第2話
「まず、この手紙は僕に宛てられたものじゃないんだ。本来受け取ったのはあっち」
「あっち?」
「ほら、あそこで走ってる一番背の高い坊主。相原浩っていう僕の友達」
野球部のグラウンドでランを続けている浩を指さす。練習中は背番号のついたユニフォームを着ていないから説明が難しい。
どうやらレモンは我が校の野球部にさほど興味がないらしく、「へー」と感情の乏しい声で相づちを打つ。もしかすると先ほどの説明ではどの坊主が浩なのか分からなかったのかもしれない。
「浩が今朝学校に来たらこれが教室の机の中に入っていたらしい。読んでみても差出人も分からないし、指定の場所も分からないしで困っちゃったみたいで、代わりに探してほしいって僕に頼んできたんだよ。ついでにお断りの返事をしてきてほしいって。それで桜の木を探していたら、野球部グラウンドの隣に生えているこの木を見つけて、もしかしたらここがそうなんじゃないかって思ったわけ。ここならどこの桜の事を指しているか書いていなくても、野球部の浩になら伝わると思ってね」
「なるほど、そういう流れだったんですね。それにしても、その浩さんは人使いが荒い方ですね。それくらい自分でやればいいのに」
「まあ、そう浩を悪く言わないでやってくれ。いつも僕が迷惑をかけているから、その恩返しみたいなものなんだ。僕がいつも暇してるのは事実だし、今日だってどうせ強制下校時刻までずっと本を読んでいるぐらいしか用もなかったから。それに……」
浩の最後の表情が脳裏にちらつく。あの表情は、一体どういう意味だったのだろう。今までに見たことのない彼の表情の理由を知りたいというのも僕の行動指針の一つだ。
「それに?」
「浩には出来ない理由が二つほどあったからさ」
「理由ですか」
「うん。一つ目は『探す時間がない』ことで、もう一つは『桜が苦手』なんだって」
「『桜が苦手』?どうして?」
「それは分からない。というか聞いてない。詳しく問い詰めたわけじゃないから。そのときの浩の顔がさ、なんだか哀しそうで言い出せなかったんだよね」
「そうですか……」
そこまでの内容を伝えると彼女は何かを考え込んでしまった。差出人を探すという名目から外れたことばかりを話してしまったかもしれない。深く考え込むレモンの頭に桜の花びらが舞い降りる。彼女はそんなことにも気づかずに集中しているようだった。
「なんだか、違和感があります」
「違和感?」
「ええ。でも現在の情報だけだとピースが足りません。もう少し詳しく聞かせてもらってもいいですか?」
「勿論。僕に答えられることなら」
「では、先ほど断るという言葉が出ましたが、先輩は一体何を断るんですか?」
予想外の質問に少し首をかしげる。彼女はどうして浩の名前なんかを知りたがるのだろうか。そして、もう一つの質問についても、これはラブレターなのだから、断る内容なんて一つしかないはずだろう。
「断るっていうのは、付き合えません、ってことだろ」
「先輩、手紙の内容をしっかり読んでみて下さいよ」
手紙の内容?と思いつつも、読み返すまでもなく思い出せるような短い呼び出しの文言を見る。
『話したいことがあります。桜の下で待っています。』
僕も違和感を覚える。言葉の意味だけを捉えるとこれが告白の呼び出しだと断定できない、か。ということはこの手紙はラブレターに見せかけた何か?でもこの手紙で他に何の意図が伝えられるというのだろう。
「確かに、これがラブレターっていうには少し違和感があるかも」
「そうですよ。ただ何か他人に聞かれたくない話があっただけかもしれませんし。確かに桜の下というシチュエーションは告白にうってつけではありますが、本当に告白の呼び出しだとしたら、こんな質素で情報の足りない内容になるはずがないと思います」
「そうなんだ。僕はラブレターなんて書いたこともないから気づかなかったけど」
