未だ散らぬ花
竹細工の
髪を両側で一本ずつ三つ編みに
赤い飾り紐で髪を結び終わった指が、すっと離れた。
「
「うん、今日もバッチリ。きれいにしてくれてありがとう、
肩越しに見上げて、わたしは笑った。
男の人みたいに短い智枝の黒髪も、わたしを優しく見つめる瞳も、落ち着いた夜の色をしている。年が近いはずなのに、わたしよりもずっと大人っぽい。
櫛を鏡台の引き出しにしまって、智枝は立ち上がった。
「さぁ、『
「うん」
おでこに付いた、桜の花の形をした赤い
春の花が散る時期になっても、朝の空気はまだひやっとする。廊下を進む間も、吐く息が白くとけた。
智枝も禊をする間、わたしは大きな桜の樹へと歩く。石畳や土に散った花びらを、
護符付きの
――桜の神様、おはようございます。今日も
おでこの痣が、ほんのりとあたたまる。神様が、わたしの祈りに答えてくださっている合図。
痣ができた時、痛みは全然なかった。神桜の花は散るけど、わたしの痣はずっと咲いたまま。
わたしの後ろから、智枝の足音が静かに近づいてきて、同じように祈るのがわかった。
毎日の大事な儀式。ちゅんちゅん鳴く
草木や土の匂いがまじる澄んだ空気を吸い込んで、わたしは目を開けた。
「――よし。お祈り、おしまい」
「お疲れ様でした。では、ご朝食を」
「うん。今日のごはんはなにかなぁ」
しきたりがあるから隣に並んで歩くことはないけど、智枝に後ろを付いてきてもらうと頼もしい。小さい頃は身長も同じくらいだったのに、今じゃ智枝のほうがずっと高い。わたしの世話以外にも、刀のお
本殿の脇を通ってわたしたちの家に戻ろうとすると、だれかの声がかかった。
「智枝!」
鳥居の向こうから急いで走ってくるその女の子は、確か智枝の友達だ。本人が村の分校に通っていた頃の。
「どうした」
「おばあちゃんが……っ!」
泣きそうなその一言で、智枝とわたしはすぐに察した。
「わかった、すぐ行こう」
真剣にうなずいた智枝は、わたしに振り向いて頭を下げる。
「申し訳ございません、未散様。行って参ります」
「うん、気をつけてね」
「未散様、朝からすみません、失礼します!」
女の子もおじぎをして、また鳥居のほうへと走り出す。
智枝は、ほかの巫女から刀と防具を受け取って、あとを付いて行った。
わたしは、あの子にも言葉をかけられない。神社関係者以外の人としゃべるのを禁止されているせいで。
二人の後ろ姿を見送っているだけなのに、どうしてか胸がチクチクと痛んだ。
――あれ……?
千里花村で毎年春に開催される、『
ため息を飲み込んで家に戻ろうとすると、ちょうど神社の[[rb:宮司>ぐうじ]]様が歩いてきた。
「未散様、おはようございます」
「おはようございます」
「朝の御役目、終えられたのですな」
「はい。でも、智枝が……」
「やはり、この特別な年には増えてしまいますな、『
宮司様の白い眉毛が下がって、目尻のしわも深くなる。
「神様にお祈りしたばかりなのに、ひどいです」
「疫病神は『
「……今日も、無事に帰ってきて欲しいです」
危ない目に遭って、ケガなんかして欲しくない。神桜やわたしを守るために戦ってくれているんだと、わかりきっていても。
おけいこで刀を振るう智枝を見た時は、かっこいいなって憧れもしたけど。巫女装束の下、きれいな肌にどうか傷痕がまた増えてしまわないように。
「ええ、本当に。さ、お部屋へ参りましょう」
「はい」
優しく促す宮司様に従って、わたしは歩き出す。
陽の光が、背中をあたためながら押してくれているみたいだった。
◆
春の山菜の朝餉をどうにか食べ終わって、わたしは机に折り紙を広げた。智枝が村のお店で買ってきてくれる、色とりどりのきれいな柄の。
小さい頃から毎日地道に折っている鶴は、千羽を超えてからは数えていないけど。桜の神様にお祈りするのとは別で、村の人たちが元気に暮らせるように、って想いで作り続けている。
「未散様、御膳をお下げいたします」
「はーい」
障子が開いて、
