ハナチルサト

蒼樹里緒

神桜と桜憑き

 昔々、『千里花チリハナ』という村に、大きな桜の樹がありました。

 村人たちは稲や芝を刈り、山の草花を愛して暮らしていました。

 桜の樹は、春になるとたくさんの花を咲かせ、村人たちを喜ばせました。

 けれどもある年、花が散り始めると、村に病気が流行り出しました。

 疫病神やくびょうがみが村人に取り憑き、ほかの村人や動物を喰い、草花を粗末にするようになったのです。

 どうにか逃げ出した一人の娘が、桜の樹にたどり着きました。

「村が、大変なことになっちゃった……」

 よろよろと座り込み、幹に寄りかかった娘の身体は、血まみれでした。

「ごめんね。あなたのことも、守りたかったけど……どうか、村が平和に、なりますように」

 ささやくように訴えた娘は、そのまま息を引き取りました。

 すると、娘の額に二本の桜の木が生え、不思議なことが起こりました。

 周りに散っていた桜の花びらが、一斉に光って浮かび始めたのです。

 花びらは村中に飛んでいき、疫病神に取り憑かれた村人たちに貼り付いて、その生気を奪いました。

 そして、ほかの村人の傷も癒していきました。

 桜の樹の下で事切れた娘を、村人たちが見つけました。墓を建てる代わりに娘をその土に埋め、村人たちは樹に感謝しました。

 すると、どこからか声が聞こえてきました。


「この清き心の娘を、我が眷属けんぞく――『桜憑さくらつき』とする。今後も村の者を我に捧げるならば、疫病神を退しりぞけよう」


 それからというもの、桜の樹は『神桜カンザクラ』と呼ばれ、千里花村の守り神としてまつられるようになったのです。


   ◆


「おふくろ、行ってくるよ」

「いってらっしゃい。気をつけて」

 村役場へ出勤する息子夫婦を玄関先で見送るのが、老女の毎朝の楽しみだ。

 澄んだ空気と草木の香りを、胸いっぱいに吸い込む。

 居間へ戻ると、丁度孫娘が朝食を食べ終えたところだった。

「ごちそうさま」

「片づけはやっておくから、行っておいで」

「でも、おばあちゃん、具合悪そうだし……めまいもするって言ってたよね」

「私のことはいいの。大学まで遠いんだから、早く出たほうがいいでしょ」

「ほんとにだいじょうぶ?」

「ふふ、心配性だねぇ」

 しわだらけの手で孫娘の食器をひょいと持ち上げ、台所の流しへ運ぶ。

 老女は、薄々察していた。自身の体調不良が、単なる風邪ではないと。

 千里花村に住む者ならば、いずれさいなまれる可能性があるだと。

 ついに来たかと悟った。

 大切な家族だけは巻き込みたくない。孫娘も、早く出発して危機を逃れて欲しい。

 密かに祈りながら、食器を洗い始める。

 やがて、支度したくを終えた孫娘が廊下から呼びかけた。

「いってきまーす」

「はい、いってらっしゃい」

 穏やかに答えて送り出した瞬間、老女の脳内に別の声が流れ込む。


 ――殺セ

 ――厄ヲ撒ケ

 ――命ヲ根絶ヤシニシロ

 ――桜ノ神ヲタオ


 みしみし、ギシギシと己の血管や神経が軋む音がする。

 食器とスポンジを握る手が、ぶるぶると震えながら土気色に染まっていく。

 指から滑り落ちた食器が、床で砕ける。

「おばあちゃん!」

 逃げて、と孫娘に訴えようにも、喉からは言葉にならない獣じみた呻きが漏れるだけだ。


 千里花村には、今日も今日とて『徒花アダバナ』が散る。

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