第4話 残り49,998,500円


 俺は影山かげやま。とてつもなく影の薄い男だ。

 世の中には影が薄い薄い言っているやつが多数いるが、俺くらいになってから言ってもらいたい。


 影が薄いというよりも、より正しい表現をするなら存在感が薄いと言うべきだろうか。それは目で見るといった視覚的なものはもちろん、無意識的な部分においてもそうだと言える。


 どうしても接触の必要があってこちらから会話をした場合でも、翌日向こうの方から俺を見つけられたやつなどいないのだ。


 それはすなわち、昨日の後輩も同義だ。

 『また明日』などと言っていたが、彼女は、霧島きりしまりんは俺を見つけることさえ叶わない。


 さて、おそらく今日唯一になるであろうコミュニケーション、先生に生徒手帳を無くしたことを話しにいくとしよう。

 昼休憩のチャイムが鳴ると同時、昼飯の入った袋を手に持って俺は席を立つ。


「――あ。影山せんぱいっ。ちょっと良いですか?」


 ………………は?


 おそるおそる声のした方を見る。

 誰もが知る、霧島凛モードの霧島がすぐそばに立って俺を見上げていた。左手にはコンビニのものであろうビニール袋が揺れている。


 大きな瞳に長く美しい睫毛。きめの細かな乱れひとつない肌。耳にかけられた艶やかな髪の毛がはらりと落ちて、悪意など一切無いぺかーっと音の聞こえてきそうな笑顔がこちらに向けられていた。


 突如ざわつく教室。視線がこちらに集まっており、影山? そんなやついたっけ? みたいな声まで聞こえてくる。鼓動が早まるのを感じた。


 な、なぜ、皆に俺のことが見えて……?

 そこで気づく。そ、そうか。霧島の発するリア充オーラの輝きが強すぎて、影の薄い俺まではっきりと照らされているのか。これは、まずい。


 冷や汗をかく俺をよそに、「ちょっとついてきてください」とだけ言って霧島は制服の袖を掴む。

 そして、彼女はそのまま俺の袖を引いて教室を出ていく。クラスメイトたちの視線とささやきき声が、嫌というほど俺の背に刺さるのを感じる。


 そもそも。

 なんで俺を見つけられるんだ、こいつは。

 考えてはみるものの、すぐに答えが見つかるはずもなく。俺はただ、霧島の後をおぼつかない足取りでついていく。

 

 何人もの生徒が霧島に気づき、振り返る。

 普段視線が集まることなど無い俺は、彼女の人気というものを初めて恐ろしく感じた。


 連れてこられたのは教室のある棟とは反対側、特別教室と呼ばれる教室などが集まる棟の四階。

 霧島は当たり前のようにそのうちのひとつの教室の扉に手を掛けると、からりと軽い音を立てて扉を開く。普段は鍵がかかっているはずだが……。


 霧島は周囲に誰もいないのを確認してから、その部屋に滑り込む。「早く」と彼女に手招きされるがままに俺も教室へと入る。先程と同じ音を鳴らして扉がゆっくりと閉められた。


 しんと静まり返った誰も居ない教室。日当たりが悪いせいもあってか、自分たちの教室よりもはるかに涼しい。


「――今のところは大人しくしているみたいですね」

 

 先ほどよりもひとつ落ちた声のトーン。

 適当な椅子に腰掛けたらしい霧島の声だった。見た目はそのままだが分かる。堕天使モードだ。


「お昼ごはんはいつもどなたと?」

「一人だが?」


 まさか、とでも言いたげな目。


「なるほど、友達が少ないと言うのは本当のようですね」

「少ないんじゃない。いないんだ。クラスでの俺を見ただろう?」


 怪しむ霧島の目。

 途中までは視線を逸らさないでいたが、どうしてか恥ずかしくなって俺は目を逸らす。本性を知っているとはいえ、顔が良すぎるのも困ったものだ。

 そんな俺を見ながら霧島はふう、と息を吐く。


「いいでしょう。警戒のレベルを一つ下げます」 

「なんだそのシステム。どうなったら俺は解放されるんだ」

「五段階で、今は警戒レベル八です」

「五段階なのに?」


 質問に答えろ。

 限界突破してんじゃねえか。


「……というか、霧島さんはこんなことしてていいのか。お昼ごはんは友達にひっぱりだこだろうに」

「今日は先生に呼び出されているので」


 何食わぬ顔でそう言う霧島。

 息を吐くように嘘をつくんじゃ無い。

 彼女は下げていた袋からおにぎりを取り出すと、フィルムを丁寧に外してからかぶりつく。まさか、ここで食べるつもりなのか。


「ま、これを返ひて欲ひへればこの調子で大人ひくひていることでふね。ふぇんぱいも早く食べたらどうでふか」


 もぐもぐしながら喋る霧島。

 おにぎりを持っている側とは反対側の手でぷらぷらと揺らされているのは俺の生徒手帳。

 それはまあ、再発行するのでいい。


 しかし、女の子と一緒にごはんなんて小学校ぶりだろうか。なんて馬鹿なことを考えながら俺も適当な椅子に腰掛ける。野菜ジュースにストローを差し込んで、訊ねてみる。


「なあ。霧島さんは、なんで俺が見つけられる?」

「? 二年生のクラスを順番に覗くだけじゃないですか」


 ごくりとおにぎりを飲みこんで霧島が言う。

 ビニール袋から次のおにぎりが取り出された。


 覗くだけ、だと? さも当然のように……。

一体なにが起きているんだ。もし仮に、本当に造作もなく俺を見つけられるのなら、こいつは俺の天敵に他ならない。


「で、今日は何の用なんだ。わざわざ教室まで来ることないだろ」

「いえ。一応の様子見と、大人しくしているよう釘を刺すつもりでした。とりあえず現状は約束を守っていただけているみたいですね」

「最初からそうだと言ってるのに」

「あ、でもひとつだけ。今日の放課後空けておいてもらえますか」


 ……放課後? 何のつもりだ。

 パリパリとした海苔の音を聞きながら、俺は答える。


「放課後は忙しい」

「いいですよ。じゃあ、毎日今日みたいに教室に迎えに行きますね?」

「暇でした」

「よろしい」


 くそ。一番嫌なことを的確に突いてくる。

 俺はただ、大人しく従うしかないのか?


 ……いいや、違う。

 諦めなければまだ奥の手は残っている。

 まずは霧島の前から姿を消す。これが俺の反撃の一手だ!


「見ろ」


 俺はポケットから1,000円札を取り出す。

 説明する必要ももう無いだろう。

 『消滅する紙幣ディサピアーマン

 これは――(略)。


 霧島は昨日よりも嬉しそうにそれを拾うと、


「残り49,998,500円です」


 そう言ってポケットに1,000円札をしまう。

 文字通り俺の1,000円が消滅した。

 違うそうじゃない。


「たのむ、返してくれ」

「では、また放課後に」


 霧島はおにぎりのフィルムをまとめてビニール袋に入れると、それだけ言って教室から出ていく。追い剥ぎかなにか?


 ……待ってくれ。放課後? 

 勘弁してください。

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