百合にゾンビが挟まって
鮎河蛍石
ラストピクニック
「あーあ、揃って嚙まれちまったな」
「ねー最悪のおそろっちだよ、もうお終いだねアタシたち」
「じゃさ、これから最後のデートしようそれっきゃ無いって」
「初めてアンタと出会った場所に行きたいな」
「いいな! 行こう行こう」
彼女と私は人生最後のデートをするため母校の屋上を目指す。
場所選びが感傷的過ぎる気がしたが、彼女は乗り気だったので良しとしよう。
ゾンビなんてトチ狂ったものが、ポンと現れたのが一年前の冬。
然るべき機関がゾンビについて調査を始める前に、人間よりゾンビの数が圧倒的に増え散らかして、社会のシステムが崩壊し、人々の間から倫理観があっというまに蒸発し世界は混乱の坩堝になる。
だから何が原因でゾンビが現れたかなんて誰にもわからなかった。
老若男女、だれかれ構わず必死こいて今日を生き、明日の朝日を拝むため互いに物資と命を奪い合い、死体の山と歩き回る死体が街に溢れた。
人に殺されるか、ゾンビになるか。
終わってしまったこの世界に残された生きる者に与えられた結末は、この二つに一つだ。
そして間抜けなことに、私と彼女は二人揃って仲良くゾンビに噛まれた。
昨晩しこたま現れたゾンビの群れを屠ってハイになり、その場でいちゃつき盛り合い、うかつにもそのまま眠っていたら取りこぼしたゾンビにがっつりやられた。
私は右の手首、彼女は左の腿を。
不覚にも百合に挟まるゾンビに私達は滅茶苦茶にされてしまったのだ。
私達の間に挟まろうとした奴は、男だろうが女だろうが問答無用でぶち殺してきたってのにこの様である。
冗談じゃねえ!
母校のある街は、人間が全て撤退しゾンビだけが「あー」だの「うー」などと意味もなく呻き徘徊していた。
「やっぱ噛まれたら寄ってこないのな」
「さっきまでバカみたいに集まって来たのにムカつくわ」
ゾンビがこちらに興味を全く示さなくなった。つまり私達は彼らから見て死んでるに等しいのだろう。
今まで散々逃げ回った脅威の対象が、急にそっぽを向くと無性に腹立たしく思え、私はゾンビの首に渾身のハイキックをぶち込んでいた。
「先輩ゾンビの首ぶっ飛んでんじゃん」
先輩ゾンビの生首が描いた暴力的な放物線がツボにハマったようで、彼女はその場にしゃがみ込み腹を抱えて笑っている。
「なんかカッとなったらつい手が出ちゃって……」
「ポーンってキレイに飛んでくんだもんな、いっ痛!」
立ち上がろうとした彼女が苦悶する。
「脚噛まれちゃったからさ……痛くて痛くて」
私は彼女の右腕を肩に回し立ち上がらせる。
ふと似たようなことが前にもあったことを思い出す。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それは四年前の冬、高校二年生の時分に行った体育の特別学習、スキー教室でのことだった。
調子をこいて上級者コースを滑り終えたところで、気が抜けた拍子にぶっ倒れた所を彼女に見られた。
「あはははは起きれねえのか」
「さっきまでバカみたいに景色が流れてたのにさ、それが急に止まって訳が分からなくなってね」
「あんな壁みたいなとこ滑るからだって」
初心者コースどころか、小さな子供がソリで滑る程度の斜面ですら、いっさい滑ろうとしない彼女が放つ言葉は謎の説得力があった。
なんか腹立つなあ。
「アンタこそ滑りなよ、何のためにここまで来たのさ」
「そりゃこん時のためっしょ」
地面に転がった私からスキー板を外すと、彼女は私の右腕を首に回す。
「いっせえのせ」
私より少し背の高い彼女は、掛け声とともに私の体を造作もなく強引に引き起こす。
その時、強めの風がゲレンデに吹いて雪が舞った。
白い粒子がキラキラと日の光に反射する。
「今の見た! すっげえ綺麗だったな」
彼女が不意に見せた子供っぽくはしゃぐ姿が、あまりにも可愛すぎて見入ってしまう。
雪よりアンタの眼の方がキラキラしてんじゃん。
なんだかベタすぎる構図で不覚にもドキッとした私は、急に恥ずかしくってうつむいた。
「どこ見てんだよ?」
「ちょっと眩し過ぎて目が痛くて……へへへ」
意味もなく笑って私は誤魔化す。
変なスイッチが入り彼女の顔を見れない。
しかし彼女が悪戯っ子みたいな無邪気な笑みを浮かべ、私を見ているだろうことは容易に想像できた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「おーい生きてますかー」
体を大きく揺すられ、雪山での思い出へ飛んでいた意識が戻る。
「何!? 賊でも出た!?」
「こんな死んだ街に賊なんて出ないって」
私が混乱する様がよほどおかしかったのか、彼女はカラカラと笑いだす。
「良かったー死んじゃったのかと思ったわー歩いてたら急に黙り込むからさ」
「ごめんごめん昔のこと思い出してて、なんかさ妙に具体的な情景が浮かぶもんだからさ、ぼーっとしちゃって」
「もしかして走馬灯じゃね?」
「なにそれ、クソこわじゃん」
ゾンビに噛まれた者はだいたい三日で人間性を失う。
私達が噛まれて今日が五日目。
気合で何とか理性を保っていたが、知らぬ間に終わりに片足を突っ込んでいたようだ。
「でさ、なに思い出してたわけ」
「えーあー、冬のことかなー」
「誤魔化すなよー」
「わあ揺するなっての」
わいのわいのとふざけていたら、風が強く吹いた。
埃を巻き上げた濁った空気がざらりと首筋を撫で背が粟立つ。
「寒みいなー木枯らしかなこれ」
「……かもねー」
私は不思議と寒さを感じなかった。
人間性のタイムリミットが気合で無理やり引き延ばされたせいで、いよいよ体の感覚がちぐはぐにバグってしまったのだろうか。
嫌だ!
