第6話 幽霊に頼み事


 何度も呼びかけたが扉は固く閉ざされたままだった。

「聞こえてないのか。それとも中にいないのか……」

「いいや、いるはずだ」

 閉じこめたところで基礎ドグマに繋がっているロボットであるフィーはセキュリティなどものともせずに扉の暗証番号を解析し、ロックを解除してしまう。解体してもしばらくすれば同じような身体を作って動き回るので、放置するのが一番手間がないのだと機関長は語る。

「そうやってこの船は二十年、あのロボットの存在を認めつつ無視してきたんだ」

「……何なんだろうな、フィーって」

 計都は扉を叩き続けて赤くなった手をさする。

「フィスカスって子に関係あるのかな」

 ほとんど独白だった。隣の機関長がうつむくのが見える。おそらく、彼も確固とした答えは知らないのだろう。

 計都の予測だが、あの小さなロボットにはフィスカスという少女の人格や記憶の一部がコピーされている。だがなぜそのような存在が作られたのかという疑問を前にすると行きづまってしまう。基礎ドグマはあくまで計算領域の下地だ。ドグマが独自に何かを考えて行動を起こすことはない。

 人が禁忌を犯したことでドグマが通常の設計ではありえない変化を遂げた可能性はあるが、それこそ推測の域どころか妄想だ。

 ただ答えは出なくとも、扉は開いてくれた。

 厚い扉の奥でロックの外れる音が響き、少しの間を開けてからゆっくりと閉ざされていた扉に隙間が開く。

 それを逃さず計都は隙間に指を突っこみ、顔をもぐりこませるようにして叫ぶ。

「フィー!」

 扉は一人が入れるほどの隙間が開いたところで止まる。中をのぞきこみながら計都が声をかけると、向こうの方でちらちらとこちらをうかがう小さな頭が見えた。

「さっきは急に帰って悪かった。遊ぼう」

 遊ぼう、その単語に小さなロボットは弾かれるようにして飛び出してきた。やった、と小さく快哉を上げる計都の背を機関長が押す。

「あの子は年寄りより、自分に付き合う体力のある若い人間が好きなんだ」

 行って来い、と彼は力なく笑う。

「機関長……」

 この老人は、船が抱える闇を知っている。遊ぼうよ、と無邪気に近づいてくる存在のもとになった少女を記憶し、その過去が今も続いている。

 計都には機関長があの閉鎖区画内にある基礎ドグマ、そこに封じられた子供たちのようにこの船に閉じこめられているような気がした。

 いいや、と即座に自身の考えを捨てる。

 機関長がこの船から離れる機会は何度もあったはずだ。それこそ、自身の過去を調べた段階でアトランティス号に関わらず生きていくことも選択できた。だがそれをしなかった。彼は閉じこめられているのではなく、まだこの船から降りていないのではないか。

 ならばここで彼は降りるべきだ。

 いってきます、そういって計都は閉鎖区画内へと滑りこむ。

「お兄ちゃん、遊ぼう」

 つかんでくる手は相変わらず冷たく硬い。そのことに、計都はなぜか妙に泣きたい気分になってきた。鼻の奥が痛んだが、無理に笑って手を振りまわし涙の気配を打ち消す。

 顔を上げた向こうには、非常灯もついていない闇が広がっている。先を照らすのは計都が持つライトがひとつきり。とぼしい明かりは余計に闇の輪郭を濃く描き、まるで先行きの見えない自身の運命のように思えた。

 そう、このままでは船はやがて沈み、闇へと飲まれてしまう。

「フィー」

 声をかけると、フィーはこちらを見上げてくる。

「俺さ、やらなきゃいけないことがあるんだ」

 相変わらず不格好な造形のロボットは、それでも仕草だけは本物の少女のように軽く小首をかしげて見上げてくる。その動作の細やかさと無機物のかたまりでしかない存在との落差をさびしく思いながらも笑った。

