第40話 増えた漢字

 スパイクと別れて一年が経った。

 バヨネットは相変わらず傭兵業でやりたい時に気が向いたら仕事をして後はぼんやり空を眺めたり酒を飲んだりする気ままな生活を送っていたが、ただ一つ変わった事があった。

 人とつるむようになった事だ。

 相変わらず身勝手で暴力的で刹那主義のような振舞いであったが、傭兵が集まる渋谷にある事務所に所属するようになった。

 自分の仕事としての純粋な手取りは減ったものの、定期的に懐に収入が入ってくる状況になり急な出費に逼迫する事が無くなった。

 といってもあまり良い暮らしではないのには変わりなく、相変わらずキャンピングカー暮らしである。

 他人を鬱陶しく感じる男がそこまでして事務所というコミュニティに加わった理由は事務所の人間も、そして元から付き合いのある神威も知らない。

 ただ定期的にバヨネットはその辺にいる人を使って荷物を運ばせていた。

 幾らかの駄賃を握らせ、適当な入れ物に入れたブツを運ばせる。その姿を見た周りの人々はまた変な仕事でも始めたのかと根も葉もない妄想を囁く。

 人々の邪推は微塵も当たりはしない。彼の運ばせていた物は自分の収入の一部で、そしてそれは孤児院に送られていた。

 個人に宛てる訳にはいかず、孤児院への募金として送られた金はきっとスパイクの暮らしを良くしている事だろう。バヨネット自身がどう思っているかは分からないが。


 一年程度経った空は変わらずで、青空を見る事はあまりない。薄い雲がカーテンのように空覆う夏の空を誰も見上げはしない。ただ一人を除いて。

 薄い雲の合間から除く痛い位真っ青な空をバヨネットはヴィレッジの外れで眺めていた。

 傭兵事務所という組織に入っておきながら事務所に顔を出さず、傭兵仲間とも仕事せず、幽霊部員のような形で正に根無し草。その事はバヨネットが一番良く理解していた。

 ただバヨネットは自分が積み上げてきた死体の山を脳裏に浮かべ思う。生きていれば勝ちなのだと。

 格好悪くても、他人から恨まれようとも、誰一人守れない情けない男でも、最後まで生き残っていれば、俺の勝ち。そう自分に言い聞かせる。


「……酒抜けちまったか」


 背の低いビル群に墜落した戦闘機の翼で一見自分の腕を枕に呑気に仰向けで寝ているかのように見えるバヨネット。

 ナイーブな思考を素面のせいにして酒を飲みに行くかと頭を上げようとしたその時、小さな足音が近づいてきた。


「あー! もう、こんな所にいたー!」


 小走りでバヨネットに近寄ってきたのは濃紺の法衣を纏った少年だった。一瞬ボーイッシュなシスターと見間違えそうになる綺麗な茶髪の少年は軽やかな足取りとフットワークで朽ちた戦闘機の凹みや骨組みを足場にトントンと跳ねてあっという間に翼の上に立った。

 その服は孤児院で配られる服であり、また孤児院から出た後も着用を許されている特別な服だ。しかし、スパイクではない。


「理緒か、何しに来た」

「何しに来たって、お前が事務所に顔出さないから様子見に来たんだよ」

「お前ってオメー年上に敬意ってもんはねぇのか」

「敬意を払って欲しいなら渋谷からわざわざ様子見に来させるような幽霊部員ぶりをどうにかしろよなー」


 冗談で言った一言も事務所の同僚である少年、理緒に真っ当な突っ込みを返され、そらそうだなと苦笑する。

 理緒はその姿から明らかにスパイクの入っている孤児院の出だ。最近まで孤児院にいた理緒に聞けば恐らくスパイクの事などについて話を聞けるだろう。だがバヨネットは彼と知り合ってから一度もスパイクについて聞こうとしなかった。


「そんで、所長様からの伝言は?」

「たまには顔出せって」

「気が向いたらって言っとけ」

「んもー、それだけの為に横浜ここにイチイチ来たくないんだけど! 一緒に事務所行こう!」

「そーだな」


 あからさまに乗り気じゃないバヨネットに理緒は頬を膨らませた。


「横浜から離れられないでもあるの?」

「事情、事情ねぇ、無くはないが」

「じゃあそれを解決すれば顔出すようになるの?」

「まあ、な……だがお前らがどうこうできる事じゃねえ。諦めな」


 バヨネットがそう言うと理緒は法衣のポケットから一通の手紙を取り出し、差し出した。

 それを見るなりバヨネットは理緒の手から手紙をひったくった。


「それが離れられない事情?」

「お前には関係ねぇよ。駄賃はやるからさっさと帰れ」

「なんだよそれ。……まあいいけどさ」


 手紙を引き換えと言わんばかりに投げ渡された弾薬の詰まった小さな麻袋を手に、理緒はこれ以上話しても意味無いなと悟って帰ろうと踵を返す。

 理緒が背中を向けたその時、背後からバヨネットが突然理緒に声をかけた。


「理緒。自分の名前、気に入ってるか?」


 突然の問いに理緒は驚いて振り向くが、バヨネットは背中を向けて座っている。

 理緒から見たその背中はどこか寂しさを感じ、大きい背中がなんとなく小さく見えた。

 困惑しながらも、雲間の青を見上げ少し考える。


「気にした事無かった。でもそう言われたら好きかも。……バヨネットは嫌いなの?」

「どうだろーな。本当の名前じゃねーしな」


 素っ気なく返すバヨネット。そんな彼を見つめる理緒の視線にはどこか熱いものが宿っていた。熱視線を背中に受けるバヨネットは流石にそれを感じ取り振り向くとそこにはあの時のスパイクのような憧憬の念を宿した瞳を煌めかす理緒の姿かあった。薄い雲の下、やや暗がりの中に立つ理緒の髪色がスパイクの髪色に似て余計に姿が重なって見えて、見えてしまった事にバヨネットは胸の奥が痒くなる感覚を嫌悪した。

 あいつはあいつでこいつはこいつ。そう思いながら理緒に悟られないよう唇を噛む。

 そんなバヨネットの事などつゆ知らず理緒は口を開く。


「バヨネットは凄いよ」

「いきなりなんだ?」

「バヨネットの本当の名前を僕は知らないけど、でも、生き様がそのまま名前になるって、カッコいいと思う」

「……」


 それはついさっきまで強がってた少年ではなく純粋な彼の本音であった。

 自嘲気味にふっと曖昧な笑みを零す理緒。


「僕にはそういうの無いからさ。バヨネットみたいな生き方出来ないけど、僕も多くの人の記憶に残る生き方、してみたいよ」


  素直な思いを語る理緒を見て今度はバヨネットは鼻で笑う。


「してみたいじゃねぇよ。するんだよ」

「バヨネットは、どうやってしてきたの」

「奪ってきた」


  即答するバヨネット。


「どこもかしこも、邪魔な奴が蔓延る世界だ。ミュータント、ブリガンド、同業者の傭兵……生きてく限り、どいつもこいつも邪魔ばかりしてきやがる。だから全部切り刻んできた。名を上げるって事は、他人の名を奪うって事だ。他人の得られたであろう名誉名声、未来を奪い取る事だ。その覚悟があれば、後は……」

「後は……?」

「やっぱ教えてやらねぇ」

「なんだよそれぇ」

「テメェが名を上げた時に気付きな。ほら、〝おつかい〟の途中だろ、さっさと帰れ」

「ちぇー、子ども扱いかよ」


  反論しようとする理緒だったが、それっきり黙ったままのバヨネットを見て理緒もそれ以上言えなくなり、たまには事務所に顔出せよなとだけ言って去っていく。

  バヨネットは渡された手紙に視線を落とす。差出人は書いていない。けれどバヨネットには分かる。

  徐に封を切るバヨネットはその中身を見た。

  不揃いで拙い文字で綴られた手紙をバヨネットは声に出さずに読む。


〝バヨネットさん、お元気ですか? スパイクです。


 外に出て危険な目に遭っても大丈夫なように孤児院では戦闘訓練も勉強のひとつですが、今日は組み手で自分よりも背の高い相手を組み伏せられて先生に褒められました。

 僕は孤児院で戦闘訓練を受け始めてから夢を持つようになりました。

 いつかバヨネットさんと肩を並べて活躍できる傭兵になる事です。

 短い間でしたが、孤児院にいる一年よりもバヨネットさんと出会ったあの日からの一週間の方が僕には楽しくて大切な思い出です。今の生活も楽しいですけど。

 あの日バヨネットさんが僕を拾ってくれなければ、僕は今こうして勉強したり、机に向かって手紙を書いたり、ベッドで眠れる生活を得られませんでした。

 バヨネットさんは命の恩人で、そして僕に名前と生きる意味を与えてくれました。

 孤児院に居てもバヨネットさんの活躍は耳に入ってきます。それと一緒に、心無い事を言う人もいます。

 でも、僕にとって、バヨネットという名の傭兵はヒーローで、どんな理由で、どんな流れでそう呼ばれるようになったかなんて僕には関係無いんです。

 僕が孤児院を出て、傭兵になった時、僕をまた雇ってください。絶対ですよ。


 スパイクより〟


 瞳を閉じ、深く息を吐きだす。そして漢字の増えた手紙を折り畳み、コートの内側にしまい込むと腰を上げた。


この名前バヨネットも、悪くねぇな」


 バヨネットは生き続ける。いつかその背を追ってくる者を待ちながら――。




 名も無き傭兵と野良犬しょうねんの一週間 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名も無き傭兵と野良犬《しょうねん》の一週間 夢想曲 @Traeumerei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画