第10話 デート
それから数日は、いろはの情報を適当に霧島へと共有する日々が続く。しないと後が怖いので仕方なく。夏休みまでの辛抱だ。
もはや情報というよりもただの思い出話である。妹の昔のエピソード、失敗談などなど。
霧島は言った。
「私、せんぱいが怖くなってきました。まるで一緒に見てきたみたいです」
見てきたんだよなあ。
「いい加減にしないとそろそろ捕まりますよ? どんな手を使ってるのか知りませんが」
「お前だけはそれを言っちゃいけない」
そして、夏休みを来週に控えた土曜。
照りつける日差しも俺には無縁。久しぶりに何も気にせずゆっくり出来るぞと、午前中からエアコンの風をソファで受けつつ惰眠を貪っていると。
「やばいやばい、急がないとっ」
とたとたと家の中を走るいろは。
…………ん?
きっと、霧島との一件が無ければ気づけなかっただろう。最近の俺は妹のいろはに注意と意識を向けること、そして会話をする機会が以前よりも増えている。
だからこそ分かる。なんというか、いつもより……。
「いろは、どこか行くのか? 部活は?」
「今日部活はおやすみ! 遊びに誘われたから行ってくる〜」
「ふうん」
「あ。ふふーん。お兄ちゃん、気になるんだ? 私が男の子と遊びに行くから」
「気にならない」
スカートをひらひらっと揺らすいろは。
勝手にやってくれ。男だろうが女だろうが、自分の好きにしてくれたらいい。
俺はミルクたっぷりにしたカフェオレ、もといコーヒー牛乳の入ったマグカップを手に取る。
……待て。男?
「……誰と遊びに行くって?」
「やっぱり。お兄ちゃんが嫉妬してる」
「どこに嫉妬するんだよ」
にやにやと嬉しそうにこちらを見るいろは。
この妹に嫉妬するような人間なら俺はもうとっくに死んでいることだろう。
「しかもこれは遊びにっていうか、正しくはデートだね」
「……デート」
「うん」
いろはが男とデート。このフレーズからして、今俺の脳裏に浮かぶのはひとつの仮説。いや、まだ早い。もう一歩踏み込まなければ。
「いろは、彼氏いたんだな」
「いないいない。ただの友達だもん」
「……今は友達だとしても、今後どうなるかは分からない。兄としては誰と行くかは聞いておかないとな」
「同じクラスの
そう言い残すと、慌ててドアの向こうに消えていくいろは。
仮説は立証されてしまったらしい。
俺は目を瞑る。聞こえるのは流れるテレビの音と、かすかに響くエアコンの音だけ。
何も見なかった。聞かなかった。それでいいよな? ここ最近、俺は充分頑張った。
もう一度ソファに身体を沈める。
机の上のスマホが、目に映る。
俺は大きく伸びをして。
『――は、はい』
何度かのコールの後、スマホの向こうから霧島凛のらしくない声が響いた。
『急に悪いな。今日、暇か?』
『ふぇっ!? え、あ、えっと……ひ、暇ですけど』
『……俺、掛け間違えてないよな? あの、僕は君のお姉さんの知り合いの影山なんだけど、お姉さんに代わってくれるかな?』
『…………』
反応が無い。明らかに様子がおかしい。霧島がこんなにしおらしいというかなんというか、女の子らしい反応をするとは思えない。
つまりは、これは多分妹かなにかである。
『…………か、変わりました。凛です』
『霧島さん、さっきのは妹か? 妹、いたんだな……』
『んんっ、まあ、そんなところです。それで何の用ですか? 土曜日のこんな時間から』
『今しがた情報が入ってな。今日、影山いろはと例の車谷くんがデートするらしい』
『ふーん……え、えええええぇぇ!?』
叫ぶな。耳キーンってなるだろ。
『ど、ど、どういうことですか』
『今伝えたとおりだ』
『何がどうなったらせんぱいは見ず知らずの後輩達のデートの予定を知れるんですか!?』
そっちかよ。
『そんなこと言ってる場合か。場所は追ってメッセージで伝える。情報は提供したからな。あとのことは任せたぞ』
『……え? ちょっと待ってください。私、一人で行くんですか?』
『行くのは確定なんだ……』
『あ、当たり前です! もし何か起こったらどうするつもりですか? じゃなくて。本当に私一人で行かせるんですか?』
『こっちこそ当たり前だ。俺が行っても出来ることなんて何ひとつないだろ。それに俺は、とてつもなく忙しい』
『いや今ずずずって音聞こえましたよ。コーヒーかなんか飲んでません? 呑気にソファにでも腰掛けてません?』
鋭いなこの後輩。
俺はもう一口コーヒー牛乳を飲む。
『飲むな』
『気のせいだ』
『……ダメです。もちろんせんぱいにも来てもらいますからね』
『くそ、急用が! すまんな霧島さん、また週明けに……』
神がかった演技で電話を切ろうと画面に指を伸ばしかけたその時。かすかにスピーカーから声が聞こえた。
『――家、行きますからね』
『へ?』
『来なかったら、せんぱいの家行きます』
『まさか。住所が分かるわけ、が……』
スマホの向こう。
見えるはずのないその画面越しの世界で、確かに霧島が笑うのが分かった。
『じゃあせんぱい、連絡待ってますね?』
ぶつりと途切れた電話。
完全に忘れていた。彼女の手元には、俺の住所を知るブツがある。
行くしか、ないのか?
もしそうだとするなら。ここから俺は、既に出かけようとしているいろはに車谷とのデート先を聞き出し、着替えと準備をするというアクロバティックな行動を取らなければならない。
ものすごく面倒だ。
家に霧島が来ることと、今から出かけることの面倒くささを天秤にかけてみる。留意すべきは、これが今日限りの問題ではないということ。
「はあ」
俺はのそのそと起き上がると、階段を上がりいろはの部屋の扉をノックする。
「お兄ちゃん? なーに? いいよ入って」
扉だけ開けて、中を覗き込む。
鏡の前でなにやらやっているいろは。
「なあいろは。参考までに聞きたいんだが、今の高校生はどこにデートに行くんだ?」
「……お兄ちゃんも高校生じゃん」
全くもってその通りである。
「ていうかほんとお兄ちゃん変だよ? 好きな人でも出来た?」
ほんの一瞬、いろはの瞳が暗く揺れた様な気がして。視線を向けると、いつものように悪戯っぽい笑みを浮かべた妹がからかうようにこちらを見ていた。
……気のせいか。
「馬鹿言え。俺が好きなのはそうだな、強いて言うなら……いろはだからな」
「だ、だめだよお兄ちゃん。私たち、きょうだ」
「真面目な反応やめて?」
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