第5話『予言者』

「どうしたんだ。さっきからうんうんと」

 部室にて、ノートパソコンの前で唸っている紗絵を見かねてキョウは声をかけた。

 彼女の傍には弁当箱が置かれていたが、まだ開けた形跡もない。昼休みは既に後半過ぎ、そろそろ食べ始めないと間に合わなくなる頃だ。

「今年の文化祭で発表する研究テーマが思いつかなくてさ……そろそろ活動指針を提出しなきゃ生徒会に怒られるから、急がなきゃいけないんだけど」

 そう言いながら液晶を睨む紗絵の表情は真剣そのものだった。どうやら思ったより切実な案件に足を突っ込んでしまったらしい。

「研究テーマねぇ。今まで先輩たちが提出してきたのがあるんだろ? あれを参考にしてみたらどうだ?」

 キョウはそう言って本棚のステーショナリーを指さしてみる。しかし、ちょうど本棚の傍に立っていた双葉が首を横に振った。

「難しいわね、これまでの研究テーマはどれも時事性の強いものばかりだった。直接パクるのは無理よ」

「だよねぇ。この街で最近起きた出来事、それを歴史や伝承と伝奇的に結び付けるネタがあればいいんだけど」

 それがあれば苦労はしない、という話だろう。紗絵はお手上げだとでもいうように天を仰いだ。

「んなこと言われてもな」とキョウはつぶやく。まだ入部して一週間弱の彼に出せる妙案などあるはずもなかった。

「最近この街で起きた出来事というと、やはりレミューバ騒動くらいじゃないか? 奴と歴史の結びつきなんかあるか分からんが」

「確かに、パッと思いつくのと言えばアレくらいだけど。でも、あれと結び付ける伝承なんて……」

 紗絵は再び頭を抱え始める。しかし、そこに思わぬ方向から援護射撃が飛んできた。

「あら、レミューバとなら結び付けられそうな噂があるじゃない。『赤死獣』の噂が」

「……せきしじゅう? なんだそりゃ」

 死、という単語が含まれているからだろうか。キョウはその言葉に不吉な予感を覚えた。

 話に加わる気になったのか、双葉も二人の傍に立ってタブレットを机に置く。

「都市伝説……というよりは怪獣の目撃談という方が近いわね。『さるのあき』って知ってる?」

「名前だけなら。確か有名な動画配信者だろ。去年、怪獣に襲われて亡くなったんだっけ?」

 最近まで浮世離れした生活を送っていたキョウだが、友人との雑談でその名前を聞くことはあった。ファンだという者もいたはずだ。

「ええ、猿梨市の教会で聖歌隊に所属していたのに、ある日突然、神への信仰を捨てて配信者……いわゆる歌い手になったらしいわ。単に楽曲を発表するだけじゃなく、動画視聴者に対する占い師のような真似をしながら……」

 そう言いながら双葉は、動画配信サイトに残されたさるのの動画を再生し始める。

 映っていたのは、お姫様のようなコスプレを身に纏った少女が流行りのアニメソングを歌っている映像だった。

 上手いな、と素直に感じる。芸術に縁のないキョウが聞いても、彼女の歌声には心を震わせる何かがあるように感じられた。

 実際、その歌唱力と容姿、そして視聴者に対するサービスの旺盛さから、彼女はすぐに人気を博したらしい。最盛期には動画サイトのお気に入り登録者数が10万に達し、芸能界デビューを飾るという話すら浮上していたようだ。

「だけど去年冬、彼女は前触れなく投稿を停止した。そして、彼女が亡くなる前日にアップロードされた動画がこれよ」

 双葉は動画リストの最上段、真っ黒なサムネイルだけが表示された動画を再生し始める。タイトルや動画概要欄には『赤死獣』の三文字のみが記載されている。

 映像には真っ暗な部屋で、憔悴しきった表情のさるのが映っていた。化粧もしておらず、髪や肌も荒れきって何日も手入れされた気配がない。人気だった頃の彼女を見たばかりだと信じられない映像だ。

