第5話 さまよう船


 機関長の説明ではまだ航路を外れただけ。つまり正しい道を見失ったわけではない。進路を戻して定期航路へ入ることができれば無事に目的地までたどり着ける。

 機関長の言葉に計都は背筋に定規を入れられたように立ち上がる。

「まだ、終わったわけじゃない」

 そうだ、と背中を叩かれたたらを踏む。そこで杖を持ったままだったことを思い出し、机に手をついて自身を支えている機関長に返す。

「でも、どうすれば」

 航路の修正など、まだ見習いの札が取れない計都にはできない相談だった。それは専門外の機関長も同じで、彼らは共に顔を見合わせる。

「そういうのは本職に任せた方が」

 いいや、と機関長は否定の声を上げる。

「おそらく、それじゃあ間に合わん。というか、できないようになっている」

「なんでっ!」

 噛みつく計都に機関長は落ちつけと諭すが、これで冷静になれるはずもない。

 しかも続く言葉はさらに計都を叩き落とした。

「この船は、最終航路で沈められることが決まっているからだ」

「はい……?」

 いやまさかそんなと少ない語彙で訴えるが、機関長の態度は奇妙なまでに冷静だった。

「俺がこの最終運航便に乗ったのは、船が沈むとわかっていたからだ」

 なぜ、という問いかけは、ようやく鳴りだした異常を知らせる警報音にかき消された。それでも意図は通じたらしく、機関長はひとつ息を吐いた後に答えを教えてくれる。

「ある筋から連絡があった。ロビン・グッドフェロー号は、最終運航のさなか、事故に見せかけて沈められるってな」

 証拠もあった、と機関長は続ける。

「航路計算で意図的に誤情報が流れるように設定が改変されたんだ。モニタ上は正常に航行していると見せかけて、実際は少しずつ航路を外れて行く悪辣な仕掛けだよ」

「何で、そんな真似を……」

 政府の要人が乗っているならともかく、ロビン・グッドフェロー号はただの定期輸送船だ。古い以外に自慢する個所はない。それにいくらボロ船でも百人近い人間が乗っている。誰かの都合で沈めていい理由はどこにもない。

 と、まとまらない頭で理由を探していた計都は、そこであることを思い出す。

「……基礎ドグマ」

 あるではないか、この船にしかない特殊性が。

「そうだ、この船には今の……いや、当時でも許されなかった存在がある」

 子供たちの命を切り刻み、パズルのように組み合わせて構築された頭脳。それらは現在も稼働している。

「あの基礎ドグマを……フィーを壊すために、この船を沈めようとしてるのか」

 艦内の気温が急に下がった気がした。計都は自身の身体を抱きしめる。脳裏に浮かんだのは閉鎖区画内に隠されていたある部屋。ロビン・グッドフェロー号の運航システムをつかさどる基礎ドグマがそこにある。古くさくていびつな設計で、ただ機能だけを優先して組み上げられた構造体。

 移民船アトランティス号に搭載されていた本来のシステムが壊れたため、生き残りを賭けた技術者の狂気と集団心理の暴走が幼い命を必要な犠牲だと勝手に判断し、虐殺を行った証拠でもある。

 あの部屋の中にはまだ、かつて子供たちだった存在のかけらが今も生きている。否、生かされ続けているのだ。

 計都は身体を震わせる。歯の根が合わず、出てくる言葉はかすれていた。

「そりゃあ、俺だってあんなの見て、聞かされたら、終わらせてやりたいって思う。けど、何で他の船員まで巻き添えをくらうんだよ」

 船内には気の合う者もいれば、顔も見たくない者もいる。まだ全員の顔と名前は一致していないが、それでも彼らは全員この小さな世界の仲間なのだ。

 突きつけられた状況に慄然とする計都に機関長はため息と共にこぼす。

「……この船は、オーナーが変わった」

「まさかそいつが!」

 いいや、と機関長は首を振る。

「新しいオーナーは、買い取った船を即座に廃船にすると決定した。それは、いまおまえさんが言ったのと同じ理由からだ」

 終わらせてやりたい。

 たとえもう人の形も、意識すら保っていない存在だとしても。このまま朽ちるまで道具として使いつぶされることをよしとしなかったのだ。

「だからこそ、俺はこの馬鹿げた結末を阻止するために乗りこんだ。船が沈められるっていう情報は、その新オーナーからのたれこみだよ」

「オーナーはこの船を解体したい。けど誰かが横やりを入れて事故に見せかけて処分しようとしてる。何かおかしくないですか。廃船が決まってる船を事故扱いにするって。結果は同じじゃないのかよ」

