第3話

「え? どうして?」

「学校、行こうか」

 私の疑問には答えず、背を向けて再び歩き出した黒衣。私は自分の気持ちを暴かれるだけ暴かれて、放り出され、置き去りにされる。

「待ってよ、黒衣さんっ」

 もう彼女は振り返ってもくれない。

 彼女は私に応えるつもりはないのだ。暴いた気持ちをみなかったことにして、聞かなかったことにして、見つけようとした気持ちごと消してしまうつもりなんだ。私には機会すら与えられない。あまりに不公平で、手ひどい仕打ちではないか。

 このままじゃ、嫌だ。あんまりにも私が可哀想。

 私は必死で頭を巡らせる。

 打ち捨てられた私の告白を取り返す。そのためには彼女の秘密も知らねばならない。期間限定の恋味チョコを手に入れた、その目的を暴き立てるのだ。

 ユーマで出会ったときまで遡り、言動を思い返す。加速する鼓動が脳内に血流を行き渡らせる。興奮した血管は拡張し、思考は試験終了五分前並みに加速し、冴え始める。

 いくつかの不自然な点と点を繋ぎ、私はひとつのこたえを得る。

 いや、最初からこの答えきもちしかなかったのだ。

「出会ったときからおかしな所はいくつかあった。黒衣さんが石望のユーマにいること自体、不自然なこと。ユーマは黒衣さんが住む鈴米台にだってある。しかも駅前に。わざわざ始発に乗って、石望のユーマで手に入れる必要はない」

 黒衣さんの歩みが止まる。彼女はローファーの踵を二度三度踏みつけ、前進をためらった。

「あっちのユーマでは手に入らなかったから。仕方なくこっちに。どのみち来なきゃいけないんだし、それほどおかしくはない、でしょ」

 背を向けたままの反論。早口の私に対して、噛み締めて話す彼女。言葉の意味と文脈を確かめ、考えながら口にされた台詞だ。

「いや、おかしい。なぜなら、黒衣さんは鈴米台のユーマでも恋味チョコを手に入れていたんだから」

「私が否定しているのに? 私は石望のユーマでチョコを手に入れたのよ」

「そう、石望のユーマでも手に入れた。ユーマの店内で黒衣さんに会った時、恋味チョコはレジ袋に入れられていた。けれど、取り出して見せられた箱にはシールが貼ってあった。

 レジ袋に入れるなら、店員はシールを貼らない。一度目は鈴米台のユーマで恋味チョコだけを買った。これがシールの貼られたチョコ。そして石望に移動し、恋味チョコを買って、今度は袋に入れてもらった。だから、黒衣さんは恋味チョコを間違いなく二箱持っている」

「逆だよ。鈴米台のユーマでは手に入らなかった。お昼ご飯を買ってレジ袋に入れてもらったの。石望に来て、恋味チョコを買ったけど、袋は断ったからシールが貼られた。その後で袋にいれただけ」

 黒衣はすかさず、冷静に反論する。呆れるほど落ち着いた対処に、自分の考えが揺らぎそうになる。彼女に動揺なんて微塵もない。しかし、私は自分の推理に確信があった。

「ううん。それはないよ。レジ袋は確実に石望、つまり二件目に寄った方でもらわなくちゃいけないんだ。そうしないと、黒衣さんは同じ店のレジ袋を提げたまま、二件目に入ったことになる。それじゃあ、なにか明確な目的があって二件目に入ったことになってしまう」

「恋味チョコを探していたからでしょ」

 私は首を振る。そんなことはありえない。

「黒衣さんが自分で言ったんだよ。偶然見かけたから買っちゃった、って」

 店内で出会って、彼女がはじめに言ったことだ。ユーマのレジ袋とシール、彼女の言動は最初から食い違っていたのだ。

 黒衣は改めて私に向き直った。能面を被ったような表情からはなんの感情も読み取れない。ただ、彼女はもう反論をしなかった。何も語らぬ顔のなかに、その眼だけは私に喋るよう促していた。

「黒衣さんはあくまでも、自然な形で偶然恋味チョコを手に入れたことにしなきゃいけなかった。ほんのちょっとでも疑いを持たれてはいけなかった。この市販品であるはずの、期間限定恋味チョコレートが黒衣さんの本命チョコである可能性を」

 すべての発端は品子のバレンタイン事件にある。

 これは品子と黒衣と恋の話なのだ。

「品子が起こしたバレンタインでの本命チョコ拒絶。これのせいで、だれも品子に本命を渡せなくなってしまった。それどころか友チョコですら気を遣って交換しにくくなる始末。品子に本命チョコを渡すには細心の注意を払って、偽装しなきゃいけなかった」

