後編

 いくら契約結婚といえども、一つ屋根の下で一緒に暮らす以上は、必然的に交流を深めることになる。



 たとえば食事の時――



「正直嬉しい誤算だったよ。君がこんなにも料理上手だったなんてね」

「誤算とは失礼ね。シチューのおかわりあげないわよ」

「すみません。言葉が過ぎました」



 たとえば洗濯の時――



「ま、待ちなさいよ! あたしの下着はあたしが洗うって言ったでしょ!?」

「ははははっ。別にいいじゃないか。減るもんでもないし」

「減ってるわよ! あんたの雑な洗い方のせいで、下着の布が磨り減ってるわよ!」



 たとえば掃除の時――



「ふぅ……これで今日の掃除は終わりね」

「おや? こんなところに埃が?」

「あんたは小姑か!?」



 たとえば雑談の時――



「マルカ。最近気づいたことがあるんだけどさ」

「なによ?」

「君、間違いなく良いお嫁さんになれるよ。僕が保証する」

「契約婚とはいえ自分のお嫁さんに対してそんなことをのたまうあんたは、間違いなく悪いお婿さんになれるわ。あたしが保証する」



 そんなこんなで、契約結婚してから半年が過ぎた頃――



 町に降りて日用品の買い出しをしていたマルカは、エヴァンスと並んで大通りを歩きながらふと思う。


(アレ? なんかエヴァンスとの暮らし、思ったよりも悪くない気が――……)


 脳内で続く言葉を紡ぎかけた瞬間、「なに血迷ってんのよ!?」と言わんばかりにかぶりを振り、続く言葉も振り払う。

 相手は魔術の実験台にするために契約結婚を企てるようなろくでなしだと、何度も自分に言い聞かせていると、


「どうしたんだい?」


 突然エヴァンスに顔を覗き込まれ、「おわぁっ!?」とお淑やかさの欠片もない悲鳴を上げながら後ずさってしまう。

 その際に足がもつれてしまい、マルカは盛大に転――


「おっと!?」


 ――びそうになったところを、エヴァンスに抱き止められた。


「気をつけないと。ある意味では重病人だって言っていたのは、君なんだから」


 そんな言葉まで付け加えられたせいか。

 マルカの胸の鼓動が、一瞬だけ弾むようなリズムを刻む。


 その事実から目を背けるように、マルカは慌ててエヴァンスから飛び離れた。


「は、半年も前に言ったこと引き合いに出さないでよ! ていうか、いきなり顔を覗き込まないでよ! ビックリしちゃったじゃない!」

吃驚びっくりさせられたのは僕の方さ。自分の妻が、突然町中で頭を左右に振り始めたら、誰だって心配するさ」

「つ、つ、妻って言うな!」


 色々と耐えきれなくなったマルカは、エヴァンスを置いていく勢いで、早足で歩き出す。


 一生の不覚だった。

 先程エヴァンスに抱き止められた時、一瞬とはいえ彼にときめいてしまったのは一生の不覚だった。


(ていうかあいつ、あたしのこと段々普通に妻として扱ってきてない!?)


 などと考えてしまったせいか。

 再び心臓が弾むようなリズムを刻み、一生の不覚が二つに増えてしまったマルカであった。




 ◇ ◇ ◇




 エヴァンスと結婚してから一年の時が過ぎた――その事実を前に、マルカは否応なしに確信させられる。


(あたしの寿命、本当に延びてる……)


 何だったら、一年前よりも体調が良いくらいだった。


(それもこれも、全部こいつの実験のおかげってことになるわよね)


