⚁
ガタン、と大きな音を立てて体が揺れた。
目を開けると、眩い光に一瞬目がくらんだけど、すぐに慣れて周りの景色がはっきりと見えてきた。
ここは新幹線の中。
窓から見える景色が猛スピードで後ろへと流れていく。
俺、
「またか……」
辟易したようにひとり愚痴る。
何度となく見る夢に嫌気がさすが、これは夢じゃなくて現実に起きたこと。
そっと肩に手を置いた。
あの時、鬼の爪が食い込んでできた傷は今も残っている。
そして、あの時の記憶は途切れたままだ。
あの後、どうやって家に帰ったのかさえ何も覚えていない。覚えているのは、あの妖の悲しそうな表情だけだ。
窓の外を眺めた。
幾度となくトンネルをくぐると、この国の象徴とも言うべき山が見えた。
けれど、感慨にふける間もなく車窓は真っ暗になってしまう。
『暗い場所には、良からぬモノが集いやすい』
誰に言われた言葉なのか覚えていない。
でも、その言葉は決して間違いではない。
まだ十七年と短い人生ではあるけれど、何度となく立証されてきたことだからだ。それを覆すほどの材料は何ひとつない。むしろそれを裏付ける材料なら山ほどある。
さっさと目を背けるに限る。
急いで車内に視線を移す。
すると、隣で心地よさそうに眠っているクラスメイトの横顔が目に入ってきた。
のんきに寝ているそいつの顔を見ていたら、なんだか少し腹が立ってきた。
話をしたことがないのは甘楽に限ってではないけれど、名前と顔が一致しているクラスメイトというのは希少な存在だ。
小さい頃から人とは違うモノが見えるせいで、気味悪がられてきた。そんな俺に近づく者はいなかったし、自分からも積極的に交わろうとはしてこなかった。
うっかり話しかけて自分しか見えない存在だった、なんてことになるのが嫌だからだ。
だから友達と呼べる者は皆無に等しい。
そんな自分がクラスメイトと認識できるのは、ほんのごくわずか。
甘楽ととりわけ仲がいいわけじゃない。
挨拶程度しか言葉を交わしていないのにも関わらず、甘楽のことを覚えているのは、甘楽の存在自体が特異だからだ。
艶やかな漆黒の長い髪、透き通るような白い肌に長いまつげが影を落としている。
すらりと伸びた手足は折れそうなほどに線が細い。スカートをはいているにも関わらず、無防備に足を放り出している。
思わずその足に見入ってしまうが、慌てて視線を戻す。
必死に自分の心を律する。
『こいつは男だ! 見惚れるな俺!』
誰がどう見ても可憐な女子高生にしか見えないけれど、甘楽は正真正銘、心も身体も男だ。男である甘楽が、なぜ女生徒の制服を着ているのか。
情報源が少ない俺の耳に入ってきたのは、甘楽の家系は代々歌舞伎役者で、女形を演じるために普段から女装をしているとか、甘楽の姉が事故で亡くなり、母親が精神を病んでしまったため甘楽が姉の代わりをしているとか、ただ単に女装が趣味などなど……。
真相を知る術はないけれど、違和感のない女子高生姿に、誰も異を唱えることはない。
今でこそ甘楽が男であることをほとんどの生徒が知っているが、入学当時は甘楽に告るヤツは後を立たなかった。
中には、力づくで甘楽をものにしようと考えたバカな奴もいたらしいが、見た目とは裏腹に甘楽は腕が立つらしく、そいつがフルボッコにされたという話は、今や伝説になっている。
それでも男子生徒の中には、甘楽が男でもいいから付き合いたいというヤツはゴロゴロいて、月に一度は告られるらしい。
男には一切興味がない自分でさえ、眠っているその顔に思わずトキメキそうになるんだから、告りたくなる気持ちもわからなくもない。
見れば見るほど女にしか見えず、こうして間近で見ていても男の『お』の字も要素がない。
本当にこいつ男か?