 それに、と計都はぐるぐると渦を巻く視界と思考のまま言葉を吐きだす。

「そもそも解体するなら運航途中に事故で行方不明って方がオーナー的にはよくないですか。その、保険金とか」

 言葉の前後がすでに矛盾していたが、計都は思ったままを口にする。新オーナーに会ったことはないので性格も考え方も知らないし、これからも接触の機会はないだろう。それでも事故を阻止しようとするオーナー側の方が不合理に思えたのだ。

「まあな。買った船を解体して廃材を売るより、沈めて保険金をもらった方がずっと懐がうるおうだろう。もしかすると、買値以上の金が入るかもな」

 けどな、と機関長は苦笑する。

「新オーナーは、馬鹿なんだよ。俺たちみたいな船乗りが一生働いても稼げない金額を提示して船を買って廃船にする。その理由は、正しくありたいからだ」

「正しいって……」

 意味がわからないと計都は混乱する。

「この船は、多数を生かすために少数を犠牲にした。だがそれは正しくない行いだった。だからこそ、金額の桁で相手をつぶしてでも正規の手順を踏みたいと考えているんだ」

「その新オーナー、いろいろな意味で大丈夫なんですか」

「さてね。だが俺は正義感ばかりじゃないぞ。報酬がよかったんだ」

 からかうような物言いに計都もようやく身体を弛緩させて笑い返す。

「報酬って、そんなの生きてたどり着かないと意味がないし」

「こっちは非正規雇用の身の上なんだ。退職金も次の就職先も当てがない。それなら覚悟ひとつで手に入る報酬の方が美味しいと思うがね」

 確かに、と妙に納得してしまう計都だった。通帳の残高を見てなげいていると余計に心が寒くなってくる。かといって明るい話題もない。死にたいとまで悲観的にはならないが、ようやく手にした就職先が沈没前提だったと聞かされては、自身の悪運にもういっそ消えてしまいたいと虚無の笑いしか出てこない。

 空虚な笑みを浮かべる計都の背を機関長が強く叩く。

「しっかり立て」

 痛みよりも勢いに押されて計都は倒れそうになったが寸前で踏みとどまる。顔を上げると警報音が止まっていることに気がついた。

「あきらめるのはまだ早いぞ。手伝ってくれるなら、依頼主へおまえさんへのボーナスが出るように訴えてやる」

「やります」

 金に釣られたわけではなかったが、それでも呆然としている間がないことを思い出せるくらいには意識がはっきりした。

「ええっと、この船は航路を外れるように仕組まれたんですよね。いったい誰がそんなバグを仕込んだんですか」

 いくら負の遺産を搭載した船だといっても、計都のような若い世代は知るよしもない秘密だ。それだけ隠されてきた事実なのだから、わざわざ船ごと沈めてしまう手間をかける理由も意味も見出せない。

 計都の疑問に対し、機関長は沈痛な表情を浮かべる。

「人の心は複雑なんだ。金を捨てるような真似をして、老朽船を解体する者がいる。そして、中には船を解体することで、かつての悪行を訴えられないかと疑心暗鬼になる者もな」

「じゃあ、船を沈めるのって……もしかして、船の解体が決まったせい」

 計都は慄然とする。証拠隠滅を図るため船もろとも何も知らない乗組員を巻きこもうというのか。そんなもの、子供がすぐばれる悪戯の証拠を隠そうとするレベルのつたない所業だ。

「ふざけんな。勝手すぎるぞ」

 勝手だな、と機関長は同意する。彼らは共に顔を上げた。警報音は止まっていたが、決して安心できる状態ではない。むしろこうして感情を暴走させている間にも状況は悪化しているのだ。

