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増水していた所為か、倒れている自軍の兵の数は川を下ってもあまり変わらないように見えた。
その光景に舌打ちを我慢しつつ、対岸を見る。都の背後を守る砦は、既に見えない。だが、狼の横顔が刺繍された軍旗を持った小さな影が対岸の崖をうろうろしているのが、王の目に映った。
あの旗は。思わず、声が出そうになる。そしてあの影は見覚えがある。確か彼の騎士の従者だった者、だ。と、すると、砦を守っていたのはあいつか? そこまで考えて、王は諦めに似た笑みを浮かべた。あの騎士なら、相手を貶めるような噂を流すことも、吊り橋に仕掛けを施すことも、顔色一つ変えず行うだろう。
古き国には、古くからの騎士団が三つある。女王を守る『竜』、戦闘を担う『熊』、そして探索を主たる任務とする『狼』団。現在、その狼団の騎士団長を務めているのは、まだ若い、一見しただけでは騎士にすら見えない小柄でほっそりとした青年だった。だが見かけに騙されてはいけない。この若き騎士団長は、悪辣な盗賊だろうが、魔法使が作ったゴーレムだろうが悪霊だろうが、的確な計略と部下への適切な戦闘指示、そして自らの剣の力で容赦無く殲滅する、正義感と冷静さを併せ持つ人物であった。
彼の騎士と、王との出会いは、全くの偶然。新しき国の辺境地帯を荒らす暴れ竜を退治するのに難儀していた王の前に不意に現れ、王の近衛兵でさえ退治できなかったその竜を、王の目の前で屠ったのだ。彼の騎士が指揮する古き国の戦士達も勿論善戦していたが、部下である戦士達への指示といい、本人の剣の技といい、殆ど彼の騎士が一人で退治したようなものだった。
「私のものになれ」
竜を退治し、剣を下ろして一息つく彼の騎士に、王は確かにそう言った。だが、彼の騎士は、王を見上げ、唇を引き結んだまま首を横に振った。
それから、王は何度か、彼の騎士を見かけた。ある時は戦場で、またある時は新しき国と古き国の国境地帯で。新しき国の都近くで見かけた時は流石に、獅子王自身の喉元すら狙うことができると暗に示されたように感じ、胸が冷たくなったが。
彼の騎士に逢う度に、王は何度も同じ言葉を口にした。そしてその度に、同じ否定を、彼の騎士は返した。その返答の理由は、古き国への忠誠か、それとも獅子王を嫌っていたからだろうか。そこまで考えながら対岸を見つめていた王は、従者の様子がおかしいことに今更ながら気付いた。崖下を覗き込んで首を横に振っている。……まさか。
馬の腹を強く蹴る。すぐに、王の目は、少し下流のこちら側の岸辺に横たわる件の騎士を捉えた。
馬から下りて崖を下り、騎士の横に膝をつく。幸い、かなりの距離を流されているにも拘らずまだ息はある。怪我は酷いようだが、王の近衛兵の中にいる腕の良い回復専門の魔導士に診せればたちどころに良くなるだろう。王は笑みを浮かべると、騎士の小柄な身体を抱き上げた。
次の瞬間。胸に強い、叩かれたような痛みを感じ、思わずよろめく。王の腕の中で意識を取り戻した彼の騎士が、王から逃れる為に王を突き飛ばしたのだ。それを理解するまでに数瞬掛かった。
次に王が感じたのは、強い怒り。その怒りのままに、王は腰の剣を抜くと、地面に落ちて再び気を失った彼の騎士の、無防備に晒された白い首筋にその切っ先を叩き込んだ。
動かなくなった彼の騎士を再び抱き上げ、崖を昇る。
この亡骸を古き国の都の前に晒せば、古き国の戦意は喪失する。そのくらい、信頼されている騎士なのだ。
まさか。ふと脳裏に浮かんだ思考に、思わず首を振る。まさかとは思うが、こいつは、古き国がこれ以上傷付くのを避ける為に、俺を拒絶したのではないだろうか? その考えを振り払うように、王はもう一度、首を強く横に振った。いや、こいつはただ、俺が嫌いだから俺を拒絶しただけだ。そうに違いない。だが、強く否定しても、疑念は晴れない。
まあ、良い。考え方を変えるように、ふっと息を吐く。その位の計略なら、乗ってやらないこともない。それがこいつの最期の計略だとしたら、尚更だ。
抵抗しないその身体を、王は無意識に強く、抱き締めていた。
戦いの時代 ―獅子の傍系 0― 風城国子智 @sxisato
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