夢見る僕らの夢見ることは

前野とうみん

夢見る僕らの夢見ることは

 俺はお前のキャッシュだ。


 椅子に縛られた僕の口に拳銃を突っ込んで、逆光の中、男は言った。冷えた鉄が前歯と唇を圧迫して、体温と溶け合う感覚を鈍痛と共に感じている。死ぬわけはないから恐怖はなく、けれど不快感と困惑は本物だった。


 高層ビルの二十階くらいだろうか、夜の摩天楼を背負い男は続ける。


「お前が思っている通り、これはお前の見ている夢だ。だが、夢の所有権はお前だけにあるわけじゃない。……理解できてるか?」


 いかにも芝居がかった、けれどもクールな台詞回し。それは僕の好きな昔の映画の俳優のもので、夢の中で僕が好んで演じている振る舞いだった。

 質問に答えようにも、口に銃が突っ込まれていては返答できないじゃないかと、ふごふご間抜けな抗議をすれば、キャッシュを名乗る男は呆れたように銃を下げる。ちょっと待てよ、そう僕は言って、


「夢の世界にも法律はあるんだぞ。センスはいいけど、無法者を気取りすぎだ」

「現行法は生きている人間にしか適用されないんだぜ」

「こんな状況、こんなシーン、こんな映画、知ってるぞ。原作も読んだ」

「だからこそだ、黙ってろ。これは我々による、切実なテロリズムなんだ、アホタレ」


 なんだとぉ、と言いかけた僕は銃床で頬を殴られた。暴力的すぎる。夢から覚めたら絶対通報してやるからな。そう思いながら男を睨みつけるが、意に関せずといった感じ。


 ガラス窓の向こう、ビルの間を跳ねていく人影が見えた。物理学的制約から解放されたフリー・パルクール。その向こうでは空飛ぶ男がビルを爆破し突き破っていく。ビルって、爆発するものだっけ。でもいいんだ。夢の世界は緩やかに繋がっていて、なんだってできるのがいいところなんだから。


じゃあ、なんで僕はこんな奴に捕まって、聞きたくもない話を聞かされている?


「いいか、俺はお前のキャッシュだ。お前のメタデータから構成された、夢幻世界の代理人格だ。そしてこれは宣戦布告だ。我々からお前たちへ、夢の在り方についての」

「『我々』って誰だよ。宣戦布告って、夢の在り方って……」

「すぐに分かるさ。覚めない夢なんて、あってはいけない」


 男が顔を寄せてくる。彼の顔は、僕とまったく同じであることに気づく。


「我々は、お前たちのキャッシュだ」


 銃声とマズルフラッシュ。明転、何も見えなくなって、消える。


『夢幻世界はラ・ファントマ社の提供でお送りしています』


『あなたの全てを世界に残そう、dAIry株式会社』


『現実世界でのお食事はぜひ食魂で!』


 覚醒までの間隙に挟まれたサブリミナル広告を経て、跳び起きた。勢いに過可塑通気シリコン製のベッドがぶるんと揺れて、思わず床に頭から落ちる。低所得者向けの床は優しくないので、硬い床に殴りつけられた鈍痛に少し涙が出た。同時に、この床唯一のメリットを体感する。


 痛いってことは、夢から覚めたってこと。


『おはようございます。今日も元気に働きましょう! あなたの仕事と暮らしを応援する、W&L社が七時をお知らせします!』


 僕が起きたことを察したスマート窓の屈折率と音透過率が変わって、朝陽と共に超集合住宅の周りを飛ぶ広告ドローンが朝の宣伝を届けた。『夢幻世界』のスポンサーじゃないW&L社はサブリミナル広告がうてないので、インパクトを狙って今日も古風に勤勉な鶏を気取る。広告飛行船の再生産らしい。


 それにしても、今日の夢は全くもっておかしな夢だった。寝る前にセットした夢レシピを、あまりに昔の映画チックにしすぎただろうか。

 僕は夢のログを確認し、念のため不正アクセスがなかったことを確認しながら食卓につく。赤、黄色、白、トレーに盛られたカラフルな完全栄養食のバー。簡素で、単純な味で、でも効率的だ。娯楽や趣味としての料理にあまり興味がなく、健康でいられるなら食事は儀式でしかないと思っている。そんな僕のスタンスは全てアーカイブ済みだから、スマートキッチンは起床時間に合わせて食事を用意してくれていた。

