第2話

 店内で立ち話をするわけにもいかず、私たちは何となしに連れ立って学校へ歩き始める。しばらく話題を探りながら無言で歩いていたけれど、ふと黒衣が話しかける。

「華にしては朝早いね」

 いきなり名前を呼ばれてどきりとする。

 あまりのことに、周囲を見渡して同じ名前の人間でも探そうとか思った。当然だが、早朝の通学路は私たちの他に人影などない。小山田華はこの私ひとりだけだ。

「そう呼んでもいい?」

「いいけど、もちろん」

 同じクラスの黒衣は品子の友達で、喋ったことこそあるものの二人きりは初めて。彼女のキャラからして、親しくない人の名前を呼び捨てにして距離を詰めるタイプではない、と思う。外見的な線の細さと同じで、繊細な気質の持ち主という印象。

 唯一の思い出は品子と三人で『大人のショコラケーキ』を食べに行ったこと。品子行きつけのカフェの、バレンタイン限定メニューだった。その時に初めて喋り、ただのクラスメイトから顔見知りに昇格した(と私は思っている)。なんの計算間違いか知らないが、私の想定よりもずいぶん親しい立ち位置にいるらしい。

 妙な緊張感を抱えているのは私だけなのだろうか。唇を湿らせて、もごもごと会話を繋げる。

「うん。買おうと思って、期間限定」

 変な間をあけてぎこちなくした返事に、彼女はわずかに綻んだ。

「品子ならともかく、華って興味あったんだ。いつもアーモンドチョコじゃない?」

「影響されちゃって。あの子は朝練で買いに行けないでしょ。代わりに買ってあげとこうかなと」

 黒衣が私のお決まりを知っていたことに少なからず驚く。彼女とお菓子の交換やシェアをした経験はない。教室では属するグループが違うから、てっきり視界に入っていないものだと。

「変な偽情報も多いけどね。気を付けた方がいいよ。私も何度か騙されたことあるし」

「悪気ないだけに性質が悪いっていうか。猫を被っても愉快犯だからね、品子は。小学校の頃から相変わらず。可愛い子猫なら食器を割っても怒られないと思っている、みたいな。まあ、本人に自覚があるか怪しいし、そこが憎めないところでさ」

 自然と会話は共通の友人である品子のことに移る。そもそも私が恋味チョコのことを知ったのも品子経由だった。年頃の女子高生として恥ずべき事かもしれないが、私は流行りものにとんと疎い。その点品子は私と正反対。刹那を追い求め、瞬間を生きている。青春のきらめきの中でしか息できないというように、毎秒光り輝いている。流行りを追うのも、その一環。

「幼馴染なだけあって、やっぱり仲いい。品子も華のことは親友だって」

「付き合いが古いだけ。品子にとっては誰だって親友だよ。私は品子ぐらいしか深い付き合いの友達がいないけど、品子には友達が沢山いる。ついこないだのバレンタインだって、後輩たちからの本命チョコでもめたじゃん。モテモテなの、あの子」

 女子校では日常のお菓子交換と同じく友チョコが飛び交うのだが、なかには物好きがいて、女子相手に本気アタックが敢行されることも。昔のエスではないが、先輩後輩間でとくに盛んだ。先輩という立場は、頼りがいとか、大人びているとかのときめき特性を兼ね備えているから恋愛に発展しやすい。

 憧れは時に欠点を覆い隠す。先輩のことを、自分よりも優れた人間だと思いこんでしまう。女子高生に限らず、憧れは卑屈な自己評価の裏返しが多い。みな、自分と違う特別なものに惹かれやすいのだ。

「今後、誰からも本命は受け取らないだなんて。後輩の子たち、すこし可哀想だったね」

「罪作りな女だよ、まったく」

 とくに品子は後輩への特効を持っている。誰にでもわけ隔てないし、猫被って先輩風ビュービューだしで憧れる子は多い。この前のバレンタインでは、本命志望後輩たちの間で蹴落とし抗争に発展しかけた。陰湿ないじめは軽く明るく楽しく生きるがモットーの品子の対極にある。もっとも嫌うものですらある。結果として、全拒絶という対応になってしまった。そのせいで、友チョコ交換も何となく気まずくなり、みんなこそこそと行うしかなかった。