 そんなことを考えながらも、今まさしく実験のために、処置台で仰臥しているマルカに向かって魔力の波動を浴びせているエヴァンスを見やる。


 魔術師としては業腹極まりないが、一年が過ぎた今でも、エヴァンスが浴びせてくる波動の性質を、マルカは掴みきれないでいた。


 ただ、一つだけ気づいたことがある。



 そんな確信を抱いている間に実験が終わったのか、エヴァンスは波動の放出を止める。


「よし。今日のところはここまでだね」


 一つ息をつき、額の汗を拭うエヴァンスに、マルカは抱いていた確信をそのままぶつけた。


「エヴァンス……あんた、実験というのは嘘で、初めからあたしを治療する気で結婚を申し込んだでしょ?」

「それは面白い見解だね。同時に、君らしくもない見解でもある」

「どういう意味よ?」

「いやだって、いつもの君なら『あんた、治癒魔術の実験してるでしょ?』って訊いてくるところだよね?」


 エヴァンスの言葉の意味を咀嚼そしゃくする。

 言われてみれば、確かに、いつもの自分ならそういうふうに訊ねていたと思う。


 だったら、


(なんであたし、こいつが治療目的で結婚を申し込んできただなんて訊いたんだろ?)


 目の前にいるエヴァンスを無視して、深く深く考えたところで……はたと気づく。

 エヴァンスが治療目的であたしに結婚を申し込んできたと、思い込みたがっている自分がいることに。


 途端、頬に熱が帯びていくのを自覚する。


(いやいやいや! ないないない!)


 とりあえず心の中で全力で否定してみるも、頬の火照りを冷ますほどの効果はなかった。


「どうしたんだい、マルカ? 顔が赤くなってきてるけど」

「な、何でもないわよ!」


 とは言ったものの、実際に顔が赤くなっている以上、そんな論理性の欠片もない反論ではエヴァンスは納得しないだろうし、引き下がるとも思えない。


 ここは強引にでも話題を変えて有耶無耶うやむやにすることに決めたマルカは、何かエヴァンスの興味を引くネタがないか深く深く考えたところで……はたと気づく。


「エヴァンス……あんた、痩せた?」


 この男にしては珍しく、ギクリとした表情を浮かべる。

 我が意を得たりと思ったマルカは、ここぞとばかりに畳みかけた。


「どうせ、魔術の研究に没頭しすぎて寝てないとか、そんなんでしょ?」

「いや……うん……まあ、そんなところだね」


 だが、またしてもこの男にしては珍しい、煮え切らない返事がかえってきたことに、マルカはいよいよ眉根を寄せる。


「あんた、本当に大丈夫な――」

「さて! 実験も終わったことだし、そろそろ夕食にしようか。正直もう、お腹と背中がくっつきそうだからね」


 露骨にごまかしてくる、エヴァンス。


(……まあ、いいか。こいつの場合、あたしに隠してることなんて山ほどあるし)


 その時はまだ、マルカも軽く見ていた。



 だが、



 そんな見立てとは裏腹に、エヴァンスの体調は日に日に悪化していった。



 目に見えて食欲が落ち――



 目に見えて体力が落ち――



 目に見えて顔色が悪くなり――



 目に見えて痩せ衰えていき――




 ――ついには、倒れてしまった。




 エヴァンスをベッドに寝かせたマルカは、怒りと哀しみがぜになった声音で訊ねる。


「エヴァンス。いい加減答えてもらうわよ。あんたはいったい、あたしを使って何の実験をしてるの? どうして実験台になってるあたしが元気になって、実験を行なってるあんたが衰えていってるのよ?」