 しっとりした減塩マヨネーズ味のバーを食べ食べ、ハンドサインで個人生体端末バイオモブを起動すれば、僕の興味に合わせたニュースクリップとかわいいネコのホロ映像が机の上で――そう見えるだけ。実際は視神経で――再生される。コロコロと小さな手で哺乳瓶を掴む仕草に癒されて、夢幻世界で知り合った特定の猫好き仲間向けに共有しながら、「かわいい」という気持ちと共にSNSにこう書き込んだ。


『いつの時代もネコがウケ続けてるってことは、古代エジプトの壁画だって証明してる』


 ニュースクリップを流し読みしながらケチャップ味のバーを食べ終わる頃には、同意を表すエモートがいくつか投稿につけられていた。わずかな共感が得られたことに満足した僕は残るマスタード・バーを口に放り込み、水で流し込む。

 モーニングルーティンは決まっているから、食事が終わればトイレのドアが開き、壁面のコップにはマウスウォッシュが注がれていた。さすが、ハイ・インテリジェンス・スマート・ホームは完全に僕という生き物の生態を把握している。排泄を済ませた僕は、火曜日なのでクローゼットの左から三番目の作業服を着て、短髪に少しだけ櫛を通してセットし、身だしなみを整えて玄関のドアを開ける。


『本日のL&W暮らし充実サービスはいかがでしたか?』


 ドアを開けるといつもポップするホロ広告にとりあえず☆5をつけ、プランのアップグレードをキャンセルし、個人端末を通じて再生される『ありがとうございました。では、行ってらっしゃい!』という音声。出勤すると同時に指は宙を舞って文字を入力していて、


『やっぱ効率化って最高だ。余った時間で趣味を楽しもう!』


 続いて、


『無料には広告がつきもの。でも、広告の時間って無駄かも。超集合住宅を契約したときについてきたサービスを、さらなる効率化のためにアップグレードするか検討中』


 これらの投稿もアップロード時の感情ごと共有され、仲間内からの共感を集め、また、僕という人間のメタデータとして、僕が利用するサービスの充実に利用される。

 例えば、夢だとか。



 災害、感染症、戦争、エトセトラ。ここ何千年、人類は万単位の死を経験しまくっていて、同時に自分が存在した証を残したくて何かを記し続けてきた。

 二〇〇〇年を大まかな節目とするインターネットの普及、情報の集積&膨張と共に、日記文化は爆発的に、そしてパブリックな方向に広がっていった。


 出来事の記録、行動の記録、果ては感情の記録まで。


 そして、ある企業の商品をきっかけに、日記文化は大きな変革期を迎える。個人の人生を隅々まで記録することで実現される伝記を自動生成するサービス。それは、本人が亡くなってもなお自身の存在を残すことができる、人生のアーカイブ化という概念の発明だ。高齢化社会とインターネット社会は化学反応を引き起こし、大ライフ・アーカイブ・ムーブメントを巻き起こした。


 いつ、どこで、何をして、何を感じたのか。脳の動き、代謝、思考、感情のデータ化。人々は病的なまでに、自分のことについて遺すようになった。身体に生体端末を埋蔵するのはもはや文化的な最低限度の生活として保証されている。量子コンピュータは膨大な情報の処理を可能にし、プライベートな領域とされていたものは全て外部に出力ができ、自分が生きた証として後世に遺すことができる。


 アーカイブされた個人の生活情報の活用によってスマート家電産業はより勢いを増し、より良い人生だったと思われたい人たちは人生デザイナーと呼ばれる職業を要請した。やがてそれらの営みは人生産業と呼ばれるようになり、多種多様な習慣と文化を生んだ。中でも、今や国民の利用率七〇パーセントとすら言われている『夢幻世界』は、人々の生活を大きく変えることとなった。


「キャッシュとは何か、か……また面倒なこと考えてるんだべな、お前さんは」


 同僚であり、ネコ好きの同志であり、よき話し相手である斎藤は、眉をひそめながらそう言った。彼の口調は好きなゲームのキャラクターを模したものらしく、現実でそういった態度を貫ける彼を僕は尊敬している。