「お願い……助けて……来る!赤死獣!赤死獣が来る!喰われる!みんな奴に喰い尽くされる!来る!きっと来るの!」

 前触れなくさるのが大声を上げ始めた。それは到底歌には思えない、切実な悲鳴だった。そのまま彼女はWEBカメラを食い入るように見つめながら叫び続けている。

 なおも彼女は叫び続けていたが、突如として声を停めて向かって左を向いた。その瞳は恐怖に見開かれている。

「あっ」

 何が起きたのか、その呟きを残して動画は唐突に終わった。

 嫌な沈黙が部室を支配する。校庭から響く喧噪もどこか遠く思えた。

「……で、この『赤死獣』ってなんなんだ? それが彼女を襲ったとでも?」

 キョウの問いに紗絵は「さぁ?」と首を横に振る。

「遺体の状況や目撃談から彼女が怪獣に襲われたのは間違いないけど……何にやられたかはハッキリしてないの。分かってるのは赤い怪物に襲われてたってことだけ」

「だから色々噂になってるのよ。彼女は自らの死を予言しただとか、怪獣の存在は偽装で実際は菩提学園の連中に暗殺されただとか」

「中にはこの赤死獣っていうのは赤死龍、つまり猿梨大災害で出現したバラナスドラゴンのことだって言う人すらいるんだよ。話が大きくなり過ぎだよねぇ」

 何が面白いのか、紗絵は半笑いで肩をすくめてみせる。

 つまり、全身真赤な体色だった怪獣レミューバこそがこの赤死獣であれば、猿梨災害の発生原因にまで結びつけられる。それを研究テーマにするということだろうか。

「正直、こじつけと思われるのがオチじゃないの。生徒会から許可が出るとは思えないのだけど」

「そんなこと言うなら代案出してよ代案~!」

 双葉の指摘に紗絵は唇を尖らせる。そのまま二人はやいのやいのと議論を始めた。

 一方でキョウはタブレット画面を眺め続けていた。動画はループ再生状態になっており、さるのの悲痛な声が再び響き始める。

「来る!赤死獣!赤死獣が来る!」

 何がそれほどまで彼女を恐れさせたのだろうか。そして、彼女を襲った怪獣は赤死獣とはなんだったのだろうか?

 そもそも赤い怪物とは本当にレミューバのことなのか。むしろ赤い怪物と言えば俺があの時見た……

 そんなことを考えながら画面を眺めていると、ふと、冷たい視線を感じてキョウは我に返った。

 気づけば、既に4回目の再生が始まろうとしている。その間、キョウはずっとタブレットを眺め続けていたらしい。

「それ、あまりまじまじと見ない方が良いよ」

 いつも通り気の抜けた、しかし少し心配そうな声で紗絵が警告を発した。双葉すらもどこか怯えたような眼差しをキョウに向けている。

「あ、ああ……そうだな、別に面白い動画でもないしな」

 キョウは平静を装ってタブレットから距離を置いた。額にひやりとした感触を覚える、俺は一体なんでこんなものをずっと眺めていたのか。

 戦慄する彼に追い打ちをかけるように、双葉は眉を潜めながら言葉を発した。

「気を付けた方がいいわよ……この動画、見た人のところにも来るって噂だから」

「来るって、何が?」

「言わなくても分かるでしょ、もちろん……」

 双葉が躊躇いつつ先に続く言葉を言いかけた、次の瞬間。

 部室のスピーカーから僅かなノイズと共にチャイムの音が響き始めた。昼休み終了5分前を示すものだ。

「あーっ!!」

 前触れなく響いた間抜けな叫びに、キョウの肩が思わずびくりと跳ね上がる。鈴村も少なからず目を見開いていたが、叫びの主である紗絵は絶望的な表情で頭を抱えていた。

「次の授業、体育じゃん! どうしようまだお弁当食べてないのに!」

 彼女の弁当箱を見ると、未だ包みすら開かれていない状態だった。おまけにこれから体育館への移動や着替えもあるはずだ。のんびり食べている時間などないだろう。

「そうね、私は先に行くから。二時間連続の体育で弁当抜きはつらいでしょうけど……まぁ頑張りなさい」

 鈴村は少しため息を吐いてからそう言うと、さっさと教室へ持ち帰る荷物をまとめ始めた。キョウも後を追うように立ち上がる。彼のクラスは通常授業とはいえ、のんびりとはしていられない。

