 不意打ちのように意図していなかった質問をされ、ギョッとなって上総さんを見つめた。本人の意に反し、その動作が答えとなった。


「なるほど、そうでしたか」


 と、にこやかに納得する上総さん。


「エッ? マジで!」


 と、驚いたのは細マッチョの穂国さん。


「へぇ~、そうなんや」


 と、得心がいったように頷くのは、関西弁の多紀さん。


「ふ~ん」


 と、観察するように俺を見るのは、ちょっとクールな余市さん。


 甘楽は、と言えば、俺の視線を逃れるようにお客さんのところへ注文を取りに行った。


 所在無げにうつむく俺の肩を、上総さんが軽く叩く。


「滅多に経験できるものではありませんし、甘楽だからこそできたわけですし、そんなに気にすることではありませんよ」


 大したことではないと言いつつ、言外に『うちの甘楽はすごいでしょ』的なニュアンスを感じた。


 何かが違うと思うものの、その時の記憶がないから何も言えない。辱めを受けたような、励まされたのかよくわからない感情に捕らわれていると、上総さんが上機嫌にほほ笑んだ。


「甘楽のクラスメイト君なら、手厚くもてなさなければいけませんね。穂国、彼に元気になる料理を出してくれますか?」


「オッケー」


 顔は強面だがとても人懐っこい笑顔を見せるツンツン頭のソフトマッチョの店員、穂国さんがにこやかに答えた。


「多紀、ほっこりするスイーツを」


「ほーい」


 関西弁の赤毛で童顔の店員、多紀さんが陽気に返事をした。


「余市、気が落ち着くものをお願いします」


「了解」


 細身で長身のクールな店員、余市さんが涼しい笑顔を浮かべた。


 上総さんは三人に注文すると、奥の部屋へと行ってしまった。


 改めて店内を見回す。


 ブリティッシュな要素と和の要素がうまく調和された不思議な空間で、コーヒーの香ばしい香りが漂い、穏やかな時間が流れているように感じた。


 とても雰囲気のいいお店だ。


 家の近くにこんな店があったなんて、全く気付かなかった。まさに隠れ家的な店だ。


 少しかわった店だと言っていたが、何が変わっているのだろう。


 もしかしたら、ものすごーく値段が高くて、帰りには身ぐるみ剥がされパンツ一枚で放り出される、なんてことになるのでは……。


 自分の財布の中身があまり充実していないことに、今更ながら気付いた。


 周りの客は、年配の人もいれば、自分と同年代の人たちもいて年齢層はバラバラだ。そのことに少しホッとするも、新たな不安が頭をよぎる。


 年配者は高利貸しの店を紹介され、いずれは借金地獄。同年代の女の子は風俗に売り飛ばされ、若い男は臓器売買のために外国へ売り飛ばされるなんてことに……。


 そんな不安が脳裏を占め所在無げに座っていると、余市さんがジッと自分を見ていることに気づいた。


「身ぐるみ剥がされ、裏口のゴミ箱に投げ飛ばされるんじゃないかって思っている?」 


 まさかの図星!


「い、いや、そ、そんな事……思っていないです」


 自然と語尾が小さくなる。

 そんな俺を見て余市さんが笑った。


「うちの店、そんなに怪しいお店に見える?」


「いいえ、とっても素敵なお店です」


 これは本当に思っていたことなので、すんなりと言葉がでた。


「そう、良かった。うちは『学生さんのお財布にも優しく』をモットーにやっているから、価格はそんなに高くないと思うよ。でも、今日は甘楽のクラスメイトってことで店のおごりだよ」


 いったん言葉を切ると、余市さんが顔を近づけてきて小声でささやく。


「奥の部屋から強面のお兄さんとか出てこないし、風俗や臓器売買のために売り飛ばすなんてこともしないから、安心して」


 超能力者かと思うほどに、見事に心の内を読まれ言葉を失う。


「そんなに緊張しなくていいよ。くつろいでってね」


 ニッコリほほ笑むと、余市さんはコーヒーの豆を挽きはじめた。


「あ……ありがとうございます」


 親切にしてもらっておきながら、卑しいことを考えている自分が情けなくて、もごもごとした口調になってしまった。


 自己嫌悪に落ち込んでいる俺の目の前に、ドーンと大きなオムライスが差し出された。


「あなたの愛に包まれたい、オムライスいっちょ上がりぃ」


 一瞬何を言われたのかわからず見つめ返すと、穂国さんがニンマリほほ笑んだ。


「誰のオムライス? お~村井っす、ってね。どうぞ召し上がれ」


 ……??? 村井って誰!


