【第二章完結】全ての謎はレモン色に

るで

探偵レモンと桜の手紙

第1話

「なあ、健介。今ちょっといいか」



 放課後、僕は教室に残って日課の読書に勤しんでいた。愛読しているジャンルはミステリー。僕の一つ前の席に座る友人であるひろしに声をかけられたのは探偵がアリバイ崩しの証明を始めた一番盛り上がるシーンだった。



 すこしイラッとして無視してやろうかとも考えたが、こっちの事情など浩が知る由もないことだろうから仕方がない。そう考えて本から顔を上げた。



「どうした?」


「いやさー、ちょっと健介に頼みたいことがあるんだけど」


「頼み?」



 浩が僕に頼みとは珍しいこともあるものだ。いや、僕だけじゃなく、浩が誰かに頼みをすることすら初めて見たような気がする。



 浩にとっては、誰かに頼むよりも自分でやってしまった方が早いからだ。テストでは全ての科目でクラス五位以内だし、所属する野球部でも一年生でレギュラー、この前の春の高校野球では全国大会にまで出場した。現在は二年生ながら四番を任されている。



 一つだけ欠点があるとすれば、浩は僕と同じく友達が少ないことではないだろうか。いや、少ないというか、おそらく僕だけである。誰にでも当たり障りのない浩の性格を鑑みても、もっと友達がいてもおかしくないのに、とずっと不思議に思っている。



 だから、どちらかといえば僕が浩に頼み事(主に勉強を教えてもらうと言う意味で)をするのが常だった。つまり、このたびは浩に初めて頼られたと言えるのだ。もちろん断るつもりもない。



「浩のお願いなら、断るわけにはいかねえな」


「そう言ってくれると思ってたぜ。俺は本当にいい友達を持ったもんだ」


「そんなこというなって、はずかしいわ。で、何すりゃいいんだ?」



 そういうと浩は「これを見てくれ」といって一通の手紙を差し出した。



 そこにはたった一行だけ『話したいことがあります。桜の下で待っています。』とあった。



「いいだろ、これ。告白の呼び出しでしょ!机にラブレター入ってたんだよね」


「はあ?ラブレター、これを見せつけて御自慢かー?」


「いやいや、そんなつもりは一切ないって。これはマジ。頼みっていうのはこれのことなんだよ!」


「このラブレターに関する頼み……?」


「おう、代わりに断ってきてくれねえか!」



 そう言い切った浩の満面の笑みがムカついて、腹にチョップをかましてやった。自業自得というものだろう。ラブレターに対して自分で返事をするのではなく、他人を使って送り主の気持ちを蔑ろにしようとしているのだから。



 ただ、少し違和感があるとすれば、こいつ、そんな人情のない奴だったっけということだ。八方美人とはいわないが、誰にでも当たり障りなく優しい良い奴だと思っていたのだが。



「グッ……お前結構本気でやったな?」


「当たり前だろうが。こういうのは自分で断ってこい。いくらお前の頼みでもこればっかりは――」


「待て待て、まだ続きがあるんだ」


「続き?」



 浩はチョップの痛みを吹き飛ばすように一つ大きく深呼吸をすると、続きを話し始めた。



「俺だって何もなけりゃ自分で行くさ。でもどうしようもない理由が二つあってさ。お前に頼みたいというわけだ」


「わかった。聞くだけ、聞いてやろう」


「ありがとよ。まずその手紙なんだけどさ。差出人の名前がないんだよ」



 確かに、手紙の裏表、封筒を見ても差出人の名前が書かれていなかった。更にいうなら『話したいことがあります。桜の下で待っています。』以外の文字はなく、宛先すら書かれていない。



「確かにそうだな」


「そうだろ?今日朝練の前に教室に来たら机の中にそれが入ってたんだよ。誰が書いたかも分からないし、それに内容の『桜』だって何を指しているかすら不明だし、困っちまって」


「時間の指定すらないし、これじゃ特定なんて無理だぞ」


「俺も、そう思った。だけど、何もしないんじゃ、これを書いた子に悪いじゃん。気持ちには真摯に応えたいから、どうにかして書いた子を見つけようと思ってさ。だけど俺部活で時間なんてないからさ」


