不登校カフェ

めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定

第1話 不登校カフェ

 人生は素晴らしい。

 そう思わないとやってられない。


 時刻は朝の八時四十分。

 ここから午前十時までは街が二度寝する時間帯だ。

 街を歩く人もおらず、車もあまり流れていない。

 学校も仕事も午前九時には始まるのでみんな屋内で準備中。

 店の開店は早くて午前十時。

 だからこの隙間の時間帯は出歩く理由がない。

 人がいないのも当然だ。

 これだけ誰もいないと、まるで自分だけが世界から取り残されたように錯覚する。

 実際に取り残されているから僕はこの時間帯に歩いているわけだけど。


 今日もまた学校をサボった。

 理由は特にない。

 あえて言えば学校の朝礼に間に合わなかったから。

 月曜日は朝礼があるので少し早く家を出なくてはいけない。

 うちの中学は校庭のグラウンドに集まる。

 遅刻すれば全校生徒の前で晒し者だ。

 朝礼終わりに行くとしても全校生徒がグラウンドから教室に戻る。混雑する下駄箱にカバンを持って突入するのはつらい。

 他の生徒の流れが落ち着いてから行くとすでに授業中は始まっている。教室に入るのもハードルが高い。

 登校しない理由を頭の中に並べ立てて、虚しい自己弁護しながらサボるのだ。

 自己嫌悪と罪悪感で憂鬱になる。

 ストレスで本当に頭痛と腹痛がしてくるので病欠と言えなくもない。


 僕がサボるようになったのにはイジメなどの明確な原因があるわけではなかった。

 もちろんクラスで嫌なことがないわけではない。でも嫌いな奴もいれば話の合う友達もいる。些細な問題だ。


 でもなんとなく居場所がない。


 始まりはおそらく中学校に入学してから部活に入り損ねたこと。

 タイミングを外したのだ。

 周りのみんなは新しい環境に適応している。

 自分だけが取り残されている疎外感。


 教科書に載っていることぐらい授業に出なくてもわかるし、テストを受けて点を取っていれば文句ないでしょ。学び舎なんだから。

 そんな言い訳を重ねて自分を正当化しようする。

 満点取ってもサボっていい理由にはならないのはわかっているのに。


 さてこれからどうしようか。

 このまま家に帰ると母親と揉める。

 今からでも登校しろという正論が耳に痛い。

 午前十一時ぐらいまで時間を潰せば『早退した』と言い訳ぐらいはできる。


 またコンビニで立ち読みでもするか。

 月曜日は国民的週刊漫画雑誌の発売日だ。水曜日もオススメだ。こんなことばかり詳しくなる。

 店が開いていないのでこの時間帯はコンビニくらいしか選択肢がない。顔をすでに覚えられてはた迷惑なガキだとマークされているだろう。


 けれど今日は立ち読みの気分ではなかった。

 こういうときは無駄に歩く。

 地元と言っても知らない場所は多い。

 大通りだけではつまらない。建物の間の小道などにもわざと迷い込む。行き止まりに遭遇することもあるが、知らない道を発掘できた時は妙な達成感はあった。


「……この喫茶店開いてる?」


 そうして彷徨うこと数十分。少し喉が渇いた頃にクラシックな雰囲気のある喫茶店があった。

 店の中はうす暗い。

 ドアの小窓から見える古びたカウンター席に客は見当たらない。


「……入ってみるか。古い漫画とか置いてあればいいけど」


 カランコロンとどこか懐かしいベルの音。

 カウンターにいるマスターからの挨拶はない。

 我関せずとコップを磨いていた。

 天井には換気用の大きなプロペラ。

 年季のいった壁紙はタバコの着色で黄色みがかっている。

 こういうのを昭和レトロと言うのだろうか?