 そんなことを考えていたら、余市さんが無表情でボソリと告げた。


「二十五点」


その点数は何?


 次から次へとクエスチョンマークが並んでいくけど、余市さんも多紀さんも無表情なまま作業を続けている。。


「今のはなかなかの出来だと思ったんだけど、相変わらず余市君は厳しいなぁ~」


 と言いつつあまり堪えているとも思えない。

 頭の中で、穂国さんの言葉を繰り返してみる。


 お~村井っす、お~むらいっす、おむらいす……オムライス!


 なるほどダジャレか。


「ダジャレはくだらないけど、料理の腕は確かだよ」


 ようやくダジャレだと気付いた俺に、余市さんが言った。


「それから」


 いったん言葉を切って、余市さんが人の悪い笑みを浮かべた。


「睡眠薬とかも入ってないからね」


「そんなこと思ってないです!」


 ムキになって言い返すと、余市さんが大きな口を開けてワハハと笑った。


 ついさっきまでクールですました顔をしていた余市さん。笑った顔はすごくにこやかで、見ているこちらまで楽しくなるようなそんな笑顔だった。


 改めてオムライスを見つめる。


 形はオーソドックスな楕円形で、艶やかな黄色の卵の上に鮮やかなトマトソースがとろりとかかったオムライス。


 確かに美味しそうだ。


 ひと口頬張る。

 程よい酸味のトマトソースと卵、中のチキンライスとが絶妙に溶け合う。ひと口食べた途端に、心の底から力が湧いてくるそんなオムライスだった。


 先ほどのダジャレが残念でならない。


胃袋が程よい満腹感に満たされてきた頃、不意に不思議な歌が聞こえてきた。


「♪~甘い甘い恋の誘惑、茶色い帽子を被った可愛い子、みんな君に夢中さぁ~♪」


 多紀さんがご機嫌にスイーツを作っている。高音で透き通るようなきれいな声なんだけど、なんとも独特な歌詞に困惑する。


けれど、多紀さんの歌に戸惑っているのは俺だけ。誰も多紀さんの歌に反応していない、というよりも敢えて聞こえないフリをしているような……。


 その場の空気を読んで、聞こえないフリをして目の前のオムライスを頬張るが……、どうにも歌が気になる。


「♪~プププププリン、プププププリン、みんな君の虜だ、ヨゥ。君は魅力的、ステキ、無敵なプリン、イエ~イ~♪」 


 歌謡曲調の歌かと思いきや、突然ラップが入り込んできた。


「んぐッ、ぐほッ、ゴホゴホゴホ……」


 あまりにヘンテコな歌に、オムライスが喉に詰まりむせてしまった。


「大丈夫か? ほら水、誰も盗ったりせーへんからゆっくり食べや」


 言いながら多紀さんが水を差しだしてくれたけど、原因は多紀さんの変な歌のせいだから、思わず恨みがましい視線を向けてしまう。


 でも、多紀さんがそれに気づくことはなく、再び鼻歌交じりに歌いだした。


 なるべく多紀の歌を聞かないように、目の前のオムライスに集中することにした。


 オムライスを食べ終わり、ひと息ついたところで、プリンが出された。


「ほい、キスしたくなるほど可愛い、プリン」


 ご機嫌に多紀さんがそう言うと、プリンの乗ったトレイを差し出してきた。


 先ほどのオムライスといい、プリンといい料理を出される前のやたらと甘い言葉に違和感を覚え、働いている甘楽に目をやった。


 仏頂面の甘楽は、ちょうど男性客にコーヒーを運んでいるところだった。


 そのままコーヒーを差し出すかと思いきや、甘えた仕草でこれまで聞いたことのない甘い声を出した。


「あなたに恋焦がれて苦くなっちゃいました、エスプレッソです」


 男性客は甘楽にメロメロだ。


 すると、今度は黒いスーツに着替えた上総さんが、女性客にケーキを運んでいく。


「どんな宝石もあなたの魅力にはかないません、フルーツの宝石タルトです」


 女性客はとろけた目で上総さんを見つめている。


 慌ててメニュー表を見た。


『笑顔が素敵なあなたのための、トマトパスタ』


『もっとドキドキさせてあ・げ・る、スパイシーカレー』


 などなど……ズラリと甘い言葉が並んだメニュー名に、目をむいた。


 ダジャレを言うシェフ、ヘンな歌を歌うパティシエ、甘い言葉がメニュー名と、ようやく『ちょっとかわった店』の意味がわかった。


 そして、ヘンテコなメニュー名と歌とは違って味はいい。

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