「何の実験って……勿論、治癒魔術の実験に決まってるじゃないか……」


 この期に及んで白を切るエヴァンスに、いよいよ頭にきたマルカは、


「もういい。あんたには悪いけど、あんたの研究室、調べさせてもらうから」

「待っ――」

「待たないわよ!」


 怒鳴りながら、誘眠魔術をエヴァンスにぶち込む。

 体力の衰えにより魔術に対する抵抗力も落ちていたエヴァンスは、あっさりと深いの眠りについた。


 マルカは、エヴァンスがこちらを呼び止めようとした際に乱れた毛布を肩までかけてあげてから、彼の研究室へ向かう。


 無数の本棚と、それでもなお収まりきらずに山のように積み上がった書物に目を通すこと半日。

 ついにマルカは、エヴァンスの実験の正体を――いや、見立てどおりにことを突き止めた。


 実験と称してマルカに魔力の波動を浴びせていた際、エヴァンスが使っていた魔術は二つだった。


 一つは、魔力の波動の性質を隠す隠蔽魔術。

 これのせいで、マルカは一年以上波動を浴びせられていたにもかかわらず、その性質を看破することができなかった。


 そしてもう一つは、寿魔術。

 マルカが研究の題材にしていた、禁呪の一種だった。


「あのバカ……!」


 やり場のない感情をぶつけようと、先程まで目を通していた書物を床に叩きつけそうになるも、他ならぬエヴァンスの私物なので、どうにかこうにか堪え、床に積み上げていた書物の山の上に置いた。


 どうりで、余命一年だった自分が元気になったわけだと思う。


 どうりで、憎たらしいほど元気だったあいつが衰えていったわけだと思う。


「エヴァンス……なんであんたは、あたしにここまで……」


 そんな理由、わかりきっている。

 今までならば全力で否定していたところだけれど、事ここに至ってそんな真似ができるほど、マルカの血は冷たくできていなかった。


「ああもうっ!」


 乱雑に頭を掻いたマルカは、覚悟を決めるようにフンスと鼻息をつくと、早足でエヴァンスのもとへ戻っていった。




 ◆ ◆ ◆




 マルカの誘眠魔術によって深い眠りについていたエヴァンスは、陽光にも似た暖かな〝何か〟を浴びせられていることに気づき、ゆっくりと瞼を上げる。


 起き抜けで頭がろくに回らないまま、何とはなしに自身を取り巻く状況を整理する。

に視線を巡らせる。


 ベッドに寝かせられている僕。

 体が痺れたように動かないことを鑑みると、麻痺魔術をかけられているとまず間違いないだろう。


 そして、


 そんな僕に向かって、マルカが魔力の波動を浴びせていた。


(この波動って確か……)


