我が家のメイドは手伝われる

 天文部の体験入部を終えて、僕は一人帰路に着いた。思えばこの学校に入学してからというもの、隣にはいつも栞子ちゃんがいたから、一人で帰宅するのは初めてであることに気が付いた。

 駅のホームで電車を待ちながら、いつもより遅く帰ったせいで空腹なお腹がぐうーと鳴った。幸い、丁度いいタイミングで駅構内にアナウンスが流れたから、恐らく傍の人が僕の腹の状態に気付いたことはなかっただろう。


 電車に乗りながら、今日の夕飯は何だろうと考えていた。

 栞子ちゃんの手料理は、とても美味しい。申し訳ないが、母よりも。そんな彼女の手料理を彼女と一緒に食べることが、最近の僕の数少ない楽しみの一つだった。

 ヒレカツ。ロールキャベツ。一昨日食べたサーモンムニエルは、特に美味しかったなあ。


 なんてことを考えている内に、僕の脳内話題は天文部へと移り変わり、最寄り駅に着く頃には栞子ちゃんがどうして部活に入りたがらないのか、という疑問を再燃させていた。

 栞子ちゃんは、まだ十五歳という年齢にも関わらず、家事全般をこなせる凄い少女である。更には仕事に対して意欲もあり、文句の一つだってつけやしない。まさに、完璧少女と呼ぶにふさわしい人だった。


 そんな栞子ちゃんが部活に入れば、どんな部活であれ……運動部。文化部。果てにはマネージャーであれ、引く手あまたになる姿は容易に想像出来た。

 そんな彼女がどうして部活に入りたがらないのか。

 住み込みバイトが理由ではないとは言っていた。


 ただ、それであれば一体、どうして?

 性格が活発ではないから? いや違う。再会して数日。意外と我が強い栞子ちゃんの姿を、これまで僕は何度も見てきた。

 金銭的な事情か? いつか、彼女は僕の家での住み込みバイトを家庭の事情だと言っていた。つまり、今の内からお金を溜めなければいけない理由がある?

 ……それっぽい。

 いやでも、大会も無ければ、学校の備品で済ませられる部活も紹介の中にはあったし、そこを選ばなかった理由にはならないか。


 ……やっぱり、さっきのあれは嘘だったのではないだろうか。

 やっぱり、住み込みバイトが忙しくて、栞子ちゃんは部活に入りたがらないのではないだろうか。

 今日まで、僕は散々栞子ちゃんに甘えてきた。彼女は、それは自分の仕事だから、と僕の甘えを許してくれたのだ。


 それが嬉しかったと同時に、いつの間にか甘えて当然と思っていた気持ちが、僕の中にはなかっただろうか?

 両親が僕を献身的にサポートしてくれたように、僕は栞子ちゃんにも両親並のサポートを期待してやいなかっただろうか。

 否定は出来なかった。


 そして、否定出来なかったからこそ僕は、このままではいけないと思った。


 ……もし。


 もし、栞子ちゃんが僕が原因で好きなこと、やりたいことを制限されられているなら、それは我慢ならなかったのだ。


「ただいま」


 家に帰ると、僕は言った。


「おかえりなさい」


 リビングの方から栞子ちゃんの声。その後、漂ってくる香りに、今日のご飯はカレーだろうと悟った。


「天文部、どうでしたか?」


「楽しかったよ。先輩、優しそうな人だった」


「そうですか」


 淡々と、栞子ちゃんは言った。


「すいません。まだお風呂掃除してなくて。後は煮込むだけなのですぐしてこようと思うのですが、火だけ見ててもらえませんか」


「それなら、僕風呂掃除してくるよ」


 そう提案したのは、それが少しでも栞子ちゃんの負担軽減になるのではと思ったからだった。風呂掃除くらいなら僕にも出来るし。


「大丈夫です。それがあたしの仕事なので」


「少しは手伝うよ。仕事以前に、僕はこの家の住人だ。住人なら、生活のために家事をこなすのは当然だろう」


「その殊勝な心掛けを、ご両親にも言っていたならそう思えたのですがね」


 まるで両親にはそんなこと言ってなかっただろ、と言っているような口ぶり。まあ、言ってなかったんだけど。


「と、とにかくっ、掃除してくるよ」


「あっ」


 栞子ちゃんの制止も聞かず、僕は脱衣所に向かった。靴下を脱ぎ、掃除用のブラシを持ち、洗剤を浴槽に吹きかけた。

 ゴシゴシ、と底から浴槽を掃除していくと、


「上から掃除していってください。それでは上の方を掃除した後、汚れが下に残ってしまいます」


「うわひゃあっ」


 僕は、情けない声を上げた。慌てて、後ろを振り返ると、栞子ちゃんが浴室に顔だけ覗かせて言ってきていた。

 しばらく僕は手を止めた。

 掃除方法を指摘されたこと。任された仕事現場に彼女がいたこと。淡々と、鉄仮面でそこに彼女がいたこと。


 色んな衝撃が一度に襲って、処理不足に陥っていた。


「……こう?」


 しばらくして、僕は彼女の指摘通りに掃除を始めた。


「そうです。そんな感じです」


 何とかお眼鏡に叶うことが出来たらしい。しばらく彼女の指摘通りに掃除して、僕は気付いた。


「……栞子ちゃん」


「はい?」


「火、見てなくて大丈夫なの?」


「……あ」


 栞子ちゃんの声が漏れた後、焦げ臭い匂いがリビングから漂ってきた。

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塩対応な我が家のメイドは、僕の初恋相手。 ミソネタ・ドザえもん @dozaemonex2

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