鶴を折るわたしの手の動きを、冷えた視線が追っているのがわかる。もう慣れたけど、小さい頃は怖かった。
「折り紙で遊ばれるのも結構ですが、鎮花祭の座学にもきちんと身を入れていただきますよう」
「もちろんです」
言われなくてもわかっている。トゲのある言葉に淡々と答えながら、鶴を折る手は動かすし、目も合わせない。
わざとこっちに聞かせるようなため息のあと、障子の閉まる音がした。
一羽目の鶴ができ上がってから、私もため息をこぼす。
智枝と知り合うまでは、あの人にも身の回りの世話をしてもらっていたけど。あんなきつい人が、どうして智枝のお母さんなんだろう。あの人の笑顔なんて、今まで一度も見たことがない。宮司様や智枝がいてくれなかったら、わたしはきっと大泣きしてすぐ逃げ出していた。
「千羽鶴には、病気の快復や幸福を祈る意味が込められているのですよ」
そう教えてくれたのも、智枝だった。
何年か前、わたしが初めて折り鶴を千羽完成させた時、智枝は自分のことみたいに喜んでくれた。二人で鶴に
一日に二羽以上の数をこつこつと折っていれば、一年以内には千羽になる。途中で飽きるかとも思ったけど、いつの間にかわたしの趣味になっていた。桜憑きのわたしには、これくらいしか村の人たちのためにできることがないからっていうのもある。
折った二羽の鶴を両手に持って、くちばし同士をちょんとくっつける。千羽完成させるためのおまじない。
小さい頃、智枝と境内を散歩していた時。
木の枝にとまった二羽の
「かわいいー」
「餌を分け合っているのかもしれませんね。口移しというものです」
「ふーん」
初めて会った時から、智枝の話し方は大人っぽかった。きついお母さんの教育のせいかもしれない。
なんだか真似したくなって、わたしは智枝の唇に自分のそれをくっつけた。
桜の花びらとは当然違うけど、やわらかくて、あたたかかった。
「――っ!?」
ほんの一瞬だったのに、智枝はびっくりしたのか、カチコチに固まってしまった。
「ともえ?」
「み、未散様、このようなことはおやめくださいッ」
「なんで? いや?」
「嫌では、ありませんが……っ」
耳まで真っ赤になった智枝もかわいすぎて、わたしはくすくす笑った。
わたしたちの声がうるさかったせいか、雀たちは飛んでいった。
気まずそうにちょっと目を逸らして、智枝は言った。
「あなたは桜憑きで、私はあなたをお守りする者です」
「そうだね。だからなに?」
「え?」
「わたしがともえとしたかったからしたんだよ。ほかの人にはしないよ」
「未散様……」
「あのスズメたちも、なかよしみたいだったもん。おたがい好きならいいと思うけどなぁ」
神桜のほうを見上げて、お日様のまぶしさにわたしは目を細めた。
「ともえのお母さんに見られたら、きっとおこられちゃうよね。だから、今のもないしょだよ」
「……承知いたしました」
「もー、ともえ、まじめすぎ」
わたしの大好きな人には、ずっと幸せでいて欲しいから。
折り鶴を作るたびに、あの日の出来事を思い出していた。
私が納棺されて神桜の下に埋められる鎮花祭当日まで、鶴はあと何羽折れるだろう。
神社の
お昼ごはんを食べ終わった頃、本人がお膳を取りにきた。
「未散様、只今戻りました」
「おかえり。お疲れ様」
いつも通りの落ち着いた表情だけど、智枝の黒い
お膳を持ち上げようとする手に、わたしはそっと自分のそれを重ねた。
「未散様?」
「あの子のおばあちゃん――やっぱり?」
「……はい」
「そっか」
「私が、この手で斬りました」
雨粒みたいな響きの声が、わたしの耳と心を揺らす。
「おばあちゃんを楽にしてあげて、と頼まれましたので」
「……そっか」
疫病神に取り憑かれてしまった人――徒花は、自分がだれなのかもわからなくなって、獣みたいに村の人たちを襲ってしまうらしい。村に住んでいれば、だれでもそうなってしまう可能性がある。それでもここで暮らし続けるのは、きっと神桜と桜憑きの伝説を信じているから。いつか桜の神様が疫病神を消し去ってくれる、って。