「そうだな」


「だからここは帰宅部の健介にお願いしようと思って!それに健介、ミステリー好きじゃん?だからこういうの得意だろ?」


「ミステリーが好きなのと、探偵ごっこが出来るのは全く別の話だと思うけど」


「俺に出来るだけのことはしたいんだよ。だから、別に見つかんなくたっていいからさ。頼むよ!このとおり!」



 そういって浩は教室内で土下座を始めた。こいつは何てことをするんだ。教室には僕たちの他にも何人か残っているというのに。まだ新年度始まったばっかりだぞ。お前は野球部のホープで有名なんだから、土下座させたとなれば、まるで僕が悪者みたいじゃないか!



「分かったから土下座をやめてくれ」



 こうして僕は浩のとんでもないお願いを聞くことになった。



「じゃ、俺はこれから練習だから。この手紙は預けとく。後は任せたぜ!」


「ちょっと待てよ、浩。もう一つは何だよ、まだ聞いてねえぞ」


「ん?どういうことだ?」


「さっき二つ理由があるっていってただろ。一つは『探す時間がない』こと、じゃあもう一つは何だって聞いてるんだよ」



 すると浩は勢いよく教室から飛びだそうとしていた足を止め、こちらに振り返る。



「ああ、桜が苦手なんだよ。そんだけだ」



 そういって今度は歩いて教室から出て行った。



「いーや、『そんだけ』には見えねえけどな」



 その声は届いていなかったのだろう。浩のなんともいえない哀しげな笑顔だけが心に残っていた。



 ◆◇◆◇◆



 浩からの頼みを受けてから少しして、教室掃除の当番を終えた後、外に出てなんとなく探してみたのだが、案の定進展はなかった。まずは『桜』がどこの木を指しているのかを特定しなければならなさそうだ。



 手当たり次第に行くしかないと考えて、学校内の桜の木の下にそれらしき女の子がいないかどうか探してみることにした。こんな虱潰しで見つかるなら世話ないと思いつつも。



 桜の木をなんとなく探してみて初めて、うちの学校には桜の木が多いことに気づく。この学校では卒業生が記念に桜の木を植樹していく伝統があるからだということはすぐに分かった。僕が現在高校二年生で、第三十五代ということは少なくともこの学校に桜の木は三十三本存在することになる。私立ということもあって学校の敷地面積が広いため、それだけ多くの木を植えることが出来るのだろう。



 ただ、桜の木は分散して植えられているわけではなく、それらのほとんどは校門から校舎までの道の両端に植えられている。入学式の頃になると満開の桜並木が新入生を迎え入れる。桜並木の綺麗さがこの学校の一つの売りでもある。



 一本ずつ木の下を見ていくけれど、誰かを待っているらしき女の子はいない。代わりにいるのは桜並木に目もくれず、家に帰ろうと先を急ぐ生徒ばかりだ。どうやらここは外れのようだった。


 

 無駄足だったと肩を落として教室へと荷物を取りに戻るとき、ふと浩は頑張っているだろうかと、野球部が練習を行っている、第二運動場に行ってみることにした。ただただ僕だけが骨折り損なのは癪に障るし、どうにか彼の必死な表情を拝んでやろうと考えた。



 うちの学校には一通りどこの学校にでもあるような部活が存在する。その中でも野球部と陸上部は特別で、スポーツ推薦があって県内外問わず強い生徒を集めている。つまり、学校側の推しの部活というわけだ。だから野球部には専用のグラウンドが与えられており、基本的には野球部以外の生徒がそこを使うことはない。そのおかげかここ最近の夏の高校野球の地区予選大会では、常にベスト4以上の成績を残している。どうやら理事長は毎年全国大会に出場できないのが不満のようで、全校集会でよく愚痴を漏らすけれど、望みすぎではないだろうか。



 そんな強豪校の野球部の中で、浩は推薦組ではなく一般受験でこの学校に入った。それなのにも関わらず、推薦組の生徒を押しのけて一年からレギュラーを勝ち取るなんて脱帽である。浩の性格からいって監督やコーチ、先輩にも気に入られているんだろうというのは想像に難くない。