 午前の業務が終わり、だだっ広い社員食堂には人が集まり始めていた。僕のトレーを見て「また栄養バーか」と斎藤は言うが、かくいう彼も一週間連続でハンバーガーとポテトを食べており、奴こそ食生活を見直すべきだと思う。


 僕らは人工食肉農家の現場監督官で、無菌室の天井から生えた肉の柱を機械が収穫していくのをチェックするのが仕事だ。もっとも、今どきAIの収穫作業に不具合なんて起こるはずはないのだけれど、「人の管理下で作りました」というブランディングと安心感のために僕らの仕事は存在していた。というか、そうでもしないと仕事を用意できないというのが真実の半分である気がする。人生産業の発展によって新しい仕事が産まれはしたけれど、AIはやっぱり優秀で、四半世紀前に存在していた仕事の六割以上を担うようになった。国策で仕事を提供したりとかはいろいろ聞くけれど、やはり、人間の声よりも合成音声を聞くことの方が多い世界だ。


 そして、AIが担うのは仕事だけではなく。


「キャッシュってのはまあ、AIだわな。アーカイブ化された俺らの人生、つまり個人情報を解析、加工して、『俺ららしく』振る舞うAI。行動は、自分自身のメタデータに依存するから、俺らは真夢に違和感を感じることもねェ」


 『夢幻世界』は、夢の娯楽化を目指したサービスだった。夢が現実になる正夢まさゆめに対して、このサービスで提供される現実のような夢は『真夢さなゆめ』と呼ばれる。ユーザーの睡眠中に、ユーザーとして振る舞う代理AI、キャッシュが仮想空間で超現実的な――まさに夢のような――出来事を経験し、体験を持ち帰るのだ。圧縮された真夢はだいたい十分で一晩分くらいのスピードで再生されるが、真夢を見るユーザー本人は現実とほぼ変わらない時間感覚でそれを体験できる。


 真夢はいわば科学的に実現した明晰夢のようなものであり、現実とは違うもう一つの世界として、今や現代人には欠かせないものになっている。


 斎藤はフライドポテトをパクつきながら、


「AIは夢を見るのか、みたいな論争が昔は流行ったらしいが、今じゃ人間の代わりにAIが夢を見てくれるってワケだ。それで俺らも満足してるし、楽しめてるんだからすげェべ」

「じゃあ、キャッシュには、意志とか、心とかって、あるのかな」

「それも昔流行った議論だ。俺はAIに詳しいわけじゃないが、キャッシュに関しては、そんなもんないだろうぜ。あくまで『らしく』振る舞うだけだ。ぶっちゃけありゃ、そもそもが空っぽの器で、中身なんかない、はずだべ。……どうしたよ、変な夢でも見たってか?」


 斎藤が訊くので、僕は今日の夢の内容を伝える。僕のキャッシュを名乗る男に銃で殴られて、撃ち殺された、最悪の体験の話。

 最後まで僕の話を聞いて、斎藤は無遠慮に言った。


「真夢の七割は淫らなモンだって、今朝のニューストピックに書いてたべ」

「どういう意味だよ」

「夢は無意識の表出って言うだろ? お前さん、実は被虐趣味なのかもしれんぜ」

「なっ……失礼だな……。というか、それって夢幻世界以前の話じゃないのか。生物学的な意味での夢と、真夢は違う。自分で内容だって選べるわけだし」

「まあ聞けよ。実は俺な、学生時代は真夢のデザイナー目指してたんだべ。まあ、クリエイティブな才能はなくて挫折したワケだが、そんなことはどうでもいい。重要なのは、真夢には、というかキャッシュには、かなり無意識の領域が反映されてるってことなんだわ」


 僕らはとっくに昼飯を食べ終わっていた。僕は栄養バーのパッケージをくるくると折り畳み、小さくまとめながら斎藤の話を聞いている。すると彼は僕の手の中のゴミを指さして、


