第9話 残り49,997,400円


 翌日。

 昼ごはんを終えた俺がゆっくり教室へと戻っていると。

 渡り廊下の向こう側、おそらく友達であろう女子生達と一緒に歩いてくる霧島の姿が目に映る。


 彼女もこちらに気づいたのか、一瞬だけ表情が鋭いものに変わる。そしてすぐにいつもの笑みを浮かべると、さも嬉しそうにぱたぱたと駆け寄ってきた。


「あ、せんぱーい」


 霧島凛モードだ。

 やめろ。目立つだろ。寄るな来るな近寄るな。段々と見つけられることに慣れてきている自分が怖い。

 後ろの友達たちもそこで俺に気づいたのか、驚いたように顔を見合わせている。


「どこ行ってたんですか? 報告はどうしたんですか?」


 素敵な笑顔から繰り出される低くドス黒い声。俺にだけ聞こえる声量なあたり、徹底されている。


「……いや、今日は別の場所でだな」


 俺は頬をかきつつ答える。

 いろはから大した情報も引き出せていないので、今日はエンカウントしないようにと別の場所で昼ごはんを食べたのだ。


 この口ぶりからすると、また校舎裏のいつもの場所を霧島は訪れたのだろうか。そして俺がいないことを確認したのち、友達と昼食をとったという流れか。


「へえ。別の場所……ですか」


 霧島は責めるように呟くと、友人たちが気になるのか視線をちらと背後に向ける。

 まあそうだよな。あの霧島凛が会話をする冴えない二年生。関係性を聞かれて困るのは霧島の方だ。


「……では放課後に。いつもの場所で」

「放課後? お、おい!」


 霧島はそれだけ言い残して去っていく。

 友達の輪に加わった霧島は、またいつものように楽しそうに笑っていた。

 その後ろ姿を見送って、俺はため息をつく。


 いつもの場所だなんて、彼女とそんなに仲良くなった覚えもないのだけれど。逃げ切れる気がしない俺はまた、その場所に向かうのだろう。



 ***



「連絡先、教えといてもらえますか?」


 校舎裏、体育倉庫のそば。

 陸上部が体育倉庫を使うらしく、そこからさらに南に移動した木陰で霧島は開口一番そう言った。


「いやだが?」

「スマホ」

「俺、スマホ持ってないんだ」

「はやく」


 俺は大人しく鞄からスマホを取り出す。

 霧島はそれを奪い取ると、「パスワード」とロックの掛かった画面を見ながら言った。


「123456です」

「セキュリティ対策がなってませんね」


 たぷたぷとパスワードを入力しながら霧島がつぶやく。いやそのセキュリティ突破方法で偉そうに言われたくねえわこの野郎。


 しばらく勝手にいじっていたかと思うと、自らのスマホを取り出しふりふり何やらやっている霧島。特に見られて困るものも無いので黙ってそれを眺めていると。


「……はい。今後はこれに連絡ください。お昼どこにいるとかも。まあ、あんまり会ってると変に勘違いされても困るんで、基本はこれで」

「…………」


 開かれているのはメッセージアプリ。

 家族以外のまともな連絡先は初めてかもしれない。友達の項目の数字が4になっている。


「なににやついてるんですか」

「は? にやついてないが?」

「ふふ、この可愛くて人気者の私の連絡先が手に入って嬉しいんでしょう。まあ気持ちはわかりますよ」


 にやにやと自慢げな霧島。

 相変わらず腹立つなこの後輩。

 恋愛では苦戦気味らしいけどな、と言いかけて自らの命のためにやめておく。


「で、なにか進捗は?」


 こみかみに滲んだ汗をタオルで優しく拭った霧島は、顔をぱたぱたあおぎつつ聞いてくる。やっぱりこの話題か。


「確認してみたが、好きなやつの情報は得られてない。ただ隠してる素振りもないし、そもそも居ないんじゃないかと思うような反応だったな」

「ま、まさかとは思いますがせんぱい、本当にお昼ごはんの時に席をくっつけて……?」


 怯えるような目。情報収集させるだけさせておいて、こいつ……!


「違えよ。直接……いや、まあたまたま聞き出せただけだ」

「聞き出せたって言い方だと会話したみたいに聞こえますよ。盗み聞きと言ってください」


 今ここで俺が兄だと言ってやろうかこの後輩は、なんて考えがよぎるけれど、やっぱり面倒なことになりそうなので我慢する。


「まあ、情報さえ得られれば方法や過程は問いませんよ。成果主義です。で、他には?」

「……そうだ。影山いろははどうも食い意地が張ってるらしいな。家族のごはんやデザートを横取りすることもままあるらしい」

「なるほど。それは良い情報ですね。意地汚いところを見せられればチャンスはあり、と」


 ふんふんと頷きながら霧島はスマホになにやら入力している。まさかいろはのウィークポイントやゆすりネタを集めていくつもりなのか。

 それが活かされる時は来るのか、霧島。


「しかし、よく食うくせに全然太らないんだよな。一体あの食べ物はどこに……」

「あの女、パッドだと思ってたのに……」


 ぎりり、と霧島が歯を食いしばる。

 パッド説はいつの間にか消滅したのか。体育の授業とかで真実を知ったのかもしれない。敵意のこもった視線が俺の胸元に向いている気がするが、俺の胸を見てどうするつもりだ。


「とりあえず今日はこのくらいだな」

「……良いですね。この調子で引き続きお願いしますよ。今日の情報は1,000円くらいの価値はありました」

「雑だな」

「残り49,997,400円ですね」

「……? 残り49,997,370円だろ?」

「利子です」


 俺は照りつける夏空を見上げる。

 夏休み明けたら5,000万越えてそう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る