 そんなことを考えつつ第二運動場につくと、野球部はランメニューの真っ最中であった。外野のレフトの辺りから、ライトの辺りまで何度も何度も走る彼らに余裕はなく、普段屈強でお調子者の多い野球部員の辛そうな表情を見て、僕にはあんなことは一生できないと悟った。彼らがダメなら僕はもっとダメ。当たり前の帰結である。



 そんな彼らの頭上にひらりと桜の花びらが舞い降りた。ランの丁度真ん中の辺り、つまりセンターのフェンスの向こう側に一本の桜の木が生えているではないか。こんなところまでわざわざ来る機会はないし、そもそも春に訪れたのは初めてだったから知らなかった。



 なんだ、あれのことか。そう思った。浩が野球部に所属していることは周知の事実。このラブレターの差出人も桜といえばあの木だと連想したに違いない。浩だって意地が悪い。おそらくあの桜の木を指していることぐらい予想が付いただろうに。後でしっかり文句を言ってやろう。



 ◆◇◆◇◆



 桜の木の下には黒髪を腰の長さまで伸ばした女子生徒が座っていて、本を読んでいた。ご丁寧にも手作りであろうブックカバーをかけていて、何を読んでいるのかは分からない。胸元についている学生証の色から、彼女は今年入学したばかりの一年生だということはすぐに分かった。



 遠くから眺めても彼女の容姿が整っているのは瞭然だった。そしてこんな美少女が浩にラブレターを出したのだという事実が僕の機嫌を悪くする。それに加えて浩は彼女の姿すら見ずに振ってしまおうというのだから、もったいないことをするものである。頑張ってる浩がモテるのは道理にあっているし、頑張っていない僕に文句をいう資格もなにもないのだが。



 それにしても桜に黒髪の美少女。実に映える風景だな、と感じざるをえない。悔しいが僕の好みの光景であった。



 しかしいくら望んだとて僕にチャンスが巡ってくるわけでもない。ここは早めに頼みを終わらせることが出来そうなことに感謝しつつ、話しかけてしまおう。



「すみません、今いいですか?」


「え、あ、えっと…………『櫻の樹の下には』?」


「え?『屍体が埋まっている』?」



 唐突な問答に戸惑う。それは彼女の求める答えだっただろうか。だが、それ以外の答えの予想が出来なかった。梶井基次郎は親の蔵書の中にあったから偶然読んだことがあるだけだった。



 その答えに彼女は珍しいものでもみた、とでもいうようにようやく僕と顔を合わせた。そして正解です、とブックカバーをとると『櫻の木の下には』が姿を現した。



「その学生証、先輩ですよね。私に何か用でしょうか。もしかして告白?」


「いや、違う違う。聞きたいことがあっただけ。この手紙、君が出したもの?」



 そういって僕は『話したいことがあります。桜の下で待っています。』の文面を見せた。すると彼女は少し考えるようにして、その後再び僕の顔をしっかり見て「違います」といった。



「そっか。ごめんね。いきなり」


「人捜しですか」


「まあ、そんなところ」



 当てが外れてしまった。明らかにこの子だと思ったのだけれど、そう上手くはいかないらしい。浩も見つからなくてもいいと言っていたことだし、諦めてしまうのも一つの手かもしれない。そう考えつつ踵を返そうとしたときだった。



「手伝ってあげましょうか。当てがもうないんでしょう?」



 背中から声がかけられた。立ち止まって振り返ると、先ほどとは異なり興味に瞳を光らせた彼女が座っていた。



「その通りだけど、どうして?」


「簡単な推理ですよ」


「推理?」


「ええ。聞きたいですか?聞きたいですよね?話しますね」


「思ったより強引なんだね、君」


「推理を発表する探偵は多少なりとも強引なものなんですよ」



 さもありなん。コナン君も一君も警察が調べるより前に現場に入って色々調べたりするし、強行突破も時には大事なのかもしれない。



「といっても、たいした推理じゃないんですけどね。さっき見せてもらった手紙の内容は『話したいことがあります。桜の下で待っています。』でしたよね」


「うん、そうだよ」


「差出人も宛先も書いていない。つまり差出人を探していると推測できます。桜の木の下で読書をしている私に話しかけたのも納得出来ます」


「そのとおり。でも当てがないってどうして分かったの?」


「この学校の生徒で桜といえば、まず校門通りの桜を想像するはずですし、当然そこは調べているはずです。だけどお目当ての人は見つかっていない。だから桜の木を探して学校内を回ってみて、偶然見つけたここに来てみた、という行動経路が納得出来ます。ここがラストだったんでしょう?私が『違います』といったときの先輩の顔がすごく面倒くさい!って訴えてましたから」


