第7話 幽霊が帰る場所
ロビン・グッドフェロー号は予定よりも十日遅れでコロニーへ到着した。
航路修正時に船内で何十名も負傷者が出てしまい、一時は船を動かすことすら危ぶまれたが、遅くともとにかく航路の中を走らせることだけはできたので食料と薬品の不足に悩まされながらもなんとか到着したのだ。
「新人、よくやったな」
機関長もまた、船が急旋回した際に床や天井に叩きつけられて重傷を負った。他の負傷者と一緒に運ばれて行くのを計都は付き添って見送る。
「なあ、機関長。ひとつ聞きたいんだけど」
慌ただしくコロニー側の医療班が動き回る中、計都は追い出される前にと機関長が寝かされている担架に近づく。
「あのぬいぐるみと閉鎖区画の花、機関長がやったんだろ」
ほとんどかまかけのような質問だったが、機関長は一瞬、驚いた顔をした後で肯定した。
「そうだ。俺が置いた」
花は機関長が船に乗った当初に、ぬいぐるみは幽霊の正体を知ってから置いたと告白された。その行為の意味について彼が語る前に計都は医療班の連中に追い払われてしまったが、それだけ聞ければ十分だったので身を引き、忙しく走りまわる者たちの間をすり抜けて船へ戻った。
船内へ入り、計都は振り返る。急制動の影響であちこち故障し、最初よりも輪をかけてみすぼらしい姿になってしまったが、もうボロ船と失望することはなかった。
運ばれて行く負傷者や、調査のために動いている班をよけながら、ことさらゆっくり歩いて自身にあてがわれていた部屋へと戻る。四人部屋だったが、二人は重傷を負って先に下ろされ、もう一人も計都がもたついている間に下船したらしい。人が少なくなると、狭苦しかった部屋も広く見えた。
そうやって、壁の継ぎ目やシーツのしわなど、何でもないことのすべてを記憶するように見つめながら、大してない私物をまとめる。もっと時間をかけたかったが、早く降りろと声がかかったので着替えなどが入った袋を下げて計都はある場所へと向かう。
「フィー、行こう」
閉鎖区画の扉は、船体自体がゆがんでしまったせいで閉じなくなっていた。その隙間から、ひょこりとフィーが顔を出す。
「お兄ちゃん?」
「準備はできたか」
ロボットの少女に自分の荷物をまとめるという概念はなかったらしく、首をかしげてきた。苦笑いした計都は、近くに落ちていたぬいぐるみを持たせる。
「忘れものだよ」
素直に受け取ったフィーはぬいぐるみを振りまわす。その様をながめながら、わからずじまいだったことも多いなと嘆息する。
結局、船の航行システムにバグが仕込まれていた件はあいまいに終わりそうだった。だが到着の遅れや、解体するとはいえ商品である船そのものを破損させてしまった件は不問となり、さらに出所不明の慰労金が支払われた。そのおかげで片道分の給料と退職金も合わせてそれなりに懐は暖まった。負傷者にも、度合いに応じて治療費が負担されることになっている。
大人の事情ってやつか、と計都は肩をすくめる。
機関長が言っていた手伝い分のボーナスは、期待半分あきらめ半分で待つことにした。
これであとは紹介される予定の仕事がまともなら、とまた沈んでしまう。
「お兄ちゃん、船を降りるの?」
計都の様子を見て、下船するという知識は持っていたらしくフィーはぬいぐるみを抱きしめてすがってくる。
「行っちゃうの?」
そうだな、と計都はうなずく。もしかすると、今までもこうやって船を下りる船員たちを見送ってきたのかもしれない。
だが今日は違うのだと計都はフィーの手を取った。
「フィーも一緒だ」
言っただろう、と優しく声をかける。
「兄さんを探しに行こう」
それがどれだけ無理な注文かなど、計都にはわかっていた。
兄の生死や所在を確認することも難問だが、それ以前の問題が立ちはだかっている。
フィーは船に搭載された基礎ドグマを使って動いている。船から降りる、もしくは距離が離れてしまえばそこに残るのは廃材で作られたロボットの抜け殻でしかない。
フィーはこの船から出られない。
そしてロビン・グッドフェロー号は乗員をすべて下ろした後、そのままドッグへ運ばれて解体されることになっている。
それを知りながら計都は少女の手を取る。もう離さないとばかりに握りしめる。
「約束しただろう」
たとえ船から出て即座に鉄塊になろうとも、計都にとってはこのロボットがフィーなのだ。
「お兄ちゃんに会いたい」
フィーはおずおずと計都の手を握り返してくる。計都も笑って互いに繋がった手を大きく振りまわし、並んで出入り口までをゆっくりと歩いて行った。
連れ立って歩く姿にまだ残っていた乗員や医療班の面々が驚愕した様子を見せるが、その視線に対して笑って手を振り返してやる。
「外だよ」
指差す先には四角く切り取られた光が見えた。
おそらくあの境界線から一歩でも踏み出せば、フィーは機能停止してしまうだろう。
それでも、せめて外を見せるだけでもと思っていた計都は、急に光がさえぎられたことで顔を上げる。
出入り口に二人の人影があった。
医療班かと思って道を開けようとすると、足下に軽い衝撃を感じて視線を落とす。見れば足の上にぬいぐるみが落ちていた。フィーが急に手を離したのだ。
「……フィー?」
少女の視線は前方に固定され、ぬいぐるみを落としたことすら気づいていない。
どうかしたのかと声をかけようとすると、フィーは計都の手を振り払って走り出した。
がしゃがしゃと、金属のかたまりが動く音が響く。コロニーに下りて重力制限が消えたことで船内は地球と同じ重力設定となった。そのせいで重くなった身体はこれまでのように跳ねることができずによろめき、壁に当たって衝突音が響く。廃材を寄せ集めた身体や、髪を模したケーブルが広がり、無計画な工事の影響で突き出たパイプに人工皮膚すら貼られていないむき出しの足が引っかかる。
それでも小さな存在は足を止めなかった。
「お兄ちゃん!」
不格好な、かろうじて五指がそろっているだけの手とそこに繋がる腕が伸ばされる。
懸命に伸ばされる手に向かって光の中から二対の腕が突き出された。
彼らはフィーを引っ張りこむようにして自分たちの腕の中へ小さな存在を収める。
そうやって、ふたつの影とひとつの無機物はひとつになった。
「フィスカス」
「会いたかった」
ひとつのかたまりとなって嗚咽を上げる様を計都はいつまでもながめていた。
動くことも声をかけることも、足下に放り出されたぬいぐるみを拾い上げることすらできずにただ見つめていたのだ。
輸送船ロビン・グッドフェロー号の短い活動は終わった。
移民船アトランティス号に秘されていた過去の所業は、暴かれることなく闇へと葬られることになる。
同時に、航路情報にバグを流した存在もまた、表に出ることなく息をひそめる。
それが、年月をかけて富を築きあげ、船を買い取った兄たちが妹を取り戻すために最後に押しつけられた条件だったから。
【廃船航路 終】
廃船航路 六神 @mutsu1230
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