「フィーにもあるだろ」

 何だろうと言いたげにフィーは首を揺らし、考え中だとふらふらと頭を動かす。その様がおかしくていとおしくて、計都は笑いながらフィーと繋がっている手に力をこめた。

「フィーの兄さん、一緒に探しに行こう」

 ぴたりとフィーの動きが停止する。元々小さな身体に合わせて計都もゆっくり歩いていたのでほぼ同時に彼も立ち止まった。

 顔を上げると、計ったわけでもなく基礎ドグマのある部屋の前だった。

 ほこりをかぶった造花が変わらずそこにある。

 そのことはあまり気にせず、計都は芯を入れたようにかたまってしまったフィーをのぞきこむ。どうかしたのか、と声をかけようとしたが、その瞬間、跳ねた。

 うわっ、と声を上げて計都はのけぞる。あと少しで金属製の頭があごにぶつかるところだった。だが接触事故を起こしそうになったことなどフィーは気づかず、盛大な音を立てながら飛び跳ねている。

「行こう行こう!」

「うわっ、わかったから、行くから!」

 身体は小さくとも金属製だ。重量は相当程度ある。そんなかたまりに抱きつかれ計都は転倒しそうになる。むしろ低重力下でなかったら、倒れて押しつぶされていただろう。

 激しい動きに揺さぶられながら、計都は不意に得心がいく。思えばフィーは最初から何かを探していた。いや、何かを探すために船内を歩き回っていたのだ。

 その答えは最初に示されていたというのに、計都は気づかずにいたのだ。

 ―あたしのお兄ちゃんも迷子なの

 フィーは初めて会った日にこう訴えていた。

 これまで何度、そうやって他者に声をかけ続けてきたのだろう。

 何度、無視され放置されてきたのだろう。

「探しに行こう」

 フィーをひきはがした計都は膝を折り、視線を合わせる。ケーブルやビニル素材を組み合わせた髪の毛からのぞくのは、ただのカメラアイ。掃除ロボットが障害物を避けるために付けているそれと大差ない。

 それでも計都は、かろうじて五指がそろった形をしているだけの手を握り、黒い空間にしか見えない目を見つめる。

「けど、そのためにはこの船を降りないといけないんだ。いや、船が降りられるところまで行く必要がある」

 フィーは計都の言葉を咀嚼するように静かになる。途端、彼は船内の静けさに背中が寒くなるのを感じる。もしかすると一秒後には船の隔壁にデブリが突っこんで穴が開き、すべてが終わってしまうかもしれない。その緊張感をなるべく表に出さないようにしながらも続ける。

「この船は現在、正しい道から外れて行ってるんだ。このままだと道も見失って、迷子のまま帰れなくなる」

「迷子は、いや」

 首を振って即答するフィーに計都は笑いかけ、そして表情を引き締める。

「フィーの力を貸して欲しい」

 片手でフィーの手を握り、もう片方の手は正しい道を示す地図を記録したメモリが入ったポケットにそえる。どちらも小さくて硬いが、ロビン・グッドフェロー号とその乗組員が生き残るためにはこのふたつの存在を繋ぎ合わせなければならない。

「フィーにできることなの?」

「フィーにしかできないんだ」

 詭弁だ、と計都は自嘲する。どれだけ言葉を連ねようとも、過去に犯した罪をもう一度繰り返していることに変わりない。家族から引き離されて変わり果てた姿になった少女に、その家族に会わせてあげるから言うことを聞けなんて脅迫とどう違うのだ。