甘楽の顔をしげしげと見つめていた時。
パチリと甘楽の瞼が開かれ、艶っぽい少しうるんだ黒い瞳が俺を捉えた。
「うわっ」
バッチリと目が合ってしまい、思わず声を上げてしまった。
すると、甘楽はあからさまに不機嫌に顔を歪ませた。
「後ろめたいこと、しようとしてた?」
「そそそそ、そんな、まだ何もしてない……」
「まだ?」
「あ、い、いや、その、えっと、まだじゃなくて……その……」
うろたえる俺を睨みつけていた甘楽の視線が、フッと窓の方へと逸れた。
その視線に誘われるように振り向いた。
振り向いてすぐさま、しまった、と思ったがすでに遅い。大きな口からダラリとよだれを垂らした邪気がが窓にベッタリと張り付いていた。
邪鬼は俺をジロリと見ると、舌なめずりをした。
「ヒィィィ!」
情けない声をあげた俺に、甘楽の不機嫌な声が耳に届く。
「鬱陶しい」
やけに近い距離で甘楽の声が聞こえた。
気付けば甘楽に思いっきり抱きついていた。
「うわぁぁぁ! ごごごごご、ごめん」
慌てて甘楽から離れたけれど、心臓は口から出そうなほどに脈を打っている。
「なんだなんだ? さっきから騒々しいな」
前の座席から藤原匠実ふじわら たくみが顔を覗かせた。
「こいつがオレの事、襲ってきた」
甘楽が涼しい顔でとんでもないことを口にした。
「は? 何言って――」
「え! マジか! ついに宗介も甘楽の魅力に負けたかぁ~」
否定しようとする俺の言葉なんて、全く聞こうともしない匠実。
「ちがーう! 断じて違う!」
甘楽に抱きついたのは、決して襲おうとしたわけじゃない。
これまで邪鬼を見たことは何度もあったけれど、こんなに間近で、しかも何の心構えもなく邪鬼を見たのが久しぶりだったからだ。
情けない声を出して甘楽に抱きつくほど驚いてしまったことに、我ながら情けなく気恥ずかしい限りだ。
「じゃあ、なんだよ」
匠実が苛立たし気に聞いてきた。問われるのは当然のこと。
だけど、それに素直に答えられないのが悩みの種でもある。
言って理解してもらえることではない。
黙りこむと、匠実が訝し気に顔を覗いてきた。
「もしかして、ヘンなモノが見えたとか?」
ドキッとして、匠実を見つめ返すと、途端に匠実の顔がイヤそうに歪んだ。
無理もない。
匠実とは小学校からの幼馴染だ。
人ならざるモノ、いわゆる妖や鬼と言われる類のモノを見るたびにヘンな事を口走る俺のことを、周りの人間は奇異な目で見ることが多かった。
そもそも人と関わることが苦手だったから、それはそれで別に構わなかったけれど、ただひとり、匠実だけは平然と俺に声をかけてきた。
鬱陶しいほどに。
どんなに足蹴にしても、しつこいくらいに話しかけてきた。一人でいることに慣れていたから、その当時俺は匠実の存在が邪魔でしかなかった。
『いい加減纏わりつくのはやめてくれ、鬱陶しいんだよ!』
そう冷たく言い放った俺に、匠実は平然と言い退けた。
『お前が鬱陶しくても、俺は鬱陶しくないんだから気にするな』
その頃から理不尽なことを言う奴だった。
距離を取りたくて、あえて人ならざるモノの話を聞かせたりしたのに、怖がるどころか匠実は羨ましがった。
『人とは違う景色が見えるって、スゲーじゃん。俺にも見えれば楽しいだろうな』
と言った匠実に本気でムカついた。
『気持ち悪くて不気味なモノが見えたって、何にも楽しくない!』
この時、初めて怒鳴った俺に、匠実は寂しそうに口を尖らせた。
『お前に見えている景色が、俺にも見えればお前は寂しくないか?』
その言葉は深く胸に刺さった。
中学生になった頃には、それなりに空気を読めるようになって、人ならざるモノの話はしないようにした。
それでも、何もないところを見て驚いたりする俺を、同級生たちは気味悪がった。
だから、陽気で友達も多かった匠実は、俺に付き纏うようになってから友だちも減り、イジメにさえあっていた。
それでも、匠実の態度は変わらなかった。
見かねて匠実に聞いた。
『どうして俺に付き纏う? イジメられてまで俺に付き合う道理はないだろう』
この時ばかりは、いつもおちゃらけていた匠実が真剣な眼差しで言った。
『誰とつるもうと俺の勝手だ。誰かにどうこう言われる筋合いはない。たとえそれで友だちがいなくなろうと構わない。自分が間違っているならともかく、自分の気持ちを押さえつけてまでそいつらとつるむ気はない。それに、お前を見捨てることで、後で俺が後悔するくらいなら、イジメなんてたいしたことじゃない。蚊にさされるようなものだ』
そう言ってニカッと笑った。
その強さが羨ましかった。
そして、いつも通りの陽気な声でこうも言った。
『お前は俺がついていてやらなきゃ駄目なんだ。いっつも青っ白い顔して、今にも倒れそうなやつ放っておけないだろ。俺が鍛えなおしてやる。男は強くなきゃいけないんだ。じゃなきゃ大切な人を守ってやれないだろ』
恥ずかしげもなくサラッと言い放ち、たいして立派でもない自分の力瘤を見せると精悍に笑ってみせた。
これまで他人がどうなろうと関係なかったし、自分がどう見られようと構わないと思っていたけれど、自分と一緒に居る匠実まで気味悪がられることは避けようと努力するようになった。
だから、人ならざるモノが見えていても、見えないふりをしたし、極力驚かないように素知らぬふりをした。
人ならざるモノの話をするのも止めた。
それは、これからも続く。
だから、『人ならざるモノが見える』ことを知らない甘楽に知られまいと、口ごもる俺を察してか、匠実が鼻で笑う。
「お前、完全に厨二病だな」
匠実は素知らぬふりをして独特な言葉であしらった。でも、そんな言葉で片付けられるのは少しばかり抵抗を感じた。
「そんなんじゃ……、ただちょっと……その……窓に映った自分の顔に驚いただけ……」
言い返したが、言ってる途中であまりにも説得力がなさ過ぎて尻すぼみになった。
「どんだけ臆病なんだよ。ホント、お前は昔からそうだったよな」
ガハハと大口を開けて笑う匠実。
匠実はいつもそうだった。変に驚く俺を、気味悪がることもなく蔑むこともしなかった。取るに足らない事だというように笑って済ませる。
「まあ、確かに辛気臭いお前の顔じゃあ、幽霊と見間違えても仕方ないか」
そう言うと、匠実は窓を覗いた。
「うっわ!」
大仰に驚く匠実。
まさか匠実にも邪鬼が見えたのか?
恐る恐る窓を見と……。
当然そこには大きく裂けた口から涎をたらした邪鬼の姿が……ない。
トンネルを走る新幹線の窓には、俺の怯えた顔と匠実の笑っている顔が映っているだけだった。
すでに邪鬼はそこにはいなかった。それなら匠実は何に驚いたのだろうかと小首をかしげると、匠実はニカッと笑って見せた。
「超絶イケメンが映っているからビックリした」
ふざけた調子で言う匠実の頭を、軽く小突いた。
「何バカな事いってんだよ」
「ホントくだらない」
これまで黙っていた甘楽がぼそりと呟いた。
そして気だるげに背もたれに寄りかかると、シッシッ、とまるで虫を追い払うように俺と匠実を蹴散らす。
「オレ、寝るから着いたら起こして」
甘楽は再び寝ようといったん瞼を閉じかけたが、キッと目を開けると俺を睨みつけた。
「ヘンな事すんなよ」
「俺がこの厨二病男を監視しているから、甘楽は安心して寝てくれ」
すかさず匠実がしたり顔で言った。
「誰が襲うかッ! それに俺は厨二病なんかじゃない!」
言ったところで誰も聞いていない。
甘楽はさっさとそっぽを向いて眠る体制を整えているし、匠実はそんな甘楽の様子をほほえましく眺めていた。
ったく、なんだよッ! これから四日間もこいつらと生活を共にしなきゃいけないのかよ……。ひょっとすると、人ならざるモノよりもたちが悪いかもしれないな。
フンと鼻を鳴らし、勢いよく背もたれに寄りかかった。
新幹線は再びトンネルの中を走っていた。ヘンなモノを見ないためにも寝るに限る。
俺も甘楽と同じように腕を組んで眠る体制を整えていると、遊び相手を失った匠実が口を尖らせる。
「なんだよ。宗介も寝ちまうのかよ」
「いいだろ別に……」
自然と言葉がとげとげしくなってしまうのは仕方のないこと。
匠実がブツブツ文句を言っていたが、すべてをシャットアウトして、つかの間の睡眠をむさぼることにした。
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