意識が戻った

 救急搬送された息子が、数時間後意識をなくした。

でも、この子は大丈夫という根拠のない自信だけ私は持っていた。

呼吸は乱れなかった。意識がないけれど、呼吸してくれれば大丈夫な気がした。


 付き添いができる病院。私は、付き添い用のベッドと布団をレンタルして、日中はずっとそばに居た。朝の4時に息子の寮へ行き、シャワーを浴び、洗濯をして部屋に干してエアコンをタイマーでつけて乾かしておく。寮で朝食を食べて6時に病院へ戻る生活を送った。寮から車で10分弱でも離れている2時間は不安だった。


 3名が主治医として担当してくださった。そのうちの1人の先生は研修医。

15分置きに診に来てくださる。朝早くから夜遅くまで。いつ休んでいるのだろうと

こちらが心配になるほどだった。

 連日検査が続く。脳に異常がないのは搬送時の検査でわかっていた。

入院後、ベッドから転落。翌日、再度頭部の検査でも異常なし。

血液検査や髄液検査。CT、MRI。

すべて研修医が息子のそばに居てくださる。心強かった。


 2か月前に原因不明の下肢脱力から始まる意識障害があった。治療をしたときに説明された書類等すべて渡し、主治医からその病院へ連絡し直接経過を確認してもらった。


 ちょうど2か月での発症。再発とみて良いと説明された。

ただ、かなり症状が重い。さらに詳しく検査するために、脳の研究機関へ血液や髄液を送ることになった。そのための説明に書類3枚。承諾の記名をした。

 

 もしかして、薬物依存の可能性も・・・と疑われ調べてもそちらも異常なし。

「ごめんね。調べさせてね。どう見ても素朴な感じがするから無いと思うけど。」

 髪を染めているわけでもなく、田舎から来ました感満載の息子。

『素朴な感じ』という表現に笑った。


 主治医3名で考えられる可能性のあるものすべてを調べてくださった。

すぐに結果の出る検査では異常がなく、今回も原因不明。

可能性として4つの病名がついたが、すべて疑いがついて、確定診断ではない。

初めて聞く病名ばかりで、とても長く、書類を見ないと言えない病名だった。


 意識が戻った時に動けるように、私は息子の手足を毎日動かしていた。

意識がなくても、話しかけてマッサージして、頭ナデナデ。

意識あったらこんなことできないね、なんて言いながら頭ナデナデ。

こうやって過ごして、私自身を落ち着かせていたように思う。

頭をなでると安心できた。早く元気になぁれとおまじないをしている気分だった。


 入院1週間になった頃、手をマッサージしていると手を動かすようになった。

足の指も動かせる。身体の遠い部分から少しずつ動くようになっていた。それと同時に声を掛けると目を開けるようになった。

 

 目を開け、手足が動かせるようになると、少しずつ動けるようになっていった。

身体の遠い部分から中心へ向かって。

 首がぐらぐらしていても、数時間で首が安定する。

 身体が支えきれずに、クッションなどで支えてベッドを起こしていても、翌日にはベッドを起こしても自力で座位を保てるようになる。

 身体を起こそうと、上半身を腕で支えきれなくても、夕方には両手をベッドにつけて上半身を支えられる。

 生まれたての子馬が立ち上がろうとしても、ぺたんとしてしまうような姿と重なった。あんな感じで、すこしずつ力を入れられるようになった。


 身体は動かせるようになってきた。研修医の先生がハイタッチで手を挙げるとそれに合わせて動かせる。ここはどこか?と聞かれると、最初はキョトンとしていても、数時間後には「病院」と答える。自分の名前や誕生日を聞かれ、キョトンとした数時間後には正しく答えるようになった。


 この人だーれ。研修医が私を指さすと・・・キョトンとして、難しそうな顔をして、しばらく考えて・・・学校の先生の名前を言う。

「私はあなたのお母さんだよ。」と言っても、キョトンとしていた。

「〇〇先生でしょ?」

研修医の先生は深刻な顔をしていたが、私は笑った。

キョトンとする顔がかわいくて、思わず頭をなでてしまう。


 私を学校の先生だと思っている息子は、頭を撫でられると驚いてサッと頭をよける。目が合うと必ず会釈する。会話は敬語。表情も自宅では見ないよそ行きの顔。

敬語を使う息子を見たことがないから、この経験は貴重だった。ちゃんと外では敬語使えていたのね!と感激した出来事。この姿もかわいくてしかたなかった。

  