 昭和を知らないので雰囲気しかわからない。

 でも『店内禁煙』の張り紙だけは時代を反映させている気がした。

 店内に差し込む陽光の陰影に不思議な美しさがある。


 僕が見惚れたのはその光の中の女子生徒だった。

 窓際のソファー座席。

 艶やかな黒い髪は太陽の光を反射して毛先が虹色に輝く。

 テーブルに広げた参考書とノートに向き合う表情はとても真剣で大人びている。

 静謐であまりに完成された光景だった。

 思わず絵に残したくなるほどに。

 どれだけの時間を見惚れていたのだろう。


「なにか用?」


 絵画の中にいた女子生徒が不躾な僕の視線に眉をしかめている。

 制服は僕と同じ中学校。

 リボンの色は赤なので三年生の先輩だ。

 惚けていた頭がようやく動く。


「し……失礼しました!」


「まあいいけど。この店に迷い込んだ後輩だよね。向かいの席座りなよ。立ったままこっちを見られると気になるから」


「はい!」


 羞恥で背筋が伸びる。

 普段なら逃げていた。

 それなのに不思議と逆らえない。

 先輩に言われるがまま指定された向かいの席に座ってしまった。


「で、さっきから見てたけどなにか用?」


「なにか……と言われましても」


 あなたに見惚れていただけです。

 なんて正直に言えるはずがない。

 答えに窮していると先輩は「あ~」と呻いて言葉を補足した。


「学校はどうしたの? ……私が言えることじゃないけど」


「……えーと」


 お互いに気まずい。

 僕がこの時間帯にこの店にいるのがおかしいなら、先輩がいるのもおかしいのだから。

 でも「そうですね」と相槌を打つのも失礼になる。

 そのまま少し無言の時が過ぎるとテーブルにガラスのコップが置かれた。

 氷がカランと音を立てる。

 ミルクもガムシロップもない。

 透き通った黒いアイスコーヒーだ。


「飲みなよ。マスターのおごりだって。ここのコーヒーは美味しいよ」


 先輩に促されてコップを手に取る。

 ブラックコーヒーは苦手だ。

 けれどミルクとガムシロップを欲しがるのは子供っぽくて恥ずかしい。

 それにこの先輩が「美味しい」と言った物を否定したくなかった。

 意を決して口に運ぶ。

 コーヒーは濃かった。

 酸味はなく苦味とコクがある。

 でも喉越しはよくて、喉の奥を冷たさが通ると鼻からコーヒーの香りが抜けた。

 鼻の奥がなぜか甘い。

 嫌いじゃない。お世辞抜きに好きだった。


「……美味しい」


「でしょ!」


 好きな飲み物の一致。

 それだけで先輩の顔に笑みがこぼれた。

 その笑みに僕もつられて色々こぼれた。

 なぜか初対面の先輩にこの店にたどり着くまでの経緯を話していた。

 それも中学デビューの失敗から僕がサボり魔になるまでも含めて。

 本当にカッコ悪い僕の話を。


「……はは。本当に情けないですよね」


 話し終えて自嘲する。

 先輩は勉強の手を止めて聞いてくれた。

 相槌は打ってくれる。促してくれる。でもなにも言わない。

 聞き上手な先輩だ。

 内心は僕のことに呆れているだろう。

 だから思わず訊いてしまった。


「先輩はなにも言わないんですか? 『そう思うなら学校に行け』とか」


「うーん……私が言える立場じゃないのもあるけどさ。君にその正論じみた説教は必要なの?」


「え?」


「君は自分が悪いと理解している。反省も後悔もある。でも学校をサボってしまうんでしょ。本人が自分を責めているのに他の誰かからの言葉なんて君を傷つけるだけだと思うの。だから私にできることは君の話を聞くことだけかな」