 瞬間、寝ぼけ気味だった頭が即座に覚める。


 今マルカがエヴァンスにかけている魔術は、自身の寿命を他者に分け与える禁呪。

 今までエヴァンスが彼女にかけた術と、全く同じものだった。


「な、何をしてるんだいッ!? マルカッ!?」

「何って、見てのとおりあんたからもらった寿命を返してるのよ。ていうか……」


 マルカはなぜか楽しげに「にしし」と笑い、言葉をつぐ。


「あんたがそんなに取り乱すところ、初めて見た」


 言われてみれば、我ながららしくない反応だったことを思い出し、エヴァンスは深々とため息をつく。


「取り乱しもするさ。こんなことをしているということは、もう全てわかってるんだろう?」

「そりゃもう、全てわかってるわよ」

「わかってるのなら、頼むから今すぐ禁呪を止めてくれ。僕は……僕よりも先に君が死ぬことが、本当に耐えられないんだ」


 この一年の結婚生活の間にしっかりと甲斐もあってか、今までのように余計な言葉を付け加えてごまかすことなく、本音を伝えることができた。


 だがそれが、結果として直截になりすぎてしまったのか、マルカの表情が瞬く間に真っ赤になる。

 わかりきっていたことだが、どうにも彼女は恋愛事に対する耐性がないらしい。

 そんな彼女を、堪らないほど愛おしく思う。


 けれど、今は甘い感情に浸っている場合ではないので、エヴァンスは先と同じ言葉を重ねて彼女にぶつけた。


「もう一度言うよ。頼むから今すぐ禁呪を止めてくれ。君には、僕よりも先に死んでほしくないんだ」


 返事は、かえってこなかった。

 禁呪も、やめてくれなかった。


 ならば何度でも――そう思ったエヴァンスが三度口を開こうとしたところで、マルカがポツリと漏らす。


「……あんたより先に、死ぬつもりなんてないわよ……」


 聞き間違いだと思ったエヴァンスは、「え?」と聞き返してしまう。


「あ、あんたより先に死ぬつもりはないって言ってんのっ!」

「だったら、どうして僕に禁呪をかけてるんだい?」


 マルカは口元をモゴモゴさせると、これから言う言葉が嘘ではないことを示すように、エヴァンスにかけていた禁呪を止めてから、観念したように答えた。


「あんたより後に死ぬつもりもない……それだけよ」


 思わず、破顔してしまう。

 だって、彼女はこう言ってくれているのだから。


 死ぬ時は一緒だ――と。


「それってつまり、君も僕のことが好きってこ――」

「好きとは言ってないっ!!」


 力いっぱいに否定され、エヴァンスは愕然ガーンとした表情を浮かべる。

 そんなこちらの反応を見て言いすぎたと思ったのか、マルカは慌てて、されど耳まで真っ赤にしてそっぽを向きながらも、こう付け加えた。


「でも……好きじゃないとも言ってない……!」


 思わず、苦笑してしまう。

 どうにもこれが、今の彼女にとっては精いっぱいのようだ。


「そういうあんたは、どうなのよ?」

「どうって?」

「い、いつ、あたしのことを、す、す、好きになったかって訊いてんのよっ!」


 何とも生娘じみた反応に苦笑を深めながらも、エヴァンスは嘘偽りなく答えた。


「いつ好きになったかって訊かれたら、いつの間にかとしか答えようがないね。ただ、君のことが好きだと自覚したのは、魔術学院を卒業してからになるね」

「それって……あたしと会う機会がほとんどなくなったから……ってこと?」


 おずおずと訊ねてくるマルカに、力強く首肯を返す。

 それだけで恥ずかしいような嬉しいような何とも言えない顔をする彼女のことを、心底可愛らしいと思う。


「君と会えない日が増える度に思い知らされたよ。魔術学院時代、毎日のように君と顔を突き合わし、毎日のように言い争っていたことが、僕にとっては、どれだけかけがえのないものであったのかをね。なのに……」


 エヴァンスはわざとらしく、恨みがましい視線をマルカに向ける。

 視線の意味を察したのか、彼女は後ろめたそうに顔を逸らした。


「君への想いを自覚した途端に届いたのが、君が禁呪の研究でしくじって、余命が一年になってしまったという話なのは、さしもの僕もショックが大きかったよ」

「それは……その……ごめん」


 珍しく、しおらしく、素直に謝ってくる。

 自分の非はしっかりと認める人間だからこそ、好きという感情を抱くと同時に、敬意も抱きたくなる女性ひとだとエヴァンスは思う。


「だからというわけではないけれど、改めて申し込ませてもらうよ」


 そう前置きしてから、ガラにもなく緊張していることを自覚しながらも言葉をつぐ。



「マルカ……今度は正式に、僕の妻になってくれ」



 真っ直ぐに、愛しい女性ひとを見つめる。

 彼女は、散々口元をモゴモゴモゴモゴさせると、


「……なんか、やられっぱなしになってるみたいで腹立つわね」


 まさかの言葉に、思わずギョッとしてしまう。

 そんなエヴァンスを尻目に、マルカはこちらに顔を近づけ……



 彼女の柔らかな唇が、エヴァンスの唇にそっと触れた。



「誓いのキス、まだだったでしょ」


 どこか余裕のある物言いとは裏腹に、恥ずかしさが限界突破したのか、ただでさえ真っ赤だったマルカの顔は、これでもかと真っ赤っかになっていた。

 さしものエヴァンスも、こればかりは頬の火照りを抑えることができなかった。





 そうして二人は、本当の意味で夫婦になった。


 翌年には子宝にも恵まれた。


 ただ一つの不安は、二人で分け合った寿命だったけれど。


 魔術の奇跡か、はたまた愛の奇跡か。


 二人がこの世を去ったのは、同じ日、同じ時。


 孫子まごこに囲まれながらの大往生だった。











 ――幸せだったかい? マルカ。



 ――そういうあんたはどうなのよ?



 ――最高に幸せだったよ。



 ――…………あたしもよ。


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余命一年の女魔術師、契約結婚を申し込まれる 亜逸 @assyukushoot

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