エピローグ
第54話 あれから
『続いてのニュースです。来週末、ついに日本初の民間による人魚研究所【新水星】が静岡にオープンします。この【新水星】はセイレーン社の元社長・汐入麻里によって運営されていた民営水族館「小さな水の星」を改装・リニューアルしたものであり、汐入麻里の娘・汐入深月氏が企画・運営を行います。また、元MML研究員であり、マーマンの発見者でもある天海啓治氏が所長に就任しています』
画面が切り替わり、白衣を来た天海が映し出される。
『【新水星】はただの人魚研究所ではありません。元々水族館施設だったという特徴を活かし、多くの人に生で人魚を見て、知って、理解してもらうという試みを行います』
『人魚の展示は、人魚発見時から議論されてきたものであり、【新水星】オープンは世界から注目されています』
ソファで足を組みながらニュースを流すテレビに対し、
「だから展示じゃないって言ってるのに」
と玲は口を尖らせた。
「どう説明しても、なかなか受け入れられないって人は一定数いるもんなんだよ。そういう人たちのために記者会見をするんだから」
天海は鏡の前でネクタイの微調節をする。スーツを着ている天海を見るのは玲にとって新鮮だった。あまり服に興味がない玲でも、スーツが天海にいかに似合っているかは理解できた。
「もう、本当に下手くそね。貸して、私がやる」
深月は天海からネクタイを奪うと、一度結び目を解いた。
「せっかく上手く結べたのに」
「上手くないからやり直してるんでしょ」
天海の首にネクタイが掛け直されると、一瞬で手本のような綺麗な結び目が作られた。それを見た天海は「おお」と感嘆の声を漏らす。
「おおじゃない。もう時間だから行くよ」
天海以上にスーツを着こなしている深月が彼の腕を引っ張る。玄関まで連れて行くと、玲も見送りについてきた。
「気をつけてね」
「うん、玲も良い子にしておいてね」
「もう子供じゃないんだから、いってらっしゃい」
「おう、いってきます」
天海の愛車である青いボディのオープンカーを走らせて二十分。彼らの職場である「新水星」に辿り着く。記者会見まで二時間と余裕を持っていたはずが、準備をしているとあっという間に時間はなくなった。
大きなエントランスホール。長机と二つの椅子。向かいには何十人というマスコミが手帳や機材を手に、天海らの登壇を待っていた。
やがて定刻となり、天海と深月が現れると無数のフラッシュが二人に向けられた。
彼らはそれぞれの椅子の前に立つと礼をし、天海がマイクを握る。
「お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。本日は事前に申し上げていたように【新水星】への質疑応答を中心に行いたいと思います。質問のある方は挙手をお願いします」
天海らの着席と同時に何本もの手が群衆から上がる。それらに対し、天海や深月が交互に当て質問に答えて言った。
「【新水星】は世界初の民間による人魚研究機関であると同時に、これもまた初の人魚の水族館になるということですが、その企画に至った経緯を教えてください」
「私たちは昔から、職業柄、人魚という存在が身近なものでした。しかし私たちや漁師たち以外ではほとんど人魚に関わることはありません。また、そのように関わっている人たちでさえも全員ではないですが、人魚への理解が上手くできていない人がいます。人魚は決して危険な生き物ではない。それは多くの人が知るべきだと考え、人魚という生命体への理解を進める一歩になればいいなと思った次第です」
「人魚は危険な生き物ではない、と仰いましたが、人魚に襲われたという事件も過去に見られます。特に2年前のMML襲撃事件もそれがきっかけになっていたはずですが」
続けて答えようとする深月を制止し、天海は自分のマイクのスイッチを入れる。
