第7話 お金くれないんですか?
週が明けた。夏休みまであとわずかだ。
いつものように俺が校舎裏の体育倉庫のそばで昼ごはんを食べていると。
どさりと、隣に腰が下ろされる。
甘い香りがした。視線を向ける必要も無い。
俺のことを見つけられる人間には心当たりがあるからだ。
「……当然のように見つけるな。俺を」
「まだ言ってるんですかそんなこと」
霧島は呆れたように漏らすと、隣でうさぎの巾着袋のようなものを開く。今日は普通にお弁当らしい。
「……で、何か掴めましたか?」
こちらを見ることなく霧島は言った。
先週末のことを、彼女の言葉を思い出す。
俺の妹、影山いろはについてだろう。
「あのな、まだ協力するとは言ってないぞ」
「49,998,400円」
「増えてない? おい増えてないか?」
「利子です」
「払わないからな」
「友達作り、私に任せてくださいねっ」
「……まだ三日も経ってないんだぞ。なにか掴むとかいう段階に達してないというかだな。そもそも一緒に住」
「言い訳とかいらないんですよ。……あの性悪女、すました顔でいい子ぶって……」
憎悪の混じる目で手元のウインナーに箸を突き刺す霧島。それよりも。まさか、今日も俺と一緒に昼飯を食べるつもりなのか?
もぐもぐしている霧島の横顔に目をやる。
黙っていれば当然可愛い。俺が気づかぬうちに見惚れていると。
「……なんですか。あげませんよ」
視線に気づいたのか、お弁当を隠しつつ怪訝な顔でこちらを睨む霧島。
「いや、いらんけど」
「それはそれで腹立ちますね……。で、どうなんですか進捗は」
「進捗ねえ……」
「なんでもいいんですよ。友達といる時にあの女が言っている悪口でも、一人の時にぽつりと出てる愚痴でも。先輩なら盗み聞き出来るでしょう」
「人聞きの悪いこと言うな。そんなことに俺はこの影の薄さを使ったことはないからな」
まあ、勝手に自爆するこいつみたいな奴はたくさんいるが。
「大体こんなとこで昼ごはんのんきに食べてる場合ですか。情報収集できるのは昼休憩とか放課後くらいなんですから、有効活用してください。ほら、あの女がお昼ごはん食べてるところに椅子持っていって混ざるとかあるでしょう」
「人を本当になんだと思ってるんだ……」
一応想像してみる。普通にバレないかもしれないと思ってしまった自分が怖い。
「それにしたって、なんでその……いろはが嫌いなんだ?」
別に過保護になるつもりもないが、他人から自らの妹が嫌われているというのは気分の良いものでは無い。
「……は? な、なに下の名前で呼んでるですか? 馴れ馴れしいにも程がありますよ」
「? 何言って――」
「……そういえば、『影山』ってせんぱいと同じ苗字ですね。まさか」
霧島はじっと俺の顔を見る。
続けて漏れる失笑。今すごく失礼なことを思われた気がする。
しかし。まさかとは思ったがこいつ、俺がいろはの兄だと気づいてないのか?
てっきり兄だから俺に近づいたのだと思っていたのだが、そうではなく純粋に影の薄さを使えると判断しての交渉だったのか。
……言うべきか? いやしかし、実の兄に向かって悪口を言っていたというのも気まずいだろうな。なんて俺が迷っていると。
「……なんであの女が嫌いか、でしたね。決まってるでしょう」
そこまで言うと、霧島は手元のペットボトルの水をごくごくと一気に飲み干す。そして、ぐちゃりとそれを握りつぶした。
「あいつが、私の好きな人を横取りして」
「へえ、霧島さん、好きな人いたのか」
霧島はハッとしたように背筋を伸ばすと、ぐぬぬぬと悔しそうに頬を染めて唇を噛む。
まあ、いくらみんなから崇められようと人気があろうとただの高校生だ。好きな人くらいいたっておかしくないしそれが健全だ。
一人納得する俺。掴まれる襟元。
「分かってますよね?」
「あ、ああ」
顔が近い。なんかこいつめちゃくちゃ良い匂いするけどめちゃくちゃ怖い。凄み方がプロなんですけど。堅気じゃないほうの。
俺は締め上げられた襟元を直しつつ、話を整理する。とりあえずは俺の妹がヤバい理由で嫌われているわけじゃなくて安心した。
「なるほどな。いろ……影山いろはに好きな人を取られそうだから、秘密や本性を暴いて逆転を狙ってるとそういうことだな?」
「逆転? 最初から負けてませんけど」
さいですか。
「大体ですね、あんな見た目も性格も完璧なやつがいてたまるもんですか。胸とかもパッドだったり寄せてたり、絶対に裏がありますよ。多分。とんでもない性悪女……のはずなんですよ。あれは意図的に作られた姿で、その実周りを見下して……」
「自己紹介か?」
「………………あ?」
「すみません」
だから怖いって。
まさに霧島そのものじゃないか、と言いたいところだが身の危険を感じるのでやめておく。
「大体、なんで
その言葉に霧島を見る。確かに全体的に整っており完成度の高い彼女だが、その部分についてはやや控えめか。そこで視線に気づかれそうになり、慌てて目を逸らす。
「その霧島が好きな
「見てたらすぐわかりますよ。……ちょっと待ってください。なんでせんぱいが私の好きな……ハッ!」
ギリギリと締め上げられる襟元。
もしかして馬鹿だったのかこいつは。
「と、とにかく! 多言厳禁です! 早くあいつの秘密のひとつやふたつ、暴いてきてくださいよ!」
「……分かったよ」
ため息をついて俺はパンをかじる。
不満そうにこちらを睨んでいた霧島もため息をついて、あとは二人無言で食べ進める。
ぬるい風が校舎裏を吹き抜ける。
「てか、毎回毎回いいのかよ。人気者がこんなとこで昼ご飯食べてて」
「別に。たまには気楽にごはんを食べたい時だってあります」
「ふうん」
人気者ってのも、大変なのかもな。
ひとりは気楽でいいもんだ。
俺が野菜ジュースを飲み干したところで、霧島は最後の卵焼きを口に入れ、飲み込んでから不思議そうにこちらを覗き込む。
「……そういえばせんぱい。今日はお金くれないんですか?」
思わず吹き出しそうになる。
俺は今日一番の真剣な表情で言った。
「いいか? あげてないからな? 返せよ」
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