ただ生きていればいい
一通り検査が終わり、強い薬を使っての点滴治療をすることになった。
この治療は、副作用の一つに代謝が上がるので空腹を感じることがある。
「お腹すいた。」小食の息子。食欲が出てくる姿はうれしかった。
病院の1階にコンビニやコーヒー店がある。検査でその前を通っていい香りがしたとうれしそうに話し「食べたい」と。
許可をもらって買って来ると喜んで食べていた。
私を母と認識できてから、しっかりと会話が成立するようになった。
会話ができるようになってから、入院の経過をどこまで覚えているのか聞いた。
搬送された日。
学校から帰って来てきてまもなく、身体が動かしにくいと感じた。
ベッドに横になって、手が動いたからまず自宅へ電話したけれど、
(仕事だから家にいないかぁ)って思って、寮母さんに電話したんだ。
鍵かけているから、合鍵で入ってきてもらって身体動かないって話した。
そしたら、救急車呼んでくれて。救急車の人に、前と一緒だと思うって言ったけど違うよって言われて。救急車に乗ったけど、そのあとはあんまり覚えていない。
気がついたらここにいた。お母さんの顔はわかるんだけど、どんどん出てくる名前があった。だから、出てきた名前を言った。
あの日、息子は自宅へ電話をしていた。私は、自宅へ戻ったけれど固定電話は確認していない。ちゃんとSOS出していたのに、気づかなかった。ごめんね。
何度も何度も謝った。息子は「仕事だもの。しかたない」と気にしていない。
それ以降、息子から話が出る以外は、こちらから入院時の話を聞くことはしなかった。2度も息子の体調が悪い事に気づいてあげられなかった自分の不甲斐なさ、情けない思いを感じたくなかった。
点滴治療のおかげで食欲が出たこと、意識が戻り、運動機能も問題ないと判断され、退院日が決まった。退院に向けて主治医3名から息子と共に説明を受けた。
以前に下肢の脱力から始まる意識障害が起こり、その2か月後に今回の首から下の脱力から始まる意識障害が再発。2回目が明らかに重篤でした。
前回も、今回も麻痺など後遺症が残らなかったのはすごい事です。
寝たきりになってもおかしくない状況でした。
学校でスポーツをしていますが、そのスポーツは1年間禁止です。
3回目再発が起きたら、命の危険があると思われます。今回2か月で再発しているので、少なくとも2か月は無理なことはせずに過ごしてください。学校も2か月はお休みしてください。まずは、2か月を無事に過ごして、その後、3か月、半年と再発しないように気を付けて生活してください。研究機関へ血液などを送っていますが、結果が来たらお知らせします。結果は数か月かかると思います。
このような説明を受けた。
スポーツを禁止されたことに、息子はかなり落ち込んで泣いた。
「これをするためにこの学校に来たのに。オレからこれを取ったら何が残る?」
布団をかぶって顔を出さなくなった。目を離したら危ないと感じる程落ち込んだ。
おしゃべりの息子が話さなくなった。
口を開けば
「なんでオレを助けた?あのまま死なせてくれればよかったのに。」
何度もこう言うようになった。
「お母さんは助けていないよ。あなた自身が生きたの。
ちゃんと自分でSOSを出して、意識がなくてもちゃんと呼吸をしていたよ。
あなた自身が生きたんだよ。好きなことができないのはつらいよね。
つらいから死なせてくれればって思うだろうけど、気持ちはそうでも
身体は生きるために動いていたよ。できないことがあるのはつらいよ。
でも、生きていればまたできるよ。今は病み上がりだからできないだけ。
一生できないと先生は言ってない。1年ダメって言っただけ。」
こんな風にしか言えなかった。
退院したら3日後に外来へ来るようにと言われていた。退院したらすぐに自宅へ帰ろうと思っていたが、それもできず、3日後の受診まで温泉に行こうかと話した。
狭い寮に2人で過ごすスペースもないし、どこかには泊まらなくちゃいけないから。
温泉の話をして少し気が紛れた様子があった。
どこに行こうかと温泉を調べている間に、笑顔が戻ってきた。
あまりあちこち動けないだろうから、食事はお部屋で食べられるところにしよう。
あんまり遠くなくて、運転しやすい道だともっといい・・・
息子が行ってみたいと言った温泉に予約を入れた。
運転しやすような道で、部屋でご飯が食べられて、そんなに大きい建物ではないから移動がしやすそうなところ。すべて希望通り。
退院してそのまま温泉へ向かった。
温泉へ着いてすぐに布団を敷いて、息子は横になって過ごし、動きたいときに温泉に行った。「疲れる~。」なんて言いながら笑う姿に安心した。これから先も大丈夫かも・・・そんな風に思えた。温泉はいい気分転換になった。息子も私も。
退院後の外来受診は異常なし。
自宅へ帰り2か月学校を休んだ。
常に身体を動かす生活から、約1か月の入院生活でかなり体力は落ちていた。考えることなくできていた普段の動きも、すぐに疲れてしまう。
落ちた体力に、がっかりしたり・・・でも、ゲームや読書(文字より絵が多い本)三昧の日々を満喫したり・・・でも、「飽きてきたなぁ・・・」と筋トレしてまた疲れたり。しっかり休んで学校へ戻った。
高校3年の1年間を、やりたかったスポーツができずに過ごした。少し身体を慣らすような形でこっそりしていたのは聞いていたけれど、私は知らない振りをした。
「体調が悪いなら無理しないように」とLINEしたり電話をこまめにした。
前回と今回の入院・自宅療養計4か月+通院+時々ずる休みをして留年のはずだった。しかし、ありがたいことに、休んだ間の単位をすべてレポート提出で認めると学校側からの話があり、留年することなく卒業できた。
その後の3か月、半年、1年後の外来受診も異常なし。
研究機関で調べてもらっても異常なし。2回目も原因不明。
3回目の再発も今のところなく元気に過ごしている。
時々、扁桃腺炎で熱を出したり、身体が動かしにくい・・・なんて言い出すとドキッとしては「大丈夫。あれとは違うから。」と言われてホッとする。
最近は言わないが、以前はよく言っていた。
「あの時、死なせてくれればよかったのに」
決まって私は言う。
「心臓動かして息だけしてて。ただ生きていればいいよ。」
息子は
「もし、また倒れたら蘇生はしないで。寝たきりのまま生きていたくない。」
その意思は必ず尊重すると約束している。
意識が戻り始め、思うように動かない身体がどれだけ大変でつらく苦しかったか。
「寝たきりのまま生きていたくない」この言葉にあの日のすべてが入っている。
体験したから言う言葉。
乗り越えたから言える言葉。
生きたから言える言葉。
守られているきみの命は簡単には消えないよ。
17 まもり ちとせ @azuki-purin
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