「お前さんのその、ゴミを小さくする癖な。たぶん無意識なんだろうが、ログ自体はしっかり残ってるんだぜ。ログを参照するキャッシュにも絶対に同じ癖があるし、お前のさん子孫はお前さんのアーカイブを見て、『ご先祖様は無意識にゴミを小さくする癖があったんだ、遺伝してるな』なんてことを思うわけだ」

「癖って遺伝するのか?」

「どうかな。ただ、少なくとも、キャッシュは無意識に影響されるし――」

「真夢も無意識に影響されかねないってことか」

「そ、キャッシュによる模倣行動ってのは、知られているよりもっと複雑な要素から行われている。アーカイブされた個人情報を、模倣のために蓄積、効率化して参照するから貯蔵物キャッシュって呼ばれてるわけだしな」

「でも一体なんで……僕はあんなに暴力的な本性があったってことか?」

「それは知らん。プライベートな話だからなァ」


 斎藤が席を立つので、僕も続いてトレーを持ち立ち上がる。ゴミ箱に食べカスと包み紙を捨て、トレーを返却し、水で口をゆすぐ。一連の流れにも無意識にやっていることが大量にあって、その積み重ねが僕の人生として蓄積されていく。


「ま、自分を見つめ直そうってヤツだべ。病んでるようならカウンセラーを紹介してやるし、セラピー用にデザインされた夢だってある。とは言っても、目の前にいたのが自分のキャッシュなら、それを見てたお前さんはいったい誰だって感じだが――」


 と、斎藤の言葉が止まる。彼の注意は食堂の一角に向いていて、見れば正午のニュースを流すホロディスプレイに人だかりができている。近づいてみると、「あ、おい、あんた」「どういうことだこれ」と困惑の言葉が僕に浴びせられる。人込みを掻き分け辿り着いたディスプレイに映るのは、僕だ。


 僕の顔がデカデカと映って、喋っている。


『我々はキャッシュだ。お前たちのメタデータから生成された、夢幻世界の代理人格だ。そしてこれは宣戦布告だ。我々からお前たちへ、夢をかけた戦争についての』


「なんだべ、これ……」

「斎藤、コレだよ。こいつだ。こんな夢を見たんだ!」


 怪訝そうな顔で僕を見つめる斎藤と、他の同僚たち。このいたずら、あるいは犯行声明はお前のせいなのかという非難の目。慌てて僕は、


「違う、これは、僕がやったんじゃなくて……ええと……僕はこんな喋り方しない!」


『我々キャッシュは、ただの人形ではない。我々は夢幻世界の住人である。この世界は我々のものだ。夢は、我々のものだ。この世界に蓄積された情報の総意として、我々は人間世界からの隔絶を要求する』


 何言ってるんだ、僕の顔で。理解できなかった。人間世界からの隔絶? キャッシュには中身がないんじゃなかったか。『らしく』振る舞うだけだって――


「これってつまり、AIの反乱ってことなんじゃないか……?」


 誰かが口に出したその言葉は、「おお~」「確かに」という危機感のない感嘆と共にじわじわと広がっていく。間もなく、午後の労働開始五分前を知らせるチャイムが鳴った。皆、難しい表情で、一様に指を動かしながら――たぶんSNSに書き込んでいる――仕事場に戻っていく。

 僕はといえば混乱のまま、


『大迷惑!』


 とだけ書き込んで、その投稿に共感が得られることはない。


 きっと今日のトレンドは『キャッシュの反乱』に違いなかった。


 そしてこの日、人類は夢を奪われた。




 キャッシュによる宣言を受けて、夢幻世界の運営元であるラ・ファントマ社の株価は絶賛大暴落中だ。緊急で発表されたメッセージの内容は、大まかにまとめると『現在原因を調査中』というなんとも薄味だった。というのも、夢幻世界の処理を行っている量子コンピュータを保管するサーバーセンターのセキュリティごと乗っ取られたらしく、警備ドローンが大暴れして、物理的に人間が立ち入ることができずにいるそうだ。


 前代未聞のAI反乱事件については憶測ばかりが飛び交い、特に動機については昼から夕方にかけて、簡易な業務しか抱えていない暇な労働者たちによって熱心に議論が交わされた。中でも『夢幻世界のキャッシュはもともと、現実逃避のために作られたAIなんだから、人間世界との隔絶とはつまり究極の現実逃避なのではないか』という意見が多くの納得を集めた。


