第6話
それでも諦めきれなくて、学校に行く途中や授業中に、何度も何度も繰り返しあの言葉を唱えた。
けれど、結局何かが起きる事はなくて、僕は余計に落ち込んだ。
やっぱり、そんな都合よく祝福が授けられるわけがない。
そんな幸運は僕には不釣り合いだというのを、今までの人生経験から知っていた。
そして、その勘は当たっていたみたいで、幸運どころか、とんでもない不運が、今日もまたこの身に降り注ごうとしていた。
放課後、僕はケラー達に呼び出されていた。
しかも、今日のケラーはもの凄く機嫌が悪そうで、ケラーのムスッとした表情を見るだけで嫌な悪寒が背中を襲った。
正直、呼び出しを無視して逃げてしまおうかとも思った。
けれど、それをしてしまえば、後からどんな報復を受けるか知れたものではない。
だから、僕は渋々呼び出しに従い、ケラー達がいる学校裏の空き地へと向かった。
空地に到着すると、ドンパスとライルがニヤニヤとしながら僕を迎えてくれた。
「お前、今日死ぬかもよ?」
「ほんとほんと。ケラー様、今まで見たことないくらい機嫌悪いから」
「…………」
二人のその言葉に、僕は何も返せずに。
ただただ黙って、その先にいるはずのケラーの下に進む事しかできなかった。
正直、怖くて仕方がなかった。
でも、僕にはどうする事もできない。
逃げてもダメ、立ち向かってもダメ。
前門の虎後門の狼とはまさにこの事だろう。
でも、仕方がなかった。
何故なら、弱者が強者に奪われ壊され蹂躙されるのは当たり前の事で。
弱く劣等な人間は、それに耐え忍び、強者の関心が削がれ、気まぐれに見逃してくれるのを待つ事しかできないのだから。
「あら、レイド、ご機嫌いかが?」
「あ、うん……えっと……ケラー、僕に何か用かな?」
「ご機嫌いかがって聞いてんのよ! 良いか悪いか以外で答えるな!」
「い、いい、いいよ!」
開口一番、ケラーの理不尽な物言いに、僕は気圧されてしまう。
未だかつてなお、これほど機嫌が悪いケラーを見たことがなかった。
全身の毛が逆立ち、僕に生命の危険を訴えている。
「そう、なら良かったわ。ちなみに、私の機嫌はどうだと思う?」
「よく……はないと思う」
「あら、能無しのくせによく分かったわね。そうよ、正解。私は朝から極めて虫の居所が悪いわ。何でかわかる?」
「えっと……ごめん……分からない……」
「……昨日来ていたお洋服、最近お父様に買ってもらったばかりのお気に入りだったの。それでね、昨日帰ってから鏡を見たら、裾のところが破けているじゃない。すごくショックを受けたし、今朝お母様に報告したら、説教までされてしまったわ。ねぇ、レイド、お気に入りの服が破けて、お母様に説教までされる私、すっごく可哀想じゃない?」
「え……あ、うん……それは気の毒だと思うけど……」
「そうね……じゃあ、一体誰が悪いと思う?」
「……………」
「何黙ってんのよ! あんたよ! あんたとあのガリ勉女のせいよ!」
「ご、ごめん……」
酷い言いがかりだと、そう思った。
そもそも、ケラーが僕に暴力を振るわなければ、そんな事は起こらなかったはずだ。
それなのに、ケラーは自分を棚に上げて、全ての原因を僕とシェリーになすり付けようとしている。
こんなに暴虐無尽な人間を、僕は見たことがなかった。
けれど、その憤りを言葉にしてケラーに反論することなんて、僕にはできない。
下手に刺激したら、それこそ何をされるか分からない。
無様にみっともなく謝ることしか、僕には出来なかった。
「……まぁいいわ。私優しいから、許してあげる。けれどね、レイド、罪はしっかりと償って貰うわよ。償なわなきゃ、かわいいかわいい私のお洋服さんが可哀想だからね。それでね、レイド。私、あなたが罪を償うために何ができるのか考えて来たのだけれど、聞いてくれる?」
「う、うん……えっと、僕は何をすれば……」
「目には目を、歯には歯をって昔からよく言うじゃない? だからね、レイド。あなたには壊れたお洋服さんと同じように、壊れてもらおうと思うわ。こんな風にね!」
勢いよくそう言ったケラーは、腕を大きく振りかぶり、祝福をその掌に溜め、近くにあった木を殴った。
鈍い音を立てて、へし折られる大木。
その様子を見た瞬間に、僕は全身の血の気が引き、絶句した。
ケラーは再び掌に祝福を溜め、僕の方へとゆっくりと近づいてくる。
「ま、待ってケラー! しっかりと罪は償うし、他のどんな事でもするから、それは、それだけは許して!」
「は? なに? 私に指図しようって言うの? 能無しが舐めるんじゃないわよ! いい? 『ドープ』の祝福は、本来あなたのような雑魚に使う祝福ではないのよ? 祝福はね、辛く長い鍛錬か、自分より強い相手との命の駆け引きの中でしか成長させられないの。つまり、あなたに使ったところで私にはなんの利点もないの。分かる? この素晴らしい祝福を使ってもらえるのは、とても名誉な事なのよ?だから、黙って受け入れなさい!」
「うわっやべぇ! これほんとにレイド死ぬぞ!」
「あはは! いいですよケラー様! やっちゃってください!」
許しを乞う僕にケラーは激昂し、ドンパスとライルは喜び声援を送る。
一か八かで真横に飛び、突っ込んでくるケラーの初撃から何とか逃れるも、その反動で地面に膝をつき、立てなくなってしまう。
狙いを外したケラーはと言うと、僕の後ろにあった大きな岩を粉々に砕きながら、不機嫌そうにこちらを睨んだ。