「お見事。全部ではないけど、ほとんど正解だよ。探偵といって差し支えない」



 僕が手紙の内容を見せたのはほんの数秒だったはずだ。その短い時間と僕の表情だけで答えを導き出した手腕は本当に探偵のようだった。



「えー、結構自信あったのに。どこを間違えてたんですか」


「ここがラストだってところだけ。学校中を回ったわけじゃないから。まだ探してないところがあるんだ」


「それなら、さっきの先輩の表情に説明がつかないです!」


「それは……なんて、説明すればいいのかな」



 彼女に事情を説明して手伝ってもらうかどうかを考える。これは浩に送られたラブレターなのだし、彼に相談せずに事情を話してもいいものだろうか。



 いや、どうせ僕一人だと何も進展しないだろうし、手伝ってくれるというのならば素直にお願いしてみよう。さっきだって僕は諦める寸前だったのだから、このまま一人で考え込んでいても前に進めない。それに彼女は観察力や推理力が高いことは先ほどの一件で確認済み。もしかすると本当に事件を解決してくれるかもしれない。



 そして、頭の片隅に残る彼女と少しでも仲良くなれたなら、という下心に男子高校生である僕が抗えるはずもなかった。



 桜の木の下に僕も座り込む。どうやら野球部のランは百本を超えたらしく、自らを鼓舞する声が響いてきていた。そんな声が耳に入らないほど僕は緊張していた。彼女の隣に座るのはなんだか気恥ずかしく、少し間を開けて座ったのだが、彼女が自然と距離を詰めてきてドギマギする。



「自己紹介しましょう。私は一年の梶本です。先輩にはレモンって呼んで欲しいです」


「梶本だから、梶井基次郎の『檸檬』?」


「そうです!私、本が大好きなんです。本名はなんというか、可愛いとは思うんですが、文学的な気がしなくて。さっきも『櫻の樹の下には』にちゃんと答えてくれた先輩ですし、この愛称で呼んでほしいんです!」


「じゃあ、よろしくね。レモン」



 恥ずかしい気持ちをどうにかかくして彼女をレモンと呼んでみると、彼女はなにやら満足そうにニッコリ笑った。彼女はどうやら先ほどのやりとりから僕のことを文学オタクであると勘違いしたらしかった。まるで僕が彼女を騙しているかのような気持ちになって、早めに本当のことを言っておくことにした。 



「僕は実はそんなに純文学方面は詳しい方じゃないんだけどね。ミステリーの方が読む」


「私もミステリー大好きです。さっきも恥を忍んで探偵ごっこみたいなことをしてみたくなるくらいには」


「じゃあ君には負けるかも。探偵ごっこは出来そうにない。えっと自己紹介がまだだったね。僕は二年の東野健介」


「え、東野!東野圭吾と同じ名字じゃないですか!」


「そうだね。同じ名字だから読み始めて、ミステリ好きになったって経緯。図書館とか行ったときに自分と同じ名字の作家探したりとかするでしょ?」


「しますします!私たち文学名字仲間ですね!」


「そうかなぁ。梶井基次郎と東野圭吾には何の繋がりもないだろうけど」


「どっちも大枠で見れば文学ですから。大目に見ましょうよ、ね?」



 そんな風に言われて、僕は「そうだね」以外の言葉を言えなくなってしまった。



「じゃあ、先輩のことはなんて呼びましょう。ガリレオ先輩?」


「それはやめてくれ……僕は教授ほど推理ができるわけじゃあないから。それに探偵は君でしょ?僕は助手役の方でいいよ」


「じゃあ、助手先輩、ワトソン先輩……いいや、言いにくいから先輩だけで」


「結局そこに戻るんだな」


「呼びやすさ重視です!それよりも!先輩!例の手紙についての詳細を教えて下さいよ」


「ああ、でも出来るだけ他言無用でお願いね」



 そういって僕は浩から聞いた詳細を話し出すのだった。

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