徒花を始末する殺芽衆の人たちは、村のいろんなところをこっそり見回って、徒花が出たらすぐ戦えるように備えている。おばあちゃんを斬る役割も、智枝じゃなくて別の人でもよかったはずだけど。
あの子は、それだけ智枝を信じていたんだ。
どうしてか、またチクチクとした痛みが胸を刺した。
「覚悟もできている務めとはいえ、見知った方を手にかけるというのは……やはり重いものですね」
「智枝」
両腕を智枝の背中に回して、わたしはぎゅーっと抱きつく。
「未散様……っ」
「智枝の涙も、わたしが全部受け止めるから。智枝の苦しみも、ちゃんと桜の神様に伝えるから」
我慢しなくていいんだよ。
ささやけば、智枝の息が震えるのがわかって。声を押し殺して泣き始めるその背中を、わたしはゆっくり撫で続けた。
机の上に並べたままの折り鶴たちが、わたしたちを静かに見守ってくれている。
家族ってものは、未だによくわからない。わたしにもお父さんやお母さんがいたのかもしれないけど、顔も思い出せない。桜憑きは、昔から
智枝とわたしの関係は、家族でも友達でもないけど。桜の神様のもとへ行く日まで、わたしのそばにいるのは智枝がいい。わたしも智枝を支えたい。守ってもらってばかりで、なんの力もないわたしにも、腕や胸を貸すくらいならできるから。
わたしが、疫病神を消し去る最後の桜憑きになれたらいい。
◆
一日の座学や食事も済んで寝たはずなのに、わたしは神桜の前に立っていた。
散っていく桜の花びらが、夜なのにきらきら光っていて。枝の周りを、いくつもの折り鶴がふわふわ飛んでいる。
太い幹に背を向けて、だれかがわたしに微笑んでいた。
「智枝!」
駆け寄って抱きつくと、あたたかい片手がわたしの頬を包む。
「元気で結構なことだ、桜憑き」
「え?」
いつもと違う話し方だ。声も姿も、確かに智枝本人なのに。
「やはり、おまえはこの巫女の娘を余程好いておるな」
「もしかして……桜の神様、ですか?」
「左様」
「神様、こんばんはっ」
てのひらは頬から頭にするりと滑って、わたしの髪を優しく撫でてくださる。
「祭の日が近いからな。余興として、おまえと触れ
「わたしと?」
「おまえは、この娘に随分と執心しておるようだ。歴代の桜憑きとは違う」
「そうなんですか?」
「我が糧となることにのみ従事しておった、つまらぬ連中だ。おまえは、人間として奔放で面白い」
わたしの前に桜憑きだった人たちのことは、全然知らないけど。神様がわたしに会いに来て、しかもほめてくださるなんて思わなかった。
「この娘が大事か」
「はい、とっても。智枝がいなかったら、わたしはがんばれなかったと思います」
「娘の幸いを望むか」
「はい。わたしがいなくなっても、智枝には幸せになって欲しいです」
「ならば、賭けをしよう」
智枝の顔で、神様がにやりとする。
「祭の日、納棺の時までおまえがこの娘を想い続けていられたならば――我が力をおまえに分け与えよう」
どきり、と心臓が跳ねた。
「そのお力があれば……今度こそ、疫病神を消せますか?」
「おまえ次第だ」
足元の地面から、根っこみたいなものが何本か伸びてきて。わたしの手足や胸、腰にもゆるく絡みつく。
「あっ……」
「怯えずともよい。我が力に
神様の指先に、おでこの痣をそっと押されると、そこがじんわりと熱くなってくる。胸の先っぽや奥、足の間の大事なところも。
「じんじんして、気持ちいい、です」
「相性も悪くはないか。身を
智枝の声なのに、いつもより色っぽく聞こえて、頭がくらくらしてくる。
「おまえの働き、我も
口元に伸びてきた根っこの表面から、蜜みたいな液があふれ出す。
甘ったるい匂いのするそれを、わたしはぺろりと舐め取った。
都合のいい夢だってかまわない。
智枝と千里花村の未来が明るくなるなら、わたしにできることはなんでもするって決めたんだから。
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