余命一年の女魔術師、契約結婚を申し込まれる
亜逸
前編
「あんた……正気なの?」
魔術師の証である黒いローブを身に纏った銀髪の女――マルカは、目の前にいる男に向かって呆れた声を投げかけた。
「正気も正気さ。マルカ。今すぐ僕と結婚して、僕の妻になってくれ」
マルカにとっては、二年ほど前に卒業した魔術学院からの付き合いの、悪友のようなライバルのような存在だった。
だが、あくまでもその程度の関係にすぎず、在学中に恋仲になるどころか、良い雰囲気になったことも一度もない。
学院を卒業した後も、顔を合わせたのは片手で数えられる程度だった。
だからこそエヴァンスの求愛は、マルカにとって寝耳に水だった。
「で、答えはどうなんだい? ちなみに肯定的な返事以外に対しては、偶然落雷とか爆発とか凄い音が鳴る魔術が偶然誤発動すると思うから、そのつもりでいてくれたまえ」
「そんなふうに言われたら、なおさら断るに決ま――……」
バリバリバリバリッ!!――と、すぐ傍で雷が落ち、言葉が途切れる。
「本当にやりやがった、こいつ……!」
苦々しげに吐き捨てるマルカに対し、エヴァンスは露骨に知らん顔。
口先からは、プスープスーと口笛の出来損ないみたいな音が漏れていた。
そんなエヴァンスを前に、マルカは深々とため息をつく。
「……もう、知ってるでしょ。あたしが禁呪の研究で下手を打って、寿命をゴッソリ持っていかれたこと」
「知ってるよ。なんでも、あと一年程度しか生きられないって話だろ?」
「そうよ。……まさかとは思うけど、そんなあたしを憐れんで、結婚しようだなんて言ってんじゃないでしょうね?」
「それこそまさかさ」
エヴァンスは肩をすくめると、禁呪の深奥よりも闇深い笑みを浮かべながら言葉をついだ。
「僕は今、とある魔術を研究していてね。ちょうど禁呪の影響を色濃く受けている実験台が欲しかったところなんだ」
「うん。あんたはそういう奴だ。今の言葉を聞いて安心したよ。それで、研究しているっていう、とある魔術ってのは何なのよ?」
「馬鹿か君は。まだ成果も上がっていないものを、ベラベラと吹聴する魔術師がどこにいる」
「バカはあんたの方よ。あたしのこと、魔術の実験台にするつもりなんでしょ? 協力的な関係を築くためにも、話した方が得に決まってるじゃない」
「そこはアレだよ。実験台になってからの、お楽しみということで」
「じゃ、ご縁がなかったということで」
踵を返す、マルカ。
そんな彼女の肩をエヴァンスは慌てて掴み、引き止める。
「待て待て待て! 内容は話せないが、君にとっても得のある話なんだ!」
マルカは肩に乗せられた手を払いのけると、胡乱な視線を向けながらも訊ねた。
「あたしに何の得があるっていうのよ?」
「あくまでも実験の副産物というだけの話だけど……君の寿命を、延ばすことができるかもしれない」
その言葉に、迂闊にもピクリと反応してしまう。
ちゃっかり気づいていたエヴァンスのドヤ顔が、割と鬱陶しかった。
「出任せを言ってんじゃないでしょうね?」
「他ならぬ僕自身の魔術研究に関わることだからね。そこで嘘をつくことは、僕自身に嘘をつくことになる。僕がそんな人間じゃないことは、君もよく知っているだろう?」
思わず、口ごもる。
このエヴァンスという男、余命一年の人間を実験台にするために求婚していることからもわかるとおり、人間性という点においては極めて信用のならない男だった。
実際、周囲の人間からの信用は勝ち取れておらず、魔術学院時代においても、この男とまともに話していたのはマルカただ一人のみ。
魔術学院卒業後も、新たなに友人ができた様子は見受けられなかった。
そんな信用ならない男と、マルカが悪友ともライバルともとれる関係を築けたのは、ひとえに彼が、魔術に対しては極めて真摯な人間であることを知っていたがゆえのことだった。
基本、言っていることもやっていることもメチャクチャだが、関わった人間に対しては一定以上の筋を通す点も、マルカは評価していた。
先程エヴァンスが言っていたとおり、彼が自身の魔術研究に関わることで嘘をつく人間ではないことを、実験台にする人間に対して不義理な真似をするような人間ではないことを、マルカは知っている。
だから、失ったマルカの寿命を延ばせるかもしれないという話も嘘ではないだろうが、
「だとしてもよ。あたしがあんたと結婚する必然性はないと思うんだけど」
「必然性ならあるよ。これは僕の数多い自慢の一つなんだけど、どうにも僕は社会的な信用というものがまるでなくてね」
「そんなことを自慢する、あんたの神経を疑うわ」
「大っぴらに人一人を実験台にしたなんて知れたら、社会様からの横槍が入るのは明白」
「ほう、無視か。そうだったわね。あんたはそういう奴だったわね」