「別に私だって書いたことありませんよぅ!でも女の子が自分の気持ちを伝えるときはもっとこう……ロマンチックにしたがるもんでしょう?ここは憶測ですけど……」
「うん、確かにそんなイメージはある」
確かにこの手紙がラブレターだとすると、文面は変だ。手紙で気持ちを伝えて、恋愛関係に発展したいと考えるなら、時間の指定も場所の指定もない呼び出しをするとは考えづらい。つまり、差出人の名前が書かれていないのも、場所、時間が指定されていないことも意図的な行為であって、浩だけに意図が伝わるように書かれていると考えられる。
でも一体どうしてそんな風に書く必要があったのだろう。
「それより、先輩」
「なに?レモン」
「新たに気になることが一つ。『どうして先輩はこれがラブレターだと思い込んでしまったのでしょう』?」
『思い込んだ』と確かにそう言えるだろう。彼女からの指摘がなければ、僕はこれをラブレターだと信じて疑わなかったはずだ。桜の下や机の中といったありがちなシチュエーションが僕を誘導していたのは間違いない。ただ明確に僕がこの手紙をラブレターだと認識したのは別に要因がある。それは――――
「それは、浩がこれを『ラブレター』だと言ったからだ」
「やはりそうでしたか。なら、浩さんはおそらく先輩をそう誘導したように聞こえます」
「浩が何かを企んでいるってこと?」
そう尋ねながらも、僕は浩のことを信じ切れていない自分に気づいた。浩は野球部のグラウンドにこんなに目立つ桜の木が生えているにもかかわらず、僕に何も言わなかった。それは僕にこの手紙の差出人を本気で探させるつもりがなかったからではないだろうか。そんな疑念が僕の中に生まれてしまったからもう無条件で浩を信じることは難しそうだった。
「そうかもしれませんし、違うかもしれません。そこは何とも……ただ疑わしい存在である事は間違いないと思います。だから、先輩。もっと、もっと詳しく先輩と浩さんが話した内容を思い出してもらえませんか。そこに何か手がかりがある気がします」
「分かった。出来るだけ思い出してみる」
なんせ二時間前のことで忘れてしまっていることも多く、所々何を言っていたかを振り返りながら話を再現する。その途中、僕が浩の言葉を再現した時、レモンの目の色が変わった。
「え、先輩。すみませんストップです。浩さんは本当に『そんな風に』言ったんですか?」
「ああ、そうだけど。ここは一字一句あってるはずだ」
「だったら、少し調べなきゃいけないことが出来ました。先輩には浩さんにいくつか質問をしてきてもらう必要があります。だけど浩さんにはくれぐれも疑われないようにしてください。そして明日もまたここで会いましょう。その質問なんですけど――――
◆◇◆◇◆
翌日、昨日の約束通り、桜の木の下に向かうとそこにはもうレモンがいた。
「先輩!頼んでいたことは聞けましたか?」
「ああ、聞けたし、疑われてもなかったと思うぞ」
「良かったです。じゃあその時の話を聞かせて下さい!」
「分かった。というか、記憶力に自信がないからこっそり録音してきたんだよね」
「先輩!えらい!」
口角が上がっていくのを感じる。女の子に褒められるのは想像の何倍も嬉しいものだったみたいだ。昨日買ってきた録音機をこっそり忍ばせておいた胸ポケットから取り出す。音質が悪かったらどうしようかと心配していたが、なんとか聞き取れるくらいだったので少し安心した。
『なあ、浩。昨日の件なんだけどさ』
『お、見つかった?』
『いーや、学校中の桜の木の下探してみたんだけどそれらしい人はいなかったぜ』
『そっか、誰かのいたずらだったのかな』
『そうかもしれないけど、まだもうちょっと探してみるよ。例えばさ、学校外で思い出の場所とかないか?』
『うーん……特に思いつかないんだよなぁ』
『そうか、じゃあ地道に探してみるよ。そういえばさ、昨日言ってた「桜が苦手」ってやつ、なんでなんだ?』