「僕の話を聞くことだけ?」


「うん。だって君が望んでいるのはそれだけでしょ」


 ストンと。

 先輩の言葉は腑に落ちた。

 先輩に呆れられたかったわけではない。叱責やお説教や正論も欲しくない。

 けれどたぶん……一番嫌なのは今の僕を肯定する言葉。

 こんな情けない僕を肯定する人が一番信用できない。


「はは……あー……そっか……それだけなんだ。僕は誰かに話を聞いてもらいたかっただけで……僕はなにか……答えをほしかったわけじゃないんですね」


 いつの間にか泣いていた。

 理解された気がした。

 どうしようもない僕の現状は僕の自己解決以外どうしようもなくて、ただ溜まっていた自己嫌悪を誰かに聞いてもらいたかっただけだったのだ。

 自分でもわかっていなかった願望がくみ取られていた。

 それが嬉しくて悲しい。

 先輩が僕の理解者なら先輩もそうだから。


 先輩はなにも言わず勉強を再開していた。

 その姿に憧憬を抱き、同時に儚くも思った。

 ただしばらく店内に僕のしゃくりあげる音と先輩のペンの音だけが続く。


「解決策は提示できない。でも勉強はいい現実逃避になるよ。学力を上げて文句言う人はいない。自己肯定感も得られる。私でよければ教えるけど?」


「……お願いします」


 その日から僕は登校せずに制服姿で喫茶店に向かった。勉強をしに。先輩に会いに。

 火曜日も。

 水曜日も。

 そして木曜日も。


「さすがにもう学校行かないとまずい」


「それはずっと思ってます」


 言われたことを理解したくなかった。

 だから顔も上げずとぼけた返事をする。

 でも先輩は止まらない。


「うちの中学校は一週間無断欠勤だと担任が家を訪ねてくるから」


「そうなんですか?」


「経験則」


 先輩はやらかしたらしい。

 今日の先輩の様子はおかしかった。

 ずっと僕になにかを言おうとしてやめるのだ。

 その踏ん切りがとうとうついたらしい。


「実は私がこの街にいるのは今日が最期なの」


「……え?」


 言われたことが理解できなくて思わず顔を上げた。

 先輩はじっと僕を見る。

 その表情は本当にどうしようもなくて。泣きそうで。たぶんこの店を最初に訪れたときの僕と同じ顔で。だから今度は僕の番で。

 先輩の話を聞く以外、僕にできることがないのだと悟った。


「君はやり直せる。私と同じようになってほしくない。私の始まりは中学受験に落ちたこと。うちのママはいわゆる教育ママでね。娘が自分の理想から外れたことが許せなかった」


 大人びた先輩から「ママ」という呼び方が似合わない。

 でもその「ママ」にはどんな感情も含まれておらず乾いていた。どうしようもなく親子関係が破綻しているのだと理解させられる。


「私も頑張ったよ。認められようとして学年成績は一位。でもダメ。怒られるの『どうしてあんな中学校で満点以外取るの!』って。満点取っても褒めてくれないのにね」


 言葉は浮かんでは消える。慰めなんて求められてない。

 僕には聞くことしかできない。


「私は家からも学校からも逃げた。たまの学校行って。点数だけ取って。誤魔化して。でも学校から家に連絡が行って全てが崩壊した。ママが叫ぶの『どうして当たり前のことすらできないのよこの出来損ないが』って。それも担任の先生の前でね。児童虐待に元々冷めていた両親の仲も破綻。ギリギリのところで形を保っていた家は壊れた。私はこの街から去るしかない」


 先輩は泣いていた。

 どうしようもなくてずっと泣いていたのだ。

 僕なんかと比べ物にならない現実に打ちのめされていた。


「私はそのときようやく理解したんだよね。学校に行くのは当たり前。私がその当たり前すら放棄したから壊れたんだって」


「それはちがっ……」


 先輩のせいじゃないと言おうとしてその瞳に黙らされた。

 否定したら君のことを嫌いになる。

 そう言われた気がして。


「全て自分の責任ってわけじゃない。逃げないといけないときは絶対にある。わかっている。でもね。当たり前のことをしてないと心の負い目になるの。必ず自分を責める。反論も逃亡もできなくなる。だからまず当たり前である努力をするべきだった。自分を守ってあげるために。そうすれば……テストで満点取らなくてもママに反論できた。『あなたのせいで私は壊れた』って」