「機関長、まだ手はあるんだろ」

 もちろん、と機関長は最初に幽霊話を聞かせてくれたのと同じ顔をして笑う。

「俺はな、この船が沈められることを阻止するために乗ったんだ。いわば正義の味方なんだぞ」

 行くぞ新人、と声高に宣言し、機関長は杖をついて歩き出した。



 船内はそれなりに混乱していたが、状況を把握している者は皆無だった。皆が皆、先ほどの揺れと警報は何だったのかと顔を見合わせているが、航路を外れていることには気がついていない様子だった。

 乗船歴の長い機関長は行く先々で声をかけられていたが、そのどれにもわからないと答えていた。不思議に思って人の切れ間にたずねると、おまえさんも知らないふりをしろと言われる。

「船橋につめてる連中は、今ごろ大騒ぎだろうがな」

 下手に航路を外れている状況が露呈してしまえば、船内はそれこそ暴動になってしまう。そうなってくると移動が難しくなるので上層部から通達があるまでは知らぬ存ぜぬを通した方がいいと機関長は計都に告げ、他の不安そうな新人を前に堂々と嘘をつき、慰めと励ましの言葉をかけて先を急いだ。

「まあ、もめごとはないにこしたことはないけど」

 困惑した様子の乗組員たちの横を通り過ぎる際に少なからず事情を知ってしまった計都の良心が痛んだが、ここは知らないで押し通すしかなかった。

 実際、混乱状況は加速しているようで、機関長は最初から目的を持って進んでいたが、次第に慌てふためく声や怒号が増え、殴り合いに巻きこまれそうになる。

 どうにかして騒ぎを避けた彼らがたどり着いたのは、この状況の元凶でもある閉鎖区画だった。計都が出た後に扉は再び閉ざされ、今は一枚の壁のように隙間すらない。

 機関長は扉に触れ、ついてくることしかできないでいる計都を振り返る。

「船のシステムは、船橋の下ではなくこの中こそが中枢だと気づいてるか」

 計都はうなずく。このロビン・グッドフェロー号の基幹システムの位置は船に乗った当初からの疑問だったが、今は通常とは異なる個所に中枢部があること、そして基礎ドグマが構築された経緯や、ドグマ自体を隠すように壁の中に閉じこめた理由も理解していた。

 袋小路に追いつめられた者たちが選んだ、もっとも楽で、もっとも残忍な手段。その結末がこの閉鎖区画に押しこめられている。

「今から何をするかわかるか」

「……基礎ドグマを操作する」

「はずれだ」

 何でだよ、と閉鎖区画へ通じる扉の前で計都は声を荒げる。

「てっきり、基礎ドグマを直接いじるとかそんなことするのかと」

「そんな高度な真似、おまえさんはできるのかい」

 できません、と計都は即座に降参のポーズを取る。

「何か難しそうだし」

「難しいんだ。それこそ船橋で恐慌状態に陥ってる専門家たちが束になってもかなわないくらいにな。それくらいここにあるやつは特殊な作りになってるんだ。これまで行われたメンテナンスも表面上だけで、根幹部分は作ったやつしか理解できてなかったそうだ」

 じゃあどうすれば、と混乱する計都に機関長は落ちつけと諭す。

「策はある。あるが、俺だと厳しいんだ。おまえさんが頼りだ」

「……俺が?」

 計都は自身の経歴を振り返ってみるが、どこにも輝かしいとか優秀という単語は出てこない。航宙船乗りを目指したのは、両親から自身の名前に関する様々な星や天体の話を聞かされて育ったからで、漠然と宇宙に対するあこがれがあったからだ。

「そうだ。なあに、簡単なことだ。子供を手なずけるんだ」

 船の整備士の資格を取ると、保育士の資格も同時にもらえるのかと一瞬、考えてしまったが船が小さく揺れたことで我に返る。

「どうやら、あまり時間はないようだ」

 航路を外れるということは、安全が確保されていないということ。どこに小惑星群があるのかわからないし、宇宙ゴミの掃除も行っていない。

 いつ船の眼前に小惑星が現れて船を押しつぶすか、デブリが船体の横っ腹に穴を開けるか予測がつかないのだ。

「新人、おまえは幽霊を探せ」

 与えられた役目は子守りではなかった。幽霊の捜索といわれても、それが航路修正にどう関係するのかわからなかったが想像力を少し働かせれば見えてくるものはある。

「幽霊って、フィーのことか」

 そうだ、と機関長はこちらを振り向かずに答える。視線は閉ざされたままの扉にすえられていた。

「あのロボットは、おまえさんがここから連れ出された後、そのまま閉鎖区画に残ったはずだ」

 だが扉は閉ざされ開閉コードは変更された。機関長も計都も閉鎖区画に入る権限を持っていない。

「呼びかけて、幽霊にここを開けさせるんだ」

 機関長がかたくなにフィーのことを幽霊やロボットといった代名詞で呼ぶのが気になったが、その事情に切りこんでいく余裕はない。おそらく、心理的な理由だろうと解釈して計都は話を進める。