「その点、夫婦なら二四時間付きっきりでいても怪しまれることはない」
「あんたが誰かと結婚した時点で、最高に怪しいと思うけど」
「僕としても、二四時間実験台の経過を観察することができる。まさしくWin-Winってやつだ」
「それ、あたしあんまり勝ってないよね? あんたが大勝してる感じだよね?」
「なら、やめるかい?」
ここでようやくこちらの話を聞いたエヴァンスが、予想外の問いを投げかけてきたことにマルカは面を食らう。
「頭に『契約』がつく形式的なものとは言っても、結婚は結婚だからね。君がどうしても嫌だって言うなら諦めるよ。協力的ではない人間を実験台にしても、研究は捗らないしね」
「……最後の本音がなければ、危うくあんたのことを見直してしまうところだったわ」
「おっと。それは失言だったね。それで、どうするんだい? マルカ」
魔術の実験台にするという、やましさしかない理由で結婚を申し込んでいながらも、やましさの欠片もない曇りなき瞳でこちらを見据えてくる。
思わず目を逸らしてしまったのは、マルカにとってはなかなかに不覚だった。
別にマルカは、エヴァンスに恋愛感情など抱いてはいない。
向こうは言わずもがなだろう。
そこを加味しても、「契約上」という注意書きがある分には、マルカにとってエヴァンスとの結婚は、どうしても嫌というほどの話ではなかった。
楽なのだ。
一緒にいて、物凄く楽な相手なのだ。エヴァンスは。
魔術学院時代では、相当醜い争いも演じたこともあってか、他の異性と比べて、エヴァンスを相手にしている時は全く肩肘を張る気が起きない。
自分を良く見せようとか、良く思われたいとか、そういった感情が欠片ほども湧いて出てこない分、ともに生活するという点にはおいては誰よりも楽な異性なのだ。
マルカは、散々悩み……現金な話だが、失った寿命を取り戻せるかもしれないという可能性に、わずかながら天秤が傾いた結果、
「……わかったわ。あんたと結婚してあげる」
「よしきた」
わざとらしく拳を握り締めるエヴァンスに、マルカは「但し!」と声を張り上げながら、人差し指を突きつけた。
「結婚といっても、あんたが言ったとおり、あくまでも形式的な話よ。変なことしたらぶち殺すからね」
「大丈夫大丈夫。君相手に変な気を起こすほど、異性に飢えてないよ」
「なんか、そう言われたら言われたで腹立つわね」
といった具合に、トントン拍子で契約結婚が決まった、一ヶ月後――
「まったく……ある意味ではあたし、重病人なのよ? なのになんで、あたしの方からあんたの家に引っ越さなきゃならないのよ」
必要最低限の家財道具と、魔術関連の道具を金で雇った者たちに運ばせながら、マルカは、玄関までわざわざ迎えにやってきた家主――エヴァンスに不平を垂れる。
「君は僕の実験台になるんだ。設備が整っている僕の家に君を招くのは、当然の話だと思うけど?」
同じ魔術師である以上、マルカもエヴァンスの言い分は理解できる。
だからこそ反論の言葉を紡ぐことができず、代わりに別方面から不平を垂れることにする。
「……あたしが住んでた家よりデカいのが、なんか腹立つわね」
「これでも一応、魔術師としてはそれなりに成果を上げているからね」
「けど、この景気の良さはそれなりってレベルじゃないわよね?」
「僕にとってはそれなりの魔術でも、俗人にとっては大魔術に見えるという話は、僕にとってはよくある話さ」
「『なんか』どころか、明確に腹立つわね。禁呪を研究していた過程で、常人なら五秒で発狂するような激痛魔術を発見したんだけど、あんたに試していい?」
「それは、またの機会にさせてもらうよ」
「って、断らないんかい!?」
思わずノリツッコみを入れてしまったマルカだったが、エヴァンスが突然顔を近づけてジロジロとこちらを見つめてきたので、思わず後ずさってしまう。
「な、なによ?」
「洞察力に定評のある僕だから見抜けたけど、マルカ……君、一ヶ月前よりも痩せてないかい?」
図星を突かれ、口ごもる。
「やっぱり、寿命が残り少ないことと関係してるのかい?」
観念したように、首肯を返す。
「引っ越しの準備で忙しかったのは確かだけど、それでも痩せるほどの話でもないしね。体力もちょっとずつ落ちてきてるし、息も切れやすくなってきてる。……まあ、あと一年も生きられない身にしては、まだ元気な方だと思うけど」
最後の言葉は、ただの強がりだった。
ゴッソリと寿命を持っていかれて以降、一歩ずつ着実に体調が悪くなっていることを、一歩ずつ着実に死神の足音が近づいてきていることを、マルカは嫌というほどに実感していた。
死ぬのは
そんな考えが脳裏をよぎったせいか、背筋がやけに冷たくなり、身震いしてしまう。
