雪月花
koto
雪月花
風に舞う花びらを追いかけて、艶やかに染められた爪が宙に紅の軌跡を描いた。
上空には満ちた月。その光を受けて降り注ぐ花びらは輝いていた。一歩先を歩く彼女の瞳も月光を映してきらめいている。
「綺麗ね」とはしゃぐその横顔は、舞い散る花の色を写し取ったかのように上気していた。
花吹雪をみたいというわがままに付き合って、お堀にそって歩いている彼女と私。彼女の願いはおおむね満たされたらしく、視線は柔らかくとろりと甘い。
「少し飲み過ぎたんじゃない?」
「酔いざましも兼ねているんだからいいじゃない。ちゃんと歩いてますよーだ」
彼女の緩く巻いた髪に花びらが触れて滑り落ちる。何枚もの花びらが滑り台のように風に乗って彼女の髪を滑り落ち、時にそっとからみついて黒に薄紅の点を置く。
酔っぱらいの面倒をみるのも同行者の務めだ。そう自分に言い聞かせて彼女の髪をひと房とり、そこに絡んだ花びらをつまむ。
絹の様な花びらが、風に乱されて少し冷たい髪から離れ、再び宙に舞う。それに続いて彼女の髪もそっと解放した。
私のてのひらは彼女の髪のなめらかさと重さを知って汗ばんでいる。このまま触れていたら髪を濡らしてしまいそうなほどに。
不意に彼女はたどたどしい足取りのままくるりと振り返り、細めた瞳でこちらを見た。断りなく髪に触れたことを咎められるのだろうかと恐れた私に、
「ねえ、雪月花、一度に全て観たいわ」
彼女はあっけらかんとねだってきた。安堵の溜息を押し殺して応える。
「贅沢だね、梅の花でなら来年まで待てば叶いそうだけれど? 季節外れの雪は勘弁してほしいな」
その時もこんな風に一緒に美しいものを愛でてもいいんだろうか。相手は私以外じゃないだろうか。
何故ならば”雪月花時最憶君”(雪月花の時 最も君を思う)なんて古い古い歌がこのことばのはじまりなのだから、美しいものたち……雪と月と花を愛でながらだなんて、彼女も誰かを想うに決まってる。
目の前で他人を想う相手を見つめるなんて、手の届かない花に焦がれるのと一緒だ。それとも焼かれるのを承知で火に飛び込む哀れな虫の類だろうか。
黙り込んでしまった私に不満そうに、彼女はてのひらを差し伸べた。
「ね、今すぐ雪を頂戴」
答えはすぐそばにあった。
私は彼女の手をとって、そっとその手の甲に口づけた。
驚いて目を瞠る彼女にぎこちなく笑いかけて、囁く。
「雪はここにあった」
私の手の中の白い手が汗ばむのを感じて、笑みが深くなった。
雪月花の時 最も君を思う。
彼女が雪で月で花ならば、いつだって想っても良いのだ。
たとえ遠く焦がれる花であったとしても、こうして捕まえてしまえばいい。
「そんなんじゃ雪も溶けるわよ」
彼女の真っ赤に染まった頬に指を這わせて、
「本当だ」そう囁いた。
雪月花 koto @ktosawa
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