「それじゃ、まるで私が品子を好きみたいじゃない?」

「みたい、じゃなくて、好きなの。なにせ、苦労して手に入れた恋の味なんだから」

 私には彼女の気持ちがよくわかる。彼女に目を向けた私だから。彼女の気持ちが品子に向かっていることは、三人で『大人のショコラケーキ』を食べに行ったときには気が付いていた。知らないのは品子だけ。

「開封されていたのは単に食べるためだけじゃない。中身を入れ替えたんだよ。鈴米台で買った恋味チョコを電車のなかで自分が作った本命チョコと入れ替え、バックにしまう。その後、石望のユーマで恋味チョコを袋付きで買った。誰にも見られないようにトイレに入って、買ったばかりの恋味チョコと偽装した本命チョコを入れ替えた。そのときに、シールに気付かないまま交換してしまった」

「なるほど、犯人が犯したミスってわけ。でも、それなら二箱も買う必要ないんじゃない?」

「たぶん理由はふたつ。ひとつは万一にも他の生徒に買われないようにするため。誰かに買われて、本物の恋味チョコを品子に食べられてしまうと、黒衣さんの持ってきたチョコが偽物だとばれてしまう。鈴米台と石望のユーマにある分を買い占めてしまえば、咲女の通学区域で他に買える場所はない。

 もうひとつは、本命チョコを品子以外に食べて欲しくないから。自然な形で品子に食べさせるとなると、交換かシェアになる。そうなると、居合わせた他の子にも食べさせないといけない。珍しい期間限定商品を持っているんだから集られるかも知れない。でも、二箱あれば、渡し方次第で箱ごとすり替えることが出来る。怪しまれることなく、本命と本物を渡し分けられる。

 本物の期間限定恋味チョコの仕様も都合よく働いた。人によって感じる味が変わるなら、品子が食べたものだけ味の違うチョコでもばれたりしない。私に食べさせたくなかったのは、目の前で見せていた箱のなかに本命チョコが入っているから。そうでしょう、黒衣さん」

 私はこんなに喋ったことないぐらい、一息に推理を語った。息を切らして口の端を拭う私を、かえって満足げに見返した彼女。いっそ、すがすがし表情で、私の推論の穴を突こうと意見を返してくる。

「形は? 味ではわからなくても、形でばれるんじゃない?」

「期間限定商品は二度と生産されないことも多い。製造には既存の生産ラインを流用するのが慣例。公式の動画で言っていた情報だよ。だから、恋味チョコもユーマの出している数種類のチョコの形のうちどれかになるはず。台形か、楕円形か、クッキーのコーティングか。手間はかかるけど、全通り作るのは不可能じゃない。機械で作るみたいな、綺麗な成型は難しいかもだけど。そのバックのなかには使わなかった別パターンの本命が入っているはずだよ」

 白い息を吐き出した黒衣。完敗を示すようにバックの中身を見せた。女子高生にしても大量の、手作りチョコレートがジップロックに入れて詰め込まれていた。

 彼女は手に持った恋味チョコの箱を開ける。取り上げた一粒を口に放り込む。それは彼女が自作した本命チョコであるはずのもの。

「これが私の恋の味か……形に注意を払い過ぎて、味はおざなりなんだよね。本物の恋味チョコがあんまり美味しくなくてよかった。ユーマで鉢合わせした時点で、計画は破綻していたの。本来なら誰にも見つからないつもりだったし。まさか、似たようなことを考えているひとがいるなんて、思いもしなかったよ」

 沈黙が流れる。目を伏せて、彼女の視線から逃げる。

 秘密を暴き立てても、なにひとついいことはない。私はただ、振り向かせるためだけに彼女の心を暴いたのだから。

「気が合うね。私たち」

 盗み見ると、彼女は私に笑いかけてくれた。

 早朝は朝へと切り替わり、校舎の方角から朝練の掛け声が聞こえ始めていた。

「今日出会った時から勝手に仲間意識抱いていたけど、やっぱり間違いじゃなかった。あれだけ品子の近くに居て、好きにならない方がおかしい。チョコをあげたくなかったのは……これは単なる嫉妬なの。華の気持ちがちゃんとした恋になってほしくなかった。ライバルだもん」

 品子の名前が出たことで気が付いた。妙に近い距離感の理由とその誤解。

 黒衣は私に対してひとつ、大きな勘違いをしている。でも、私はその勘違いを正さない。彼女の気持ちを理解できてしまったから。

「話したりしない。それに私は友達でいたいの。関係が変わることなんて望んでいない」

「いいの? 私が品子に本命チョコを食べさせても」

「品子にばらしたりしないし、邪魔もしない。それに黒衣さんだって同じ気持ちでしょう? 品子との関係が変ることなんか望んでいない。品子とは友達のままでいたい。自分の恋の味を食べさせる。下心に足の出た自己満足に過ぎないんだって」

