水平線から、コトバドリ
菖蒲三月
本編
「おいで」
コトバドリは人が鳥の遺伝子を基に生み出した人工生命体。今も海岸で潮風に向かう彼女の元へ戻ったところだ。最近はもっぱら化学兵器の実験と戦争のことばかり
沙江は鳥たちの言葉を解する『鳥聴き』——国家諜報員だ。脳に鳥獣言語の解析デバイスを埋め込まれた、国の操り人形。そして彼女が飼うコトバドリたちは世界五大陸を巡り、人が立ち入れぬ場所を通り抜けて、目となり耳となって彼女の脳へ直接、機密情報を届ける。
お前たちをこんな犯罪めいたことに巻き込んで、ごめんね……。
コトバドリのつぶらな瞳を見つめていると、沙江の思考にノイズが乗る。
彼らから得た情報を当局に伝えるために、別の鳥が飛来する。その子は言葉を奪われたコトバドリ。首には超小型通信機がついていて、そこへ諜報員の持つ脳内デバイスから信号を送る。
「行っておいで、旅の無事を」
また一羽、光になるとも闇になるとも解らない知らせを持って飛び立った。
こんなことをしていて、本当に大陸間戦争は終わらせられるのだろうか。
あの水平線から波が押し寄せるのと、言葉と映像が行き交うリズムが同期されて、身体中が外からの情報に溺れていく。
〈座標245c-66fx 失敗退避せよ〉〈座標55d-7146へ支援、応答願う〉
〈コトバドリ フロム コード#サエ 座標182y一帯壊滅〉
鳥聴き
砂浜が伸びる波打ち際を歩く。アサギ色の海面が規則正しく押し引きしつつ、ゆっくりと海岸線は内へと広がる。まもなく満潮だろう。
ざざんと、ひときわ大きく波が打ち寄せると一羽のコトバドリがまた帰ってきた。
ああ、何も言えない子。通信機の中身は空。
そんな鳥が黄昏が終わる空から影を
「ええ、わかったわ……コトバが無いのに、一生懸命伝えてくれて、ありがとう」
彼女が腕を伸ばすと、鳥がそこへ止まる。翼の端から風に揺られて網目が現れている。当局からの指令で分解コマンドが送られたのだろう。
それは彼女をも『捨てる』という国家の意志だ。
やがて言葉を無くしたコトバドリは、黒く細かい結晶を白く輝かせて消えてしまった。
まだ二羽の相棒が残っている。
沙江は当局からの通信を切るコマンドを自分の脳内から送った。間に合っただろうか。今はとにかくこの場を去ろう。
突然、
脳に直接ダメージを伝える信号に
消されたであろうコトバドリの信号を切ろうと慎重に試みる。当局から見張られているのは分かってるが、これほどの苦痛は
空の残光が水平線の彼方から飛んでくる子を照らした。どうやら一羽は自由を得られたらしい。コトバドリは言葉を取られて
「風の赴くままに、私も誰も知らない場所へ行こうかしら」
帰ってきた一羽に話しかける。しかし伝えてくるものが言葉の形にならない。
「脳内の鳥獣同期装置が切られた……?」
でもわかる。この子の感情が流れてくる、あなたが心配だよと……。
鳥聴きはコトバドリとワンセットで国家の使い捨ての駒。だからこの脳内にある忌々しい機械が死を宣告すれば、その時に思考は弾ける。ただ息だけする人形に成り果てる。
でもどうやらあちらは、何か思惑があるようだ。やがて鳥の囀りが元通り人語となって流れてきた。その隙間に重い信号が埋められている。
〈コード#サエ AToZ00……極秘任務指令、座標軸……無限大〉
そこで当局からの電波が途切れた。
そうか、海の向こうの戦争は『勝者無し』だと言うのか。
鳥聴きへの最終指令は、この世界の文明を聞き、伝え、広げること。
沙江は足跡のついた砂浜を振り返る。いつの間にか潮に攫われて足跡は消えていた。
これは——オールリセット。
宵闇が彼女を覆い隠す。一羽だけ残った相棒の黒い鳥をその中へと送り出した。
次にあの子が帰ってくる時は、明けの明星が見える、お気に入りの海岸で待ち合わせよう。
言葉を
水平線から、コトバドリ 菖蒲三月 @iris_mitsukey
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