避けなかったら、僕は間違いなく無事では済まなかっただろう。
最悪、死んでいた可能性すらある。
「逃げんな! 能無しのくせに!」
「待ってケラー! 話しを聞いて!」
「うるさい!」
そう言って、再び拳を振りかぶって突っ込んでくるケラー。
僕が何を言っても、話を聞くつもりはないみたいで。
何か、一種の興奮状態に入り、まともな判断ができなくなってしまっているようにも見えた。
対話ができないのであれば、僕もなりふり構わずに逃げなければならない。
けれど、恐怖で足が竦んで、その場から動くことができなかった。
こういうところが、僕が弱者たる所以なのだろう。
素早い動きで距離を詰めるケラー。
しかし、何故か僕には、ケラーのその動きがやけにゆっくりしているように見えた。
ケラーと言うか、自分を含む世界の全てがスローモーションになっていくような感覚だ。
これが俗に言う、走馬灯というやつなのだろうか。
死に直面し、今まで得た知識や経験の中から何とか自分が生き残る術を見つけ出そうとするという、あの。
今日まで生きてきた間の記憶が、ゆっくりと頭の中に流れていく。
流れる記憶の中から、何か、今のこの危機的状況を打破する術を見つけられたかというと、そうではなかった。
何故なら、僕は生まれながらの負け組で、物心がついた時からずうっと虐げられ続けてきたからだ。
そんな負け犬の僕の記憶の中に、この状況をどうにかできるような知識や経験が存在するはずがない。
自分のあまりの惨めさに、絶望する。
なんて情けないんだ、僕は。
そんなやつ、死んでしまったほうがマシだ。
生きていたって意味がない。
そう思うと、途端に諦めがついた。
ゆっくりと、ケラーの拳が僕に近づいてくる。
死の間際、思い出すのはシェリーの事ばかりだった。
辛く苦しい事ばかりの僕の人生の中で、シェリーとの思い出だけは光輝いていた。
彼女は、僕の希望だった。
だからこそ、シェリーだけは何があっても幸せになってほしいと、そう願いを込めて、僕は死を受け入れ……
もし、僕が死んだ後に、この暴力がシェリーに向けられたらどうなるのだろう。
死を受け入れる、直前。
ふと、そんな疑問が脳裏を過った。
僕がここで死んだら、万が一にも、この暴力の矛先がシェリーに向けられる可能性がある。
きっと、シェリーはケラーなんかに負けはしないだろうけど、もし、何かの手違いがあって、あの綺麗な肌に傷が付いたりしたら……
それに、シェリーは優しいから、ケラーに情けをかけて油断して、不意打ちなんかを受けたり……
だめだ、やっぱりまだ死ねない。
少なくとも、この暴君達を道連れにして、シェリーの安全が確保されるまでは、絶対に死ぬ事は許されない。
じゃあ、どうすればいい?
力も、知恵も、勇気もない能無しの僕に何ができる?
何もないなら、何もないからこそ、考えろ。
どうにかして、この暴君を止めろと、シェリーを危険な目にあわせるなと、必死に自分に言い聞かせた。
そうして、苦し紛れに、惨めに縋ったのは、あの『言葉』だった。
存在するかも分からない、ギャンブルみたいな僕だけの『魔法』。
カラカラに乾いた喉を鳴らし、ありったけの力を込めて。
僕は、頭の中に鳴り響く言葉を叫んだ。
「ホレイル!!!!!」
そう、目を瞑って放った言葉。
生きるか死ぬかをかけたギャンブルは、どうやら成功したみたいで。
僕の体は、意識は、まだこの世に存在していた。
目をゆっくりと開いて、辺りを見渡す。
あんぐりと口を開いてこちらを見つめるドンパスとライル。
そして、目の前には、眉間スレスレまで迫ったケラーの拳と、そのまま氷のように固まって動かなくなったケラーがいた。
何が起こったのかは分からないけれど、とにかく何かが起こったんだと、そう理解する。
それが、僕の祝福による影響なのかは知らないけれど。
僕は、何とか生き延びた。
しかし、ピンチはまだ終わっていない。
何故なら、動かなくなったケラーを見て不安になったドンパスとライルが、怒り狂って僕の方に向かってきていたからだ。
「お、お前! ケラー様に何しやがった!」
「舐めやがって! 俺らに逆らうな!」
そうやって向かってくる二人に、一か八か、もう一度あの言葉を、祝福かもしれないあの魔法を唱えようとするも、それは叶わなかった。
何故なら、こちらに向かってくるドンパスとライルが、僕以外の手によって撃退され、数メートル先へと吹き飛んだからだ。
何が起こったのか、まるで理解が追いつかなかった。
それもそうだろう。
ドンパスとライルを吹き飛ばしたのは、僕の目の前にいる、他の誰でもない、彼らのボスであるケラーだったのだから。
「ケ、ケラー……君、一体どうして……」
「あ、あの!」
あまりの衝撃的な出来事に、僕は面を食らいおかしくなって、思わずケラーにそう聞いてしまった。
けれど、ケラーの大声に僕の声は遮られ、事情を聞くことは阻まれてしまう。
唖然として、ケラーを見つめる僕。
そんな僕をお構いなしに、ケラーは言葉を続けた。
真っ赤に高揚した頬、潤んだ瞳。
未だかつて見たことがない表情をしたケラーが、僕に言う。
その表情は怒りによるものではないと、直感的にそう思えた。
だって、今のケラーは、まるで恋する乙女のような……
「わ、わたし……ごめんなさい! こんな、酷いことばっかりして! 自分が恥ずかしいです!」
「えぇ!?!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます