後
「ダイン、お客さんだぞ」
親方に呼ばれて工房の外に出ると、サリアが立っていた。3年ぶりだった。グリフォン隊の制服がよく似合っていた。 おれがプロポーズに失敗した次の日、サリアのグリフォン隊への入隊が決まった。それからの3年間はあまり覚えていない。 おれと一度も顔を合わすこともなくサリアは部屋を出ていった。あっという間に部屋の荷物が持ち出されて半分になり、おれの生活空間には何とも言えないへんてこな余白だけが残った。かといっておれは引っ越すこともなくそこから少し離れた武具の修理工房に通うことになった。結構な
工房は王都御用達の下請けで、グリフォン隊の鞍の修繕などもやっている。しばらくしておれはグリフォン隊関連の装具を担当するようになった。おれがグリフォン隊の女と付き合っていたことはほとんど誰も知らないから、べつに嫌がらせと言うわけでもないのだろう。グリフォンの装具を前にすると、サリアと別れた寂しさと、彼女の人生にまだ関われているのかもというほんの少しの執着が入り混じった、何とも言えない気持ちになった。それでも親方に叩きこまれた技術は身体が覚えていて、整備作業で大きなミスをすることもなかったので、職人としてのおれの評価は悪くなかった。おれは仕事以外何もしないから付き合いの悪い人間だとは思われていたかもしれないが。
「久しぶり」 サリアが言った。
3年ぶりに会ったサリアは、ますます美しくなっていた。
「久しぶり」
おれも同じ答えを返した。それしか出てこなかった。
「少し話せないかな」
「もちろん」
「じゃあ、どうぞ」
「え」
サリアが指さした先には、強大な魔獣、グリフォンがいた。間近で見たのは3年前に一度きりで、しかも夜で、しかもおれは殴られて失神寸前だった。今、日光の中にたたずむグリフォンの姿は神々しくすらあった。幼いころ、サリアと夢中で読んだ絵本を思い出す。サリアは夢を叶えたのだ。おれは自分の事のようにうれしい気持ちになった。
「乗るのか? 乗れるのか、おれ」
「大丈夫だって」サリアが笑った。
おっかなびっくりで鞍に跨り、一時的に浮揚魔術を発動する救命装置や脱落防止のベルトを点検しながら装着する。「うまいじゃない」サリアが感心したように言った。確かに自分でも驚きだ。数えきれないくらいグリフォンの装具を整備しているせいで、まるで乗ったことがあるみたいに身体が自然に動いた。最後にサリアが鞍に乗り込んで言った。
「ダイン、しっかりつかまって」
おれはサリアの腰に腕を回して顔をサリアの背中に押し付けた。グリフォンが巨大な羽を羽ばたかせ、強靭な後ろ足を蹴り上げて跳躍した。その巨体は落下することなく天高く舞い上がっていく。おれは空を飛んでいた。小さな頃サリアと夢見た光景。
たどり着いたのは王都の鐘楼だった。鐘楼はたくさんあるので、3年前サリアを最後に見た場所だったのかは分からなかった。屋上にグリフォンを繋ぐと、おれはサリアと東屋のベンチに座った。
「どうだった? グリフォンは」
サリアが楽しそうに言った。
「どうって」
おれは何とも言えなかった。ほとんどサリアに頭を押し付けたまま、景色を楽しむ余裕などなかった。
「最初はそうだよね」
おれの様子を察してサリアが笑い、伸びをした。
「3年ぶりかあ」
「そうだな、3年ぶりだな」
おれとサリアは空白を埋め合わせるように、時間を忘れてお互いの3年間を話した。もっとも、おれの方はすぐに話が尽きた。ひたすら働いて工房と部屋のベッドを行き来するだけの毎日だったからだ。サリアの話は豊富だった。パレードでの編隊飛行や、空中での模擬戦の話。魔獣退治の話。まるで絵本の中に入り込んだようだった。おれはほとんど聞き役だった。もっとも、小さなころからおれとサリアの関係はそんなものだった。小さなころからサリアは話すのが好きで、おれは口下手だった。
「父が死んだの」
唐突に、サリアが言った。
「そうか」
おれはそれだけ言った。サリアが顔にアザを作っていた日を思い出した。「家を出るんだ」と言っていたことも。
「優しい父親だったのよ」
サリアは言った。
「母が他の男と出ていくまではね。それから父は変わった。私を憎むようになった。私の顔を見るたびに母を思い出していたのかもね。で、町の人が父の死を私に知らせてくれて。ずっと緑を切ってたからね。 きっと野垂れ死にだと思っていたら、意外とちゃんとしてたみたい。仕事して、お金を貯めて、家と土地を私に残して死んだの。それを聞いてちょっと悪い気もしたけど、まあチャラだよね。散々殴られたし」
サリアは小さいころから気丈で、感情を隠すのが上手かった。演技をされるとおれには見抜けなかった。今もそうだ。笑っているサリアの話は本当なのか、サリアの本心はどうなのか、おれにはわからなかった。「そうか」とおれは言った。さっきからそれしか言っていない。もともと口下手だったが、工房に入ってからますます口数が減った気がする。
「じゃあ、その家に住むのか?」
おれの質問にサリアは答えず、少しずつ傾いていく夕陽をじっと見つめていた。東屋に備え付けられた灯篭が、魔法の光を放った。おれたちはずいぶんと話し込んでいたらしい。サリアが口にしたのは別の話題だった。
「ねえ、ダイン」
「うん」
「3年前、わたしを空き地に呼んだよね」
「うん」
「行かなくて、ごめんね」
「うん」
「ずっと、気になってたんだ」
「うん」
「あれ、なん話だったのかな」
「あー、うん……」
おれは答えるのをためらった。プロポーズするつもりでしたなんて、今更話すことだろうか。おれが躊躇していると、先にサリアが「あのね」と口を開いた。
「あの日、私ね、別の男に抱かれてたの 」
「……うん」
結構重い告白に、我ながら薄い反応だと思った。3年という月日は、意外なほどしっかりと心の傷を塞いでいた。それでも少し……グリフォンの装具を整備していて時折起こるのと同じ、胸がつかえるような苦しさを感じた。サリアは少し驚いたような、呆れたような顔でおれを見た。
「知ってたんだ」
「うん」
「……ひょっとして、してるとこ、見たとか」
「うん、鐘楼で」
「そうなんだ。……そっかあ」
サリアはベンチに座ったまま膝を抱えて、顔をそこにうずめた。しばらくの間、お互いに何も言わなかった。沈黙の時間が流れる。先に音を上げたのはおれだった。
「指輪、プレゼントしようと思って。あの時」
おれが言うと、サリアが顔を上げた。
「それって、まだ持ってたりする?」
「うん、まあ」
「それって、いま持ってたりする?」
「うん、まあ」
「見たい!」
サリアにせかされるように、おれは懐から小さな革のポーチを取り出した。肌身離さず持っていたせいで、革は良い感じの飴色になっていた。中から金の指輪を出してサリアに渡すと、サリアはそれをつまみ上げて夕日に向けた。
「きれい」
サリアが言った。
「ね、着けていいかな」
「え」
「大丈夫だよ、左手に着けたりしないから」
サリアは笑って付け足した。そして右手の薬指に指輪を差し込んだ。サイズはぴったりで、おれは内心ほっとした。ふたたび夕日に指輪をかざしながら、サ リアは目を細めて笑った。ひとしきり指輪を眺めたあと、サリアは再びベンチの上で膝を抱えた。
「浮気、バレてたかあ……そっかあ、ミスった。あぁーミスったなあ」
サリアは膝を抱えたまま、目尻をを下げてハハ、と困ったように笑った。サリアらしい物言いに、おれも思わず少し笑ってしまった。サリアが口をとがらせた。
「ちょっと、少しは怒ってよ」
「怒りなんて3年も続かないよ。まあもともと怒ってなかったけど」
「そうだよね、ダインは怒らないよね。そういう人だよね」
サリアは、また困ったように笑った。サリアは昔から、こんな笑い方をしただろうか。おれにの記憶にはない、悲しい笑い方に見えた。それでもなお、儚げな表情のサリアは美しかった。また会話が途切れた。
「あのときの男の人と、上手くいってるの」
沈黙に堪えかねておれはサリアに聞いた。サリアが抱き合っていた相手なのに、不思議なくらい何とも思わなかった。サリアを寝取った恋敵で、命の恩人だったのに。サリアが「上手くって?」と不思議そうに聞いた。
「だって、付き合ってるんだろ」
「ああ、そういうこと。うん、まあ」
サリアはあいまいに答えた。サリアはそれ以上話したくなさそうだった。また沈黙。
「私、グリフォン隊辞めようと思ってるの」
今度はサリアが沈黙を破った。先ほどの、おれの苦し紛れの話よりも全然衝撃的な内容だった。
「なんで」
「家が遠いから」
「んなアホな」
グリフォンがいるじゃないか。いや、家に繋ぐわけにはいかないのか。
「ほんとのこと言うと、疲れたから」
サリアの表情から、感情は読み取れなかった。おれは不器用で、サリアは感情を隠すのが上手かった。
「グリフォン隊って、競争が激しいの。妬みとか恨みとか、相手を蹴落とす話ばっかり。グリフォンがそういう人を好むから。猛々しくて、野心的で、とにかくなんか色々みなぎってる人がグリフォンの好みなんだって。だからそういう人間ばかり集まるの」
グリフォン隊を評するサリアの言葉には、全くと言っていいほど好意的な感情がなかった。とげのある言葉は、同僚だけでなく自分自身にも向いているようにおれには思えた。
「あとね、魔獣と心通わせていると、自分自身もなんていうか、魔獣のほうに心が吸い寄せられていくの。身もふたもない言い方をすると、人じゃなくなるっていうか。野生のグリフォンなんて元々ものすごく狂暴だからね。それが人間の心に影響してしまうのかも」
サリアの話すグリフォン隊の実態は、
「だから、賢い人は自分がグリフォンみたいにならないよう、心に歯止めを作るの。自分が狂暴になりすぎないように」
「歯止めって」
「お金とか、名誉とか、人によって色々。あとは、愛かな」
「愛か」
「そう、愛」
そう言ってサリアは、再び指輪を目の前にかざした。いつの間にか日は沈んでいた。金の指輪に、灯篭の魔法の光が反射してきらめいていた。
「自分は一人じゃない、自分を大切に思ってくれている人がいる。そう思うと、人でいられるんだってさ」
サリアはそういっておれを見つめた。今日初めて、おれとサリアは見つめ合った気がする。うるんだ大きな瞳も、艶やかな肌と髪も、全部が愛おしかった人。3年前、サリアが出て行った日を思い出す。憶えていないんじゃなくて、思い出さないようにしていた。サリアが去って荷物が運び出された部屋には、かつてそこに何かがあったというだけの、日焼けしていない壁が亡霊のように残っていた。辛くて悲しくて、意味もなく毎日、その亡霊の前にに跪いておれは泣いていた。彼女の活躍を聞くたびに耳を塞ぐように仕事に打ち込んだ。過労でぶっ倒れて死んだように眠る日々を過ごした。サリアを思い出すより全然ましだった。
「ダイン」
サリアの声でおれは我に返った。ずいぶん長いこと沈黙していたらしい。サリアがおれを見つめている。
「わたしたち、やり直せないかな」
ああ。
その言葉を何度待ち望んだだろうか。もう一度彼女を歩く日々を何度夢見ただろうか。幼い日から一緒に過ごして。一緒に泣いて。一緒に笑って。キスをして。抱き合って。彼女がいなくなって。ひたすら泣いて。ひたすら働いて。そして。
「おれは」
「ごめん、ウソ」
「は」
「だから、ウソ」
おれの返事を遮って、サリアが笑いながらひらひらと手を振った。そしてちょっと神妙な顔をして、おれに頭を下げた。
「ほんとごめん。今のは冗談にしてもひどいね、我ながら」
「サリア……」
「ダイン、結婚するんでしょ」
「知ってたのか」
「うん」
今、おれの心には別の人がいる。結局そのことを直接サリアに言うことはなかった。サリアが言わせなかった。おれは結局、サリアの「だから、ウソ」を受け入れることにした。小さな頃からサリアは演技がうまかったから、本心は分からなかった。知らなくていいと思った。
「帰ろう」
おれはそう言ってから、おれの方からサリアに別れの言葉を行ったのは初めてかもしれないと思った。小さな頃の記憶が蘇る。いつも「帰ろう」と先に言うのはサリアだった。幼い頃のおれはサリアと離れたくなくて、絶対に自分から帰ろうとは言わなかった。
サリアはおれの顔を見つめたまま、すぐに返事をしなかった。おれがベンチから立ち上がると、サリアが「送るよ」と言った。
「いいよ、歩いて帰る」
「遠いよ?」
「歩きたいんだ」
「そっか」
「じゃあな。サリアは?」
「もうちょっとここにいるよ」
「分かった」
おれはサリアに背を向けて歩き出した。「ダイン」サリアの声が背中に聞こえた。
「私ね、ここで浮気したの」
「……ええ、今話すのかよそれ」
「だから、今日ここでダインに抱かれたら上書きされてチャラになるかなって」
「おい」
「冗談よ、冗談」
サリアは可笑しくてしょうがないといった様子で声を上げて笑ったあと「じゃあね」と言った。おれはもう歩くのを止めなかった。屋上から出るドアを開ける。おれの背中に、遠くからサリアの声がかすかに聞こえた。今まで聞いたことがない、弱々しい泣きそうな声だった気がした。
「ごめんね」
おれは返事をしなかった。できなかった。おれはドアを閉めた。
一年後、サリアは死んだ。
巡回中に乗っていたグリフォンから転落したという。高高度から地面に叩きつけられて、ほとんど見るに耐えない肉塊のようになっていたそうだ。身寄りがいなかったサリアは部隊葬になった。おれは参列を嘆願したが、許可されなかった。サリアの死は公に発表されることはなく、大きな話題にならなかった。今思えばグリフォン隊絡みの死亡事故は大体いつもそうだった。工房は少しの間だけピリついた雰囲気になった。鞍や救命具に不備があれば工房の過失だからだ。親方衆とグリフォン隊の間でどんなやり取りがあったのか知らないが、結局お
結局サリアはグリフォン隊を辞めなかった。理由は知らない。
《終》
飛翔 スエコウ @suekou
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