 それでも計都は生き残りたかった。哀れな少女に媚を売ってでも、嘘をついてでも、生きてこの船から降りたかった。

 本音はそこだったが、同時に、フィーの兄たちを探したいという思いもまた計都の本心だった。探し方も、今も生きているのかどうかもわからない。

 それでも、この幽霊をこれ以上さまよわせたくはなかった。

「フィーならできるの?」

 多分ね、と計都は返す。

「でも、もしかするとフィーが痛い思いをするかもしれない。それでもフィーはお兄さんに会いたいかい」

 今度は少しばかり、長い間が必要だった。船内は変わらず静かで、航路を外れるなんて異常事態が起こっていることすら忘れそうになる。だがそれも基礎ドグマがまだ生きているからで、船体に大きな損傷を受けてしまえば終わりだ。船の外壁が壊れてしまえば酸素供給は滞り、重力は失われ瞬く間に船は真空と闇の中へと沈んでしまうだろう。

 計都の思考が閉鎖区画の暗がりに溶けそうになったころ、返事があった。

「……会いたい」

 ぽつりとしずくが落ちるようにフィーが答える。

「フィー、お兄ちゃんに会いたい」

 さびしさを埋めるように、フィーは計都に抱きついてくる。その身体のどこにも人間らしい個所はなかったが、彼には冷たく硬い身体が幼い少女そのものに思えた。

 少女は二百年、家族を探していた。どうしてこのような存在を基礎ドグマが生みだしたのかはわからない。もしかすると調べていけば何か根拠があるのかもしれない。ただのバグの可能性もある。

 それでも計都は、フィーは悲しい結末をたどった少女自身の願いが形になって起こった奇跡だと信じたかった。

「一緒に会いに行こう」

 二人は互いに手を取って立ち上がる。

 彼らの前には、この区画が閉ざされた元凶となる存在があった。



 航路を外れている。

 船の人工知能が発した警告は、正確に言えば航路逸脱を示したものではなかった。それは航路情報とは別の個所から発せられたもので、船の傾きが大きくなっているのでどこかに異常がないか確認しろというものだった。

 船の傾き具合は宇宙空間ではそこまで大きな問題ではないが、それでも船橋につめていた者たちは一瞬、意味がわからずに硬直する。次いで、重力制御や進路計など様々な計器を確認し、傾き以外に特に異常が出ていないことを知り、ただの誤情報と大半の乗員が笑い飛ばした後、ひとりが青ざめる。

 航路が、と船の制御系ではなく自身のタブレットで航路計算を行った航宙士は画面に表示された現在の船の位置を十回確認した後、床を蹴って船長席に飛びつく。

 船長はそろそろ休憩時間だというのに割りこんできた用件にあからさまに渋面を作る。それでも必死になってこっちを見ろと叫んでくる航宙士に仕方なく向き直った。

 その表情が航宙士と同じになるまで三十秒もいらなかった。

 ようやく船が警報音を響かせたが、何もかも遅かった。

 そこからが、本当の修羅場のはじまりだった。

 混乱の初期は計都の反応と大差なかった。だが彼らは数分で冷静さを取り戻し、現状を把握し、見習い乗組員よりも経験と知識が豊富な分、絶望も深かった。

 調べてわかったのは、基礎ドグマに流された航路に関する誤情報は防壁の内側に入りこんでしまっている。外側からでは削除も改変もできない。

 船橋の下にある制御区に入って直接、基礎ドグマを操作しようとするが、やはり防壁の上からでは受け付けずさらに強固にはばまれるだけ。

 わずかな間にも、正しい航路から船は遠ざかって行く。気づいた段階ですでに道を外れていたのだ。早く進路を修正しなければ道すらも見失ってしまう。

 あせる乗員に、船長は警報音を止めろと告げる。

 けたたましいサイレンが途切れたことで、船内は仮初めの静けさを取り戻す。

 落ちつけ、と船長は一喝し、ひとりずつ顔を見て可能不可能に関わらず、対応策を述べさせる。実行可能なものは即座に試させ、不可能な策はどうすれば使える手段になるのかを検討する。

 船長もこの船の基礎ドグマに隠された事実を聞き及んでいた。忌むべき技術を使ったことによる不具合か、と諦念を持ち始めたが、そんなことを今も走りまわっている部下たちに悟らせることはできず、ただ座っていることしかできなかった。

