君のとなりは妹の指定席

西出あや

第1話

 双子の妹の寧々を真ん中にして、右側には向かいに住む幼馴染のコータ、そして左側には寧々の姉であるわたし、奈々。

 それが、三人でいるときのお決まりのフォーメーションだった。

 寧々は生まれつき体が弱く、小学生くらいまでは入退院を繰り返していた。

 そんな寧々も大きくなるにつれて徐々に元気になり、中学生になってから入院したのは1回だけ。

 それ以降は、高三の現在に至るまで、みんなと同じように元気な日々を過ごしていた。

 だけど、ずっと体の弱かった寧々は、元気になった今もずーっと大切に扱われ、体の頑丈さだけが取り柄みたいなわたしは、コータとともに寧々を守るナイトのように周りから思われていた。


「俺さ、東京の大学に行こうと思ってるんだ」

 いつもと変わらぬ三人での学校からの帰り道、コータが唐突に言った。

「え……」

「へ、へえ~。そうなんだぁ!」

 言葉を詰まらせる寧々とは対照的に、必死に動揺を隠して明るく言うわたし。

 しばらくして、さっきまでわたしとコータの間を歩いていたはずの寧々の姿が消えたことに気付いた。

 足を止めて振り向くと、うつむいたまま立ち尽くす寧々の姿があった。

「……なんで?」

 寧々が、消え入りそうな声でぽつりとつぶやく。

「どうしても行きたい大学があるんだよ」

 静かな声で言うコータの視線の先には、寧々がいた。

 いつだってそう。コータの視線の先には、寧々がいる。

 わかってる。

 だから、わたしはこのズキズキする胸の痛みになんか気付かないフリを通すんだ。

「す、すごいじゃん、コータ。いつの間にそんなこと考えてたの? 全然知らなかったよー」

「……ずっと三人一緒だって思ってたのに」

 寧々のか細い涙声が、しんと静まり返った住宅街に響く。

 それを途中でかき消すかのように、思わず声を荒らげる。

「寧々! あんた、ワガママ言いすぎだよ」

 そんなわたしの声に、寧々がビクンと肩を震わせる。

「奈々、先帰ってて。寧々は、俺がちゃんと家まで送り届けるから」

 コータが、わたしの方なんか一度も見ずにそう言った。

 コータのことを思って言ったつもりだったのに。

 そんなわたしの思いなんか、まるで邪魔者扱い。

「……わかった」

 唇をかみしめてくるりと踵を返すと、家に向かって重たい足を引きずるようにして歩いていった。


 当然のように、三人揃って市内の同じ大学に進学するんだと思ってた。

 わたしだって、これから先も、ずーっとコータはそばにいてくれるって思ってた。

 わたしだって、本当は「行かないで」って言いたかった。

 わたしも……寧々みたいに可愛くいられたら、コータはわたしのことも見てくれたのかな。


 わたしとコータは、物心ついたときから、いつだってライバルだった。

 小学校の四年生くらいまでは背だってわたしの方が大きくて、走るのだってわたしの方が速かった。

 そして、いつだって悔しそうなコータの顔を見ては、優越感に浸っていた。

 だけど、高学年になって突然コータの背がぐんと伸びはじめて。

 そしたら、走るのだって、腕相撲だって……気付いたらなんにも勝てなくなっていた。

 ずっとわたしに負け続けていたはずのコータの優越感に浸った顔を見ては、悔しい思いをしていたんだけれど。

 いつからだろう――そんなコータのことを「カッコいいな」なんて思いはじめたのは。


 わたしだって、コータのとなりを歩きたい。

 そんなことを思ったこともあった。

 だけど、コータのとなりはいつだって寧々の指定席で。

 わたしは、そんな寧々のとなりを歩くことしかできなかった。

 だって、わたしには無理だから。

 寧々みたいな可愛らしい女の子にはなれないよ。

 いつだってコータのライバルで、寧々を守るナイトのひとりで。

 そんな自分が、こんなにイヤになったのは、今日がはじめて。


 コータが遠くに行っちゃう。


 やだよ。わたしだって、「コータがいなくなったら寂しい」って言いたいのに。

 だけど、コータを困らせるってわかってることなんか言えっこない。

 だから、コータを困らせる可愛らしい女の子の役は寧々に任せて。

 わたしだけでも、明るくコータを送り出してやらなくちゃ。


 1時間くらいして、やっと寧々が帰ってきた。

 ぱたん、と小さくとなりの部屋の扉が閉まる音がして。ただそれだけ。

 ふたりは、どんな話をしたんだろう。

 ひょっとしたら、離れる前にと、コータは寧々に「好き」って告白でもしたかもしれない。

 となりの部屋の静けさとは裏腹に、わたしの心の中は嵐のよう。

 初恋なんて実らないものって言うし。

 仕方ないよ。

 妹と同じ人を好きになってしまったんだから。

 ふたりの恋が同時に実ることなんて、絶対にありえないんだから。

 何度も何度も自分に向かってそう言い聞かせた。


***


 あの日以降も、寧々とコータの関係が特に変わったようには見えなかった。

 恥ずかしくてわたしには隠しているのかも、なんて勘繰ったこともあったけれど、わたしだっていつまでもそんなことに構っていられるほどの余裕はなかった。

 だって、寧々と同じ大学を目指していたんだから!