『……まあ大した理由じゃないよ。花粉症なんだ。だからあんまり近づきたくないってだけ』
『あ、そうだったんだ。花粉症辛いもんなあ』
『そうそう、最近マシになってきたんだけどね』
『この町結構桜多いから大変なんじゃないか?ほら中学校でも植樹してたりするだろ?』
『そうなんだよなー。俺も中学校の卒業の時に植樹させられてさ。嫌だったのに』
『浩って中学どこだっけ?ここ地元なんだっけ』
『そうそう、地元。南中出身だよ』
『そっか僕も地元だよ。東中。こんな話するのって初めてだっけか』
『確かに、そうかもな。高校に入ってから知らないうちに友達になってた感じだったし』
『じゃあ、南中からの友達とかっているのか?』
『いないよ。ここ進学校だし学費もかかるし市外のやつの方が多いじゃん。南中のやつらはほとんどみんな公立校に進学したから』
『ああ、そうだな。僕も同じだから分かるかも。それにここ結構僻地だから市内のやつからは人気ないしね』
(キーンコーンカーンコーン)
『お、そろそろホームルームだから席着いておこうぜ』
『ああ、そういや一限ってなんだっけ』
『数学』
「これで良かったか?」
「はい。ばっちりです!」
「僕には特に気になることはなかったんだけどなあ」
「先輩もまだまだですねぇ。この会話で浩さんは明らかに一つ嘘をついているじゃないですか」
指定された質問以外は普通に会話したつもりだし、浩の受け答えにも違和感は感じなかったのだが。どうやらこの探偵レモンには僕には見えていないものが見えているらしい。
「先輩ってもしかして理系科目苦手ですか?」
「もしかしなくても、そうだな。純文系だよ。特に理科は苦手。でもいきなりどうしたの」
「やっぱり。これは理科の問題ですよ、先輩」
後輩に馬鹿にされるくらいならもう少し理系科目も力を入れて勉強しておくべきだったと思った。しかし今そんなことを思っても後の祭り、早々に降参して答えを教わることにしよう。
「お手上げ。答えを教えてもらってもいいか?」
「仕方ないですねえ。答えは『浩さんが花粉症だから桜が苦手』ってところですよ」
「いや、それは嘘じゃないはずだぞ。僕は三月頃から浩が鼻をかんでたり、くしゃみしたりしてるのを頻繁に見てるから」
「じゃあ花粉症なんでしょう。でも桜の花粉症じゃないはずです。おそらくは杉とか檜とかじゃないですか」
「確かに、桜の花粉症って聞いたことないけど、もしかして桜って花粉症にならない?」
「ならない、というのは語弊がありますが、ほとんどありえないと思いますよ。だって桜は虫媒花ですから。花粉症になる植物は大体が風媒花です。風媒花の植物は虫媒花よりも多くの花粉をつくるので花粉症になるんです。だから桜で花粉症になるためには梯子なんかで桜の木に登り降りを毎日繰り返すくらい超限定的な条件が必要なんですよ」
「そんなわけないな。あんにゃろ、普通に嘘つきやがって」
「浩さんが何かを隠している、っていうのはこれで明らかになりましたね」
「そうだな。でもこのままじゃ手紙の桜がどこのものか分からないままだと思うんだけど」
「ああ、それなら多分大丈夫だと思います」
「嘘!?」
何事もなかったかのようにあっけらかんとそう言い切った彼女に、僕はどうやら情けない顔を見せていたみたいだ。でも仕方ないと思う。だって僕はこの手紙の一番の謎がそこだと思っていたのである。だからそれは謎でも何でもない、みたいに言われてしまったから拍子が抜けてしまったのだ。
どうにもそれが面白かったらしく、レモンはクスクス笑いながら立ち上がった。
「じゃあ、先輩。行きましょうか。道中で私の推理を聞かせてあげますよ!」
「移動するのか?どこに行くつもりなんだ」
「南中です。実は私も南中出身でして。とても運がいいです」
どうやら探偵は母校に調査に向かおうとしているらしい。
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