弐の目

 修学旅行から帰ってきて何日か経った。


 あれから甘楽とは話をしていない。あいさつや必要事項くらいの話はしたが、人ならざるモノの話ができない。


 甘楽の手の中で、単なる紙が手裏剣に変化したことも気になるし、助けてくれた男の事も気になる。


 気にはなるものの、どう話を切り出していいのか分からず、話しかけられずにいた。


 モヤモヤとした何かが胸の中でくすぶっているが、それを吐き出すことも消化することもできず、ひとり悶々としていた。


 あれからずっと、襲われた時のことが頭から離れなくなっていた。

 甘楽は人ならざるモノを見てもいっさい動じることもなく、不思議な術でアレを退治した。


 そして、どこから現れたのか、果たして実在する人物なのかもわからないけど、甘楽にそっくりな忍者の格好をした男の人。

 あの人もまた不思議な術を使っていた。


 あれは何だったったのか……。


 考えても答えが出るわけないけど、ただあの人が言った言葉がずっと胸に刺さっている。


『生きたくて必死にもがいても、生きられなかった者は大勢いる。その時が来るまでは、どんなにみじめな思いをしようと生にしがみつけッ! 簡単に命を捨てるなッ! これは願いでも要望でも願望でもない。命令だ!』


 俺もあんな風に強くありたい。


 でも、何をしたらいいかなんてわからない。だからと言って誰かに相談できるわけもない。


 甘楽と少しだけでも話ができればいいのに、どういうわけだか同じクラスだというのになかなか話す機会がない。


 というより、これまで人と関わろうとしてこなかったから、どう話しかけていいのかすらわからない。


 仕方なく図書館に行って調べてたら、思いのほか遅くなってしまった。


 図書館を出た時はまだ西の空は明るかったのに、オレンジ色の空は急速に幕を下ろすように黒く染まっていく。自然と歩く速度が速くなる。


 やっぱり夜は苦手だ。


 今夜は月が雲に隠れているから余計に暗い。頼りない街灯の明かりが、道路に影をうっすらと映し出す。


 すると、不安を見透かしたように、足元の影がゆらりと揺れた。


 怯えた心が自分の影すら怪しいものに見せているのかと、気丈にそのまま歩き続けていたが、歩いていた足を掴まれた。


 その場につんのめりそうになるのを堪え、足元を見た。


 すると、細く骨ばった黒い手が、自分の足を掴んでいて、思わず叫びそうになった。

 かろうじてそれを飲み込んだが、ゾワッと背筋が寒くなった。


 いつもなら弱気になる所だが、今日は違う。


 甘楽のように消滅させることはできないけれど、逃げ切る事はできるはずだ……いや、逃げ切って見せる。どんなにみっともない姿であろうと、生にしがみつくと決めたから。


 足をバタつかせ、その手から逃れようと必死にもがく。でも意に反して、もがけばもがくほど足を掴む力は強くなる。


「クソッ!」


 ソレは地面の中へと引きずり込もうとしているようだった。


「離せ、この野郎ッ!」


 渾身の力でその手を蹴り飛ばした。


 すると、一瞬だけ足を掴んでいた手が解けた。その拍子に拘束していた力がなくなり、バランスを崩しその場に倒れこんだ。


 やっと離れた、と思ったのもつかの間。再び影から手が伸びてきた。


 だが、今度は手だけではなく、口が耳まで裂けたバケモノが影の中から這い上がってきて、足に喰らいつこうと迫ってきた。


 必死に逃れようと、迫ってきたバケモノを右手で力任せに殴った。グニャリと気色悪い感覚に顔が歪まむ。


 バケモノは全く効いていないのか、大きく口を開いて薄気味悪い笑みを浮かべた。


 這いつくばるようにして、その場から逃げようとした。


 けれど、再び足を掴まれ影の中へと引きずり込まれる。さっきよりも強い力で引っ張られ、ちょっとやそっとじゃビクともしない。


 どうすれば……どうすればこいつをやっつけられる?


 考えてもこれまで対抗しようなんて思ったこともないから、いい案が浮かぶはずもない。


 そうこうしている間に、どんどん引きずり込まれていく。


 それでも何とか逃れようと、足を引っ張るバケモノの腕に手を伸ばした。引きはがそうとして左手がバケモノに触れた瞬間、ジュッという音と肉が焦げるような臭いが鼻を突いた。