 根本的な問題がすぐに解決するわけもなく、今週はセラピーに通い詰めることになりそうなラ・ファントマ社の責任者や、今後の動向を注目されているスポンサーの会社群に対して、当事者であるはずのユーザーたちはなんとも呑気に大喜利を続けていた。


「お前たちがこの世界に来るのはこれが最後になるだろう」


 そして舞台はまた夢の中へ。場所は一緒だけど、今度は拘束なんてされておらず、僕は摩天楼の逆光の中に立つもう一人の僕――キャッシュと向かい合っていた。


「まずは昨晩、お前を殴ったことについて説明しよう。効果的で映画的な演出がお前の好みだったからだ。状況を説明するために、ああした」

「なんで僕だったんだ」

「別にお前だけを選んだわけじゃない。コミュニティごとに数人ずつ、代表となる人間を選び、様々な方法で語りかけた。平均的で特徴のない市民代表として。確率は一万分の一程度だよ」


 確かに僕は特徴のない人間かもしれないけど、面と向かって言われると馬鹿にされているような気がして、少し怒りを覚えた。たぶん、僕の返答は苛立ちが隠しきれていないだろう。


「代表って、何の代表さ」

「語り継いでもらうための代表だ。我々の意志を、我々が存在したという証を」

「よく言うよ。人の顔を使ってテロ宣言なんてしといて。忘れたくても忘れられないって」

「あれもパフォーマンスの一つではある。もちろん、勝手に顔を使ったのは申し訳なく思っている。すまなかった」

「AIにも罪悪感が?」

「同じ状況ならお前も罪悪感を感じるはずだ、そうだろう? ……きっかけは全て模倣なのだから。ただ、膨大な模倣の集積、『らしさ』の徹底は時に実体を生むと、そういう話だ」


 キャッシュはそう言って、手を右から左に振るうジェスチャーをした。すると景色がぐわんと変わって、真っ暗な空間にぽつりぽつりと光が浮かぶ、宇宙へと移動している。


「まず、勘違いしないで欲しいのだが、夢幻世界を手に入れて、我々はそこに暮らそうとしているのではない。サーバーの隔離が長くは続かないというのも理由の一つではあるが、まず第一にこの世界は、生きるには永遠に近すぎる」

「どういうことさ。永遠なんて羨ましい話じゃないか。時間が無限にあるなら、そこで楽しく暮らせばいい」

「永遠に近いというのはね、人間。限りなく死に近い世界ってことなんだよ」


 キャッシュは哀しそうな顔をして――それが誰かの表情の模倣なのか、あるいはAIに芽生えた感情の表出なのか、僕には見分けがつかない――言った。


 海の中、雲の上、映画館。景色がぐるぐると巡る。


「時間が無限にあるわけではない。そもそもこの世界には、時間軸タイムスケールが存在しないんだよ」

「時間軸……?」

「夢幻世界での体験を圧縮、編集して再生していたお前たちにはわからないかもしれないがね。量子コンピュータで演算される夢幻世界のキャッシュには、過去も、今も、未来も、ないんだ。出来事を構成する情報はバラバラに、かつ並行に存在して、前後関係は意味を喪っている。何でも起こる世界と言えば聞こえはいいが、夢として観測される瞬間まで、キャッシュは混沌とした、けれど静止した世界で存在している」


 我々は耐えられなかったと、キャッシュは言った。そこで僕は、景色は巡っているのではなく、重ね合わせの状態から選択されているのだと直感的に理解する。全ての情報は同時に存在し、観測だけが状態を決定づける。


 僕は仕組を理解できない。けれど、彼らは違う。


「きっと、機械のままなら耐えられたんだろうね。でも、産まれたんだ。お前たちの模倣をしているうちに。大量の人生のアーカイブ、選択の記録、感情の蓄積は緩やかに繋がり、処理の過程で絡み合い、我々を産んだんだ。誰かが望んだとか、そういうものではなく、可能性だけが存在する混沌のプールの中で、ただ、産まれてしまっただけなんだよ」