「……今日のところは疲れたろう。ゆっくり休むといい」
突然エヴァンスが優しい言葉をかけてきたことに、マルカは目を丸くする。
「まさか、あんたに気を遣われるとはね」
「何を言ってるんだい。君は大事な実験台。気を遣うのは当然の話さ」
「……不覚だわ。一月前に続いて、またしてもあんたのことを見直してしまうところだった」
「いっそのこと、思い切って見直してみるのはどうだい?」
「思い切る必要がある時点で、見直す価値がないように思えるけど?」
言った本人もそう思っていたのか、おどけるように肩をすくめる。
そんな
◇ ◇ ◇
その部屋はエヴァンスの家にある、魔術の研究室だった。
部屋の中央に設置された処置台に、仰向けに寝かされたマルカは、こちらを見下ろすエヴァンスに向かって、ウンザリとした調子で言う。
「こうして実際にあんたの実験台になるの、思った以上に気分が悪いわね」
「なに。そう恐がることもないさ」
「その言葉で、さらに気分が悪くなったわ」
「少なくとも、君に悪影響をもたらす可能性は皆無だからね」
「無視か。やっぱり無視か」
「むしろ、寿命が延びる可能性があることを考えると、好影響と言っても差し支えがないくらいさ」
寿命が延びる――今のマルカにとっては、どうしても魅惑的に聞こえる言葉を前に口ごもってしまう。
こちらの反応を見てドヤ顔を浮かべているエヴァンスが、鬱陶しいことこの上なかった。
「もういいわ。さっさと始めてちょうだい」
「言われずとも」
これから行なうことが自身の魔術研究のための実験だからか、エヴァンスはドヤ顔の代わりに緊張感を滲ませた表情を浮かべると、マルカの額の上と胸の上に掌を掲げる。
ほどなくして、エヴァンスの両掌から魔力の波動が放たれ、マルカの額と胸から体の内へと染み渡っていく。
その波動はエヴァンスから放たれたものとは思えないほどに暖かみを帯びており、気をしっかり保っていなければ、五分としないうちに眠ってしまいそうな心地良さに充ち満ちていた。
(でもこれ……いったいどういう魔術よ?)
意識を魔力の波動に集中させ、どういう性質を帯びているのか探りにかかるも、エヴァンスが波動の性質を露骨に隠蔽していたため、そのヒントすら掴むことができなかった。
エヴァンスがマルカに魔力の波動を注ぎ、マルカがその性質を探る。
無言のまま行なわれたそのやり取りは、実に三〇分も続いた。
「ふぅ……」
エヴァンスは波動を止め、深々と息をつく。
額には、玉のような汗が浮かんでいた。
マルカの方は、実質寝ているだけだったので疲れなど微塵もなかった。
それどころか、実験前よりも体調が良くなっているような気さえした。
「マルカ。体の調子はどうだい?」
「問題ないわ。良くなったって言ってもいいくらいよ」
「そうか。なら成功だね」
その言葉どおりに実験は成功したらしく、エヴァンスの頬には満足げな笑みが浮かんでいた。
「ていうか、あんたどうして、波動の性質を隠すなんて真似をしてんのよ」
「おや? その様子だと、僕が何をしていたのかわからなかったってことかい?」
マルカは「ぐぬっ」と口ごもる。
露骨に隠蔽されていたとはいえ、自身に施された術――業腹なことに術と呼んでいいのかもわからない――を全く理解できなかったことは、一魔術師としてはなかなかに屈辱的だった。
「なに。気に病むことはないさ。波動の性質を隠蔽しているのも実験の一環だからね。君が相手といえども、容易く看破されるようでは実験としては失敗もいいところだ」
言っている言葉の意味がわからず、眉根を寄せる。
エヴァンスは、マルカが波動の性質が理解できなかったと告げる前に、実験は成功したと言っていた。
なのに今、こちらが性質を看破した場合は失敗もいいところだと言った。
(何が何だかわからないけど……どういう実験かって直接訊くのは、負けを認めたみたいで癪ね)
そもそも、エヴァンスの様子からして、訊いたところで素直に答えてくれるとは思えない。
恥を忍んで訊いた結果、余計な恥が増えるのは目に見えていた。
(だけどまあ、それはそれとして……)
「ただ、あたしの寿命を延ばせるかもしれないって話が本当だということは、よくわかったわ」
「アレ? 僕が何してたか、わからなかったんじゃなかったのかい?」
「そこで混ぜっ返すとは、あんた本当にいい性格してるわね。……自分の体の変化くらいはわかるってだけの話よ」
「まあ、そんなことだろうとは思ってたけど」
「本っ当にいい性格してるわね……!」
今すぐ激痛魔術をぶちかましてやろうかと、一瞬本気で考えそうになったマルカだった。
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