「私はMML時代、人魚間のコミュニケーションの研究を行っていました。非常に繊細なコミュニケーションを行う彼女らはとても高い知性を持ち、状況判断にも優れています。何が自分にとって利益の出る行動か、不利益の出る行動か。それが判断できる彼女らは自ら人間の怒りを買う行動など起こしません」
「質問の答えになっていないようですが」
「回答はまだ終わっていないからです。つまり、私が言いたいのは彼女らの怒らせているのは我々人間であり、「人魚は危険だ」というものを俺達が作り上げてしまっているんです」
「ちょっと啓治」
ヒートアップする天海を止めようとする深月の声は彼に届かない。天海は椅子から立ち上がり、長机の前へ移動した。
「都合の悪い存在を排斥するために、俺らが作ってしまったものです。だから俺は、俺たちはこの【新水星】を作ったんです。偏見も、曲解もなくすために。変わりゆく時代の荒波を、認めて欲しい。その変貌のきっかけが自分たちなら尚更だ。受け入れてくれとは言わない。人魚を好きになれなんて絶対に言わない。嫌いだって構わない。だけど、何も知らずに、ちゃんと理解もせずに拒否するのはやめてほしい。【新水星】はそういう場所であってほしいんです」
静かになったマスコミたちを見て、天海は自分がヒートアップし過ぎたことに気がつき席に戻る。質問者も「あ、ありがとうございます……」と天海に気圧されたようだった。
その後もいくつかの質問に答え、無事だったとは言い難い記者会見を終えた。どっと疲れが押し寄せ、会場の片付け作業中に天海は思わず溜め息をこぼしてしまった。
「お疲れ。でも、ちゃんと戻ってきてくれて何よりだよ」
彼の様子を見た深月はそう声をかける。天海は苦笑いしながら、
「誰かと違うので」
と、パイプ椅子を畳む。
「私も冷や冷やしたよ。うっかり釣井君や網野君のことを話してしまうんじゃないかって」
「本当にそう! 私も、どう止めればいいかわかんなくて」
手伝いに来てくれていた鷹生も、随分と焦ったようだった。天海自身も、釣井らの話に関してはよく口にしなかったなと思っていた。
2年前。
網野やティナと別れた後、麻里や浦田が起こした一連の事件は終幕を迎えた。
海王会は解散。麻里や浦田を含む一部幹部が逮捕。また、浦田は独立捜査権を与えられていたにも関わらず、目に余る私的利用や拳銃を海王会幹部に提供していたことなどから懲戒免職処分も下されたようだった。
また、天海らの逃亡劇においては正当防衛と見なされ不問。
天海はMMLを止め、釣井と大波田は残った。今では釣井は研究室を持ち、大波田は飼育課長に就任している。
八尾比は『小さな水の星』前に停まるバンの中で意識不明の状態で保護された。心臓発作と診断されたが一命を取り止めた。しかし上手く歩けない、軽い記憶障害等の後遺症があり、今も警察病院へ通院を行っている。また後遺症とされた症状や心臓発作が人魚化と関係があるのかについても調査が進められている。
世間への報道では、人魚化に関わる情報は隠された。人魚化を世界に知らせるのはまだ早いと判断した国が、国家機密で調査を行うことになった。その極秘裏の人魚化研究チームには天海を始めとした事件関係者、一部のMML研究員、各部門の有識者などが招集された。玲の保護や、八尾比の通院もその一貫である。
ティナと網野の行方を追うのは釣井と大波田、そして天海に任されていた。
網野は別れ際、「一年に一度、陸に戻ってくる」と言った。あれから一年に一度どころか何度も、天海らはMMSが建つ海岸へ向かったが彼らが姿を表すことがなかった。
突然、ポケットに入れていたスマホが振動する。画面を見ると釣井からの着信だった。
「おう、どうした」
『今、【新水星】にいますよね?』
「いるけど、どうしたんだよって」
『ヘリ出します。浜辺に着陸すると思うから、準備しておいてください。見てもらいたいものがあるんです』
「見てもらいたいもの? お前今どこにいるんだよ」
『太平洋です』
人魚の起源を研究テーマにする研究者からの呼び出しだった。
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