第8話 一括で払えるわ

 夕食を食べ終え、ソファに腰掛ける。

 隣ではいろはがスマホで動画を見てけらけら楽しそうに笑っていた。大きめのだぼっとした白のTシャツからすらりとした脚が伸びている。


 机の上に置かれたアイスのことをこの妹は覚えているのだろうか。数日前みたいに溶けたのを俺のせいにされて、買いに行かされたりしないだろうか。


 母さんが台所で食器を洗ってくれている音を聞きながら、俺は霧島のことを思い出す。

 また進捗進捗ビジネスマンみたいなことを言われるのを想像して辟易しつつ、しかし形だけでもと俺は口を開く。


「なあ、いろは。いろはってなんか隠しごととかあるか?」

「え? どうしたの急に」

「……ふと、気になってな」

「なにそれ変なお兄ちゃん。そうだなあ、隠しごと、かくしごとかあ……」


 いろははうむむと悩んだ後、ちらとこちらを見る。たはは、と恥ずかしそうに頭をかいて。


「今日の下着は、水色」

「そういうのじゃないから」

「そういうのじゃないんだ!」


 驚いたように小さく叫ぶいろは。

 その隠しごとを俺に一体どうしろと言うんだ。霧島に言ったらどうなるか、俺にはその光景がありありと見える。


「なになに? なんかのゲーム?」

「いやー、ゲームというかなんというか」

「なになになに? 気になる気になる気になる」


 肩を揺らしてくるいろは。俺はされるがままに左右に揺れながら考えてみるが、少し面倒になってくる。

 そもそも、俺は霧島への義理などないのだ。


「いろはは、一年の霧島凛って知ってるか?」

「お兄ちゃんから人の名前が!?」

「兄をなんだと思ってる?」


 霧島もそうだが、俺の認識がおかしい。

 俺は至って普通の人間だ。影が薄いだけで。


「だってあんまり人に興味ないでしょお兄ちゃん。……うんうん、凛ちゃんね。もちろん知ってるよ。かわいいよね〜、なんか小動物? 猫ちゃんみたいでさ。いつもぎゅってしちゃいたくなる。ていうかしてる」


 嬉しそうに笑いながら話すいろは。

 聞いていた話と違うな。……まさか、実は仲良いのか? いや、霧島の様子を鑑みるに、いろはから一方的にと言った所か。


「でも、なんでお兄ちゃんが凛ちゃんを?」

「あ、いや。有名だろ? ほら、人気だし」

「だよねぇ〜。告白、すごいされてるみたいだし。ぜーんぶ断ってるらしいけど。……なになに? 気になってるの? 好きなの? ラブなの?」

「いろは、それあいつに言うなよ。てか、俺が兄という話も絶対にするなよ」

「言わないよ。ていうかお兄ちゃんがいつも誰にも言うなっていうし」

「それでよし」


 誰にも言うなということに大した理由はない。ただ、知られて下手に興味を持たれても面倒だというだけ。いろはが人気者だからこそ、俺なんかが兄だと思われるのも申し訳ないしな。というか、多分話したところで誰も見つけられないとは思うが。


「そうだ。いろはは好きな人とかいるのか?」


 思いついたことをそのまま口にする。

 これで何かヒントを得られれば、いや、むしろ霧島の好きな車……なんとかくん? とは違うやつの名前でも挙げてくれれば、いろはは別のやつが好きらしいぞ、と霧島に話すことが出来る。


「……す、好きな人? なに? 今日のお兄ちゃんは積極的だね?」

 

 変なものでも見るかのようないろはの視線。

 怪しまれたか。そりゃそうだ。いつもいろはからあーだこーだ話してくることこそあれ、俺からこうして話題を振ることはほぼない。


「そうだなあ……。しいて言うならお兄ちゃん、かな?」


 ぱちり、と可愛らしくてウインクをしながら言ういろは。


「そういうのじゃないから」

「なんでぇ!? 反応わるっ!」


 この様子だとまともな回答は得られなさそうだな。まあいい、明日もし霧島に会ったら適当なこと言っとくか……。

 そこでふと、俺は思い出す。


「そうだ。いろは、悪いけどお金貸してくれないか」


 今月はピンチなのだ。ろくにバイトもせず、お年玉と月々の小遣い程度で日々を乗り切っている俺はすでに今月霧島に1,630円を奪われた。

 夏休みはバイトを入れる予定だが、それまで乗り切るにはあまりにも懐が心許ない。


「ん? いいよ。何万?」


 妹。兄にノータイムで数万貸すなよ……。


「いや、そんなに沢山は必要ない」

「……今日はなんだか珍しいことがいっぱい。お兄ちゃんがたくさんお話ししてくれるし、私に頼みごとしてくれるし」


 えへへ、とこちらを見るいろは。

 ぷらぷらと足をご機嫌そうに揺らしている。


「でもお兄ちゃんがお金貸してって言うの、あんまりないよね? 何か欲しいものでもあった?」

「……ちょっとばかし、借金があってな」

「借金!? な、なんで? いくら?」


 驚いたようにこちらに身を乗り出すいろは。

 いくらと問われれば、今の俺はこう答えざるを得ない。


「49,998,370円」

「お、おかーさん! おお、お兄ちゃんが! 49,998,370円も借金してる!」


 いろはが台所へ向けて叫ぶ。

 母さんは蛇口から流れる水を止め、タオルで手を拭いてから口を開いた。


「お母さんなら現金一括で払えるわ」


 いや嘘つけ。

 俺の家族には、こんな奴しかいない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る