思い出を更新したい


 誰にも言えない恋―――なんて素敵な響きの割りにそんないいものじゃない。

 だってそんなもの、もし言い換えるなら「後悔と自己嫌悪と言い訳のごちゃごちゃ絡まったいつまでも取れずに心の底にへばりついて残る物体」か、もしくは「弱さの象徴」だ。

「……はあ」

 歌手としてメジャーデビューして、全国ツアーを開けるぐらい人気になって、お金もそれなりに貯まり、次のアルバムを出す予定もある。そんな立場の人間がこんなため息をついたら怒られてしまうのかもしれない。

 でも出るものは出る。

 と言うよりも、こういう風に色々順調だからこそ欠落しているものが目の前にありありと浮かび上がって、あたしにこんなため息をつかせるのだ。

「……」

 茶色に染めた前髪が目のなかに入ってきてうざい。

 わざわざパーマをかけたわけでもなくうねうねしている自分の髪。昔はこのくせ毛が好きじゃなかった。いつか絶対まっすぐ綺麗なストレートに矯正してやる、と息巻いていたものだ。それでもあたしは未だにこのくせ毛と一緒にいる。そんなに嫌うものでもない、と今ではそう思っている。ある人に似合うと言われたからだ。

 それでもこうして視界に入ってくる前髪をうざいと思うのは、それが思い出のドアを開くための鍵になっているからだ。

『そうっすかね……』

『私は好きだよ、最夏もかちゃんのそのくせ毛。似合ってると思う』

『で、でも、あたしも岡田さんみたいな真っ直ぐな髪の方が綺麗だと思うっす』

『あはは、ありがと。でもこれはこれでふわふわの髪に憧れるものだよ』

『そういうもんっすかね……』

『そういうものだよ』

 あれから十年も経った今でもそんな会話を思い出してしまうのは、きっと、未だに未練が残っているからなんだろう。

「……」

 誰にも言えない恋。そんなの全然いいものじゃない。


★★★


「何もないところから音楽を造り出すのって不思議な感じがします」

 いつかのインタビューで記者さんからそんなことを言われたことがある。

 そんな質問にあたしはこう返した。

「何もなくないですよ。心の中にあるどうしようもない感情。それを外に出すための方法が、たまたまあたしの場合は音楽だったっていう話です」

 我ながら気どった回答だったと思う。記者さんは分かったようなそうでもないような、と言った表情をしていた。

 気どった言い方をしなかったらこうなる。

「ある人に思いを伝えたくて、それができないから音楽にしているんす」

 ある人とは当然、あの人のことだ。

 あたしの髪を似合うと言ってくれた人のことだ。

 歌を歌い始めたきっかけは、小さい頃から面倒を見てくれていたおばあちゃんが亡くなったから。おばあちゃんの好きな曲を歌っていると、その間だけそばにいられるような気になったから。上達していくギターの腕と共に、あたしは音楽の温かさにのめり込んでいった。曲を作って路上ライブとかライブハウスで演奏なんかして。そんなときに岡田さんに出会ったのだ。

 はじめは綺麗な人だなー、髪まっすぐでいいなー、としか思わなかった。それでもあたしは会うたびにだんだん彼女に惹かれていった。それは何でなんだろうなと考えて、話しているときの雰囲気が何となくおばあちゃんに似ていることに気がついた。いつもこっちに好きに話をさせて、隣でにこにこ聞いててくれる。時々鋭い突っ込みもくれる。そんな彼女の隣が心地いいとわかったら、あたしはもう岡田さんのことが好きになっていた。もっと一緒にいたいと思うようになったのだ。

 それからはもう、何とか彼女の気を惹こうとあたしは必死になった。

 といってもあたしの武器なんか音楽しかないから、たくさん曲を作った。彼女に飽きられてしまわないように曲風なんかを変えたりして、歌を歌う理由なんかを話したりして。でもそんな必死にならなくても彼女はいつもライブに来てくれて、あたしの隣でにこにこしてくれていた。思えば、十年前のあのときが一番音楽をやっていて楽しい時間だったと言ってもいい。テレビやドームでスポットライトを浴びながら歌っている今よりも、あのときが一番幸せだったと断言してもいい。

 だってあのときは隣に好きな人がいたんだから。

 そして今はいない。そんな単純なお話だ。

「……」

 通っていたギタースクールの薦めでオーディションを受けて、それに受かって関西から東京に行くことになった。おめでたいことだけど、当時のあたしはずいぶん迷った。岡田さんに話を聞くと彼女は関西に残って就職するとのことだったから。簡単には会えなくなってしまうだろう。

 それでもあたしは東京に行くことにしたのだ。

 その決断の裏にはこんな考えがあった。

 このままこっちに残って売れない歌手なんかをやっていても岡田さんが振り向いてくれるとは思えない。それよりも東京で一山当てて、誰もが振り向く有名人になって堂々と彼女に告白しよう。女同士とかそういう壁もすべて無視できるぐらい圧倒的な存在になって帰ってこよう―――

 そんな当時の自分なりに考えた、回りくどくて狡い計画があったのだ。

 でも結局当時のあたしは、振られるのが怖くてそんな言い訳を考え付いたのだと今ならわかる。だって今はこう考えているんだから。

 ―――それなりに有名人のあたしが一般人の岡田さんと付き合ったりして、しかも女同士だなんて、マスコミのいいネタになってしまう。自分の芸能活動がどうというよりも、そんなスキャンダルに彼女を巻き込むわけにはいかない。

「……」

 とまあ、そんな感じで、あたしの誰にも言えない恋は我ながらしょーもない言い訳の連続なのだ。ね、全然いいものじゃないでしょ。

 売れなかろうが女同士だろうが、岡田さんはそんなことで他人を判断したりしないし、断るときもあたしを傷つけるようなことは言わないだろう、と、当時のあたしはわかっていた。

 有名人だろうが一般人だろうが、人と人が付き合う上でそんなことは関係ないし、スキャンダルなんか気にしていたら恋愛なんかできない。実際あたしの周りにも一般人だろうが同性だろうが付き合っている芸能人もたくさんいるのだ、と、今のあたしもわかっている。

 いつもいつも足りないのは、あたしの方から踏み出す一歩。

 それが足りなくて十年も経って、あたしの恋は後悔と自己嫌悪と言い訳がごちゃごちゃ絡まって、いつまでも心の底にへばりついている。この物体を「弱さの象徴」のまま終わらせてしまうのかは、結局あたし次第なのだ。

「……はあ」

 ため息が出る。

 たくさん曲を作っても、彼女との思い出は十年前から更新されないまま。

 それがこの欠落の正体だ。誰にも言えない恋。それは素敵な響きだけど、いいものじゃない。いいものじゃない。絶対に、このまま終わらせていいものじゃないのだ。

「……」

 彼女とは未だに連絡を取れている。

 まだ付き合っている人とか結婚とかそういう話は出ていない。

 だけどチャンスはそう残されていないだろう。ため息は、言い訳は、いい加減終わりにしなければ。

「……とりあえず、次のライブ」

 こっちから誘ってみよう。

 そして久しぶりに直接会って話をしよう。

 

 茶色に染めた前髪を睨みつけながら―――あたしはようやくそう決断したのだった。





 






 



 

 

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思い出を越えて きつね月 @ywrkywrk

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