終わりなんて来てほしくない。
叶わぬ願いを込め彼女の肩を更にこちらへ寄せる。
すると彼女はそっと私の頭へ自分の頭を触れさせた。
「どったのさ?」
「寒いからさあったまろうと思ってなー」
「アタシはアンタのカイロだよ」
「ぬくいわ非常にぬくい、ありがてぇありがてぇ」
ふわりと彼女から甘い香がした。長らくお風呂になんて入っていないし、服の洗濯だってできてない。だからフローラルな香りなんてするわけが無い。やっぱり感覚がバグっているに違いない。
だけどもこればっかりは悪い気がしなかった。
私達はあてどもなく彷徨うゾンビの群れを尻目に、大通りの車道ど真ん中を母校しにばしょめざしてひたすら歩く。
乗り捨てられたり、ぶっ壊された車やバイクに自転車や、ゴミやら干からびた死体だのが冷たいアスファルトに転がっている。
歩道に目を向ければ、街路樹に去年のクリスマスを彩ったイルミネーションのLEDが巻き付いたままだった。
本来であれば異国の祝祭を盛り上げるべく煌々と光を放ち、街を一層浮かれた雰囲気にする装飾が、意味を成さず無用の長物と化している。変わり果てた古郷の姿に寂寥感がこみ上げてくる。
クリスマスの浮かれた雰囲気はバカっぽくて私は大好きだった。
愚かであることを誰かに赦されているような気がするからだ。
そんなお祭りも今年はやってこない、これからもずっとやってはこないのだ。
あれは二年前のクリスマスのこと。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
大学に上がり親元を離れた私たちは、お互いが借りた学生向けワンルームマンションの部屋を行き来していた。
六畳ばかりの部屋で過ごす独りの時間は、言いようもない孤独を感じる。だから互いの部屋に招いたり押しかけたりして、孤独を埋めあった。とは言え二人で部屋に居るだけでは間が持たないし、なし崩しに発展したセックスに興じ続ける程の体力が無限にある訳でもなく、いよいよ私達は途方に暮れていた。
これが倦怠期というやつだろうか。
五年前から彼女と付き合い始めこのような停滞を感じる瞬間に私は焦りを感じていた。
高校生だった頃は、学校だの部活動だの二人きりの時間はごくごく限られていたのだが、今みたいに四六時中いっしょに居る時間が増えたのが、そもそもの原因のように思える。
二人で一緒に居る時間が増えれば増える程、恋愛関係に生ずる滋味や醍醐味が反比例的に減衰する気配に怖気がたつ。
このまま私達は終わってしまうのではなかろうかと。
モヤモヤと沸き立つ私の不安をインターホンが断つ。
「来たよー開けてー」
「はいはーい」
今日はクリスマスイブ、私が彼女を招いていた。
程なくしてインターホンが鳴り、ドアを開けると彼女は渋い表情をして立っていた。
「クソ寒いマジ死ぬるわ」
「嘘でしょ頭に雪積もってんじゃん」
今年のクリスマスはバカでかい寒波の影響で雪がしこたま降っていた。
クソ寒い中、デートするのも億劫だったので部屋に籠ろうと相成ったのだ。
彼女の両手はフライドチキンのパーティーバーレルが入った袋と、コンビニで買ったジュースだの菓子だのが入った袋でふさがっているので、私が頭に積もった雪を払ってやる。
「おっサンキューな」
「いえいえ、お足元の悪い中お越しいただき恐れ入ります。お風呂使う?」
「いや腹へったしコレ食べよう」
フライドチキンの袋を彼女は少し持ち上げブラブラと揺らして見せる。
彼女が脱ぎ散らかしたブーツを私が揃える。
「あったまるなーエアコン様々だ」
「ちょっとコート皺になるよ」
彼女が床に脱ぎ捨てたベージュ色のダッフルコートをハンガーに掛けてやる。
「なんか母さんみたいだな」
「アタシはアンタの恋人だっての! アンタを産んだ覚えはありません!」
ちょっとイラっと来たので大げさにむくれて見せる。
「あー、悪かった悪かったってごめんー」
すると彼女は捨てられた子犬みたいな情けない声をあげながら私を背中越しに抱きしめてくる。
「じゃあ食事の準備をしたら許してしんぜよう」
「はい喜んで!」
リビングを彼女は出てキッチンからコップを持ってくると、ジュースを注ぎ机に並べ、コンビニ袋に入ったお絞りを出し、フライドチキンのバーレルを開けた。その機敏な動きは忍者を連想させた。
私はテレビを点けるとNetflixのブックマークに入れていた『東京ゴッドファーザーズ』を再生した。