「品子の愛は超然的なんだよね。沢山を平等に愛して、平等に構う。上から大きな愛を分け与えても、受け取る私たちの器は矮小なのに。配給される分よりもさらに小さくて、スペースがない。自分の器に嫉妬や独占なんて余計なものが入っているから、与えられる愛全てを受け止めきれずにこぼす」

 品子の愛と私の感情は同居できない。だから、私は品子を愛さない。

 皿に盛られた愛を一歩離れてみつめる。取り分けられたら食べるけれど、自分から箸を伸ばさない。

 何処まで行っても私は品子の友達なんだ。

「ごめん、急にぺらぺら偉そうに」

 普段口下手なくせに、聞かれてもいないことはよく喋る。突然の語りたがり。悪い癖だ。しかも、早口で我ながらキモい。私は恥ずかしくなってうつむいた。

「ううん、正直羨ましいよ。やっぱり、品子は沢山のなかで華と一緒にいることを選んでいるんだ。私なんかじゃ、品子のことを語れない」

 彼女が卑屈な言葉を吐いたことに驚いた。まるで仲間外れにされて、八つ当たりしているみたいな言い方だった。拗ねた子供のように。そんな風に考えたりするんだ、と意外に思った。だって、私からすれば、彼女は理想的な美少女だったから。

 黒衣を横目で盗み見る。粘着質な含みとは裏腹に、澄ましきった微笑で恋味チョコの箱を弄んでいる。その美しい表情から感情を読み取ることは難しい。

「ど、どっちかていうと、私が品子との腐れ縁にしがみついているんだよ。環境が変わっても新しい関係に踏み出せないから、古い絆にすがって。わ、悪く言えばね。私は小心で、臆病者だから」

 再びの早口。焦るとどりも混じってなお悪い。どうしてこうなる。発言内容もネガティブな上に、言い訳じみている。

 全部が本心ではないけれど、たぶん遠からず。変化を嫌う小心さ。流行りものに手を出せず、いつも同じものを食べてしまう臆病さ。自分から踏み出せない性格が、アーモンドチョコであり品子なのだ。そんなことないって品子なら即座に否定してくれるのだろうけど。

「それより、恋味ってどんなだろうね」

 気まずくなりそうな話を、彼女の手元に方向転換した。

 黒衣はちらりと視線を向けたけれど、それ以上の追及はしなかった。あからさまな話題の切り替えにも素直に乗ってくれる。

「恋味っていうのは一種の騙り。真実、恋の味なんて、誰かに与えられるようなものじゃないし。パッケージ詐欺もいいところ」

「どういうこと?」

「プラセボ効果ってこと。恋の味がするって思い込んで食べるから、恋の味に思える。実際に恋の味がするわけじゃなくて、私たち自身がチョコの味を、恋だと思いたい味に当てはめる。恋を知らないひとが食べたら、何味とも断言しがたいただのチョコ」

 彼女はパッケージの一部をみながら、商品の説明を指でなぞる。

「あくまで試作品であり、人間の恋愛味覚を正確に再現したものではありません」

「じゃあ、味と恋愛感情は関係ないんだね」

 私は少しがっかりして、肩を落とした。

「それは食べた人次第かな。思い出が味に反映されるわけだし」

「詳しいんだね」

「味見したから」

 彼女の持つ恋味チョコの箱を見れば、取り出し口の透明なフィルムがはがされている。いつの間に食べたのか、とっくに封は切られていた。

「チョコの味が複雑で、味の印象がおぼろげなんだよ。ベリーと言われたらベリーかも。バーベキューソースと言われたら、そうかもしれない。個人の味覚経験に基づいて、味が補正されるって仕組み。これが恋の味だって思い込んで食べたチョコに、これが恋の味だって自分が思っている味がする。食べたひとの願望が映り込む鏡みたいなチョコなの」