「もう! 二人ともイジワルだ!!」

 紗絵の恨み節を背中に浴びながら、二人は廊下へ歩み出ていった。

 


***



 その夜、学生寮に帰ったキョウは、共用部のリビングでノートに向かっていた。

 明日提出予定の宿題は全く解けていない。もともと成績が良い方ではなかったが、普通科に移ってから内容がさらに難しくなったように思える。

 他の生徒なら友達なりルームメイトなりと相談し合って解くのだろうが、今の彼はどちらにも頼れない。今だこちらで友人は出来ていないし、この部屋にも同居人は配置されないままだ。

 紗絵たちに聞くという手もあるのだろうが……そんな考えが脳裏を過ったが、すぐに捨て去ることにした。これ以上彼女らに借りを作ったら何を要求されるか分からない。

 やがて疲れを感じたキョウは、食卓上に転がっていた携帯端末へ手を伸ばした。

 学園都市生徒に配布されるCDA(市民情報端末)と呼ばれるそれは、一般的なスマートフォンと同等の機能を持つ。

 当然、昼休みに見ていた動画サイトを閲覧できたし、再生履歴欄から「赤死獣」の動画を再生することも出来た。

 音量を抑えたスピーカーから、さるのあきの歌、いや悲鳴が響いてくる。

 もちろん、キョウもこんな動画を気に入ったわけはなかった。むしろ忌々しさしか感じない。

 しかし、この動画には目を引き付ける何かがあるように思えた。授業中ですら、理由もなく映像と音声を眺めてしまうような何かが。

 何故だろう。自覚は無いが、今さら彼女のファンになってしまったのだろうか。

 そんな事を考えながら、いい加減宿題を再開せねばと動画を停止した、その時。

 背後のカーテンの向こうから「べたん」という音が鳴った。

 キョウは思わず後ろを振り返る。

 カーテンの裏にはアルミサッシがあり、その先には洗濯物干し用の小さなベランダが広がっている。今聞こえた音は、そのアルミサッシの窓ガラスを素手で叩いた音に聞こえた。

 「あり得ない……」

 キョウの口から思わずそんなつぶやきが漏れていた。

 今、ベランダに人がいるはずはない。ベランダにはこの部屋からしか入れない構造になっているし、この部屋の居住者はキョウだけ。しかもここは6階だ。

「……誰もいるはずがない」

 それは現状確認というより、自分に言い聞かせる祈りのような言葉だった。

 きっと風でビニール袋か何かが飛んできて、窓ガラスに当たった音に違いない。変な動画を見ていたから神経質になっているんだ。

 そう結論付けたキョウはCDAのディスプレイを裏側に向ける。そして宿題を再開するため、食卓の隅に転がっていたペンに手を伸ばそうとした。

 「ぺたり、ぺたり、ぺたり」

 しかし、再びガラス窓が音を立てた。キョウは思わず食卓から立ち上がる。

 今度は三度、明らかに意思を持ったリズムで窓が叩かれた。どうやら風のせいなどではない。確実に何かが外にいる。

 泥棒、という考えが浮かぶが、それなら住人のいそうな、照明のついた部屋を狙わないだろう。こちらに存在をアピールする必要もない。

 そもそも、夜の猿梨市は市街地でも怪獣に出くわす確率が高い。そんな危険地帯を出歩く命知らずな犯罪者は多くないはずだ。

 ならば一体、何が来たというのか?