「本当に。私たちの方がよっぽど気持ちが通じ合っているみたい。やっぱり私の直感は間違いじゃなかった」

 彼女はバックの内から、隠していたもうひと箱の恋味チョコを差し出した。

「お菓子も、恋心も。分け合って食べる方が美味しいよね、きっと」

 封を切られていないそのチョコのフィルムを剥がす。スライド式の箱を開くと、ほのかに甘い香りが広がった。私はそのチョコレートを一粒摘み上げた。

「はよぉー」

 その時、呑気な声が坂道をのぼってくる。朝練には少し遅れぎみ。ママチャリを精一杯立ちこぎする綾川品子の姿があった。寒い中急いできたのか、頭から湯気があがっている。冬だというのに日に焼けた肌。うなじで縛った短いポニーテールがトレードマーク。栗色の髪が小動物の尻尾のように、ぴょこりと跳ねる。

 私は咄嗟に、手に持った恋味チョコの箱をコートのポケットに押し込んだ。これは彼女に見つかってはいけないものだ。

「華とクロエじゃん、文化部も朝練とかあんの……って、それ! 期間限定の恋味チョコ! ふたりだけで楽しむとかズルい。独占禁止法違反だ」

 自転車を脇に投げ倒し駆け込んできた品子は、黒衣の手にある箱に手を伸ばした。

「そんなに焦らなくても、ちゃんとあげるから」

 朝練そっちのけで偽の恋味チョコに飛びつく。黒衣の手作りが入れられた本命の恋味チョコだ。品子は取り出したチョコを、ちらとも疑わず口に放り込む。

「うーん、ビターな甘みが空腹の胃に染みるなぁ……これが私の、恋の味かぁ」

 品子は楕円のチョコを舌の上で転がしている。少しずつ体温で溶けるチョコを舐めとって、満足げに何度も頷く。

「美味しい。ありがとう、クロエ」

「私は買ってきただけだから。それより、朝練行かなくてもいいの?」

「ヤバイ、また部長に怒られるわ。でも、もう遅れたからゆっくり行く。もう一個ちょうだいよ」

 品子は自転車を引いて、黒衣はその横に寄り添って歩み始める。品子はよほど空腹だったのか、二個三個とチョコを好きなだけ口に運ぶ。

「あ……」

 品子の後ろ姿をみて、見つけてしまった。リュックサックのファスナーからはみ出た、菓子パンの袋を。すでに中身はなく、ぺちゃんこに潰されている。

 もしかしたら、品子は──。

 本命のチョコを受け取らないと決めた時、無理矢理にでも渡そうとする子がひとりもいなかった。その後に揉めたという噂すら聞かなかった。本命という形では受け取らない。けれど、別の形でなら。

 品子は鈍感だと思っていた。けれど、それは計算された鈍さで、あえて気持ちに気付かない振りをしているのかも。

「どうしたの? 華、行くよ」

 品子が私を振り返って声を掛けた。黒衣も私を顧みて、幸せそうな笑顔をおすそ分けしてくれる。

 そういえば、私を黒衣に引き合わせたのも品子だった。

 鈍感なふりをして、気持ちに気付かない振りをして。

「うん、今行くよ」

 手に持った本物の恋味チョコレートを口に放り込んだ。

 甘さ控えめの、ほろ苦い、三人で食べたショコラケーキの味がした。

 ひとつ、黒衣には隠し事をした。彼女は私が品子を好きだと考えたようだけど、私が好きだったのは黒衣の方。同じクラスになって、一目惚れして、憧れた。でも、その気持ちが恋なのかどうか自分でも理解できていなかった。期間限定の恋味チョコが発売されると知ったとき、いい機会だと思った。もし恋の味が、自分の思い描いた味だったなら。この気持ちは恋に違いないのだろう、と。

 恋味チョコの使い道はふたつあった。ひとつは自分の気持ちを確かめる。もうひとつは黒衣の気持ちを確かめること。彼女が品子を意識していることは分かっていた。その気持ちが恋なのか、友情なのか。でも、そんなことチョコで確かめるまでもないことだった。

 とっくに決めていた。彼女の気持ちが恋だったなら、私はただの友達でいようと。

 この気持ちは明かすことなく、秘密のなかに押し隠し、チョコと一緒に溶かして消してしまおう。ゆっくり、じっくり。胸に感じる小さな痛みとともに、甘くほろ苦い、今だけしか味わえない恋の味を噛み締めて。

 自転車を引く品子、隣に黒衣。その脇に並んだ私。

 私の友達と、その友達に恋した友達の友達。そして、友達の友達に恋した私。

 私たちはきっと友達のままだ。

 この恋も、この痛みも。期間限定で、瞬きの間に溶けてなくなる淡い幻。恋なんてそんなものだ。

 校舎に続く坂道を登る三人。口の中には、複雑で何ともいえない後味が、いつまでも残っていた。


<了>

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期間限定、恋の味 志村麦穂 @baku-shimura

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