第60話


この世界に突然来て、正直元の世界の方が良かったかな、と思う日もあった。

それでも、気を強く持って涙は流さなかった。

それが元のリリアに対するけじめだとも思っていた。


でも――。

グレン、こんなのってないわ。

出会いは最悪だったけれど、私はそんなあなたの不器用さが愛おしくて、これからもそんなグレンと他愛無いお喋りをして、一緒に唐揚げを食べて、一日いちにちを大切に生きていきたかったのに。


「私を、一人にしないで……」


ぱたり、と涙がグレンの頬に零れ落ちる。

そっと手を触れると、そこには温もりではなくて少し冷たい肌があった。

魔導紙のじわりと滲んだ黒が、私の心も不安に染めていく。


「お願い、どうかグレンを助けて……」


再び右手でグレンの手を強く握りしめ、左手を涙が落ちた彼の頬に添え、ぎゅっと目を瞑る。

瞳にあふれていた涙が、大きな粒になってひとつ、ふたつと更に零れ落ちた。


そうしてどれくらい経ったのだろう。永遠に感じられる数秒の後、ふと、手が少しだけ温かい気がして瞼を開ける。

すると――握りしめた右手の周りに、白い光の粒子がふわりと舞っていた。


「――――え、」


私の動揺と連動するように、光の粒はその数を増していく。

どんどん増えて、グレンの身体をすっぽりと覆ってしまうほどに。


「これは……」


見た目は、マスターが魔法を使うときに生じる光に通じるものがある。

でも、私はまだ魔法を使えないし……。

と、ここでギルとの会話を思い出した。


『魔法を使うきっかけになるのは、“誰かに何かをしてあげたい”という強い思いから――』


今、私は心の底からグレンの命を救いたいと思っている。

この強い思いが、ひょっとして魔法を発動したということ……?

グレンを包み込んでいるこの白い光が一体どんな効果があるのかは分からない。

でもきっと、グレンにとって悪いものではないはず。

泣いている場合じゃないわ。


ゴシゴシと涙を拭いてグレンを見つめる。

助けたい。死なせない。そのために傷を、治す――。

シンプルに願いを整理する。

そう、死なせないためには、傷を治す。

どんどん私の中から力が湧いてくる気がする。


グレンの手を両手で包み込むようにして握りなおして、気持ちを強く持つ。

すると、グレンを包み込んでいる白い光が、その輝きを増していく。

私の身体も心なしかぽかぽかと温かくなって、そして――


ひときわ強い光が放たれて、辺り一帯を白く染めた。


強い光に、視界が奪われる。

ふと気づけば、ずっと続いていたマスターとアルの攻防の音も止んでいる。


一体何が起こったのかしら……。


光が収まり、少しずつ視界が取り戻され、目の前のグレンを凝視する。

先ほどまで彼を包み込んでいた光の粒子も先ほどの強い光によってどこかに消えてしまったようで、グレンの姿が良く見えるが――相変わらず血に濡れていて変化が分からない。

ぴくりとも動かないし、目も開かない。


――だめだったのかもしれない。


ひょっとしたら、この光が彼を救う魔法かもしれないと、淡い期待を抱いた私がばかだった。

やっぱり私は、全く魔法が使えない役立たずなんだ……。

こんな土壇場になっても、グレンに何一つ力になってあげられない。


「ごめんなさい……」


視線を足元に落とす。

なんて私は無力なんだろう。

誰かに何かをしてもらわないと、願いの一つも叶えられないなんて。


一番叶えたい願い。強い願いをもってしても、魔法は発動出来なかった。

唯一縋る事が出来た、綱だったのに。

心が、黒に侵食されそうになったその時、


「お前、そんな表情出来るんだな」


いつもの、あの飄々とした声。

今、私が一番聞きたくて仕方がない声が、聞こえた。


バッと顔を上げると、そこには少しだけ上半身を持ち上げたグレンがしっかりと目を開いてこちらを向いていて。


「グ、グレン……?」

「他に誰だと思うんだよ」

「グレン……よかっ、た……!」


思わず彼に覆いかぶさって抱きしめてしまう。


「おわっ、何だよ、どけよ! やめろ!」


再び地面に縫い留められてしまったグレンは抵抗するけれど、絶対に離さない。


「グレン、グレン、グレンッ……」


私の必死の様子を見て、グレンは抵抗をやめて、私の背中に手を回してしっかりと抱きしめてくれつつ、もう片方の手で頭を優しくなでてくれた。


「ありがとな、お前が治してくれたんだな」


治す……そうだ、ケガ……!

ガバっと身体を起こして、グレンの傷があった箇所を調べる。


「綺麗になってる……」


相変わらず血はそのままだからよくわからなかったけれど、よくよく見ればしっかりと傷口がふさがって、元通りの綺麗な肌になっていた。


「私、魔法、使えたんだ……よかった……」

「まぐれの一発かもな。ま、その話はまたあとで詳しく聞かせてくれ。今はあっちを片付けないと」


私を優しい手つきでそっと横にどけ、グレンがゆっくりと立って奥に目を向ける。

そこには、対照的な表情でこちらを凝視しているマスターとアルがいた。



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悪役令嬢に転生したけど、剣と魔法の世界が楽しすぎてどうでもいい(いいよね?) すみ @kerokerokeroppi

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