第1話 人畜無害

「――ごめんなさい」


 前期のテスト終わりの週明け。

 七月頭の昼下がり。


 今日の俺はというと、いつもの校舎裏の体育倉庫のそばで男子生徒がフラれる瞬間を見せつけられていた。


 男子生徒はがっくりと肩を落として去っていく。残った女子生徒のことは、人の名前や顔が全く覚えられない俺でも知っていた。


 今現在、きっとこの高校内で一番人気のある一年生。霧島きりしまりんだ。


 男子生徒の方は知らないが、どうやら三年生らしい。まあ今回は相手が悪かったな。霧島凛といえば、入学早々からとんでもない子が居ると俺たち二年生の間でも噂になっていたほどだ。


 語彙力の無い俺でも容姿端麗という言葉を使わざるを得ないほどに整った顔立ちに、儚ささえ感じさせる透明感のある白い肌。


 ただ、それだけではきっと彼女はこれほどの人気を集めることは無かっただろう。特筆すべきはその愛嬌ある笑顔だ。遠目にでも無邪気に笑う彼女の姿を見れば、興味のなかった俺でもそりゃモテるよなと納得するほどだった。


 なんというか、見えない性格の良さがぽわぽわと身体中から溢れ出ている感じがある。

 一体、前世でどれだけ徳を積めばこんな素直な子に――


「ちっ昼ごはんまだだっていうのになに呼び出してんのよあの腐れ外道人の時間を奪うな呼び出すな無理って分かってんのに思い出作りで告白すんな迷惑なのよ下駄箱燃やすぞ」


 さよさよと風が吹く。


 どうして美少女の髪というのは、ただの風でさえあんなに美しく揺れるのだろうか。

 どうしてあんなにも、曇りもない透き通った瞳をしているのだろうか。


「大体誰なのよおまえ好きになってもらう努力もせずに初対面で告白してうまくいくと思ってんのか奇跡を願う前に鏡を見ろよワンチャンあるかもとか思われたのむかつくむかつくむかつくこの思考停止のブタが燃やすぞ」


 可愛らしい顔の控えめなその唇から、どう考えてもふさわしく無い言葉が次々に飛び出してくる。めちゃくちゃ燃やすぞこの子。発火能力者パイロキネシストかなにかかな?


 しかし、なるほど。

 俺は一人納得する。いつものことだ。

 

 …………見ちゃいけないもの、見たな。

 可愛らしい女の子にも、それが学校一の人気を誇る美少女だとしても、秘密のひとつやふたつくらいはあるというものだろう。


「おまえが見てるのは見てくれだけで……」


 まだまだ彼女の愚痴は続きそうだ。

 これ以上聞くのは精神衛生上、そして倫理的にも良くなさそうなので、この場を大人しく去ることにする。


 誰も来ない場所だと思っていたのに、ここ最近はやけに来客が多い。今後は休憩スポットも考えさないといけないな……なんて思いつつ。


 霧島が地面の砂をローファーで蹴り上げたのか、乾いた砂埃が舞う。俺はそれを合図に体育倉庫のそばから立ち上がると、歩き出す。


 そこでふと、気づく。

 霧島の視線が不自然な動き方をしたのだ。

 ……ん? こっち、見てないか?


 ……なんて、まさかな。これまでの経験からして、初見で俺が存在に気づかれたことなどない。これでも自分の体質には自信があるのだ。


 俺は気にせずに歩を進める。

 霧島の透き通ったその目が見開かれる。

 そして、ぽかんととまぬけに開かれた口。


 なんだ? ……なにかあるのか?

 思わず振り返るがなにもない。変なやつだな。まるで、お化けでも見たみたいに。


 彼女の横を通り過ぎ。

 ……そして、当然のように付いてくる視線。


 待て。お化けでも見たみたいに、だと?

 ぶわりと、身体中から汗が噴き出した。

 ち、ちょっと待ってくれ。まさか。まさか!!


 俺はおそるおそる振り返ると、そのまま何歩か後ずさる。

 真っ赤なりんごのように染まっていく霧島の頬。明らかに動揺して、わなわなと震えるその女の子は。


「ちょ、ちょっと待ってください。い、いまの。どっ、どどど、どこから聞いてました!?」


 震える声でそう叫んだ。

 俺も震えそうになる声をどうにか抑えつつ。


「……安心してくれ。俺は人畜無害な男だ」


 そう呟いて、言われてもいないのに両手を上げた。

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