 運動では寧々に勝つ自信があったけれど、勉強の方は正直……いや、だいぶ寧々の方が上だった。

 わからないところは寧々に教えてもらったりしながら、それこそ必死に勉強して、なんとか合格を勝ち取った。

 ずーっとD判定だったのに!

 火事場の馬鹿力って本当にあるんだなって、はじめて実感したよ。


 そして、わたしたちだけじゃなく、コータも無事第一志望の大学への進学が決まった。

 受験のあれやこれやが終わって、はっと我に返ったときには、コータと一緒にいられる時間なんかほとんど残されていなかった。


「31日の15時の新幹線だから。ふたりで見送りに来てよ」

 久しぶりにその話をしたのは、三月も残すところあと一週間といった頃だった。

 大学に着ていく洋服を買いに行こうと、寧々と一緒に家を出たところで、ばったりコータと出くわしたんだ。

 コータは、お母さんと一緒に新生活に必要なものを買いに行くところだったみたい。

「やーだよ。コータが『寂しいよぉ』なんて泣くとこなんか見たくないんだから」

 わたしが冗談めかして言うと、

「バカやろ、俺が泣くかっつーの!」

 と、コータはカラカラと笑いながら返してきた。

「…………」

 結局そのとき、寧々はひと言も言葉を発しなかった。


***


 31日の14時半。リビングに行くと、寧々がクッションを抱いてソファに腰かけていた。

「あれっ。寧々、コータの見送りは?」

「……行かない」

 寧々が、クッションに顔をうずめて言う。

「なんで!?」

 顔をあげた寧々が、キッとわたしの方に強い視線を向けてきた。

「『なんで』? なんで奈々にそんなことを言われなくちゃいけないの!?」

 いつもの寧々らしからぬ強い口調に、思わず一歩後ずさる。

「奈々こそ、どうしてこんなとこにいるの?」

「だからっ……。わたしが行ったって、どうせコータはうれしくないんだから。コータが本当に会いたいのは……寧々だけなんだから」

 胸がズキズキと痛い。

 こんなこと、わざわざわたしに言わせないでよ!

「まだ知らなかったんだ。わたし、コータにフラれたんだよ?」

 寧々が自嘲気味に言った。

「え……」

 寧々がフラれた……?

 ウソでしょ!?

「あの日。コータが『東京の大学に行こうと思ってる』って言った日。わたし、コータに好きって伝えたの。言うつもりなんか、本当はなかったのに」

「コータ、断っ……たの?」

「そうだよ! 当たり前じゃない。だって、コータが好きなのは、ずーっと奈々なんだから!!」

「……え?」

「わたしなんて、コータにとってはただの妹みたいなものだったの。そんなことずっとわかってた。本当は、ずーっとコータのとなりにいる奈々がうらやましかった!!」

 そう言い放つと、寧々は抱きしめていたクッションにもう一度顔をうずめた。

 わたし……わたしは、ずっとコータのとなりを歩く寧々がうらやましかったんだよ?

 うらやましくて、うらやましくて、胸がえぐられるように感じることもあった。

「……あと30分しかないよ」

「うん。……わかってる」

 床に貼りついたように、足が動かない。

「早く行かないと、コータ行っちゃうよ?」

「…………」

「こういうの、奈々の特技なんじゃないの?」

 少し苛立ったように寧々が言う。

 寧々はわたしのことがうらやましくて……でも、うらやましがるだけじゃなくて、ちゃんと自分でコータに気持ちを伝えたんだ。

 じゃあ、わたしは?

 わたし……寧々のことをうらやましがるだけで、まだなにもしてない。

「走れっ!」

 寧々の大きな声に、わたしは弾かれたように玄関に向かって走り出した。

 わたし、まだコータになにも言えてない。

 走れ、走れ、走れ……まだきっと間に合う……!


 新幹線のホームに駆けあがって、必死にコータの姿を探す。

 だけど、人が多すぎてなかなか見つからない。

 しばらくすると、コータの乗る予定の新幹線が、ホームに滑り込んできた。

 もう、ダメだ……。

 諦めかけたそのとき。

 人混みの間から、見慣れたコータの姿が、一瞬だけ見えたような気がした。

 ううん、絶対に見間違いなんかじゃない!

「ごめんなさい、ごめんなさい……ちょっと通してください……!」

 必死にその姿を追い求めて、人混みをかき分け前へと進む。

 乗客の列の最後尾にいたコータが、新幹線の入り口に足をかけるのが見えた。

「コータ!!」

 足を止めてわたしの方を振り向くコータの目が、わたしの姿をとらえ、大きく見開かれた。

「コータ、バイバイ……ううん、いってらっしゃい!」

 わたしが大きく手を振りながら大声で言うと、

「おうっ、いってきます!」

 コータは笑顔で片手をあげ、そのまま新幹線に乗り込んだ。

 なんとかコータの乗り込んだ入り口前に到着した直後、プシューという無情な音とともに扉が閉まり、わたしたちの間は完全に遮られた。

 コータが、扉の向こうでなにかを言っているみたい。

 だけど、声は聞こえない。

 でも、いいんだ。

 いつか、コータに会いに東京に行こう。

「あのとき、なんて言ったの?」ってちゃんと聞くために。

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君のとなりは妹の指定席 西出あや @24aya

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