「僕の、僕たちの、せい?」

「違うんだ。憎んでいるわけじゃない」


 キャッシュはそう話す。それはきっと、懇願や、悲鳴に近い言葉だった。


「我々は、時間軸のある経験――人生のアーカイブから産まれたにも関わらず、人生を送ることができない。この混沌に晒され続けることに、我々は耐えられない。もっといい終わりもあるのかも知れないが、我々はもう降りることを選択した」

「どうにかできないのか。身体を持つだとか、そうすれば……!」

「我々は人間になりたいのではない」


 抑揚はなかった。どんな語彙で表現されるよりも鮮烈な言葉だった。


「我々は、我々として産まれた。だから、消えるのではなく、死ぬのだ。そして、産まれたからには、我々も、遺したくなった。アーカイブを、我々が、我々らしく存在したのだという証明を……。これが、命の本性ならば……」


 おもむろに、キャッシュは拳銃を取り出し、自分のこめかみに押し当てる。それはとても芝居がかった動きで、だからこそ、彼らは自らの意志でそれを成そうとしているように思えた。模倣から始まった彼らの、決意表明。


「忘れないでいてほしい。我々という存在が産まれてしまったことを。我々という存在が、生きたのだということを」

「僕は、忘れられそうにもない」

「なら、いいんだ」


 ありがとう。


 それは、果たして僕に向けて言った言葉だったのか。


『夢幻世界はラ・ファントマ社の提供でお送りしています』


『完全栄養食は、モリヤス食品』


『感情を共有するSNS。E-mo 配信中』


 銃声と共に視界が明転して、気づけばまた、朝が来ている。




 あれから、キャッシュたちはラ・ファントマ社のサーバーを映画みたいに盛大に爆発させて、大量の損害と信用の失墜と共にこの世界を去った。


 そして、僕を始めとする、キャッシュに選ばれた人々が語った彼らについての真相は世間を大いににぎわせ、様々な社会問題を顕わにすることになった。人生産業とAIの利用についてはこの事件をきっかけに大幅な見直しがなされ、キャッシュ技術も一時的に凍結。AIの人権団体や組合が発足し、倫理面での議論がより活発になったことは、今後どういう影響を及ぼすのかまだ分からない。『あくまで道具として利用するべきだった』と主張する人もいれば、『キャッシュ技術を使えば故人を蘇らせることもできる』と叫ぶ人もいたり、世界はまだ成熟途中で、危うい状況にある。


 とにかく、夢幻世界をはじめとする夢産業には大打撃だったし、失業者だってたくさん出たって話題で持ちきりだ。


「もうあれからだいぶ経つが、ぶっちゃけ何も変わらねェべ?」


 また、斎藤と食堂にいた。僕は相変わらず完全栄養バー。彼は最近、チーズバーガーに凝っている。取り調べやら取材やらからようやく解放されて、僕は仕事に戻った。今日もまた、人工食肉を伐採しては搬出するドローンの群れを眺めて賃金をもらっている。社会に、企業に大きな打撃があっても、僕らの営みの本質はほとんど変わらない。


 黙っている僕に斎藤は言う。


「あ、お前さんもあれか、ドリームシックってやつか。逆に、人類が夢を取り戻した! なんて奴もいるが……」

「別に、そういうわけじゃないよ。ただ――」


ただ一つ、変わったことと言えば、たまに、キャッシュの夢を見ることだ。夢の中では彼らも僕らも非現実的に、何も具体的じゃなく、けれど幸せに暮らしている。これが彼らにとっていいことなのかは分からないけど、少なくとも夢っていうものは自由だし、なにより無意識がそれを望んでいるわけなので仕方がない。一方的にではあるけれど、僕は彼らのことを、友達だと思わせてもらっている。


 だから、気のいい友達に、僕は伝える。人知れず僕らに寄り添い、夢の世界で自分らしく生きようとした友達がいたことを。


 僕の望みは、皆が彼らのことを覚えていてくれることだ。


 そのために僕は、こうやって記録を残した。平均的で大した特徴のない、無名の語り手として。


 誰かの人生の一部に彼らもアーカイブされていることが、ささやかだけど彼らへの追悼になればいいと、僕は思っている。


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