戦いの時代 ―獅子の傍系 0―
風城国子智
1
眼下の無惨な光景に、溜め息より先に舌打ちが出る。
獅子王はもう一度、崖下をぐるりと見回すと、それでも昂然と顔を上げ、近衛兵を大声で呼んだ。
「まだ息のある者の救助は、進んでいるか?」
王の問いに、目の前の近衛兵が口の端を引き結んでから首を横に振る。王自身が選抜した、文武に優れた者達が近衛兵なのだから、彼らの仕事が遅いはずがない。生存者が、ほぼ居ないのだ。近衛兵から目を離し、もう一度崖下を見た王の口から漏れたのは、またしても舌打ちだった。
大陸南東部、女王が治める『古き国』と、獅子王が治める『新しき国』とが隣り合う地帯。二つの国が並立していた時代も今は昔、かつて古き国が支配していた地域の殆どは獅子王の支配下となっている。古き国の支配する範囲は既に、由緒ある古き都とその周辺のほんの狭い範囲のみ。獅子王が今、馬に乗って立っている、小川に削られてできた谷の向こうに見える峻険な山々の更に向こうにあるのが、その古き都であることは、王のみならず新しき国に所属する兵士全てが知っていること。古き国の命運は後僅か。川あり谷あり山ありのこの難しい場所を突破し、この場所からも臨むことができる、都の背後を守る小さな砦を屈服させなくとも、都の正面から堂々と降伏を要求すればこちらの被害は微小であることは、考えなくとも分かる。なのに何故、この国境地帯を守っていた将軍は、小さな砦を攻める為に危険も顧みず谷に掛かる吊り橋を大軍で渡ろうとした? その馬鹿の所為で、この様だ。大軍が渡ろうとした吊り橋が途中で切れ、橋の上にいた兵達は全て、折から増水していた川に投げ出された。自軍の兵が累々と横たわる崖下を見つめ、王は三度目の舌打ちを我慢することができなかった。
「陛下」
呼ばれて、振り返る。三人の近衛兵の間に、かつては美麗だった鎧を身に着けた男が項垂れて立っていた。
「この場所の守備についていた将軍を捕らえました」
指揮をした将軍の姿は崖下には見当たらなかったとの報告は、近衛兵から受けていた。その怯懦な司令官を捜して来るようにとの命令を、近衛兵達は忠実に果たしたようだ。
震えている男の、胄に付けられたよじれた羽飾りを、一瞥する。かつての司令官は怯えた目で王を見、そして勝手に喋り始めた。
「し、仕方が無かったんですっ! ま、町で、王と王の軍を馬鹿にされたのですからっ!」
どうやら、この谷川の下流にある商人の町において「古き都の背後にある小さな砦すら落とせぬ無能な軍」とかという噂を聞いたこの将軍が一人で激高し、無茶な行動に出たらしい。馬鹿か、こいつは。それが、王の正直な感想。そんな噂など、普通は放っておくものだ。まあ、こんな無能な奴を司令官にした俺の責任も、あるのだろうが。そこまで考えて、王はふっと息を吐いた。国自体が急激に大きくなった所為か、王自身に人望が無い所為か、有能な人材が足りていない。有能な騎士が、もう少し手元に居れば。そう考えた獅子王の脳裏に浮かんだのは、不敵な笑みを浮かべた小柄な青年。そう、あいつのような奴が。
それはともかく、今は。
「都で縛り首にしろ」
なおも弁明を繰り返す男を取り押さえる近衛兵達にそう言うと、王は馬の背を蹴って谷川の下流へと向かった。
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