「この動画、見た人のところにも来るって噂だから」

 昼間、双葉から聞いた言葉が脳裏を過り、キョウはうなじに鳥肌が立つのを感じた。

 まさか本当に赤死獣が来たというのか。動画を見ただけの、俺のところに。

「ぺたり、ぺたり……ぺたり、ぺたり、ぺたり」

 催促するようにガラス窓が叩かれた。もはや疑う余地はない。相手はこちらの存在を承知で窓ガラスを叩いている。このまま割るつもりなのか、それとも開けろと促しているのか、そこまでは分からない。

 ただ、人間を捕食するような怪物なら窓を割って部屋内へ突入することなどわけないはずだが、今のところそういった気配はない。

 獲物を誘い出して、至近距離で仕留めようという魂胆なのだろうか。

 ならば、とキョウは足音を立てないよう、ゆっくりと後退しながら自室に入った。

 そしてベッドの下に隠していた狩猟用拳銃を取り出すと、弾倉を装填した。

 小型の怪獣であれば一撃で仕留められる火器だ。赤死獣がどんな凶悪な怪物であれ、至近距離で撃ち込めば無事では済まないだろう。

 ……レミューバのような、規格外のバケモノで無ければ。

 心の中に再び恐れが芽生えかけたが、キョウは頭を振ってそれを振り払うと、再び足音を殺してカーテンの前に戻った。

 こちらの気配を察していないのか、相変わらず窓を叩く音は続いている。

 キョウはカーテンに手をかけた。

 眼前にどんな怪物が待ち構えているかは分からない。しかし、もう覚悟は出来ている。

 キョウは左腕に力を込めると、眼前に広がる布幕を押し開いた。

  


***



「ひっ……!」

 覚悟していたにも拘らず、キョウは断末魔のような悲鳴を発してしまった。

 カーテンの向こうに広がっていた光景。それは想像をはるかに超えたものだったのだ。そこにはこちらを蛇のように睨みつけるエメラルドグリーンの瞳と……

「どうしたの、そんな怖い顔して」

 ……栗色の髪を持つ少女、虎尾伊吹が怪訝そうな表情で立っていた。

 キョウは思わず気が抜けてガラスに体を預けた。

 俺は女の子相手にビビりながら拳銃まで持ち出してきたというのか、あまりの情けなさに大きなため息が漏れる。

 どうやって登ってきたんだという疑問が浮かんだが、彼女はレミューバの尻尾を軽々跳び越えるほどの脚力を持っていた。きっと登る手段はいくらでもあるのだろう。

「どうしたもこうしたも……てっきり怪獣かと思いましたよ。そっちこそどうしたんですか急に」

「なんかさ。誰かに呼ばれたような気がして……」

 キョウがアルミサッシを開けながら問いかけると、伊吹はそう言いながら所在なさげに周囲を見回していた。

 ウソを言っている様子では無いが、キョウに誰かを呼んだ覚えなどない。意味が分からなかった。

 とにかく立ち話もなんだ、ということで彼女を室内に迎え入れる。二度目の入室ということもあり、伊吹は土間にブーツを置いたあと遠慮なさげに食卓の椅子へ座った。

 そういえばまだ夕飯も食べていない、とキョウは気づく。米だけは炊いていたが、おかずになりそうな総菜などは買っていなかった。冷蔵庫の中にはまとめ買いした肉類が放り込まれていたので、それを調理するほかないだろうと判断する。

「せっかくだし、ご飯でも食べていきますか」

 キョウがそう提案すると、伊吹はぴくりと耳を動かして彼を見上げた。

「いいの?」

「ええ、理由はともかくせっかくの来客ですからね。歓迎しないと」

 もっともらしいことを言いながら、詭弁だとキョウは自嘲する。

 まだ、赤死獣に対する恐怖心が消えていないだけだ。心細さをまぎらわせる相手が傍にいてほしいだけ、いや圧倒的な戦闘力を持つ伊吹を頼りたいだけではないか。

 そんな思いを抱えながら、彼は料理の支度を進めていった。


 伊吹によって冷蔵庫内の肉類が全て喰い尽くされるまで、時間はそう長くかからなかった。


(END)

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巨乳JCや浮浪少女と怪獣退治なハーレム生活!!~猿梨学園伝奇部~ スミス中尉 @fltsmith

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