第6話 残り49,998,370円
「なんだか私、分かった気がしますせんぱいのこと」
校内の自販機で買ったぶどうジュースをちるちる啜りながら霧島はぼやく。
もちろん買わされた。残り49,998,370円らしい。存在しない借金を利用してジュース買うな。錬金術師もびっくりだ。
「――あれ? 凛ちゃんだ!? どしたのこんなところにひとりで!」
夕暮れに染まる自販機前で、唐突にそんな声がかけられる、
「あ。
ほわんと嬉しそうに微笑んで手を振る霧島。
オンオフの切り替えの速さが半端ない。俺で無ければ見逃してしまうことだろう。
春香と呼ばれた女の子は、少し茶色がかった短めの髪と大きなリュックを揺らしながら駆け寄ってくる。制汗剤の香りがふわりと揺れた。
「え、凛ちゃんどしたのこんな時間に珍しいじゃん!」
「春香こそ。部活終わり?」
「うん。ちょっと忘れ物取りにいってた」
「おっちょこちょいだな〜?」
「凛ちゃんに言われたくないし〜!」
きゃっきゃしている二人。どうやら俺の方は気づかれていないらしい。これチャンスか? 逃げるか?
「どこいくんですか? せんぱい」
無理だった。ノーチャンスだった。
顔は霧島凛モードなのに声はやけに辛辣だ。
「え? ……っわっ! び、びっくり……! 誰? え、いつから」
「最初からいたよ? 同じ文化委員の先輩」
誰が文化委員の先輩だ。何度も言うが息を吐くように嘘をつくな。俺は仕方なく挨拶する。
「……どうも」
「あ、こんにちは〜。え、凛ちゃんもう帰るとこ? じゃあじゃあ、一緒に帰らない?」
な、ま、まさか。女子と一緒に帰宅だなんてそんな!
「ほら、いこ! 凛ちゃん!」
引っ張られていく霧島。
いや分かってたから。俺は含まれてないことくらい分かってたから。よしよし、なんとか今日はこのまま逃れられそうだぞよし。
俺は連れられていく霧島の後ろ姿を眺めつつ、飲み干したカフェオレのパックをゴミ箱に放り込む。
「ごめん春香。私たち、この後先生のところ行かなくちゃいけなくて」
途中で立ち止まると、申し訳なさそうに手を合わせる霧島。そんな予定はもちろんない。先生が便利すぎるんだよな。
「あれ、そうなの? じゃあ待っとくよ?」
「時間かかりそうだから悪いよ〜! 春香とはもっと時間あるときにゆっくり話したいから、その時にしようぜ?」
くだけた言葉と表情で悪戯っぽく笑う霧島。
「り、凛ちゃん。も〜、仕方ないなぁ。じゃあ約束だよ? またね!」
春香と呼ばれる女子が嬉しそうに手を振って駆けていく。きっともう、俺のことは意識の外だろう。
しかしこいつは、なんというか……。
俺が笑顔で手を振る霧島の横顔を眺めていると。
「なんですか?」
春香と呼ばれる女の子の姿が見えなくなった途端、低い声とじとりとした目でこちらを睨みつけてくる霧島。
「……なんだか、俺も霧島さんのことがわかってきた気がする」
「気持ち悪いですね」
「…………」
見た目だけは良い、口も性格も最低な後輩である。霧島は残りのぶどうジュースを飲み干すと、ぽいっとゴミ箱に紙パックを投げる。紙パックはゴミ箱の端に当たって床に落ちた。
「さて、では本題に戻りますか」
「誤魔化すな紙パックちゃんと拾えよ」
「…………」
無言の圧力。霧島は大人しく紙パックを拾ってゴミ箱に入れた。後から仕返しされそう。
「……では本題ですが。どうやらせんぱいの影が薄いというのは本当みたいですね」
本題それだったんだ。すっかり忘れていた。しかし、俺の影の薄さは認めてもらえたらしい。
「だから言っただろ。早く解放してくれ」
「異常と言ってもいいです。変態です」
「変態は余計だ。影が薄いと言ってもらおうか」
ぼやく俺をよそに、霧島は顎に手を当ててぶつぶつとなにやら考え込んでいる。ひとけのない校内。こんな時間まで学校にいたのはいつぶりだろう、なんて思いつつ朱と藍色が混ざり合う空を眺める。
「――せんぱい」
霧島がこちらを見上げる。
こんな時間に後輩と二人っきり。夕暮れに彩られた彼女の頬が赤く染まっているように見えて、まるで告白でもされるのではと一瞬どきりとする。
「せんぱいを解放するには、条件があります」
「……条件? なんだよそれは」
そんな雰囲気には似つかわしくない言葉。
問い返す俺に向けて、霧島は指をひとつ立てる。小さな手と可愛らしい指が目に映る。
「まずひとつめ。私のことは他言厳禁です」
「最初からそのつもりだ」
こっちだって余計なことに巻き込まれたくないしな。満足気にうんうんと頷く霧島。
「分かっているならいいです。そしてふたつめ」
霧島は右手の指をもうひとつ立ててこちらに向ける。真面目な顔でピースしているみたいに見えて、ちょっと面白い。
「せんぱいには選択肢があります。私へ残りの49,998,370円を現金一括で払うか」
「なんで俺借金したみたいになってんの?」
むしろ払ってるよね? 全部返せ?
心の中でツッコミを入れる俺に、少しだけ間を置いて霧島は言った。
「秘密を暴くのを、手伝ってくれるかです」
「…………は?」
自信なさげに、どこか恥ずかしそうに霧島はぼそぼそと言う。これまでに見たことのない態度と表情。らしくない霧島の様子に一瞬戸惑う。
「秘密を、本性を暴きたいやつがいるんです。……いいから協力してくださいよ。影が薄い先輩は、バレずに張り込みだろうがなんだろうが余裕で出来るでしょう」
俯いたまま早口で霧島はそう言った。
……秘密? 本性? 理解が追いつかない。
「ちょ、ちょっと待て。なんのことだ? そもそも俺が嫌だと言ったら?」
「49,998,370円」
どうやら選択肢は存在しないらしい。
「……払わないぞ」
「……いいですよ? 私が毎日教室まで行って、せんぱいに友達が出来るのを見守りそして手伝ってあげますから」
純粋そうな笑顔の裏に秘められた強大な悪意が隠しきれていない。ここまで表情と言葉と内容が一致しないことがあるだろうか。
……秘密を、本性を暴きたいと彼女は言った。
あの霧島凛がそれほどまでに執着する人間がいるということに、興味がないと言えば嘘になる。俺の存在感は無くても、好奇心くらいは人並みにあるのだから。
「協力するかどうかは、話を聞いてからだ」
「聞いたら協力してもらいますよ」
「……誰の秘密を、本性を暴きたいんだよ」
俺の問いかけに、霧島は唇を小さく噛む。
一度視線を泳がせた彼女は、諦めたように息を吐いて。そしてこちらを真っ直ぐ見据える。
霧島の大きな瞳が赤く染まってきらめいた。
そこに秘められた思いを、俺は知らない。
「――影山いろはの秘密を、本性を。せんぱいに暴いて欲しいんです」
***
その日の夜。
すっかり暗くなった帰り道を歩き切り、俺は家のドアを開けた。
「あ。お兄ちゃん、おかえり〜!」
いつものようにととと、と玄関まで迎えに出てくると、そう言って嬉しそうに微笑む妹。
「ただいま」
「こんなに遅いの珍しいね? ……あれ? なんか元気ない?」
「いや、ちょっとな……」
俺は言い淀むと、不思議そうに首を傾げる妹を見つめる。風呂上がりなのか、少し長めの髪の毛先が濡れていた。
自らの妹なのでよく分からないが、裏表のない性格にいつだって明るい表情。昔から見ているから分かるが、こいつはなんでも出来るし男女問わず無茶苦茶モテる。
きっと俺の影が薄いのは、この妹に全てを持っていかれたからだろうといつも思う。
「お兄ちゃん、早くごはん食べよ?」
嬉しそうに俺の手を引いていく。
俺の通う
霧島が秘密を、本性を暴きたいと言った。
彼女は俺の、妹だ。
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