第3話 影山せんぱいっ
「さて、このせんぱいは。どうしましょうかね」
腕組みをしてこちらを睨む霧島。
俺の知らない女の子がそこには立っていた。
顔が良い分違和感がすごい。例えるなら、アイドルの中身がバチバチのゴリラだったような感じだろうか。多分違う。
「……記憶、消すか」
ぷかぷかと夏の雲が浮かぶ青い空を仰いだ霧島からぽつりと漏れた言葉。
今、記憶消すかって言わなかった? ねえ?
俺が一人心の中で怯えていると。
「あの、見下ろすのやめてください。ちょっと座っててもらえますか」
大人しく俺はその場に座る。霧島の身長は150センチ半ばといったところか。こちらを見下ろす形のまま、彼女は顎に手を当ててしばらく考え込んだ後。
「……そうだ。私のことをこっそり盗み見したわけですもんね。等価交換しましょう。せんぱいの秘密も教えてもらえますか? あ、学校やめたくなるようなやつで」
ご趣味は? くらいの軽いトーンで霧島が言う。秘密の等価交換。とんでもない理屈だ。
「教えるやついる? そんなこと」
「困りましたね。このままだと消すしかないんですよね」
なにをだよ。どうするつもりだ俺を。
身の危険を感じた俺は弁解を試みる。
「霧島さん、だよな? ほら、見ての通りだ。俺はとてつもなく影が薄いんだ。人とまともにコミュニケーションもとれない俺なんかが、他の人に霧島さんの秘密を広められるわけがないだろ?」
「……私のこと、知ってるんですか」
霧島は特に感情なくぽつりと呟くと。
「それにしたって苦しい言い訳ですね」
呆れたように漏らす。
言い訳ではない。本当である。
「一日でいい、試してみてくれ。俺は誰にも今日のことを話さない。それで俺が無害な男だと分かれば、今回は見逃してくれないか」
「一日話さなかったとして、その次の日に話さない保証はどこにもありませんよね」
「俺は話さない。
「ださい四字熟語並べるのやめてください」
なんてやつだ。四字熟語に謝れ。
「……とにかく。今日のことは墓場まで持っていくつもりだ。信じてくれ」
「信じられません」
疑念でいっぱいといった霧島の表情。
仕方ない。わざわざ自分で言うのも癪だが、この場合はこう言わざるを得ない。
「そもそも俺には、このことを話す友達がいない」
堂々と言い切ると同時、霧島から向けられる悲しそうな目。
悪かったな友達いなくて。だが事実だ。なんとでも思うがいい。俺は今日この場さえ乗り切れれば、後はどうでもいいのだから。
ここを乗り切ることが出来れば、もう今後一切彼女には見つからない自信がある。きっと今日は体育がないからとインナーを黒にしたせいだ。明日は絶対に白を着よう。
「友達がいない証拠でもあるんですか?」
霧島の辛辣な質問。俺は即答する。
「昼休憩にここにひとりぼっちでいるのが確かな証拠だろう。友達がいたら一人でこんなところにいるか? いないだろ」
霧島の目を見ながらそう言うと、彼女はふいっとすぐ目を逸らす。そのまま周囲を見回したかと思うと、左手首の時計に一瞬目をやり、諦めたようにため息をつく。
「……いいでしょう。時間もないですし、一度様子を見ます。ただ、そうですね。念のため生徒手帳は預からせてもらいます」
「嫌なんだが?」
「拒否権がせんぱいにあると思いますか?」
「霧島さん、生徒手帳を集める趣味が……?」
「ふふ。燃やしますよ?」
温度のない笑みが怖い。
仕方ない。生徒手帳は無くしたことにして再発行しよう。大人しく差し出すことにする。
霧島は俺から生徒手帳を受け取ると、それをまたも真顔でポケットに突っ込む。
「では、くれぐれも他言しないように。もし私のことを一文字でも誰かに話せば、先輩は今後社会的に消えることになります」
なに? 消し方選べるの? 物理的にも消せるの? なんなのこの後輩。
「返事」
「はい」
満足げに彼女は頷くと、いつもの俺の知っている霧島凛の表情になる。こほんと咳払いをしたかと思うと、天使のようなあどけない笑顔を浮かべて。
「じゃあ、また明日です。影山せんぱいっ」
可愛らしい後輩感のある笑みと声を残して、彼女は去っていく。揺れる黒髪と小さな背中が見えなくなるまで目で追った後、俺は大きく息を吐く。
……どっと疲れた。久しぶりにこんなに人と話したぞ。俺は校舎の壁にもたれたまま、空を見上げる。そこには馬鹿みたいな青空が広がっていた。
また明日、か。
まあ、もう会うことも話すことも無い。
彼女はもう、俺を見つけられないのだから。
昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴る。
多少遅れても気づかれないだろうが、とりあえず教室へと向かうことにする。
廊下を進みながら、ふと思う。
『――影山せんぱいっ』
霧島凛モードの彼女の声が脳裏に蘇る。
「あいつ、影山先輩って言わなかったか……?」
一人ぼやいて、誰もいない今来た道を振り返る。俺は、彼女に名前を名乗っただろうか。
……生徒手帳を見たのだろう。きっと。
そんなふうに納得して、俺はまた教室への道を歩き出す。蝉の鳴き声だけが響く廊下の先、どこか遠くから生徒の笑い声が聞こえた。
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