「ギェ……」


 バケモノが悲鳴のような声を上げ、一瞬だが引き込む力が弱まった。その隙に這い上がろうとしたが、すぐさま捕まり、地下へとどんどん引きずり込まれていく。


 ズブズブと顔まで引きずり込まれ、視界の半分が闇に覆われた時、何者かの力で襟首をつかまれ上に引き上げられた。


「おや? 女性かと思ったら男性でしたか」


 優し気な、けれど少し残念そうにも聞こえた声が降ってきた。

 声がした方を仰ぎ見た。


 髪はうっすらと輝きを放つ銀色、感情を移さない銀の瞳。白い袴姿をした男性が刀を持って立っていた。


「大丈夫ですか?」


 男性にも関わらず、艶めかしい雰囲気を漂わせた人とも妖ともつかないその人が、手を伸ばしてきたその時。


『ギギギギギギ……』


 耳障りな声を発しながら、バケモノが男性の背後から襲い掛かってきた。


『あぶないッ!』と声をかけるより早く、男性は素早く振り向き刀を振るった。


 その瞬間、バケモノの腕が吹っ飛んだ。さすがのバケモノも恐れをなしたのか後退る。


 だが、時すでに遅く、銀光を放つ男性が刀の柄を握りなおす。


「清き大地を汚した罪は、甘くはありませんよ。直ちに消えていただきます」


 静かな、けれど清廉な声が響き渡った。


「我が牙は、清き大地に伏在する愚かなモノを打ち砕く者なり、その罪は大地に還ることも許されぬ」


 その言葉を受けて、ほのかに光っていた刀が銀色に煌めいた。


 バケモノは断末魔を上げることもなく、上半身と下半身が真っ二つに切り裂かれ跡形もなく霧散した。


 何事もなかったように辺りは静寂に包まれた。


 眩い光に視力を奪われていたが、次第に見慣れた風景が見えてきた。ようやく視力が回復した頃には、先ほどの男性の姿はなかった。


 キョロキョロと辺りを見回していたら、声をかけられた。


「どうかされましたか?」


 ハッとして声のした方を見ると、優し気な男性が様子を窺うように顔を覗いてきた。


 地面に座り込んでキョロキョロしている自分の行動を考えると、不審者でしかない。


 それに、見えていない人からすれば、バケモノと格闘しているところは、かなり怪しいやつだ。


 気味悪がられるのが常だが、その人は訝しがる様子もなく、手をさし伸ばしてきた。


「大丈夫ですか? 立てますか?」


 見られていたことが気まずくて、その手を取らずにすぐに立ち上がる。


「あ、ありがとうございます。大丈夫です」


 早口でそう言うと、そそくさとその場を去ろうとした。


「ケガをしていますね。すぐそこに私のお店があるので、そこで手当てをしましょう」


「え?」


 襲われたことに動揺していて、自分がケガをしていることさえ気がつかなかった。


 でも、ケガといっても腕を擦りむいただけでたいしたケガではない。


「少し変わった店ですが、味には定評があるんですよ」


 男性は人の良さそうな笑みを浮かべ、俺の背中を押す。


「え、いや……その、ちょっと擦りむいただけだし、大丈夫です」


 バケモノに捕まったと思ったら、今度は呼び込みに捕まってしまった。

 たまらずため息を漏らすと、すかさず男性が顔を覗き込んできた。


「大丈夫ですか? 気分でも悪いんじゃ……」


「ち、違います。ホント大丈夫なんで、お気になさらず――」


「そうですか? 君、妖が好む気を宿しているから、逢魔が時はあまり出歩かないほうがいいと思いますよ。しかも擦り傷とはいえ血がにじんでいるから、血の匂いを追ってまた襲ってこないとも限らないし、ま、無理強いしても悪いですからね。さっきみたいなのがウヨウヨしているから気を付けて、じゃあ」


「え?」


 気になるワードを満載に言い放ち、男性はさっさと踵を返す。強引かと思いきや、かなりあっさりと引いてしまったので、逆に心細くなってしまう。


「あ、あの、ちょっと……」


 不安になって思わず呼び止めてしまった。

 男性は立ち止まり振り向きざまに小首をかしげる。


「何か?」


「えっと、その……お店に行ってもいいですか?」


 俺の言葉に男性はニッコリ微笑んだ。


「こちらです」


 そう言って歩き出した男性の後に続いた。


 男性の後ろを歩きながら、さっきの気になるワード満載のことをどう切り出そうか迷っていた。


 男性にはバケモノが見えていた?

 妖が好む気って何?

 逢魔が時って?


 次から次へと疑問が浮かんでくる。


「あの……えっと……」


 とりあえず声をかけてみたものの、見切り発車のせいか何ひとつ言葉が出てこなかった。


 ジッと俺の顔を見つめる男性。その男性の顔を見ていたら、何やら既視感を覚えた。


 先ほどの銀色の光を放つ男の顔に似ている気がするけど、雰囲気が全く違う。着ている物も違えば、当然、刀なんて持ってもいない。


 あの男性はどこに行ってしまったんだろうか……。


 呆然と顔を見つめる俺に、男性が首を傾げる。


「私の顔に何かついていますか?」


 聞かれて俺は慌てて視線を逸らす。


「あ、いいえ……その、えっと……男の人を見ませんでしたか?」


 勇気を振り絞って聞いてみた。さすがに『刀を持った銀色の光を放つ人』とは聞くことはできなかったけど、自分以外の人に見えていれば『人』という可能性は強くなる。


 すると、男性は驚いたように後ろを振り返った。


「もしかして、お連れの方がいらっしゃいましたか?」


 言うなり男性は引き返そうとしたので、慌てて引き止める。


「違います! 見ていなかったらいいです」


「そうですか? もしお連れの方がいらっしゃったのなら探したほうがいいのでは?」


 男性は俺が連れとはぐれたと思ったのか、先ほどの場所へ戻ろうとする。逆に心配されてしまい、申し訳なさで胸がいっぱいになった。


「そういうんじゃないんで、大丈夫です。気にしないでください」


 この男性にはあの人は見えていなかったんだ。


 突然消えてしまったし、うすうす気づいてはいた。

 だから落胆するほどではないけど、少しだけ残念に思う。


  やっぱり『人』じゃなかったんだ……。


 なら、あの男性はいったいどういう存在なのだろう。妖でもなく人でもない。そういえば、修学旅行の時に会った甘楽に似た男と、同じ空気をまとっていた。ということは甘楽に似たあの人も『人』ではないのだろうか……。


 新たな疑問が湧き出てきて、考えれば考える程、頭の中が混乱した。

 聞きたいことは山ほどあったのに、色々考えあぐねているうちに店に到着してしまった。

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