この長編アニメ映画はクリスマスに赤ん坊を拾った三人のホームレスが東奔西走を繰り広げる様をコミカルに描いた傑作クリスマス映画だ。
「電気消すね」
「おー」
部屋の照明が落ちると映画の明かりだけが私達を照らす。
そして映画が中盤に差し掛かるころ私と彼女はフライドチキンを喰らい尽くした。
食べた割合で言えば私が二割で彼女が八割だ。彼女は人よりもよく食べるのにも関わらずスラっとしたスタイルを維持し続けており、この事象は世界を形作る要素において大きな謎であった。
腹にブラックホールでも入っているに違いない。
満腹なのか彼女は映画を見ながら満足そうに指に付いた油を舐めとっている。
さながら毛づくろいする猫のようだ。
「ん? なんで頭撫でてんのさ?」
「猫みたいで可愛かったから?」
「聞いてんのこっちなんだけどー」
カラカラ笑いながら彼女に押し倒される。
肩まで伸びた彼女の髪が私の頬を撫で、コンディショナーやコスメに柔軟剤が混じった彼女の匂いが幽かに香る。
「ちょっと重いって……」
「……まだ食べ足りないんだよね」
ディープキス。
彼女の舌が私の舌を乱暴に舐めまわす。
お返しに私は唇で彼女の唇を挟んでやる。
「んっ……私が食べてるんだけど」
「だってアンタだけアタシを食べるなんてズルじゃん」
二人してクスクス笑いながらベットに入り、用意していたクリスマスプレゼントを贈り合うのも忘れて、夜が明けるまで肌を合わせ蕩け合った。
なにが倦怠期か、杞憂も良い所だろう。
最高にメリメリクリスマスだ馬鹿野郎!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「なあ……死んだか……死んじまったのかって……おい!」
「―—へあッ!?」
「良かったーマジで……逝っちまったとおもったわー」
また走馬灯の中に意識がブっ飛んでいた。
危ない危ない。
「眩し……」
目を焼くほどの夕焼が母校屋上のフェンスの向こうで街を照らしている。
どうやらクリスマスの思い出に耽っている間に、私は彼女の肩を借りて人生最後の目的地に辿り着いていたようだ。
ここで私たちは出会ってそして終わっていくのか。
あれは五年前、この高校に入学してすぐの放課後……
いかんいかん、また走馬灯が回り始めそうだった。
今度こそ思い出に浸ろうものなら間違いなく新鮮なゾンビの一丁あがりだろう。
「世の中がこんなのになった時にさ……もしどっちかがゾンビに噛まれたら……人間である間に殺すって決めたんっだっけか……」
「どっちも噛まれるなんてね……考えてなかったよ……参ったねホントに……」
「だなー」
彼女はおもむろにバックパックの中身を全部ぶちまけた。
「あったあった」
お互い禁煙してから荷物の奥の奥に仕舞っていたタバコとオイルライターを入れたチャック袋を彼女は手に取る。
「喫う?」
「最後だしね」
暮れてゆく夕日とフェンスを背に座り込み肩を並べる。
私はホープのメンソールを彼女はピースに火を点ける。
「……ははは……畜生……もう味がわからねえや」
「アタシもだよ……」
平和が無くなった世界にいよいよ希望の灯も消えようとしている。
二人でタバコをそのまま投げ捨てる。
屋上に転がった二本のタバコから登る煙が、線香を思わせて死ぬほど腹が立った。
だから火を踏み消してやろうと思うのだが、脚に力をどう入れようにも立ち上がれない。
「そうだ……ダクトテープ取ってよ」
「どうすんだよ……」
「アタシの腕と……アンタの腕を縛り付けて……死んでからも離れないようにすんの」
「そしたらずっと一緒じゃん……天才だな……」
硬く結んだ恋人繋ぎの上から彼女は、頑丈な銀色のテープをぐるりぐるりと巻き始める。
死んでも私と絶対に離れまいと彼女は今までになく真剣な眼をしてテープを巻く。
ちらりと白い首筋が覗く。
私は彼女の柔肌に口付けする。
犬歯が彼女の皮膚を破ると彼女は「んん……」と小さく呻く。
彼女は構わずテープを幾重にも延々と巻き続ける。
私が彼女の首筋に初めて口付けしたのは何時だったろう。
あれは茜差す放課後の音楽準備室で――
百合にゾンビが挟まって 鮎河蛍石 @aomisora
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