「つまり、絶対的な恋の味でなく、開発元が想定した恋の味でもなく、私が思う恋の味になるってこと?」

「そう……各々思う恋の味。そもそも正解の恋とかないわけだし、これが恋の味ってものなんかない。つまるところ、消費者任せなのよ。でかでかと印字しているくせに無責任だとは思う」

 発売タイミングからして意図を感じる。バレンタインには出さず、あえて過ぎてから発売するなんて。消費者に恋を知ってもらってからでないと、効果が薄いと踏んだのだろうか。

「得てして、そんなものだよね。ちょっと期待し過ぎたかも。媚薬効果がある、なんて噂もあったから。まあでも、想像からそんなに外れてもいなかったかな」

 食べた人に恋を錯覚させる。いっしょに食べれば恋に落ちる。合法媚薬に違いない。

 この噂を堂々と語っていたのは品子なわけだけど。どうせ、SNSなんかの情報を拾って、面白がっていただけに違いない。

「華はなにを想像していたの? このチョコで、一体なにをするつもりだったの?」

 黒衣が問うた。

 声の調子は変らない。でも、制服の首根っこを掴まれたような、尋問じみた厳しさがあった。

「なにって、さっき言った通りだよ。品子にでも、買って行こうと思って」

「違う」

 私の言い訳を彼女が否定する。隠した心まで見透かしそうな瞳が、私を静かに見つめている。

 焦りが喉を詰まらせた。もしかして、ばれたのか。

「新味にすら臆する華が、苦手な早起きをして、わざわざ遠回りをして買いにきた。それは今までの華らしさとは明らかに違う行動だよね。変った、変わろうとした。今までと異なる考えがあるから」

 学校が近づいてきた。丘の上にある校舎に向かうにしたがって、徐々に道が角度をつけ始める。ここから上り坂に差し掛かる。

 相変わらず通学路に人影はない。見晴らしがよかった田園地帯から、塀と石垣で囲まれた住宅地へと変わる。伊咲女子高校は城跡に建てられた。道幅は狭くなり、折曲がり見通しは悪くなる。まるで四畳半の取調室に押し込まれたような気がした。どこにも逃げたり、隠れたりできない。

「華は確かめようとしたんじゃない? 自分のなかにある恋の味を」

 私たちはほとんど同時に足を止めた。なにか、言い訳をしなければと思った。言葉は相変わらず、喉に詰まったまま。肝心な時に喋らせてくれない。

「想像からそれほど外れていなかった。そう言ったよね。それはつまり、この不出来な恋味でも華の目的は達成される。華は恋心に自信がなかったけれど、恋だと思いたいものはあった。あとは答え合わせをするだけ。華は自分の恋心を証明しようとしたんじゃない? 誰よりも自分自身に」

 心臓の鼓動がはやくなる。耳元で脈がうるさくなる。

 黒衣の指摘はどこも間違っていない。ほとんど正確に私の計画を言い当てた。

「……バレンタインで品子に告白する子たちをみて、私も自分の気持ちに素直になってみたかった」

 擦り切れた声で、ようやっと言葉を吐き出した。

「うん。いったもんね、影響されたって」

 首が折れるように頷く。恋味チョコを求めたのは、影響されたから。品子にではなく、品子に好意をぶつける後輩たちに。

「それでも私は臆病で。自分の気持ちすら認められなかったから、はっきりさせてくれる指示薬を探したんだ。そんなときに、このチョコの話が転がってきた」

 私は崖際に追い詰められた犯人のごとく、ぽつぽつ動機を自供した。

「その気持ちは理解できるよ。私も同じだから」

「お願い、たった一粒でいいの。私に恋を確かめさせて。それで何もかも諦めるから」

 私は黒衣に頭を下げて、懇願した。

 私はただ自分の気持ちを知りたいだけ。そのあとで告白したりなどとは考えていない。関係の変化は求めていない。本質的に臆病なところは変っていない。あくまで自己満足のため。

「ごめん。あげられない」

 彼女はすげなく切り捨てた。

「え?」

 予想外の拒絶に、呆気にとられた。

「気持ちはわかるけど、あなたにチョコはあげられない」

 彼女は再度念押しするように、ゆっくりと告げた。

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