 今の航路システムが信用できない以上、いつ小惑星やデブリ帯にぶつかって船がまっぷたつになるのか予測もつかない。モニタに表示されている外の状況が事実かどうか、窓を開けて確認するわけにもいかないのだ。

 次第に異常が船橋外の船員にも伝わり、船内各所で不安の声を上げる者や焦燥のままに他者や機材に鬱憤を発散する者が出始めた。このままでは狭い船内で暴動が起きかねないと危惧するが、対応策はまだ出ていない。

 誰かが基礎ドグマを直接いじろうと言い出し、別の誰かがそんな真似ができるやつがいるかと吐き捨てる。

 船橋内の緊張感が限界まで高まったとき、正面スクリーンが一瞬、完全にブラックアウトした。

 急に明かりが消えた船橋内で乗員は悲鳴も上げられずに息をつめる。だが闇に落ちたのはほんの数秒で、すぐにスクリーンに光が戻る。

 それに安堵する間もなく、船が大きく揺らぐ。予期せぬ機動に船員が次々と転倒、あるいは吹っ飛んで壁に身体を打ちつける。船長も椅子から放り出されそうになった。

 最初に異常に気づいた航宙士が椅子の手すりにしがみついたまま、それでも私物のタブレットを手に船が方向転換をはじめたと叫ぶ。

 船体がきしむほどの急制動がかかり、折れろとばかりに勢いよく反転したのだ。轟音と衝撃で船内は嵐どころか竜巻に飲まれたように荒れ狂い、固定されていない機材は床と天井問わずにはね回り、人間も嵐の渦へ飲みこまれる。

 船長は洗濯機の中になってしまった船内に飲まれ、とっさに椅子の背をつかんだが身体は振りまわされる。宙を飛んだ船員が正面スクリーンに激突し、一部が破損した。けれど誰も飛ばされて行った船員の状況を確かめることもできない。

 正面スクリーンは半ば故障したまま、次々と表示が入れ替わっていった。船内ステータスが更新され、故障個所がいくつも飛び出す。あれだけ激しい動きを取ったのだ、船がばらばらにならなかっただけ僥倖だと船長は少しばかり身体にかかる負荷がゆるやかになってきたのを感じて息を吐く。次いで顔を上げてまだ衝撃から立ち直っていない船員の顔を順に見渡す。

 今の急旋回で負傷者が船内で多数出たはずなので、救護班を手配するようにと彼が声を上げようとしたとき、別の声が割って入る。

「航路が」

 スクリーンに表示されていた航路表示は一変していた。一目でロビン・グッドフェロー号が正規航路から大きく逸脱していることがわかる。

 同時に、船が正しい航路へ向かって一直線に進む様子が示されていた。



 その急な進路変更で、閉鎖区画にいた計都も散々な目にあった。

 フィーを説得し基礎ドグマのある部屋へなだめつつ移動。正しい航路情報をフィーを経由して基礎ドグマに認識させ進路変更までは無事に行うことができた。

 だがそれを操るのが操船に関しては素人以下のロボットだ、乗員の安全と船体の保全という概念は備わっておらず、計都も船が急旋回しはじめたことは理解できたので、とっさにフィーを抱えて何かにつかまるのが精いっぱいだった。

 せめて船内に一言でも警告を出していれば、と床を跳ねて打ちつけた個所をさする。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 そんな荒事を成し遂げたフィーは、何もわからないとばかりに計都の腕に収まっている。まさか金属のロボットを抱えこんで部屋の中を転がり回ったおかげで余計に負傷しましたとも言えず、あいまいに笑うことしかできなかった。

「大丈夫だ。……もう、何も心配することなんてないよ」

 声を上げて笑うと、身体のあちこちから悲鳴が上がった。

「これでやっと、帰れる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る