第5話 そのドヤ顔やめてください

 迎えた放課後。

 生徒手帳を紛失した俺は、早急に先生のもとへ向かわなければならない。そう。それだけだ。他に理由は無い。

 俺は何かから逃げるようにして席から立ちあがる。


「せーんぱいっ」


 いやおかしいだろ霧島凛。

 後ろで手を組んで、こちらを覗き込むようにして微笑む彼女がそこに立っていた。

 俺を見つけられることも勿論そうだが、なんでホームルーム終了直後にここに居るんだ。自分のクラスのホームルームはどうしたんだ人気者。


 昼休憩のダメージを五限目六限目でようやく癒せたところだったというのに、またしてもクラスメイトの視線が俺にまで刺さる。


「じゃあ、いきましょうか」


 気にも留めない様子で霧島はそう言うと、スカートを翻して教室から出ていく。

 反対側の扉から出て逃走を試みるが、途中で霧島から向けられている邪悪な笑顔に気づいて諦める。きっとクラスメイトは素敵な笑顔だな、などと思っているんだろう。

 違う。こいつはそんな純粋な女の子ではない。


「…………どこに行くんだ」


 放課後の廊下を先々進んでいく霧島の背に声を掛けてみる。聞きたいことは他にも山ほどある。あるが、目的地を知らされないまま後をついていくのはなんとなく嫌だ。


「影山せんぱいは、影が薄いんですよね」

「そうだ」

「あんなに堂々と人のことを盗み見しても、バレないと思ってるくらいには」

「普通はバレないんだよ。言っとくけど悪用はしてないからな。勝手にみんなが俺の前で自滅していくだけだ」

「だから今日は、これからそれを試しに行くんじゃないですか」

 

 くるりとこちらを振り返った霧島。

 天使のような純粋な笑み。嫌な予感がする。


 上履きを履き替え、どこへ向かうのかと思えば辿り着いたのは野球部のグラウンドだった。

 実践形式の練習中なのか、各ポジションに散らばったユニフォーム姿の選手達が大きな声を張り上げている。


 ……やばいな。予想とかけ離れ過ぎてこれから何が起こるのか全く想像がつかない。俺はじりじりと照りつける太陽を見上げつつ、滲んだ汗を拭う。


「せんぱい。あれ。影が薄いなら堂々とリード出来ますよね?」


 霧島は一塁ベース上を指差し、当然のようにそう言った。少し傾げた首と、汗ばんでいるはずなのに艶めいた髪がやけにあざとい。いやちょっと待って何言ってるのこの子? 

 

 固まる俺をよそに、グラウンドそばの陰になっているベンチに腰掛ける霧島。

 何人かの野球部員はそれに気づいたのか、「ばっちこーい」だの「さあこーい」だのと飛び交う声が大きくなった気がする。沸き立つ野球部。霧島効果ぱねえ。


 霧島はというと、にこにこと微笑んだままグラウンドを眺めている。

 ……やるしかないのか。いや、俺の影の薄さを認めさせるには、そして自らの体質を再度確認して自信を取り戻すにはちょうど良い機会なのかもしれない。


 こうなりゃヤケだ。見てろよ。霧島凛。


 俺は熱気混じるグラウンドを堂々と突っ切ると、野球部員達の元へと向かう。そして、一塁ベース上に立つ。すぐ側のファーストの選手は俺を気にも留めずに声を出している。


 この反応、安心するなあ……。

 周りの選手達もそう。監督らしき人が声を荒げるが、その矛先が俺に向かうことはない。

 

 俺は夏休みに見た高校野球を思い出しつつ、一塁ベースからリードを取ってみる。少し姿勢を落としてみたりして。全くバレる気配はない。


 ユニフォームの選手達に混じる制服姿の俺。側から見れば明らかに異質。でもバレない。これが俺、影山創である。


 見たかよ、霧島凛。

 俺はドヤ顔で彼女の方を振り返る。

 いつのまにか手に入れたらしい野球部の帽子をちょこんと被った霧島がこちらを真顔で見ていた。……なんだその顔。腹立つな。


 続いて霧島が向かったのはテニスコート。

 言われる前にやるべきことは分かっていた。

 俺は激しくラリーを繰り返す選手達を横目に、コート中央を真っ直ぐに横切る。気付かれる気配は微塵もない。

 悲しそうな表情を浮かべる霧島。


 お次はサッカー部。

 サイドバックの選手に並走し、サイドラインを軽く駆け上がってみる。ボールの行方と関係なくサイドライン際を上下する俺。ミスをして罰を受けている選手の気持ちになる。

 確かサッカーにはシャドーと呼ばれるポジションがあったような。俺みたいな影の薄いやつがやるのだろうか?

 俯いてこちらを見ようともしない霧島。


「次はどこだ? ノッてきたぞ」

「……せんぱい。すみませんでした。私、よーくわかりました。影、本当に薄いんですね。薄いどころか、本当にそこにいます? いますよね?」

「やめて? その目で俺を見ないで?」


 捨てられた子犬でも見るような霧島の目。

 でもこれで分かっただろう。俺のことが。

自信を失いかけていたが、やはりそうだ。

 ――俺の影は、薄すぎる。


「そのドヤ顔やめてください」

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