 先輩の悩み抜いた末の結論は悲しいことに正しいのだろう。

 それが親を捨てるために出した答えだったとしても。


「だから今日で最期。君ともお別れ」


「……お別れ」


「うん……最期に君と出会えて嬉しかった。現実逃避の手段だったつらい勉強がこの数日楽しかった。君が自分を認めてあげられなくても私が認めてあげる。私を救ってくれてありがとう」


「僕は……僕も! 先輩に救われて! 先輩のことが――」


 その言葉は柔らかい唇で塞がれた。

 抱きしめられて頭を撫でられる。

 しばらくして先輩が離れた。


「君は悪い先輩に救うために今まで学校をサボっていた。その役目は今日で終わり。当たり前になって」


 そう笑って先輩は荷物をまとめて店を出ていく。

 僕にはその後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 唇の感触。先輩の柔らかさ。全てが儚くて。

 初キスはコーヒーの香りがして。苦かったことしか覚えていない。


 次の日も懲りず僕は喫茶店に行き、先輩を待った。

 先輩は来るはずもなく、帰宅すると担任の先生と母親が待っていた。

 この一週間なにしていたんだ、と。

 強い剣幕で心配されて。

 先輩の家みたいに罵倒が飛んでこなかったことに堰が壊れた。

 ようやく初恋だったことを自覚した。

 同時に初恋が終わったことも理解した。


 急に泣き出した僕に困惑する母親と先生。

 先輩のことは知られたくなくて。

 ただ「好きな人ができて、傍にいたくて。でもその好きな人がいなくなった」とだけ伝えた。

 すると理解できるはずもないのになぜか母親からも先生からも慰められた。


 その日から僕は学校に通うようになった。

 部活は美術部。

 喫茶店で光を浴びる先輩の姿を絵に描きたくて入部した。

 入部理由を説明すると美術部顧問の先生から熱心な指導を受ける羽目になったが楽しくやっている。


 そうして梅雨も終わり。

 放課後の帰り道で喫茶店のコーヒーが恋しくなった。


「おかしい……この辺のはずなのに」


「あれハセっちなにしてんの? 家こっちじゃないよね」


 喫茶店を探して彷徨っていると同じ美術部でクラスメートの小坂さんから話しかけられた。


「この辺りに喫茶店があったはずなのに見つからなくて」


「え? うち近くだけどこの辺りに喫茶店なんてないよ」


「いやそんなはずは……朝八時ぐらいからやっていたはずだけど」


「……ハセっち前はよく学校サボっていたし、もしかして『不登校カフェ』って奴? 都市伝説の」


「不登校カフェ?」


 僕は思わず訊き返す。

 この十年ほどでよくネットで話題になる都市伝説らしい。

 不登校で出歩く児童が存在しない喫茶店に迷い込んでそのまま行方不明になるという内容だ。忽然と消えるので本来ならば目撃者不在で都市伝説にもならないはず。

 けれど時折その喫茶店があったから救われた。お世話になったので探しているという人が現れる。

 その喫茶店をいくら探しても痕跡すら存在しない。

 行方不明になる児童の多くはイジメや家庭不和など深刻な問題を抱えていた。だから優しい世界に連れ去られたという都市伝説だ。

 もしかして先輩は……と考えていると、コーヒーの香りがした。この近くに喫茶店があるかもしれない。

 でもその香りも気配も小坂さんの不安そうな声にかき消される。


「……ハセっちはいなくならないよね?」


「当たり前だよ」


 そう当たり前。

 先輩に笑ってもらうために。当たり前の日常を過ごす努力をすると決めたのだから。

 コーヒーの香りは遠のく。

 それにきっと先輩はもうあの喫茶店にはいない。


 そのあと三年生に転校した人がいないか確認したが一人も見つからなかった。

 思い返してみれば僕は先輩の名前も知らないし、喫茶店の名前も見た覚えがなかった。そしてそのことをなにも疑問にも思わなかった。

 僕の調査はそこで終わる。

 あまり先輩のことを詮索はしたくない。本人も望まないだろう。

 先輩は新しい場所で今も笑っているはずだ。

 あの人は生きている。


 人生は素晴らしい。

 そう思わないとやってられない。

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