期間限定、恋の味

志村麦穂

第1話

 ふぅ、と吐き出す白い息。

 早朝は町も生きていることを確認できる。冬場なんかは特に。

 私の住む石望いしもち町は温泉街で、旅館の他にも一般家庭に源泉を引いているところもある。朝焼けに照らされて温泉や炊事の水蒸気が空へとあがる。源泉の一部は川にも流れ込んでおり、川面から湯気が立ち上る。

 町の至るところから白い息。きっとあくびに違いない。町が目を覚ました。

 垂れさがる眠気眼をこする。普段なら布団の中で二度寝している時間なのだ。左手首の内側に巻いた腕時計をみると、六時を回ったところ。部活の朝練にしても登校には早すぎる。朝ご飯もすっとばし、寝ぐせを水で撫でつけて着込んだ制服。寝起きの重たい体とは反対に、心は期待に弾んでいた。

 当然、早起きには理由がある。

 期間限定、恋味チョコレート。

 この町にあるいくつかのコンビニチェーンのうち、オレンジストライプの看板をした『ユートピ・マート』が目的地。みんな略してユーマと呼んでいる。

 このユーマは頻繁に新味を出すことで有名だ。不味そうな変わり種から、最新技術を使った未来飯までチャレンジ精神に富んでいる。中でも期間限定商品は、社内でおこなわれる商品コンペティションの落選作を実験的に市場に流しているだけらしく、各店舗にならぶのは数個のみということも珍しくない。ガチャならSSRだ、と品子が言っていた。年に一回ぐらい調整が施されたのち正式リリース、という稀なケースもあるけど、基本的に期間限定のうちに手に入れなければ二度と手に入らない。

 流行り好きの女子高生にあっては早い者勝ち。町内にユーマは一店舗のみ。九州にはそもそもユーマの店舗が少ないから、一番近い店舗でもふたつほど町を跨いだ鈴米台すずめだい市の駅前にしかない。自然な成り行きで、期間限定商品争奪のライバルは私も通う伊咲女子高校の生徒になる。

 私は入念に計画を立てた。事前情報をチェックして、店舗の商品陳列のタイミングを見計らう。石望町のユーマは五時ごろに商品を積んだトラックが到着する。その後、六時に店員が交代し、朝の最初の仕事として陳列を行うのだ。半ごろには陳列も終わり、早朝に通学出勤する学生や会社員を迎える。つまり、この商品が並ぶ六時から、お客が入り出す六時半までの隙間がねらい目なのだ。

 普段はあれば幸運の心持で、積極的に買いに行ったりしない。せいぜい、教室でだれかが買ってきたものを、手持ちのお菓子とトレードするぐらい。大抵は流行りもの好きの品子あたりと分け合って食べる。

 でも、今回だけは何としても手に入れなければ。私の目的のためにも。

 町の駅そばにあるユーマは、通学の電車組にとって狙いやすい。駅から学校を挟んで反対側に実家がある私にとっては、かなりの遠回りを強いられる。

 オレンジの看板がみえてきた。再度時間を確認すると六時十五分。早歩きできたつもりだったが、思ったより遅くなった。一度目の目覚ましで起きられていたら……。

 幸いなことに駐車場にアイドリングしている車や通学の自転車は見当たらない。まだ通勤客の足よりは早かったと安心する。

 ひと息ついて、自動扉をくぐる。過剰な暖房が眼鏡を曇らせた。

「らっしゃせぇ」

 朝番のダウナーな女性店員に迎えられ、店内を一瞥する。私以外の客は見当たらない。しめた、今が好機だ。

 御菓子棚へ一直線に足を向ける。眼鏡を拭く暇も惜しんで、グミの吊るされたコーナーから平たいチョコ箱の並ぶ棚へと目を走らせる。ミルク、白、アーモンド、クランチ、withクッキー、カカオ%、フルーツと色々なフレーバーを流し見て、期間限定の表示を探し求める。

 ふと、不自然に空いたスペースを見つける。ちょうど箱一列分のスペース。そこにはなにも置かれていない。

 まだ陳列前だったのかと辺りを見回すけれど、商品を詰めたカートは見当たらない。他の棚を見る限り、今日だけ配送が遅れているということもない。もう陳列済みなのだ。

 他の場所にあるかもしれないと、お弁当、パン、ドリンク、日用品のコーナーまで回ってみたがどこにもない。まさか、もう誰かに買われてしまったのか。

 店員に話しかけるのなんて大嫌いな私だけど、勇気を振り絞って聞いてみるか。

「あの……」

 声をかけようとしたとき、店奥のトイレから出てきた黒い制服に視線が吸われた。咲女の黒いセーラー服に黒いコートを着込んだ生徒の手には、ユーマのレジ袋が提げられていた。私と目が合うとその生徒は、猫みたいに目を見開いて固まった。

黒衣くろえさん、おはよ。もしかしてだけど、お買い上げしちゃった?」

 その生徒──黒衣純くろえじゅんは、固まった表情のまま口角筋だけを動かして、ぎこちない愛想笑いを浮かべた。

「タッチの差、かな。偶然見かけたから買っちゃった」

 切りっぱなしのショートボブと切れ長の鋭い目つき。背丈こそ女子標準であるが、分厚いコート越しにも超絶スタイルであることが一目でわかる。両手で握り込めそうな小さい頭。黒いタイツに包まれたほっそりしたおみ足なんか、むくみとは無縁の存在。

 確か、彼女は始発駅がある鈴米台市に住んでいたはずだ。つまりは電車通学組。まさか、始発に乗ってきたのだろうか。

 彼女はレジ袋から長方形の菓子箱を取り出してみせる。そこにはでかでかと『期間限定恋味チョコレート』の文字がエンボス加工でデコってある。購買済みを示すオレンジ色のシールもしっかりと貼られていた。

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