「フィーに俺の声が届いて、扉が開いたらどうするんだ」

 ここにいる二人の知識や技術では、基礎ドグマを操作して航路を戻すような芸当はできない。だが閉鎖区画へ来る目的なんてあのドグマくらいしか思いつかなかった。

 計都の質問に、機関長は早口に告げる。そろそろ余裕がなくなってきたのだろうが、計都には残り時間を計る経験が悲しいくらいに不足していた。

「扉が開いたら、幽霊にドグマを操作させる」

 まさか、と計都は声を上げる。途端、船体に微振動が走って廊下の奥で悲鳴が聞こえた。少しずつ騒ぎがこの区画に近づいてきていた。

 同時に、残り時間の少なさを突きつけられる。

「そりゃあフィーはロボットだけど、そんな真似ができるような仕様には見えなかった」

 理解が及ばない計都に、機関長から落ちつけと何度目になるかわからない叱責が飛んでくる。

「ロボットの演算処理能力は関係ないんだ。必要なのは、あのロボットがこの船の基礎ドグマに繋がってること。そして、対人インターフェイスが備わっていること」

 対人と聞いて、計都はフィーとのつたないやり取りを思い出す。

 船内にロボットは多いが、ほとんどが作業用の機能特化型で人とコミュニケーションを取れる個体はない。個人で携帯用検索型AIや、閉鎖空間内での心理的な負荷を軽減するためのコンパニオン型AIを所持している者はいるが、フィーのような会話という情報交換を行うほどの性能はない。それに個人所有のAIは、セキュリティの関係上、船内ドグマには接続されない。

「そう、会話できることが重要だ。こっちがあれこれ頭を悩ませて演算式を組まなくとも、話しができる相手となら言葉ひとつで用が足りることもある」

 そうか、と計都は目の前が開けたような心持ちになる。

 機関長は道が見えてきた計都に向かって有無をいわせぬ形相で告げる。

「幽霊に会って船の異常を伝え、そいつからドグマに修正情報を流してもらうんだ」

 それが俺が受けた作戦だといって、男は懐から小型の記憶装置を出してくる。

「これが正しい航路情報だ。こいつを読み取らせて、修正をかけるんだ」

 人差し指の先ほどの大きさをした記憶装置が計都の手の中に置かれる。

 自分たちの命運を握る鍵を手にして息をのんだ計都は、不意に疑問を吐き出す。

「なら、こいつを基礎ドグマに直接上書きすればいいんじゃ」

 無理だ、と機関長は即座に否定する。

「ここにあるのは航路情報だけ。ドグマの防壁を突破することはできん」

 そんな真似ができるなら、船橋の連中がすでに航路修正に成功しているはずだと機関長は肩を落とす。

 基礎ドグマには、他の有害なプログラムの侵入を防ぐための防壁が何重にも張りめぐらせてある。その壁は厚く、専門職でも突破するのは難しいとされている。そんな真似を短時間で行うには、それこそ制作者か、あらかじめ設定されている裏コードを知っていなければ不可能だろう。

「その壁を、フィーなら越えられるっていうのか」

「少なくとも、おいぼれと新人の二人でやるよりは可能性が高い」

 よし、と計都は機関長から受け取った記憶装置を胸のポケットに入れ、軽く叩いて小さなメモリがそこにあることを確認する。

 もろくてすぐに壊してしまいそうだが、これが彼らの生命線だった。

 そしてその線を繋ぐには、哀れな運命が生んだロボットが必要になる。

 計都は厚く重く閉ざされた扉を叩く。

「フィー! 俺だ、開けてくれ!」

 閉鎖区域へ繋がる扉に向かって計都は叫んだ。

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