 ただ、かわいそうに感じたのは、夜中。

夢をみたのか、ガバッと起き上がった時。私も起きて

「どうしたの?まだ夜中だから寝てていいよ。」と声を掛けても、目が合うと会釈。

「・・・なんかすみません。いつもいてくれて。」と息子が謝る。

「私は、あなたのお母さんだから。気を使わなくていいよ。」そう言っても

いつも申し訳なさそうに気をつかう姿が見ていてつらかった。ゆっくり気持ちを休めて欲しいのに。よくわからないけれど、いつもいる人。そんな顔で私を見ていた。


 この人だーれ。研修医の先生が私を指さす。

キョトンとして「〇〇先生でしょ?」


 この人だーれ。研修医の先生が私を指さす。

キョトンとして「〇〇さん」とたぶん、学校の友達の名前を出す。

そう認識した時は、インフルエンザ予防として病棟では付き添い家族はマスク着用していたが、マスクをつまんで引っ張って手を離してパチンとしたり、おでこを指でピンとはじいたりしてふざけて笑っている。それがおもしろくて常に私は笑っていた。


この人だーれ。・・・・しばらく考えて「〇〇先生」

あはは、先生だぁ。

この人だーれ。・・・「う~ん・・・〇〇さんかなぁ」不安そうに言う。

あはは。友達だぁ。

この人だーれ。・・・「〇〇さん!」自信満々に答える。

あはは。だれかわからないけど先生かなぁ?


15分おきにきてくれる研修医の質問に答える息子の表情がかわいい。

先生は、答えた内容を否定せずに「そっか。〇〇先生ね」と受け入れて聞く。

それを見て私が笑っている。


 このまま私を母と認識しなくてもいいと思っていた。


 いつも息子は笑っていた。ニコニコしてくれるだけでよかった。

こんな風に見当識障害が出た時には、その人の本当の部分が出てくる。

暴力的になったり、口調が荒くなって威嚇したりする人だっている。

そうならずに、ニコニコと笑っていてくれている息子の姿は、私の育て方まちがってなかった、そう思わせてくれた。笑っていてくれるならこれでもいいと。

 

 その思いを研修医へ伝えた。このままでも私はいい。母と認識してくれれば、元に戻ればそれはうれしいけれど、これでも笑えるから楽しいからいいと。

  

 入院して2週間が過ぎた頃に、息子の表情が柔らかくなってきた。

私と話していて「うん」と返事をするようになった。

いままでずっと「はい」と返事していたのに。

夜中に起きて、目が合っても会釈をせず「夜だから寝たら?」と言うと

「うん」とまた横になるようになった。申し訳なさそうな表情がなくなった。

頭をなでてもよけることもなく、ナデナデされてる。

 

 日中に15分おきに研修医から この人だーれ と聞かれるので、

私からは一切自分のことを聞くことはしなかった。接する中での変化がわかればいいと思っていた。


この人だーれ。・・・「◎◎さん」と私の名前をさん付けで呼んだ。

お?わかってきたかな?


この人だーれ。・・・「母親です」

わ!すごい!認識できてきた!!


 それから2日後に確実に私を母と認識して、2人でいると自宅で私を呼ぶ名称で呼ぶようになった。研修医の前では「母親です」と呼び方を変えている。


 研修医へ、自宅で呼ぶ名称をきちんと2人の時だけに使う事、先生の前とで言葉を使い分けているのは、前に戻ってきていると思うと伝えた。


 「戻ったから言えるけれど、戻らなかったらと心配していました。親を認識できない、安心できる存在がわからないというのは大変なことです。でも、深刻にならずにいつも笑っているお母さんにこちらが救われました。」

研修医からそう言われ、いつも深刻な顔をする理由がわかった。

そこまで深刻に私が捉えていなかった。鈍感でよかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る